リセット➀
強引に彼方の口の中に流し込んだ液体は、コクンと小さな音を立てながら彼方の喉を上下に動かした。
……よし。飲み込んだな。
私はそれを見届け、内心ほくそ笑んだ。
小瓶に入った液体を飲み込んだ彼方は、
「…………甘い?」
自分の喉元を押さえながら困惑した表情で首を傾げている。
苦しくなったりしないのが不思議?
当たり前じゃないか。だってそれは……
「えっ……!!?」
驚きに目を見張った彼方の身体を眩い光が包み込んだ。
一瞬で彼方を飲み込んだ目映い光は、直ぐ近くにいる私の視界から完全に彼方を隠してしまった。
眩しさに瞳を細め、手を翳して光を遮ろうする私の耳には『……え?』『何……これ?』と言う、彼方の困惑した様な呟きだけが聞こえてきた。
長い様で一瞬だった時間が過ぎ光が消え去ると、ベッドに半身を起こしたままの彼方が呆然と自身の身体を凝視している姿が私の目に写った。
「………どうして……私は死んでないの?……それに……あの光は……?」
呟く彼方の声は震えている。
彼方はまだあの光の理由に気付いていない。
「彼方はちゃんと死んだよ?」
「……でも…」
私はニッコリ笑いながら首を傾げ、困惑している彼方の右手の指に自身の指を絡ませると……離れない様にギュッと握った。
「ほら、見て?」
そして彼方の手を握っているのとは逆の手で、彼方の長袖のセーラー服の袖に手を掛け、一気にその袖を捲り上げた。
「……嫌っ!!」
普段は見えない様に……長袖の下に無数の傷を隠している彼方は、私の手を振りほどこうと必死で身体を捩る。
……乱暴な事してごめん。
心の中で彼方に謝罪をしながらも、私は彼方の感情を引き出せた事を嬉しいと思う。
そうだよ。嫌なら嫌ってきちんと言わないと。
因みに、この世界の令嬢は結構力がある。
優雅な所作をする為には指先まで神経を使うし、ダンスをするのにも体力を使う。
中には勿論、非力でスプーン位しか持てないという様な令嬢もいるが……シャルロッテは違う。
私の場合は、もしかしたらチートさんが補助してくれているからかもしれないけどね。
そんなシャルロッテが、身体の細く、更に体力の無い彼方を押さえ付ける事なんて簡単だった。
赤子の手をひねるとはこういう事だろうか。
「嫌っ!!嫌だ!!……見ないで!!」
強引に袖を捲られた彼方は私の力に抗う事も出来ず、細やかな抵抗とばかりに私から顔を逸らして……大粒の涙をポロポロと溢している。
「どうして……どうして、こんな……酷い事をするんですか!」
辛そうな声で叫ぶ彼方。
「……ねえ、あなたは何を見られたくないの?」
私は微笑みながら、自分の腕を隠す様に重ねていた彼方の手に自らの手を重ねた。
ギュッと握り込まれた彼方の指の先は白く……冷たくなってしまっている。
「……だって……私の身体は傷だらけで……汚い…………から」
私は一瞬だけギュッと唇を噛んだ。
女の子の……それも多感な女の子に対して付けられた悪意が許せなかったから。
「……傷?そんなのどこにあるの?こんなに白くて綺麗な肌なのに」
「嘘っ!!白くて綺麗なんかじゃ………………!!?」
キッと私を睨み付けた彼方が、ふと自分の手に視線を下げた状態のまま瞳を見開いて固まった。
「……え?」
あまりの衝撃に、涙さえ止まった様だ。
「……傷が……無い?」
呆然と呟く彼方。
「どう……して?あんなにいっぱい……あったのに……」
拘束していた彼方の手を解放すると、彼方は自らの手でもう片方の制服の袖を捲り上げた。
「……無い。じ、じゃあ……こっちは…………?」
掛かっていた上掛けの布団を剥がし、制服のスカートを膝の上まで捲る彼方。
「やっぱり……無い。傷が綺麗に全部無くなってる…………」
暫くの間、そこにあったであろうはずの傷痕を探し続けた彼方は、『無い』と言う言葉を重ねる度に瞳を潤ませていった。
「だから『死んだ』って言ったじゃない」
さて……と。そろそろ意地悪は止めようかな。
私はふふっと笑う。
だって、元はと言えば彼方が悪いんだよ?
