第8話 Mr.MJ
冬夜がにこにこ笑顔で肩を組んできた。
「仕事も終わった事だし……桜ちゃん、一緒に飲もうよ」
桷が冬夜の腕をはたき落とした。
桜が困り顔で眉を下げた。
「お薬飲んでるからお酒はちょっと……。
それに、今日折角頂けたお給料は家に食費として入れたいんです」
「親孝行だね〜。桜ちゃんマジ良い子。
でも、大丈夫!俺全額奢るから!
ソフトドリンクもあるし、桜ちゃんの就職祝いと歓迎会兼ねてさ、ね?」
そう言われては断るのも野暮だろう。
冬夜はカシスオレンジ、桜はオレンジジュースを注文し、乾杯する。
「おめでとう、桜ちゃん〜!」
「ありがとうございます。
あの、冬夜さん。
双極性障害も薬飲みますよね?
お酒飲んで大丈夫なんですか?」
「ん?大丈夫、大丈夫!
一杯くらいなら飲んでも良いって医者に言われてるから」
「そうなんですね」
冬夜がメニューを差し出してきた。
「桜ちゃん何食べる?」
「えっと……これにします」
一番安いメニューを選ぶと冬夜はジト目で桜を見つめた。
「桜ちゃん、遠慮して一番安いメニュー選んだでしょ」
「えっと、これが美味しそうだったからです!」
「遠慮しいだなあ」
やがて料理が運ばれてくる。
カウンターで飲んでいると、いつの間にかバーテンダーの格好に着替えた桷がカウンターの向こうから注文していない料理を一皿桜の目の前に置いた。レバニラ炒めだ。
「桷、これ注文してないよ?」
「俺からの就職祝いだ。
お前はもうちょっと栄養バランス考えて飯食え。
これからはおにぎり生活はやめるんだな」
「おにぎり生活?何それ?」
「こいつ毎食コンビニおにぎり一個で生活してたんだよ」
「ええー、身体に悪!
確かにちょっと髪パサついてるよ?ほら、枝毛ー」
「わわわ、恥ずかしいからやめてください〜!」
「ほら、スプーン爪。
貧血の証拠だよ……あ、だからレバニラ炒めか」
「手を握るな」
「桷、顔怖い〜。桜ちゃんのお父さんか何かな訳?
お父さん、娘さんを俺に下さい!」
「やらん。阿呆か」
確かに桜は髪だけでなく肌荒れも酷くなってきていたし、爪も割れてきていた。
桷と冬夜に注意されたように、これからは食事にも気を付けようと思った。
「おにぎり一個でお腹空かないの?」
「……恥ずかしながら、お腹空いたらお水飲んでました」
「水中毒になるよ!?ただでさえ統合は薬の副作用で水中毒になりやすいんだから」
「そうなんですか?」
「そうそう。やたら喉渇いたりしない?」
「します」
「水中毒も怖いんだからねー、最悪死んじゃうんだから。
もう水でお腹膨らませるとかやっちゃダメ」
「はーい……」
桜はちょっとだけしょんぼりしながら返事をした。
「や、冬夜、桜。あたしも混ぜてよ」
「紫苑さん」
紫苑が桜の隣に座った。
紫苑はハイボールを注文すると、桜に向き直ってニッと笑った。
「あんたの作品見たけど、良い出来だったね。
本当に初めて?」
「はい、初めてです」
「あ、桜ちゃんねー、明日から正式採用になったよ」
「それは良かったね。
桷は凄い期待の新人を発掘してきたもんだね」
ハイボールをグビグビ飲むと、紫苑が笑った。
「桷に連れて来られた昨日はあんた、幽霊みたいな顔してたから皆心配してたんだよ」
「そ、そんなに酷かったですか」
「うん。でも、元気になったみたいで良かった」
次の瞬間、バックヤードから現れた一人の青年に桜の目は釘付けになった。
キラキラしたスパンコールで飾り立てられた黒の派手な衣装を身に纏い、何故か店内をムーンウォークで歩いている青年が居たのだ。
客で埋まった店内の至る所から口笛や歓声が上がる。
「待ってました!Mr.エンターテイナー!」
「よっ、MJ!」
冬夜が声を掛けるとMJと呼ばれた青年が片手を上げて笑顔で応じた。
「MJ?」
「あいつ、妄想で自分がマイケル・ジャクソンの生まれ変わりだと思い込んでるんだよ。
三十過ぎてるから計算合わないんだけどな。
面白いだろ?」
冬夜が笑って話してくれた。
桜は笑わなかった。
「笑うなんて失礼じゃないですか?」
「あれ、桜ちゃん。表の看板、読まなかった?」
冬夜に言われて、看板の内容を思い出す。
『どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません』
『ことに、生き辛いお方や差別偏見をお持ちのお方は、大歓迎いたします』
『当店は問題の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください』
『問題はずいぶん多いでしょうがどうか一々笑って下さい』
「『問題はずいぶん多いでしょうがどうか一々笑ってください』……」
「そうそう!なんだ、読んでるんじゃん」
「でも……」
桜は笑う気になれなかった。
「まあ、見てなよ。凄いから」
MJはバーの中心にあるスポットライトを浴びたステージに立つと、バンドの生演奏に合わせて歌い始めた。
曲はマイケル・ジャクソンのスムーズ・クリミナル。
桜は息を呑んだ。
圧倒的な歌唱力、キレッキレのダンス。
斜め四十五度のダンスもキッチリ再現している。
まるで本物のマイケル・ジャクソンがその場に居るかのようだった。
「か、格好良い……」
「だろ?
