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異聞・大東亜戦争  作者: 扶桑かつみ


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■フェイズ〇八「第二ラウンド開始」

 一九四二年九月の南太平洋での戦闘以後、太平洋戦線は半年近くも大規模な海上戦闘が発生しないまま推移していた。

 日本海軍は燃料不足と部隊の酷使が、アメリカ海軍は艦艇とセイラーの不足が主な原因だった。


 だが、日本本土で再編成と改装工事に時間を費やしていた聯合艦隊主力が、ようやく動き出す兆候を見せていた。


 いっぽう、再建の急がれた米太平洋艦隊も、前倒しで新造艦艇と新規訓練兵を受け入れつつ空母機動部隊の編成がほとんど最初の状態から行われていた。

 しかもアメリカ軍の生産力を見せつけるように、西海岸各地で全てが急ピッチで進んでいた。


 そして、時折ミッドウェー島から飛来する日本軍高速偵察機や夜間爆撃機と、時折投下される機雷の存在から、アメリカ軍はハワイでの艦隊再建には神経を使っていた。

 日本軍に占領されたままのミッドウェーの存在が、目の上のタンコブ、喉にかかった魚の骨となっており、政治的にも早期に奪回すべきだという声が大多数を占めていた。

 だが、最初に行動を起こしたのは日本軍だった。


 ソロモン諸島での戦いの後も、一九四二年十二月の勝利もあって、日本軍は一旦は南太平洋の海上での戦いを有利に展開していた。だが、日増しに大きくなっていく連合国軍との航空戦力の差を覆すべく、機動部隊全力と現地基地航空隊を総動員しての航空撃滅戦が企図された。戦線の建て直しを図り、戦争のイニシアチブを握り直そうとするのが作戦の骨子だった。


 作戦名称は海軍主導となった事から「い号」作戦と命名され、聯合艦隊司令長官自らが率いる、日本なりの攻勢防御作戦だった。

 以下が作戦に従事した戦力になる。


 ・第三艦隊(第一群)

 (実働艦載機:約二八〇機)

 (小沢中将)

第二航空戦隊:《蒼龍》《飛龍》《瑞鳳》

第三航空戦隊:《翔鶴》《瑞鶴》

重巡洋艦:《最上》《三隈》《熊野》《鈴谷》


 ・第三艦隊(第二群)

 (実働艦載機:約三〇〇機)

 (角田中将)

第一航空戦隊:《赤城》《加賀》《龍驤》

第四航空戦隊:《隼鷹》《飛鷹》《龍鳳》

重巡洋艦:《利根》《筑摩》《摩耶》


 ・第二艦隊(打撃艦隊)

(山本聯合艦隊司令長官直率)

戦艦:《大和》《武蔵》《金剛》《榛名》

重巡洋艦:《愛宕》《高雄》《妙高》《羽黒》


 ・第八艦隊(支援部隊)

重巡洋艦:《鳥海》《那智》《足柄》


 ・基地航空隊

ポートモレスビー航空隊:約八〇機

ガダルカナル島航空隊 :約六〇機

ラビ分隊       :約二〇機

ラバウル航空隊(各前線に交代で進出)

           :約一五〇機

陸軍航空隊(各地合計):約一二〇機


 上記の戦力を合計すると、戦艦四、大型空母六、軽空母五隻、航空機約六〇〇機に及ぶ当時世界最強の水上艦隊と第十一航空艦隊(南方各地に進出した基地航空隊)と陸軍の第六航空軍を合計した一〇〇〇機近い航空機がその主戦力となる。


 そしてこの空母機動部隊は、日本海軍においてもこれまでで最多の空母が参加しており、全力出撃、いや決戦と言っても間違いはなかった。


 そしてこの編成から分かる事は、開戦時以上の戦力となっている空母機動部隊はともかく、基地航空隊が順調な航空撃滅戦をしているにも関わらず少しずつ勢力を減退させている点だ。


 開戦一年が経過してこれだけの戦力が保持されているのも、初戦の優位を維持できた事、連合国の攻撃が限られた場所に集中して防御しやすく距離が離れていた事、そしてアメリカ軍の空母部隊が多くのパイロットと共に文字通り消滅しているという理由が大きい。