私が『良い』って言ってるのに、全く話を聞かないし……挙句に私の前で簡単に死を選ぼうとするんだもん。
本当は死にたくないくせに。しかも私の手を使って……。
つい、イライラして【超スーパーハイポーション。どんな怪我や疲労も瀕死までならたちまち回復!欠損も治しちゃうぞ!!爽やかレモンサワー(ノンアルコール)風味】を盛っちゃったよ。テヘペロ。
欠損や瀕死状態が治る位の強い効能なら、彼方の古傷だって治せるかも?とは思ったけど……本当に治せて良かった。
治っていなかったら、ただ単にジュースを飲ませただけになるところだった。
「過去の傷跡は消えて、あなたはもう『新しい彼方』になったの。だからもっと自分を大事にして欲しい。和泉の事を思うなら……尚更ね?」
「……あっ……!私……。……ごめんなさい……!!」
ハッとした彼方は気まずそうに私を見た。
私はそんな彼方の頭を優しく撫でながら笑う。
「ここにはもう彼方を傷付ける人はいない。だから、彼方はこの世界で新しい人生を私と歩もう?」
「……私の傷の事……知ってたんですね」
「うん。ごめんね?倒れた彼方に付き添ってる時に見ちゃったんだ」
「そうでしたか……。でもあの傷跡が治るなんて思ってもみなかった……。ありがとうございます」
手で涙を拭う彼方の表情はもう出会った頃の……生きながら死んでいる様なものではない。
虚ろなガラス玉の様な瞳には生気が宿っている。
彼方の置かれていた境遇は、本当に不幸としか言い様がない。
それは現状だって実は変わっていない。《召喚された者は元の世界には帰れない》のだから。
しかし、元の世界に帰れない彼方には悪いが……結果的にはこれで良かったと思う。
仮に、帰れる方法があったとしても……彼方を傷付ける様な者達がいる場所には絶対に帰さないけどね!?
……彼方には是が非でもこの世界で幸せになってもらわないと困るのだ。
その為には……まず、
「いつまで泣いていると………盗っちゃうからね?」
私はわざと悪役令嬢のシャルロッテの顔を作って微笑んだ。
「『クリストファー・ヘヴン』」
「……え?」
瞳を見開く彼方のその頬や耳はほんのりと赤く染まっている。
「せっかくクリストファーの存在する世界に来たのに、頑張らなくて良いの?好きなんでしょ?」
「どうしてそれを……?」
彼方は驚いているが……私だって【ラブリー・ヘヴン】のプレイヤーだったのだ。
彼方が今までにした行動を考えれば、簡単に推しが誰かなんて気付ける。
それでなくとも彼方は『大根』なのだから……クリス様を見つめる瞳が、他の人に向けるものとは違う事なんてお見通しさ!!
