箱庭➀
「ごめんなさいね?ちょっと興奮しちゃったみたい」
そう言って、はにかむ女神セイレーヌ。
貞○と化した女神に引き摺られる様にして、連れて来られた庭園。
その一角に井戸が見えた時には……もうね、本気で死ぬかと思ったよ?
セイレーヌに促されるようにして座った、石造りのベンチの背もたれに身体を預けながら私は天を仰いだ。
「あなた達の楽しそうなやり取りはいつも見ていたわ。あの子にさっきのチョコレートを食べさせたのは、今回で二回目よね?」
いつもって……それ監視じゃ!? もしくは……ストーカー?
「だから私は、あなたがアーロン……この世界を創造した神に、会いたがっているのも知っているわ」
この世界を造った神は……『アーロン』と言うらしい。
女神はアーロンの妻なのだそうだ。
その妻たる女神が、私の目的を知りながら接触してきたという事は……まさか、女神が私の願いを叶えてくれるとでも?
わざわざ女神から出向いてまで……?
…それに何のメリットがあるの?
「そんなに怖い顔しなくても大丈夫よ」
女神は苦笑いを浮かべながら、私の隣に座った。
因みに、クラウンは少年の姿のままで、庭園の真ん中で日向ぼっこをしている。
女神の庭園での彼は、天使の様にキラキラとして見えるから不思議なものである。
天使とは真逆な魔族なのに……だ。
「では……何故、女神様が自ら動いたのですか?それも……魔族を使って」
クラウンを横目に見ながらセイレーヌに問い掛ける。
「『魔族』……ね。あの子は私にとって他人ではないのよ。私の事はセイレーヌで良いわよ」
クラウンを見たセイレーヌは、ふわっと柔らかい微笑みを浮かべた。
「……え?それはどういう事ですか?」
他人じゃないって、一体……?
「あの子………道化の鏡と金糸雀の二人は、私の義妹の子供なのよ。つまり、私の甥と姪になるわね」
「……クラウンと金糸雀は魔族ですよね?」
「そこを説明すると長くなるのだけど……」
苦笑いを浮かべたセイレーヌが、説明してくれた事。
それは少し遠い過去の記憶…………。
******
女神セイレーヌの知る『世界』とは、幾つもの多種多様な地上世界を指す。太陽系や銀河系の星達。それぞれの星は創った神が管理している。
数多の人々は神々の創った箱庭の中にいるのだ。
箱庭の外側には、神や女神達の様な神族と呼ばれる者達が住む天上世界が存在していた…………。
アダムとイブの様に始まりは二人だった。
二人は豊かな楽園の中で、たくさんの子供を産み、育みながら、血族を増やして行った。
そこから数百年。
楽園ではたくさんの神族達が生活をする様になった。しかし、神族が増え、色々な思考を持つ者達が増えると、穏やかだったはずの彼らの性格に変化が訪れ始めた。きっかけは、ほんの些細なすれ違いだった。
ほんの些細なすれ違いは、徐々に心の中に蓄積されて行き……気が付いた時には楽園を滅ぼす程の大戦と化してしまっていた。
老若男女問わない激しい戦いの末、生き残ったのは六割の神族達。
戦いに負けた者の中には、呪詛を撒き散らしながら死んでいった者がいた。
……すると、神族しかいなかったこの世界に、初めての魔族が誕生したのだ。
それは戦いに負けた者の内の子供の一人供だった。親の死に絶望し、楽園を呪い、自ら生きながら呪詛を撒き散らす存在と成り果ててしまった。その者が始まりの魔王である。
魔王は自分の眷属として、大量の魔物を生み出し、まだ戦いの傷痕の残る楽園に解き放ったのだ。
それが第二次楽園大戦の始まりだった。
魔王と魔物という未知の存在との戦いは、昼夜を問わない激戦となった。
眷属の王たる魔王を倒さない限り、無限に魔物達が沸いてくるのだから…………。
漸く、魔王を撃ち取った時には、六割程残っていた神族達は一割に満たない数にまで減ってしまっていた。
楽園の崩壊…………。
数多の悲しみを抱えた神族達は、自分達の心を癒す為に新しい世界を創り出した。
失ったモノを取り戻すかの様に、理想の星を…………創造していく。
ある神は、青い水だけのある世界を。
ある神は、緑溢れる植物だけのある世界を。
ある神は、動物達だけの住む世界を。
ある神は、自分達の姿に似せた『人間』を創り、力を持たない彼らの為に自然を分け与えた。
また、ある神は僅かに残っていた神力を全て星の創造に使い、自らの創造した世界と一体化する事を選び……自然の中に溶けた。
それから、数百年、数千年が経った頃…………。
一人の神が、とある事に気付いた。
遠い昔に撃ち取ったはずの魔王が生きていた事に、だ。
正しくは……生きていた魔王は、当時の魔王ではなかった。
魔王の子供の子供の子供の…………さらに何代目か後にあたる後継者。
ある神が調べてみると……『魔王』は世襲制なのが分かった。
遠い昔に撃ち取ったはずの魔王が、いつの間にか我が子に魔力を継承していたのだ。
