衝撃的な……
いつもの様に神出鬼没に現れたルーカスお兄様に、眠ってしまった彼方を学院中にある医務室まで運んでもらった。
そして、その知らせを聞いて駆け付けたクリス様が、専属の医師を呼び寄せて彼方を診察をさせた。
私は無理を言って、その診察に同席させてもらったのだが…………。
診察の際に緩められた彼方の制服の下には……数え切れない位のたくさんの痣や傷痕があった。
消えかかっている物に、まだ真新しい物……。それらがまるで意図した様に、顔や手を除いた普段は見えない場所に付けられていたのだ。
細く華奢だと思っていた彼方の身体は、私が思ってた以上に痩せていた。あばらが浮き、骨と皮しかない。手首なんて握ったら折れてしまいそうな程に細かった。
私にでも簡単に抱き上げてしまえそうに軽かったのだ……。
……『虐待』。
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
どうして、彼方が…………普通の少女がこんな目に合わなければならないのか。
こんないたいけな少女が一体何をしたと言うのか?
堪えきれない程の理不尽さと怒りで目の前が真っ赤に染まり、我を失いそうになった私は、診察の邪魔をしない様に、そっと医務室を出た。
医務室を出て、そのまま走り去ろうとした瞬間……。
私は、ふわっと優しい香りに全身を包み込まれた。
「シャルロッテ」
……え?
私は思わず瞳を見開いた。
走り出そうとした私を抱き締めたのは、本来ならばここにはいない筈の人だったからだ。
私がそうお願いした。
「リカ……ルド様?どうして……ここに?」
彼のいつも身に付けているシーラの優しい香りが、私の尖った心を少しずつ削り取ってくれる。
リカルド様がこの場にいてくれる事が嬉しくて、安心し過ぎて……このまま縋り付いて泣きたくなる。
でも……駄目だ。ここでそんな事をしたら医務室の中にいる彼方に聞こえてしまうかもしれない……。
私はルカルド様の背中には手を回さずに、ギュッと両手を握り締めて堪えた。
「僕が呼んだんだよ」
瞳を細めながら微笑むお兄様が、リカルド様の背後からひょっこりと顔を覗かせた。
「彼方には眠りの魔術を使ってもらったから、暫くの間は目覚めない。だから……少しあちらで話さないか?」
お兄様に続く様にして現れたクリス様が、悲しそうに眉間にシワを寄せながらリカルド様の隣に並んだ。
「クリス様……!分かりました」
医務室に残された彼方が気になる私は、時折、医務室の方を振り返しながら……しかし、彼方は医務室に一人ではない。クリス様が信頼する医師が側にいるのだからと、お兄様やクリス様に促されるままに生徒会室にやって来た。
「ここには防音の魔術が掛かっているから。もう……無理しなくても良いよ?」
リカルド様に支えられている私の顔をお兄様が覗き込んでくる。
「……お兄様達は……知って……いたのですね?」
震える唇を動かしながら尋ねる。
医務室の外に待機していたお兄様達は、私と一緒に彼方の傷痕を見たわけではない。
寧ろ、私が診察に同席しようとした時に止めたのも……今、こうして気遣ってくれるのも……彼方の状況を知っていなかったら出来ない事なのだ。
私をソファーへ座らせたリカルド様は、そのまま隣に座って私の震える両手を自らの大きな両手の中に包み込んだ。
「ああ。直接見た分けではないが……知っていた」
正面のソファーに座ったクリス様は、眉間にシワを寄せながらグッと自分の両手の握りこぶしに力を込める。
「……どうしてですか?」
「それは僕がいるからだよね」
お兄様はそう言いながら、リカルド様とは反対側の私の隣に無理矢理に座ってくる。
そのせいでソファーはもうギチギチだ。
いつもならば文句の一つや二つも言いたくなる状況だが、今はお兄様の体温を感じるだけで安心出来る。
それにしても……お兄様が……いるから?
「ほら。忘れてる」
嬉しそうな笑みを浮かべて、私の額をつつくお兄様。
「それがシャルロッテの良い所だよ」
リカルド様が私の頭にコツンと自分の頭を寄せた。
「知ってるし」
リカルド様に対抗しているのか、お兄様は私の頬に頬擦りしてくる。
……何だ……この逆ハーレム状態は……。
今はそんな場合じゃないだろうに。
「私も……参加しても良いだろうか?」
捨てられた子犬の様な瞳で、おずおずと私を見つめてくるクリス様。
……お前もか!! させないよ?!
「……今の状況、分かってます?」
私はお兄様とクリス様をジロリと睨んだ。 勿論、リカルド様は睨まない!
「ごめん、ごめん。つい……ね?」
瞳を細めて微笑むお兄様。
……笑い事じゃないんだけどな。
更にジト目を向けると……ふと、お兄様が表情を消した。
「シャルロッテ。君はそんなに聖女様に同情的になる必要がないと思うよ」
「……どういう事ですか?」
「君は被害者だからだ」
私が……被害者?
