動き出す時②
私達が泉の畔に辿り着くと、その場には既にクリス様と数人の神官がいた。
神託によって聖女を迎えに来たというところだろう。
きっとあの集団の中に彼方がいるのだろうが……ここからは何も見えない。
どうしたものかな……?声を掛けるべき?
思案しながらジッと見ていると、不意にクリス様が振り返った。
「……シャルか?どうしてここに?」
キラキラなオーラを纏った王子様が、ニコニコと笑いながらこちらへ近付いて来る。
「クリス様、お久し振りです」
淑女の礼をしようとすると、片手でそれを止められた。
「礼は良い。……ああ、少し見ない内にまた綺麗になったな」
挨拶の時の賛辞は普通の事なので、微笑みながらサラッと水の様に流してしまおう。
「ありがとうございます。クリス様のお話は、たまにお兄様から聞いていますが、お元気そうで良かったです」
「流したな?まあ……良いけどな。元気だが……毎日、騎士団長殿にしごかれているよ」
そう苦笑いを浮かべるクリス様は、最後に会った時よりも少し精悍さが顔に表れてきた気がする。
クリス様は努力の人だから、きっと真面目に訓練をしているのだろう。
そんな、素直で優しくて、真面目なクリス様の事を私は嫌いになれなかった。
「……久し振りに『お兄様』と呼んでくれないだろうか?」
……これさえ無ければ。
「クリス様。『お兄様』はもう間に合っています」
ルーカスお兄様の他にミラも加わったのだから、クリス様の入るスペースは皆無だ。
「そうか……」
しょんぼりと肩を落としたクリス様は、私の後ろに立っていたミラにチラリと視線を移した。
「昨日振りだな。今日は騎士団に顔出さないのか?」
「……クリス様。それは秘密だって言ったじゃないですか……」
黙って私の後ろに立っていたミラが、ジトっとした目をクリス様に向けている。
騎士団?……ミラが? ……何の用で??研究バカなのに?
「ルーカス兄さんじゃないけど……流石にシャルロッテが何考えてるか分かる様になって来たよ。『研究バカ』で悪かったね」
クリス様から視線を私に移したミラが、クリス様に向けたのと同じジト目で見下ろして来た。
……………。
私は思わず自らの頬をペタペタと触った。
自分では表情に出していないつもりなのに……不思議だ。
「身長も伸びたし……少しは体力も付けようかと思って、たまに騎士団の訓練に参加させてもらってるんだよ」
格好悪いから黙ってたのに……と、ミラは大きな溜息を吐いた。
「……え?鍛えるのは良い事だと思うよ!あ、本当だ。前よりも筋肉付いてる!すごーい!」
勝手にミラの二の腕に触れると、ミラの両手がおもむろに私の両頬を摘まんだ。
そして、そのまま横にムニッと引っ張られる。
「み…みりゃ……!?」
「勝手に人の身体を触るのってセクハラだよね?」
せ、セクハラ?!
「ご……めんな……ひゃい!」
犯罪者にはなりたくない!!
焦った私が慌てて謝ると、ミラは摘まんでいた頬から手を離した。
「……まったく」
ツンと横を向いたミラの頬がほんのりと赤みを帯びていた。
義妹に触られて頬を赤らめるだなんて、ミラは純粋だな……。
解放された両頬を摩りながらこっそりニヤニヤしてると、またミラに頬を引っ張られた。
何故分かった!?
そんな私達のやり取りを暫く微笑ましそうに見ていたクリス様は、頬を擦る私の横を通り過ぎて行き、後ろにいたサイと金糸雀に声を掛けた。
「魔王サイオンに金糸雀。二人も元気そうだな」
クリス様が二人に向かって微笑む。
「ああ。快適に過ごしているぞ」
サイは黒い尻尾をパタンと一回大きく振った。
魔王であるサイと金糸雀、道化の鏡のクラウンの事は国家機密である。アヴィ家にいるのなら……と私の伯父であり、クリス様の父親である国王様も許してくれている。
サイと金糸雀達の正体を知る者は、ごく一部の人間しかいない。
まあ、黒猫とその頭の上にちょこんと留まっている黄色い小鳥を見て、魔王とその娘だなんて思わないだろうけどね。
二人との会話を終えたクリス様が、くるっと私とミラの方へ振り返る。
「直ぐにルーカスやハワード達も来ると思うが……先にお前達に紹介しよう」
私とミラの背後に立ったクリス様は、私達の肩を後ろからグイっと押して、神官達のいる方へと誘導する。
「えっ?ちょっ……?」
思わず抵抗するが、ビクリともしない。
これが真面目に鍛えている成果なのか……。
最近鍛え始めたらしい、隣のミラは不快そうに眉間にシワを寄せている。
私達が神官達の元に辿り着くと、神官達はスッと二手に別れた。
するとそこには……
黒髪のサラサラロングのストレートに、少し垂れ目がちの焦げ茶色の大きな瞳。
紺色のセーラー服を着た主人公の彼方がいた。
そこにいたのは分かっていたけど……実際に目にするまでは少し疑っていた。
私の知る彼方ではなく、全く違う別人だったらどうしよう……と。
ずっと、会いたくなくて……会いたかった。
私の気持ちを代弁してくれていた彼方が、この世界に来たという事実が私を興奮させる。
……本物の彼方だ。
ゲームの中と同じ顔をした美少女だ!