俺達は差別や偏見とは闘わない。全部笑うのさ。
面白いもんは面白い。それは嘲笑とは違うんだ」
グラスを傾けながら、冬夜が笑った。
これが、4Uの空気なのだろう。
桜はちょっとだけ納得した。
笑って良いのかは、まだわからない。
曲が変わった。今度はスリラーだ。
手拍子しながら笑顔でステージを見ていた紫苑が言う。
「MJは4Uのアイドル的存在なんだよ。
彼、『俺はマイケル・ジャクソンの生まれ変わりだ!』の一点張りだから、本名誰も知らないんだよね」
「そうそう。4U七不思議の一つ」
「後六つは?」
「何故か歯型の付いた石鹸事件、ヤクザもんの怪電波事件、革靴モグモグ事件、花純の世界の秘密……あと何だっけ?」
「トイレットペーパーミイラ、水の旅ヨーロッパ編、首長薄型宇宙人事件……それと神様と結婚した奴もいるな」
「九つありましたよ!?」
「他にも色々あるからなあ」
「七つ以上あるのも七不思議あるあるだよね」
どれも聞いてみたいような、聞いてみたくないような。
紫苑が枝豆を摘みながら笑った。
「桜の幻覚妄想日記、楽しみだなー。
統合って事は面白エピソードの宝庫だったりする訳でしょ?」
「幻覚妄想日記?」
「あ!桃花、ノート渡し忘れてるじゃん!
桃花、もう帰っちゃってるし。
桷〜、日記の新しい奴桜ちゃんに渡してあげてー」
桷が一冊のノートを渡してきた。
「ほらよ」
幻覚妄想日記と表紙に書かれているが、パラパラと中を捲ってみるとただの白紙の自由帳だ。
「皆の幻覚妄想を纏めて本にして出版しているんだ」
「そんなの売れるんですか?」
「精神科医や医学生が買ってくよ、研究目的でね。
あと、病気の当事者や家族。
自分と同じ症状だって共感したり、家族の症状に理解を深めたり、面白い内容に笑ったり。
結構人気なんだ」
「そう。
症状が軽くなった方法例なんかも載ってたり。
当然効果は個人差はあるけどね。
ここでは自分達の病気も売ってるのよ」
「病気も商品なんですか!?」
桜は衝撃を受けた。
冬夜が紫苑の枝豆を勝手に摘みながら言う。
「そうだよ。向こうに見本が置いてあるから取ってきてあげる。
……ほら、これ。読んでごらん、抱腹絶倒だから」
冬夜に手渡された文庫本を開く。
『僕らの言う妄想とは、一般的に使われている意味合いとは違う。
一般的なそれは空想。
だが、僕らにとって妄想は真実である』
医学的に言う妄想とは、一般的な妄想とは違う。
『アイドルの〇〇と付き合えたらこんなデートをしたいな』だとか、『二次元の女の子にモテモテになってハーレム』だとか、『宝クジが当たったらハワイに別荘を建てる』のような、ありもしない想像をして楽しむ事ではない。
一般的に言う妄想はあくまで空想だと本人が気付いている点が特徴だ。
医学的な妄想とは、ありえない事を信じ込み、他者が訂正不可能な事を指す。
患者がそのような話をしても、否定も肯定もしてはいけないと言われている。
中に書かれていたのは、坂本龍馬の幽霊と駆け落ちした話、耳から脳がチーズのように溶けて溢れるから耳栓をしている話。
自分は天皇の子だからと皇居に帰ろうとして警察に止められた話、アルコール依存性で病院の入口に置いてある消毒用アルコールを飲んで救急車で搬送された話、石鹸やリンスの食べ比べレポートなどなど……。
ドギツイエピソードの数々は当事者の言葉で生々しく、かつ面白おかしく書かれていた。
時々くすりと笑いながら、時には辛そうな場面に共感してほろりと涙目になって。
いつの間にか夢中で読み込んでしまっていた。
「どう?面白いでしょ」
「はい、とっても。これ、欲しいんですけど、どこで売ってるんですか?」
「4Uにも置いてあるけど、普通の本屋にも置いてるよ。買う?」
「はい」
「桷、桜ちゃんこれ買いたいって。在庫取ってきてー」
財布からお金を払い、4Uのロゴ入りの紙のブックカバーをつけられた本を受け取る。
紙のブックカバーはカラフルで緻密な花模様だった。
一目で分かる、独特な作風。
「これ、もしかして如月水無の……?」
「そうそう。
このブックカバー、4U限定なんだ。
如月水無の描き下ろし」
「あの、現代アートの巨匠が!?」
「そう。彼女も統合失調症で、ここの出身なんだ。
時々顔を出すよ」
「水無先生はアトリエと精神科病院を往復して作品を作ってるの。