彼方に酷い事をされた事なんてない。ゲームの世界で酷い事をするのは悪役令嬢のシャルロッテの方なのだから、被害者と言うならば彼方の方だ。
……お兄様は突然何を言い出すのか。
神によって日本から召喚された彼方。
……あ!彼方が着ていたセーラー服!!どこかで見た覚えがあると思っていたが、あれは和泉の職場の近くにあった女子高の制服だ。
出勤時に見掛けていた制服だから、記憶に残っていたのだ。
それを今、唐突に思い出した。
……という事は、彼方は随分と私に近い所に住んでいたのかもしれない。
もしかしたら通勤時にすれ違っていたかもしれないなー。
あ、でも、すれ違ってたら『生彼方!!』とか悶えてた気がする。
やっぱり私と彼方の接点なんて無いじゃないか…………。
首を捻りかけて……とある事に思い至った。
お兄様は私を『被害者』だと言った。
シャルロッテがそれに当てはまらないのだとしたら、『被害者』なのは、あの時に死んだ和泉の方だ。
女子トイレに置かれた大きなバッグ。
そこから出てきた煙のせいで、和泉は死んだのだ。
だ、だけど!彼方があんな事をするとは思えない!
彼方の事なんてゲームの中の設定でしか知らないが、何故だかそれは自身を持って断言出来る。
『彼方じゃない』と。
……では、誰がやった?……彼方の親か………兄弟か?
「正解」
私の考えを読み取ったお兄様が大きく頷いた。
「和泉さんを殺したのは彼女の兄だ」
「……え?…………嘘」
私に衝撃的な爆弾を落としたお兄様。表情の無いその顔は、薄く微笑んでいる様にも見えるし、嘲り笑っている様のも見える。
……もしかしたらもの凄く怒っているのかもしれない。
リカルド様が私を労る様にそっと抱き締めてくれ、正面のクリス様も痛ましそうな顔を私に向けてきた。
この人達は基本的に、必要な事を黙っていたとしても嘘は付かない。嘘を付くのは必要な時だけ。
ましてや、この場面では……。
と、いう事は……本当なのか。
私を……和泉を殺したのが…………彼方のお兄さん?
私は彼方のお兄さんとは面識はない。
あの事件を考えれば、和泉に恨みを持ったものの犯行ではない事は一目瞭然だ。
不特定多数を狙った犯行。和泉はそれに巻き込まれた一人に過ぎないのだろう。
どうして……。
たくさんの『どうして』が私の心の中にこだまする。
どうして……あのデパートを狙ったのか。
どうして……そんな事をしたのか。
どうして……どうして……どうして……どうして…………
『どうして、私が死ななければいけなかったの』
お一人様だったけど……幸せだった。
田舎に住む温かい家族に、恵まれた仕事環境と同僚達。
美味しいお酒に、大好きな乙女ゲーム。
どうして……私は……。
「ね?同情する理由なんてないでしょ?」
お兄様の言葉に私はハッと顔を上げた。
私の瞳をジッと覗き込んでいるお兄様は瞳を細めて微笑んでいる。
私の『どうして』を肯定し、甘やかしてくれる優しい微笑み……。
しかし、私にはそれが悪魔の微笑みに見えた。
……駄目だ。
私は首を左右に大きく振った。
私の『どうして』が彼方を傷付けて良い理由にはならない。
やりたい事は、確かにまだまだたくさんあった。
結婚や孫の話……は置いといても、両親より先に死ぬなんて思わなかった。
子供を先に亡くす悲しみを……両親に与えてしまった。
恨みはある。
だけど、それを向けるべきなのは……犯人である彼方の兄に対してだ。
決して彼方にではない。
犯人の家族だからと言って、その妹にまで責任を負わせたいとこの件の被害者である私は思わない。
「確かに……私からすれば加害者側の人間ですが……私はそれを理由に理不尽くを見過ごしたくない。彼方を救いたい。心からそう思います。」
決意を込めた瞳を向けると、お兄様のどこか作り物めいた微笑みがふわっと綻んだ。
「君が僕の妹である事を心から誇りに思うよ。僕の妹としてこの世界に産まれて来てくれてありがとう」
お兄様は私の手を取り、手の平にキスを落とした。
……まるで騎士が姫君にする誓いの様な物に似ていて、思わず腰が引けてしまう。
「……多分、私の言っている事は……綺麗事なんだと思いますよ?」
「それでも別に良いよ。理不尽に抗おうとする君の姿が愛おしいんだ」
お兄様は優しく笑って、私の頭を撫でた。
「僕も君の味方だ。どんな……シャルロッテでも変わらず大好きだよ」
「ありがとうございます。」
ギュッと抱き締めてくれるリカルド様の頬に、私はそっと頬を寄せた。
うおー!恋人同士みたいじゃない?!……実際、そうなんだけど。
「シャル……私も君の事を妹の様に大事に思っているぞ?」
クリス様……両手を広げないで下さい。
そんな事されたって行かないよ?!『クリスお兄様~!!』とか行かないよ!?
リカルド様の前で……否、リカルド様がいなくても行かないからね?!
「……お断りします。クリス様」
「やはり駄目か……」
ガックリと項垂れるクリス様。
この人は一体何がしたいのか……。
私は苦笑いを浮かべながら大きな溜息を吐いた。
転生して今まで何だかんだあったけど…………私はこの世界でも幸せに生きている。
両親やお兄様、愛しいリカルド様に……たくさんの皆に愛されている。
だから……今回の衝撃の事実も受け入れられるのだと思う。
彼方が目覚めるのを待って、話をしてみようと思う。
今までの事やこれからの事をたくさん…………。