ジーッと彼方を見つめていると……ゲームの中の彼方とは着ている制服が違っている事に気付いた。
彼方が召喚された時に着ていたのは確か、白色のブレザーだったはず。
白色のブレザーって汚れないの!? と、思ったのを覚えている。
学院の夏服も白だけどね!?今から怖いよ……というのは措いといて。
目の前の彼方が着ているセーラー服には見覚えがある様な気がした。
私の気のせい?……まあ、セーラー服の学校は多いし……やっぱり私の気のせいだろう!
それにしても……こんなに突然に異世界に召喚されたにも関わらず、泣きも喚きもせずに無表情のままの彼方に違和感を覚えた。
もっと、こう……驚いたりとか、絶望したりとか、そんなリアクションはないのかな……?
いや、別に彼方に絶望して欲しいわけではないけどね!?
この状況でのリアクションって普通は何かしらあるよね……?
……うん。彼方は沈着冷静な子なのかもしれない。
そう勝手に私が結論付けようとした時……。
「神によってこの世界に遣わされた、聖女の【常葉 彼方】嬢だ」
クリス様が彼方の後ろに回り、彼方の両肩に自分の手を乗せながら言った。
ずっと彼方を見ていた私は、一瞬だけ変化したその表情を見逃さなかった。
今まで無表情だった彼方が『聖女』と言われた瞬間に顔を強張らせたのだ。
「クリス様。年頃の女性の身体に勝手に触れてはいけませんよ」
私は微笑みながら、自然さを装ってクリス様からそっと彼方を引き離した。
……え?
無機質なガラス玉の様な瞳が私を見上げてきた。
彼方の身長は私よりも十センチ程低く、触れた彼方の身体は思った以上に骨ばんでいて……折れてしまいそうなくらいに華奢だった。
「初めまして。私はシャルロッテ・アヴィと申します。『彼方様』とお呼びしてもよろしいですか?」
私は動揺を隠す為に、彼方に触れていない手をギュッと握り締めた。
柔らかく微笑みながら尋ねると、ガラス玉の様な瞳が私をジーっと見つめたまま首を傾げた。
「……シャルロッテ……アヴィ?本当に……?」
彼方が発した小さくて聞き取りにくい呟きは、何故だかハッキリと私の耳に届いていた。
「……彼方様?今……」
私は半ば呆然としながら聞き返そうとしたところ……
「師匠!久し振り!!」
「シャルロッテお嬢様。ずっとお会いしたかったです!」
「やっほー。シャル」
私の声は、この騒がしい三人の登場によって一瞬にして掻き消された。
何て間の悪い……。
この場にやって来たのは、クリス様が呼んだと言っていたハワード、サイラス、お兄様の三人だった。
私は小さく溜息を吐いてから、ハワードとサイラスに向き合った。
「ハワード様、サイラス様。お久し振りです。お二人共、そろそろ私の呼び方を変えて頂けませんか?」
軽く一礼をしてからそう告げると、二人は悲しそうな顔をした。
「えー、じゃあ『兄』と呼んでくれるなら」
「呼びません」
ハワードの言葉は被せ気味にキッパリと切り捨てる。
「私は改めるつもりはありません。貴女は私の大切な方ですから」
サイラスは自らの胸元に片手を当てながら、私にズイっと迫って来る。
「お嬢様。私を執事に……」
「しません!」
リカルド様の元に嫁ぐのに、こんな大きな荷物は要らない!
私は両手で大きなバツを作り、サイラスから大きく距離を取った。
はあ……もう本当にこの二人の相手は疲れる。
叱られた犬の様にしょんぼりとしているハワードとサイラスから視線を外した私は、お兄様を軽く睨み付けた。
「お兄様……」
空気を読む事に長けているお兄様なのだから、もう少し登場の仕方とか、タイミングとか……色々出来ただろうに。しかも『やっほー。シャル』とは何事だ。
「ん?どうしたの?」
悪びれた様子もなく微笑むお兄様。
くっ……この敢えて空気を読まない腹黒系イケメンがっ!!
…………まあ、何はともあれ、これで彼方と攻略対象者が全員揃った事になる。
(ラスボスも)
クリス様が、お兄様達に彼方を紹介をしている間。私は自分の両手を握り締め続けた。
間違っても泣いたりしない様にする為だ。
……ここにいるのはゲームの中の彼方じゃなかった……。その事にハッキリ気付いたからだ。
ゲームの中の彼方の天真爛漫な愛らしさは全く感じられない。
ガラス玉の様な彼方の瞳は、キラキラな美男子達を写しても頬を染める事さえなかった。
好みはあれど、このメンバーを前に感情が動かない少女なんているだろうか?
15歳の少女がどんな風に生きて来たら、こうなってしまうのか……。
あの時、彼方が呟いた言葉……。
『……シャルロッテ……アヴィ?本当に……?
だったら……あのゲームの様に私を殺して欲しい……』
この言葉が、私の頭の中でループし続けている。