「……彼方が本気を出さないなら私が……」
「駄目!!」
彼方は瞳に残っていた涙を少し乱暴に手で拭うと、この世界に来てから初めて意思の籠もった視線を私に向けてきた。
「許されるなら……私は諦めたくない。クリストファーは誰にも渡さない!!」
この力強い瞳は恋する乙女の瞳だ。
百点満点をあげても良いくらいだが……ちょっと惜しい。
「だから、彼方には罪は無いって何度も言ってるじゃない?」
私は苦笑いしながら、彼方の頭の上にポンと自分の手を乗せた。
「ここはゲームとは違う。一人一人が意志のある人間で、私達が知っているゲームの設定とは違う過去を持つ人もいる。……色々と大変な事があると思うけど、彼方の人生なんだから精一杯に頑張って」
「……はい」
困った様な……しかし、前向きな明るい笑顔で彼方は頷いた。
突き放した様な言い方にも聞こえるかもしれないけど、私は彼方をずっと側で見守って、応援していこうと思っている。
「……因みに。リカルド様は私のだから盗ったら許さないからね?」
私はにこやかに笑いながら彼方に圧を掛けた。
「リカルド様……?……って……ええっ?!『リカルド』ってルーカスの友達の?!シャルロッテ・アヴィなのに!?」
私の笑顔の威圧よりも、彼方には驚きが勝ったらしい。
しきりに『あのシャルロッテ・アヴィが?』と、何度も繰り返して呟いている。
「そう。あのリカルドだよ。私はずっとリカルド様推しだったの」
「……攻略対象じゃないのにですか?」
「うん。そんなにおかしいかな?……だったら今からでもクリストファーに……」
「ああ!それは駄目です!!あなた相手じゃ勝てる気がしません!!」
彼方は私の口元を塞ごうとベッドから立ち上がったが、私は彼方から簡単に身を翻した。
運動不足の彼方には負けません!
……意地悪しないつもりだったのに、また意地悪してしまった。
慌てる彼方が可愛すぎるのが悪いのだ。
「冗談だよ。私は今、リカルド様の婚約者なの。凄く幸せだよ。だから、クリストファーには全く興味がないから安心して?」
彼方を宥めてベッドに座らせてから、私もベッドに腰を下ろした。
「良かった………」
『全く』の部分を強調して言ったら、彼方が安心した様に息を吐いた。
「ふふっ。この世界のクリス様も素敵な人だから、頑張ってね?」
「はい。……あ、あの!」
「何?」
「ありがとうございます。それと……今まで本当にすみませんでした」
首を傾げる私に向かって、彼方は深々と頭を下げた。
「気にしないで。彼方は誰よりも幸せになる権利がある。私が言うんだから誰にも文句は言わせない」
「はい!……ありがとうございます!」
彼方は胸元に手を当てながら、ホッと安堵の溜息を吐きながらはにかんだ。
「……そういえば……『彼方』って……」
「…………あっ。いつの間にか心の中の呼び名を口に出してた……。嫌だった?」
そう尋ねると、彼方はブンブンと首を横に何度も振った。
「……良かった。ごめんね。勝手に妹みたいに思ってたから……つい」
「いえ!聖女扱いされるよりも『彼方』ってそのまま呼んでもらえた方が嬉しいです。それにあなたがお姉ちゃんだったら私は嬉しいです……」
彼方は頬を染めて首を少し傾げた。
……くーっ!!
可愛い!デレた(?)彼方が可愛すぎて辛い…………!
「私の事は『シャルロッテ』でも『シャル』でも好きに呼んで?ここでは同級生なんだから、敬語も要らないよ。仲良くしようね?」
「はい…………うん!よろしく……シャル?」
頬を染めた美少女の彼方たんが……可愛すぎて………………(以下略)
「……シャルロッテの頭……大丈夫かしら?」
「主みたいなのを『中二病』と言うらしいぞ?そう主が教えてくれたぞ」
待てーーい!
誰が中二病だ!!
私には愛しの愛しの大好きなリカルド様がいるのですから。ドヤ!!
「病気ならば、医師を呼んだ方が良いのだろうか?娘よ」
「んー……そうですわね。でも、シャルロッテっていつもあんな感じじゃないかしら?」
だから、全部聞こえてるって!
いつの間にか開いていたドアの隙間から、黒猫とその頭の上に乗った黄色の小鳥がこちらをジッと覗いていた。
「あ、あの、シャル?」
突然の小さな乱入者達の姿に、彼方は驚いた様に瞳を丸くしながらも嬉しそうだ。
彼方は動物が好きなのだろう。モフモフ良いよね!
小鳥と戯れる彼方たん可愛…………コホン。
「サイ、金糸雀。入って良いよ?」
私は苦笑いを浮かべながら、黒猫と小鳥に向かって手招きをした。




