■フェイズ十 「全般状況と日本の総力戦体制」
第二次世界大戦は一九四一年十二月七日(グリニッジ時間)から日本が参戦した事で全世界に拡大し、本当の意味での世界大戦となった。
そして日本のアメリカ、イギリスに対する宣戦布告は当然相手国もこれに応え、枢軸国過半によるアメリカに対する宣戦布告に繋がり、特に窮地に陥っているイギリスとソ連は大いに喜んだ。
アメリカが、ついに参戦したからだ。
世界の半分の工業力と民度の高い一億三〇〇〇万人の国民がもたらすマンパワーは、必ずや連合国に勝利をもたらすだろうと。
だが、アメリカの戦時生産が軌道に乗るには一年以上の歳月が必要で、巨大な軍団の建設にはさらに多くの時間が必要だった。
このため日本の参戦当初は、アジア・太平洋地域は準備万端整えて戦争を開始した日本の思い描いた通りに進行する。
特に日本海軍の破壊力は、ドイツの機甲軍団のように凄まじかった。列強第三位の実力しかない筈の日本海軍は、列強第一、二位の米英海軍を各地で撃破し続けたのだ。
これを極めて単純な数字で見ると、開戦から一年が経過した時点で日本海軍が戦艦二隻と軽空母一隻、重巡洋艦一隻を失っただけなのに対して、連合国は戦艦七(十)隻、大型空母九隻、軽空母二隻、重巡洋艦十六隻を喪失していた。
しかも主要な空母の損失は開戦から半年程度の間に集中しており、連合国側が受けた損害の累積が、単なる戦術的な状況ばかりか戦略的な影響を及ぼしていた。
開戦当初の英東洋艦隊の壊滅により東南アジアの制海権を失い、ハワイ空襲とハワイ沖海戦、珊瑚海海戦、ミッドウェー沖海戦によって米太平洋艦隊は壊滅的打撃を受けた。
さらに英国はインド洋で大敗を喫して、アメリカ同様損害を積み重ねることになる。
この大損害が大西洋・欧州方面からの戦力の大幅引き抜きを呼び起こし、特に連合国全体での大型空母の枯渇は、重大な影響を欧州戦線に与えていた。
象徴がマルタ島輸送作戦の失敗である。
同島は、一九四二年春から空母の不足を大きな原因として、航空機補給の停滞や補給作戦の失敗で活動停止状態が続いていた。
その影響で、枢軸側の北アフリカ戦線に対する補給は順調となり、ロンメル将軍のアフリカでの快進撃を支えていたのだ。
とうぜん連合国側は起死回生を図ろうとしたが、ここでも洋上機動航空戦力の不足が足を引っ張る事になる。
四二年八月「ペデスタル作戦」と名付けられた同作戦においてイギリスは、なけなしの空母「ヴィクトリアス」、「イーグル」を中心に多数の艦艇で護衛した十四隻の高速輸送船で、地中海の要衝マルタ島の基地機能を回復させようとした。
これに対して、同地域の空軍戦力と全軍の統括的指揮権を事実上握っていたドイツ空軍のケッセルリンク将軍は、一〇〇〇機の航空機とUボート二〇隻、イタリア艦隊を用いて猛烈に妨害する。
そして輸送作戦に参加した英空母全てを沈黙させるなどして優位な状況を作り上げ、ついにマルタ島の手前で全ての輸送船を撃沈してしまう戦略的勝利を掴んだ。
このためマルタ島の機能回復は先延ばしとなり、枢軸側の補給は順調なままで、連合国が西アフリカへの上陸を優先させたためマルタ島の補給計画は更に遅れた。
窮乏したマルタ島では、飲料水精製のための装置作動のため、何とかたどり着いた軍艦から油を引き抜いて耐え忍ぶ有様だった。
結局マルタ島が機能を回復するのは、アメリカ軍の軍事力が増大して状況が一変しつつあった一九四三年二月を待たねばならなかった。
しかし長期にわたるマルタ沈黙は、連合国の戦争スケジュールに大きな齟齬を与えた。
七月にアレキサンドリア市前面のエル・アラメインに達した砂漠の狐ことロンメル将軍率いるDAK(ドイツアフリカ軍団)は、マルタ沈黙を受けてエジプト制圧のための戦力備蓄に努めた。