 もし初戦での圧倒的勝利の連続がなければ、この時点で日本軍の作戦はより刹那的なものとなっていたのは間違いないだろう。


 作戦そのものは、戦力全てを一点に集中して敵の各個撃破を図り、間接的にミッドウェーへの圧力を減らそうと言う意図も見られた。

 だが実際は、再編成された空母機動部隊はともかく、基地航空隊が航空撃滅戦の前に優勢の維持が難しくなっており、これを「何とかする」のが最大の目的だった。


 既に日本側は、積極的攻勢に出る能力を相対的戦力差から失っていたのだ。


 なお、攻撃対象は第一目標は、ソロモン諸島の向こうにあるニューヘブリデス諸島だ。この地域の航空戦力を撃破、無力化して後に珊瑚海に入り、北東豪州各地を空爆し、戦線を安定させるというが作戦のおおよそのアウトラインになる。


 そして一気に多くの成果を達成するため、ミッドウェーでの戦いで有効と判断された戦艦の艦砲射撃が重視された。このため空母の護衛のための艦艇以外の《大和》《武蔵》が、水上艦隊である第二艦隊にあえて編入されていた。もちろん砲弾も満載しており、参加した戦艦については、内筒の摩耗を考慮した予算すら臨時編成され、交換のための部品の製造が開始されたほどだ。


 日本軍に対して当時のアメリカ軍(連合国軍)は、南太平洋各地に可能な限り戦力を集中していた。だが、依然としてミッドウェーが敵の手にあるため、政治的効果もあってハワイ防衛を無視するわけにはいかなかった。

 また半年という時間があっても、連合国軍の視点から基地航空隊が再建できているとも言えなかった。

 太平洋戦線での切り札と言える空母機動部隊については、再建されてなお日本軍の半分もないと判断され、いまだ守勢防御以上の作戦をする事は自殺行為と見られていた。


 しかも強大すぎる攻撃力を持つ日本海軍の空母機動部隊の事を考えると、前線以外の重要拠点の防御を無視することもできず、戦力分散は避けられなかった。


 このためハワイ諸島には、三個師団もの地上兵力と三〇〇機以上の第一線航空機が常時駐留しており、陣地構築と訓練、ミッドウェーからの散発的な嫌がらせに対処するだけの虚しい毎日を送っていた。

 真珠湾のあるオワフ島の沿岸要塞群も、芸術的なまでの完成度に高められた。


 なお、この頃北東豪州には後方を含めて約四〇〇機が展開し、ニューヘブリデスとニューカレドニアには合計二五〇機の連合国機が駐留していた。数の上では、日本軍に対する数量的な優位をようやく実現したのだが、事態は楽観できなかった。


 南太平洋地域で航空隊の再編成が安心してできる後方拠点が、オーストラリアのブリズベーンやニューカレドニア諸島と前線から遠隔地だった事と、ここですら日本軍の攻撃から無縁でない事、そして四二年秋までのパイロットの枯渇から戦力としては十分に回復できていなかったからだ。


 いかに新鋭機があろうとも、若干数に勝る程度の戦力では、連合国の視点から見れば五分の戦いをするのが精々だったのだ。


 特に日本側が防御に入った四三年初頭以後の戦いは、一旦回復したキルレシオも攻守逆転の影響でかえって再び自軍に不利になりつつあった。

 日本軍による一方的な空襲をほぼ食い止めたからと言って、安心できる状態ではなかった。

 そして物量差で戦局を覆しつつあるのにいまだ攻勢に転じないのは、開戦以来無敵を誇り続けている日本軍空母機動部隊の存在であり、これを「何とか」しない限り連合国軍の本格的反抗はありえなかった。


 そして連合国軍は、日本の大艦隊出撃の情報を日本本土出撃の段階から捉えており、これがトラック諸島に入った事で緊張はピークに達していた。


 トラックに集まった日本艦隊は、聯合艦隊の総力と言って間違いなかった。依然としてミッドウェー攻防戦同様の防戦を行うしか、連合国に太刀打ちできる戦力ではないと考えられた。しかも日本軍の作戦目標がどこなのか分かっていなかったため混乱も大きかった。