そうして力を継承された次代の魔王は、神達に知られる事なくひっそりと眷属を増やし、その力を継承し続けていた。
魔王の存在は、神達にとってのまさに『寝耳の水』。
…………幸いだったのは神族に比べて、魔王や魔族が短命であった事だろう。
『寿命』の縛りがある魔王だからこそ、楽園の隅でひっそりと血を繋げて機会を伺っていた。
その、生き残りの魔王達の存在に気付いたのは、和泉のいた世界を創り、管理をしていた神アーロンだった。
アーロンは楽園を守る為に、魔王達を閉じ込める為の新しい世界をもう一つ創った。
そこに魔王達だけを閉じ込めるだけでなく、血を繋ぎ続ける魔王を管理する為に、エルフや、獣族、人族を創った。エルフには森の力と長命を。獣族には高い身体能力を。人族には高い知能や知恵を。それぞれには術力も備えさせた。
それが、シャルロッテのいる世界である。
そして、反乱を起こす可能性のある魔王を倒す為の『聖女』システムを創り上げたのだ。
魔王だけでなく、この世界に生きる者や異世界から召喚される聖女さえも全て神に管理されていたのであった。
「アーロンが、あなた達の生きている世界を創って、魔王達を閉じ込めたのは……先代魔王の時になるかしら。彼はとても風変わりな魔王だったわ」
先代魔王は、魔王らしからぬ穏やかな気質を持つ異端。神族や楽園を呪い続ける『魔王の誓約』により、眷属である魔物は生み出してはいたものの、自ら争いを仕掛ける事はなかった。
穏やかな気質を持っていた神族の【先祖返り】。それがしっくりくる様な先代魔王であった。特殊能力である【全知全能】は、先代魔王が愛しいモノ達を守る為に覚醒させた能力であったそうだ。
そんな先代魔王から、魔王の能力を継承した今代魔王のサイオン。サイオンもまた穏やかな気質と【全知全能】を受け継いだ異端の存在だった。
家族を愛し幸せな生活を望む魔王。
サイオンの歴代の妻達は、『魔王』としてのサイオンに惹かれて近付くが……暫くすると、サイオンの穏やかな気質を疎み、離れていってしまった。
箱庭に閉じ込められていたサイオンが、天上の楽園世界に暮らす女神セイレーヌの義妹と出会ったのは…………義妹の一目惚れによる。
「女神が魔王に一目惚れ?!」
「……ええ。義妹……カーミラが箱庭に降り立って、魔王サイオンに結婚を迫ったの」
セイレーヌは苦笑いを浮かべた。
私は、ポカーンである。
確かに、魔王サイオンは超美形だが…………。
「どうして……そうなったのですか?」
「カーミラは、アーロンが魔王の監視をしている時にたまたま遊びに来ていて……箱庭の中にいた淋しそうな顔をした魔王を見つけた瞬間に、勢いよく水鏡に飛び込んで行ったわ。私達が止める間も無く…………ね」
ええと……猪? セイレーヌの義妹さんは猪なの?!
神々は自分達の創った星を監視する為に【水鏡】と言われる物を使っているらしい。
水鏡とはいえ、触れても濡れる事のない不思議なモノだと言うが……普通、そこに飛び込む?!
「随分と活発な……義妹さんだったのですね?」
「いいえ。普段の物静で清楚なカーミラからは想像もつなかった行動なだけに……私とアーロンは黙って箱庭の中を覗く事しか出来なかったわ」
何の前触れもなく魔王城に降りて来た女神の姿に、サイオンは咄嗟に臨戦態勢を取ったものの……。
女神を排除する為に前方に突き出した両手は、カーミラにしっかりと握られ……『あなたが好きです!私と結婚して下さいませ!!』と、突然の求婚。
『……いや、それは無理だ』と求婚を断っても尚……グイグイと攻めてくる女神には、魔王サイオンも腰が退けていたらしい。
ま、まあ……仕方ないよね。予想外過ぎるもんね…………。
サイオンが困り果てた顔で、思わず天を仰いだ時。
我に返ったアーロンが、傍迷惑な身内を箱庭から引き上げたそうだ。その字の通りに浮かせて引き上げた。
『お兄様!私の邪魔をしないで下さいませ!!あの方は私の運命の殿方なのですから!!!』
戻って来た義妹は兄アーロンに詰め寄り、彼をひとしきり責め立てた後……また水鏡の中に飛び込んで行ったそうだ。
「………」
「………」
コクン。
無言で頷き合う、私とセイレーヌ。
長時間に渡る求婚の末に、見事に魔王を口説き落としたカーミラは、女神でありながら魔王の妻となった見事な肉食系女神である。
恋はその人の性格まで変えてしまった。
……というよりも、元々のカーミラの気質だったのかもしれない。
そんなカーミラの行動は、神族の間で『女神の引き起こした失態』として問題になったのだが、兄であるアーロンが『妹は魔王の監視をしているのだ』と言えば、すんなりと問題は解決した。
他の神族達は、第二次楽園大戦を思い出させる魔王に関わりたくないのだそうだ。
カーミラの説得に失敗したアーロンは、諦めて……純粋に妹の幸せを願う事にしたらしい。
兄達の祝福を受けて幸せな生活を送る事になったカーミラとサイオン。
…………その生活は長くは続かなかった。