反対に業を煮やした英国が、自らの優位を信じて十月末に攻勢に転じるも、相応の戦力を持つロンメルに手ひどい反撃を受け、攻勢開始当初の線にまで撃退されてしまう。しかし一連の攻防戦でドイツ側も消耗して、攻勢が先延ばしとなった。
そして、双方がさらなる戦力備蓄に努めていた十一月八日に事態が激変する。
連合国軍の「トーチ作戦」によって、十万人の大軍が大艦隊に護衛されてモロッコに上陸すると、枢軸側にとってエジプト進撃は事実上不可能となったからだ。
結局DAKのスエズ突破も中止され、DAKは戦力を保持したままアメリカ軍を迎撃するという意図のもとチュニジアへの転戦を行うことになった。
DAKの素早い転戦により、北アフリカに上陸したアメリカ軍の進撃も思うに任せなかった。
砂漠の戦いに熟練した枢軸軍と戦争そのものが初めてというアメリカ軍は、四三年三月に全軍の指揮をとり続けたロンメル元帥によって、三個師団が包囲殲滅されるなど大打撃を受けていた。
戦死、行方不明、捕虜を含めて四万人もの大損害で、一時的に現地アメリカ軍全体がモラルブレイクを引き起こしたほどだ。
いっぽうエジプトから長駆追撃を開始した英第八軍だったが、計画的に遅滞防御を行う枢軸軍を遂に捕捉することができなかった。
しかも連合国軍の片翼となるアメリカ軍に壊滅的なダメージを与えたDAK主力の返す刀で、モントゴメリー将軍率いる英第八軍も一度手ひどい敗北を喫していた。
なおこの四三年春の戦いでは、まだ安全だった海上補給線を通ってやって来た「タイガー」こと「六号重戦車」大隊が猛威を振るった。この重戦車による圧倒的な戦闘力は、後々まで連合国の語りぐさとなっていく。
何しろたった一個大隊が、アメリカ軍の一個師団を文字通り粉砕してしまったからだ。
そして、さんざんにうち破られた連合国軍は、四三年春頃には圧倒的というレベルに達しつつあった制空権を用いて何とか戦線を支えつつ戦力の再編成に努めた。
チュニジアでの制空権を失った事で春以降補給の途絶えがちになった枢軸軍も、これ以上攻撃を続ける事ができず、六月まで睨み合いが続く。
なお、この後すぐ北アフリカからの撤退を進言するため帰国したロンメルだったが、東部戦線での次なる作戦が完遂されれば大規模な増援を送るとして、ドイツ司令部、いやヒトラー総統は撤退を許さなかった。
そしてロンメルはそのままアフリカの大地に帰ることはなく、七月でのチュニジア決戦に枢軸側は敗北し、八月六日から開始された態勢を立て直した連合国の攻撃によってチュニジアの枢軸軍の大部隊は退路を断たれたため降伏を余儀なくされてしまう。
ドイツ側にとって幸いだったのは、何とか撤退に成功したアフリカ軍団の中核部隊の半分程度を含む一部の部隊が、シチリア島へと撤退できた事だけだった。
時に一九四三年八月十三日の事である。
そしてこの戦いで、枢軸側は二十万人の降伏を余儀なくされているのだが、このアフリカでの枢軸軍の頑張りは他の戦線にも大きな影響を与えていた。
いっぽう日本海軍による連合国艦艇の撃沈は、さらに大きな変化を欧州戦線にもたらしていた。
日本海軍が沈めた、戦艦、空母、巡洋艦などの主要艦艇の損害は、連合国軍にとって予想以上の出来事だった。
しかも太平洋上の相次ぐストロング・ポイントの失陥は、アメリカ西海岸やハワイ、オーストラリアなどの本土防衛のための戦争資源の増大をもたらした。
本来なら援助物資として英ソに渡される筈の10%(アメリカの当時の生産力全体の0・5%)をこれらの方面の防衛に回さざるを得なくなったのだ。
しかも艦艇の減少は四二年春から半年以上、5%以上もUボートなど通商破壊による損害を上積みさせていると米統合参謀本部に報告させるに至っていた。
何を数%の事とお思いだろうが、一九四二年の大西洋方面での5%の損害増大の船舶量と言えば一ヶ月で三十万トンにも達する量である。そしてアメリカが欧州に注ぎ込んでいる物資の量は、たとえ3%だろうともそれは数千万ドル、いや一億ドル以上に達する量であった。