 この頃のアメリカ軍は、日本軍が作戦のために暗号をさらに強固にしたため日本軍の意図を掴み切れておらず、その矛先がミッドウェー・ハワイ方面なのか、南太平洋なのか、はたまたインド洋なのかすら掴んでいなかったのだ。


 だが日本艦隊は、補給部隊を伴ってトラックを出撃後、速度を上げ南に向かった事が判明。

 ハワイが安全と分かると、泥縄式に現地での防衛戦を展開することが決定された。


 もちろん、再編成されたばかりの空母部隊二個任務群が、ハワイを離れ南太平洋へと向かった。

 なお、この時のアメリカ軍は、新型の大型空母 《エセックス級》のネームシップ《エセックス》と二番艦の《ヨークタウン二世》、そして《インディペンデンス級》軽空母二隻を中心とした編成だった。

 戦艦から駆逐艦に至るまでその殆ど全てが新造艦艇というアメリカの工業力を見せ付けるもので、搭載する艦載機の多くも「F6Fヘルキャット」戦闘機を始めとして新型機が多く導入されつつあった。この点でも、それまで通りの戦力で構成されている日本軍との違いを見せていた。

 なお、結局アメリカ軍が採用した迎撃作戦は、ミッドウェーの時と変わらず日本艦隊が地上拠点を攻撃しているスキに空母部隊による戦術的な奇襲攻撃で痛撃を与えるというものだった。


 型にはまった攻撃方法であり連合国の好む状況ではなかったが、戦力的に不利な状態ではこれが最も堅実な作戦で、洋上戦力に不足を感じるアメリカにほかの選択は少なかったための苦渋の決断となった。



 なお日本側、特に聯合艦隊では、米艦隊の反撃は予想というか強く期待していた。

 再建途上の彼等の機動部隊をもう一度撃滅できればと目論んでいたのだ。

 そのために、当初ニューヘブリデス諸島だけの攻撃予定だったのを、おびき出す意味も含めて北東豪州も追加したという経緯がある。


 だが戦闘は、思わぬ方向に展開する。


 この頃日本海軍は、ドイツからの強い要請によってインド洋での潜水艦を用いた通商破壊を半ばつきあい程度に行っていた。

 だが、そこでの実戦データから、通商破壊戦が長期的には成果も大きいことがある程度分かっていた。

 またアメリカ軍が通商破壊の方針を強く打ち出していたことも、対抗意識という点で日本海軍を刺激した。これに事実上海上封鎖され、ロクな補給を行うことができないミッドウェー島に対するお返しとばかりに、多数の潜水艦による豪州封鎖が「い号」作戦と平行して行われていたのだ。

 南太平洋に動員された潜水艦は二十隻近くに達し、豪州に近づく連合国艦船を手当たり次第に攻撃するという、あまり日本海軍らしくない戦闘を熱心に行っていた。


 もっとも、戦果は日本海軍の予想に反して芳しくなかったが、米船舶と護衛部隊にそれまでにない大きな負担を強いていた事は間違いなかった。事実アメリカ海軍は、四三年秋頃までかなりの艦艇不足に陥っている。


 そして、この潜水艦作戦はアメリカ軍の艦隊を発見するばかりか、思わぬ福音をもたらす事となった。



 日本艦隊が南太平洋深くに入り、一時的に二倍の規模に増強されたガダルカナル島航空隊と共にニューヘブリデス諸島を攻撃しようとしていた前日の事だった。

 日本艦隊を迎撃するため移動していた米機動部隊が、偶然にも日本軍潜水艦が濃密に展開している海域に侵入し、都合三隻(《伊十五》《伊十九》《伊二十三》)の潜水艦から魚雷の十字砲火を浴びる事となった。


 この時の雷撃は、かなり遠距離から、しかも日本海軍自慢の酸素魚雷による攻撃となった。おかげでアメリカ軍にとっては、まるで突如として濃密な機雷原に踏み込んだかのような奇襲攻撃に近い衝撃を与えた。

 しかもすぐ後には、水中からの包囲攻撃を受けたという事が判明。

 自らの作戦意図が完全に読まれていると誤認してしまい、損傷した艦艇を自沈処分して一目散にニューカレドニアへと撤退してしまう。


 なお、この時潜水艦から包囲攻撃を受けたのは第三十八機動部隊第二群だった。

 艦隊中核に位置していた空母 《ヨークタウン二世》と戦艦 《ノースカロライナ》が雷撃され、《ヨークタウン二世》は魚雷四本を短時間の間に受け、爆発の衝撃によって燃料庫が誘爆を引き起こした。

 厄介なガソリン火災は全艦に及び、乗員の未熟を大きな原因としてダメージコントロールにも失敗し、《ヨークタウン二世》は激しい焔をあげるだけの松明と化した。

 当然、誘爆後すぐに自沈処分とされている。

 短時間に火災が広まったため、戦死者、重度の負傷者の数も多かった。


 また、ようやく損傷から復帰した《ノースカロライナ》には魚雷一本が命中しただけだったが、酸素魚雷の威力は大きく、ダメージコントロールも適切と言えなかったため中破した。

 さらに艦隊外縁に位置していた駆逐艦一隻が、艦首付近に魚雷を一発受けその後自沈処分とされ、さらに不発弾一発を受けた駆逐艦も存在していた。


 そして、ただでさえ少ない機動戦力を一瞬にして三割も失った米太平洋艦隊は、機動部隊による攻撃の中止をただちに決定した。日本軍迎撃は、基地航空隊だけに委ねられる事となった。


 この不意の戦闘により、日本艦隊は好餌を逸することになったと言われているが、南太平洋での撃滅戦で片方の翼をもがれた現地部隊に対して有利な戦闘を展開できたのは確かだろう。



 なお、機動部隊を失った南太平洋各地の連合国軍基地群だったが、ニューヘブリデスのエスピリトゥ・サント島にある基地群とニューカレドニア島各地にはそれぞれ一〇〇機以上の航空機が展開していた。

 また日本側の作戦意図が分かりコーストウオッチャーやレーダーの効果もあって、航空機の待避や迎撃のための準備もし易かった。


 それが連合国がソロモンを失って以後継続された戦闘で十分認識されており、優れた防衛体制と目に見えない物量の差が日本軍の積極的攻勢を尻窄みにさせたと言っても過言ではなかった。


 だが、十一隻もの空母から発進した約四〇〇機の空襲部隊は、コーストウオッチャーが監視できない洋上から飛来した。

 このためエスピリトゥ・サント島の守備隊は、レーダーによる探知でしか敵の接近を探知出来ず、迎撃準備までに十五分程度の時間しか与えられなかった。

 十五分という時間は、戦術的には奇襲を受けたと言っても間違いない状況で、取りあえず戦闘機の発進が終わった頃に日本軍最精鋭の航空隊による大空襲を受けることとなった。


 この頃になるとアメリカ軍側は、陸軍の《P38》や海兵隊の《F4U》などの新鋭機が前線に姿を見せるようになっていた。

 だが、日本軍は依然として《零戦》ばかりで(だが、エンジンを強化した二二型があった)、機体性能の差だけならアメリカ軍に圧倒的優位だった。


 しかし、四〇〇機のうち一五〇機がいまだ超熟練パイロットが半数以上を占める空母部隊の《零戦》であり、これは防衛側の三倍の規模に達していたので到底防ぎきる事はできなかった。

 連合軍側の編隊空戦技術もまだ未熟だった。たった一撃で基地機能は大きく低下し、そしてどうにか空中待避した爆撃機などが帰投する時間を狙って、今度はそれまでに倍する数の日本軍基地航空隊が押し寄せて、さらなる破壊を振りまいた。


 その後、機動部隊からの空襲が規模を半減してだったがもう一度行われ、夕陽が傾く頃にはニューヘブリデス諸島の基地機能は一時的に喪失されていた。当時の日本軍としては珍しく、飽和攻撃がもたらした勝利だった。