この数字が1%違えば戦争の終結が一ヶ月違ってくると言われているほど重大な影響を与えるものだったのだ。
また、一九四二年〜四三年半頃にかけての日本海軍主導によるインド洋での嫌がらせのような通商破壊は、ベンガル湾一帯のみならずペルシャ湾に向かう援ソ船団の損害増加、護衛負担の増大、輸送効率低下へも繋がっていた。ソロモンでの連合国側の高速船舶の大損害も、他へのしわ寄せが強くあったので無視できないものだった。
当然これらは、ペルシャ湾からカスピ海に抜け、さらにボルガ川を通っているソ連に対する援助物資の減少をもたらした。
その他の地域から送られてくる援助物資の減少も相まって、ソ連が要求していた援助をはるかに下回る量の物資しか届けられない事態となっていた。特に東部戦線南部での影響が大きかった。
この象徴的な事件が、ドイツ軍によるスターリングラード救出作戦の政治的成功である。また、一九四三年に入ってからのソ連軍の稚拙な攻勢作戦での機動力の減少からくる各個撃破に象徴され、その年の初夏から始まるドイツ軍の早期反抗開始を誘発した事だろう。
いっぽう西欧正面でも、ドイツに対する戦略爆撃の下方方向への計画修正が何度か行われている。
※スターリングラード救出作戦の政治的成功
当初約三十万人が包囲されていたスターリングラードに対する「冬の嵐」と名付けられたドイツ側の救出作戦は、比較的安定していた地中海の空中輸送隊すら引き抜いたドイツ空軍による空中投下作戦の効果などによって現実味を帯びる事となった。
そして内と外からの包囲網突破作戦が行われ、これにソ連軍側の連携不足が加わった結果、一時的にソ連軍の包囲網が一部崩れた。
当然ながら、こじ開けられた包囲網の狭い回廊を伝って、包囲下にあったドイツ軍の脱出が行われた。そしてこの包囲の輪が再び閉じるまでに、約十万人のドイツ軍将兵が救出された。
もっとも脱出作戦のさなか、友軍への誤射をいとわないソ連軍の形振り構わない弾幕射撃と空襲が狭い回廊に降り注ぎ、脱出中に半数近くがこの犠牲になったと見られる。
さらに殿となった一万人ほどの将兵は、再び閉じられた包囲の下に取り残されて降伏を余儀なくされた。
そして脱出中に戦死したパウルス将軍は、スターリングラードに包囲された将兵を救った英雄として、生前に遡って様々な栄誉を与えられている。
また、その後始まったソ連軍のロストフ方面に対する積極的な攻勢によって、双方大きな犠牲を出す事となった。
このためスターリングラードを見捨てた場合とそうでなかった場合の収支決算は、少なくともドイツ側においては結局同じだったのではと言われている。
そしてそのような激しい攻防を繰り広げる欧州戦線をよそに、一部の前線と水面下以外では膠着状態となった太平洋戦線では、日米双方の戦力備蓄が着々と進行していた。
特に日米が重視したのは航空戦力と海軍力の増強であり、中でも空母とそれを取り巻く護衛艦艇の増強には心血が注がれていた。
ここでは日本軍についての概要を見て次へと進みたいと思う。
●日本海軍の戦時建艦計画(一九四二年七月)
一九四二年四月に策定された「第五次海軍補充計画」は、開戦と開戦後の兵器体系の変化とアメリカ軍の戦力増強を鑑みて計画を変更し、名称も「改第五次海軍補充計画」とする。
また、すでに進行している既存の建造計画や改装計画も優先順位、仕様を変更するものとする。
艦隊編成概要
・航空母艦を中心とした第三艦隊を第一機動艦隊に再編成し、聯合艦隊に属する全ての主要艦艇を隷属下とする。
第一機動艦隊は、航空母艦を中心とした三つの機動部隊に再編成され、陣形もより航空戦に適したものとする。
・また、海上護衛総司令部を新たに創設し、この指揮下に多数の駆逐艦、海防艦、その他の艦艇、さらに対潜水艦部隊を編入し、商船の護衛と海上交通路の維持にあたるものとする。