 そして、同諸島守備隊が受ける本当の恐怖は深夜に訪れた。


 それはエスピリトゥ・サント島に接近した日本軍の戦艦が基地めがけて艦砲射撃を実施したのだ。艦砲射撃は空襲が児戯に思えるほどの破壊力を振りまいた。

 同島の南東部にあった二つの大きな航空基地は、戦後の作家の多くが書いたように、月面のようなクレーター混じりの荒野に作り替えられてしまった。

 また昼間の戦闘を生き残った航空機の過半を破壊するだけでなく、泊地に対しても攻撃が行われ、待避しそこねた浮ドッグを始め数万トンの支援船、貨物船すら牙にかけていた。

 当然、連合国側の被害は甚大だった。


 しかも連合国軍は、この時点で日本軍が「FS作戦」を再興したと考え、ニューヘブリデス諸島、ニューカレドニア島、サモア諸島、フィジー諸島の防衛強化を急いだ。


 一方この成果に満足した日本艦隊は、混乱する連合国側の偵察網をかわしつつ珊瑚海北部へと入り込む。

 そして一旦南下した翌々日の黎明、つまり一九四三年四月十八日には、数ヶ月前ようやく再建されたばかりのタウンスビル基地群へ襲来した。


 この攻撃には、南太平洋同様ポートモレスビーに集結していた日本軍基地航空隊も総力を結集して攻撃に参加した。

 その日北東豪州は、タウンスビル、ケアンズ、クックタウンなどにのべ九〇〇機もの空襲を受ける事となった。

 日本側からすればまさに大盤振る舞いの攻撃で、日本海軍がこの作戦にいかに賭けていたかを伺い知る事ができるだろう。


 これを代表する日本側の言葉に、『「MI」作戦では平時の半年分の燃料を使ったが、「い号」作戦では平時の十年分の弾薬を使った』というものがある。


 なお付近一帯で三〇〇機近く展開していた筈の連合国軍航空機だが(後方のブリズベーン近辺には休養・再編成中の約一〇〇機が別にある)、空襲によって日本軍が確認(誤認)したほど大きな戦力低下はしていなかった。

 連合国が受けた損害の多くは、四月十八日深夜にやってきた日本軍砲撃部隊の効果の方がはるかに大きかったのだ。


 タウンスビルは、艦砲射撃を行った《大和》《武蔵》によって港湾施設までもが完全に破壊され(桟橋などは一から再建しなくてはならない程だった)、空軍基地も大打撃を受けて基地機能を一時的に喪失した。

 戦術爆撃機を使いポートモレスビーに一番脅威を与えるようになっていたケアンズ基地群も、《金剛》《榛名》による艦砲射撃で大きな打撃を受けた。

 クックタウンも、モレスビーに進出していた第八艦隊に艦砲射撃されて機能停止し、双方とも空軍基地もろとも多数の機体を損失している。


 そして、嵐のような聯合艦隊の襲撃は、最後にブリズベーン軍港にも向けられた。

 艦砲射撃の恐怖が覚めやらない翌日黎明、空母艦載機による大規模な空襲によって、ブリズベーンの潜水艦基地を完全に破壊する事で日本軍の攻撃は終了したのだ。


 そして、ハワイ・真珠湾、豪州南西部パース市のフリーマントルと並んで、潜水艦前線基地として活用されていた重要拠点の完全破壊は、当時一番のホットゾーンが珊瑚海、南太平洋だった事もあって連合国側にとっては重大な損失となった。


 ブリズベーン港内で直接的に失われた潜水艦八隻のみならず、ここが拠点として半年以上にわたり潜水艦基地として機能停止もしくは機能低下した事は、日本を水面下から攻撃するうえにおいて非常に大きな打撃となった。


 また、このブリズベーン攻撃は、豪州国民に多大な心理的ショックを与えてもいた。そして日本軍の攻撃により、これから数ヶ月アメリカが大量の増援を寄越さねば単独停戦をせざるを得ない、と豪州首相に発言させるに至った。


 実際アメリカと宗主国のイギリスは、投入しなくてもよい航空隊や高射砲、沿岸防衛部隊を豪州の各地に派遣して豪州市民の不安を沈めざるを得なくなった。

 余計な浪費させたという点では、日本側の攻撃は極めて効果的だったと言えるだろう。


 何しろ、マッカーサー将軍の反撃が遅れた一因がここにあるからだ。


 そしてこの一連の攻撃以後しばらくは、日本側の積極的な航空撃滅戦が再開。

 この時のダメージから連合国が回復するまで、日本軍の優勢は続いた。その後六月に入って連合国の航空隊が大幅にテコ入れされるまで、再び北東豪州は日本軍の激しい空襲が行われる事となったのだ。


 このため、一連の作戦で日本は三〜六ヶ月の時間を稼いだと言われる事になる。


 なお、この一連の聯合艦隊の攻撃を連合国では、「ヤマモト・ストライク」もしくは「ヤマモト・オプション」と呼ぶようになり、空襲と艦砲射撃を組み合わせた激しい島嶼攻撃は、その後連合国の間でも日常と化していくようになる。





■解説もしくは補修授業「其の八」


 一九四二年を圧倒的な戦術的優位で折り返した日本と、史実に倍するダメージを受けている太平洋方面の連合国ははたしてどう動くでしょうか。

 ここではそれがテーマになっています。


 連合国の大まかな作戦は、史実では一九四二年夏にミッドウェーでの勝利と日本側のアクティブな行動のおかげで、なし崩しに攻勢防御の段階に達しました。

 ですがここでは、開戦以後日本軍に肝心の「攻勢」に使用すべき戦力が叩きつぶされています。

 無理を押して行ったソロモンでの攻勢防御もその鼻面をへし折られたため、しばらくは守勢防御に徹するしかなくなります。

 この状況は、史実での連合国の戦力整備とドイツ重視の姿勢を考えると一九四三年夏までは、連合国は積極的に動かない(動けない)だろうと想定できます。


 また、連戦連勝で軍艦マーチ付きの放送が毎月流れているような日本軍ですが、兵站面の貧弱さといっぱいいっぱいの前衛戦力のおかげで、ソロモン、ニューギニアに達した時点で攻勢限界に達しています。

 アキレス腱の燃料問題もあって、予防攻撃以上の作戦はとれなくなっています。


 つまり、事実上の千日手の状況が一九四二年秋から半年ほどは継続される筈です。

 そしてその後は、徐々に連合国が物量によって戦況を好転させていくという史実と同じ経路が、少しタイムスケジュールが遅れながらも実現されていくという状況に大きな変化はないでしょう。


 日本にとって、圧倒的物量を誇るようになった連合国は、機械仕掛けの万力みたいなもの、出口のない釣り天井の部屋に閉じこめられたようなものです。


 この段階での米豪分断や豪州単独講和、もしくはハワイ攻略など、相手が致命的なミスでも犯さない限り確率的にはほぼ不可能と言えるでしょう。


 ですが日本の手には、海軍の基地航空隊がいまだ健在です。圧倒的戦力を誇る聯合艦隊も、ほぼ無傷で残っています。

 これらの戦力を何とか維持しているのですから、戦線安定化のために使わない手はないでしょう。

 そこで、日本軍にかなり有利な形での全く違う「い号作戦」を行わせてみました。


 これが派手な架空戦記なら、地上部隊を伴った豪州本土侵攻になっている事でしょう(笑)

 もちろん、ヤマモト・フィフティーシックスは、ワンショット・ライターではなくヤマトに乗って攻め寄せてくるので、ここで暗殺するなど思いもよりません(笑)



 なお、米艦隊が大ダメージを受けたのは、史実におけるワスプ撃沈が形を変えて現出するというお約束です(笑)。


 また、豪州に対する攻撃で豪州政府が日本との停戦に傾いていないのは、短期決戦を求める日本を長期戦に引きずり込ませることこそが連合国側の戦略なのであり得ないと言う、私自身がごく普通に考え至った結論からきています。

 異論を持たれる方もあると思いますが、ご理解ください。


 だからこの時点での豪州単独講和はあり得ず、架空戦記として安易に採用するにしても、少しご都合主義的すぎますからね(苦笑)



 あと、日本側の戦艦にたびたび艦砲射撃させているのは、来るべき艦隊決戦に向けて、少しでも実弾射撃に馴れ、データを蓄積してもらうためです。これしとかないと、特に大和型戦艦の命中率が低そうですから。



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