建造計画の修正
戦艦
《信濃》の建造促進(ソロモンでの損耗補填と米戦艦群の増強に対抗)
《伊勢》《日向》の防空戦艦への改装
(《伊勢》《日向》のミッドウェーでの活躍から、大幅な防空能力を持った大型艦艇の必要性を痛感した聯合艦隊サイドの強い要望により、中央の主砲二基と副砲全てをおろし甲板上の空いた空間に搭載できるだけの防空兵器を搭載する。
なお、《扶桑》《山城》も《伊勢型》の改装終了と共に同様の改装工事に入る予定。
航空母艦
《大鳳》《雲龍》の建造促進
《改大鳳級》空母の建造中止
《改雲龍級》空母の五隻の新規建造開始
(最終的には十五隻の建造を目指す)
残存する全ての水上機母艦の空母への改装
(《千歳》《千代田》《日進》(瑞穂は既に改装中))
残存する優秀商船(客船)の空母への改装
《海鷹》(あるぜんちな丸)
《天鷹》(ぶらじる丸)
《神鷹》(シャルンホルスト)
巡洋艦
超甲巡の建造計画中止
建造中の《伊吹》の防空巡洋艦への改装
《高雄級》《妙高級》の防空巡洋艦への改装
《五五〇〇t型》の対潜・防空巡洋艦への順次改装
その他
丁型駆逐艦と海防艦など護衛艦艇の大量建造
■解説もしくは補修授業「其の拾」
ここは、連合国側の太平洋での損害の積み重なりというバタフライの羽ばたきが、地球全土に影響を与えるという私の好きなシチュエーションの説明です(笑)
このため、日本海軍が頑張ったおかげで、米英の空母の数が足りず(アメリカの《ワスプ》は早々に太平洋に回され、英海軍は正規空母2隻をインド洋で失っている)にマルタ救援が長期間失敗して地中海の制空権が枢軸側の手にわたります。
(ただし、それでもマルタを枢軸側が落とす事は無理でしょう。)
このように連合国側の艦艇不足と日本軍の奮闘で、史実より少し多くの物資が太平洋に回されたり海の底にいってしまったという以上のトリックは使っていないつもりです。
そして、物資を備蓄できると分かったロンメルがエルアラメインで腰を据えるという変化をもたらし・・・と言う風に全てをバタフライさせてみました。北アフリカから追い出されるという図式に、変化はないんですけどね。
もちろんこれらの変化は、それを最も楽観的に捉えた場合の変化ということになります。ですが、連合国には今少し主戦線たる欧州で苦労していただかないと日本の講和が見えてこないと言う切実な問題があるので、少しファンタジーぎみに事態を進展させてみました。
そして、ドイツでの人の面での変化がここで少し出てきます。それはロンメルはいまだ不敗のままだと言うことと、マンシュタイン、ケッセルリンクの名声がさらに上がっているという事になるでしょう。これはうまくいけばヒトラーの無茶な命令を覆すのに役立つ事でしょう。
いっぽう日本海軍の改造計画ですが、私個人の視点から見た場合、史実と同程度の物資があった場合の最良の選択というファンタジーで想定したので、史実とかなり異なる状態になってしまいました。
全ては、決戦場として設定するマリアナ、レイテでの戦いへのバタフライを引き起こすための我田引水に過ぎませんが、数ある市販の架空戦記を思えばこの程度たいしたことでないと思ってしまうのは、もはや私が末期患者と言うことなんでしょうか(笑)
なお、空母部隊が健在で早期に日本海軍は戦艦を喪失するので、《信濃》が急ぎ戦艦として建造されます。また、空母を守るための艦艇に重視された建造、改装計画というのは、ありきたりですがごく普通に考え至る結論だと思うのですが、皆様はどう思われますか。
また、《伊勢型》《扶桑型》は、単に主砲を下ろして防空装備を満載するだけなので、改装はけっこう簡単に終了するうえに長期間ドッグを占領することもなく、それでいて史実以上の活躍も期待できると思いますよ。
ええ・・・まあ、所詮ファンタジーですけどね。