彼女の独特な作風は海外でも評価が高いから、熱狂的な外国人のファンが聖地巡礼としてここに来る事もあるんだよ」
見本を元の棚に戻してきた冬夜が微笑む。
「幻覚妄想日記は毎年投票で一番面白い内容だった奴は表彰されるから、桜ちゃんもいい幻聴さんや幻覚さんが来るといいね」
「『幻聴さん』?『幻覚さん』?」
幻聴や幻覚にさん付けするのなんて、初めて聞いた。
「4Uでは幻聴さん、幻覚さんって呼ぶんだよ」
「そ、自分の中にあるお他人さん。幻覚も妄想も自分のせいじゃないからね」
「『幻聴さん』ってさん付けする発祥は、北海道の浦河町にある『べてるの家』っていう場所なんだ。
あ、『べてるの家』っていうのは統合失調症患者を中心とした浦河町特産の昆布を売ってる団体なんだけど、良い言葉だからウチでも真似してるんだよ」
「他にも障害者アートの画集とか詩集も出版してるよ。
これも結構独特でコアなファンが居るんだ」
「そういえば、入院中の作業療法で書道の時間があったんですけど、なんていうかフリーダムでした」
「どんな?」
紫苑が問う。
「飾ってあったのは『刺身食べたい』とか、『ポッキー』、『くりぃむしちゅー』、『結婚しよう』とか、入院中離れてる娘の名前とか。
あと、涙を流す目のイラストとか……書道なのに、こう……『希望』とか『青空』みたいな普通の書が一枚も無くって。
入院患者さんの作品は味があって面白かったです」
「魂の叫びだからねえ」
冬夜がしみじみと言う。
『刺身食べたい』は病院の食事に生ものが一切出ない為だろう。
開放病棟なら好きな時間に自由に外に出られる為、近所のスーパーで買ってこれるだろうが。
実際、桜は入院中苦手なおかずの日にカボチャコロッケを近くのスーパーで買って来て夕食時に食べていた。
「俺も入院中『ここから出せ!』って書いたな。
もう治ったと思って暴れてさあ。保護室行き」
「私は『焼肉定食』って書いてた。四字熟語」
「いや、それ四字熟語じゃないから、紫苑」
「そうなの?漢字四文字だよ?」
キョトンとしている紫苑が可笑しくて、冬夜と桜は笑った。
桜のスマホが鳴った。
母からのメールだ。
『今どこに居るの?もう九時よ』
『心配掛けてごめん。
今、桷の職場のバーでご飯食べてるの。
そろそろ帰ります』
メールを返信すると、桜は席を立った。
「親が心配してるからそろそろ帰りますね」
「え?まだ九時だよーもうちょっと一緒に居たいなー」
「えっと……でも……」
冬夜が桜の手をギュッと握ってきた。
「冬夜、桜を困らせないの!」
「冬夜さん、今日はごちそうさまでした。楽しかったです」
「おー、また飲もうなー」
「はい、是非」
桜はシェイカーでカクテルを作っていた桷に声を掛けた。
「桷、私もう帰るね。良い職場紹介してくれてありがとう」
「店の前のバス停からバスが出てる、二十分置きな。それに乗れば帰れるからな」
「うん、ありがとう。お仕事頑張ってね」
「ああ」
バスに揺られて一時間。
桜は家のすぐ近くのバス停で降りた。
「ただいまー」
「おかえり。もう!遅くなる時は連絡して頂戴」
「ごめんなさーい」
リビングでテレビを見ていた父の横に座る。
父は驚いた顔で桜を見た。
この数カ月、桜は小言を言われるのを恐れて父から距離を置いていたからだ。
隣に座るなんて以ての外であった。
桜は満面の笑顔だった。
「お父さん、仕事決まったよ」
「何、本当か?」
「うん。トンボ玉作りの工房。
他にも障害者の人達が沢山働いてて、お給料も良いの」
「まだ早いってお医者さんに言われているでしょう?
無理して悪化したらどうするの?」
「大丈夫だよ。具合悪くなったら早退も出来るから。
それより、何もしないでいる方が辛いんだ。
役立たずの穀潰しみたいでさ」
「お父さんもお母さんもそんな事思ってないわよ。
あなたは私達の大切な一人娘よ」
「ありがとう、お母さん。
改めてそう言われるとすごく嬉しい」
鞄から茶封筒を取り出し、母に渡す。
「はい、お母さんこれ、食費。
今日働いた分のお給料」
母は優しく微笑んだ。
「これは受け取れないわ。
桜、あなたの好きに使いなさい」
「うん、好きに使って良いなら食費でも良いでしょ?ここに置いとくからね」
「もう……桜ったら」
その夜は幻覚も幻聴も無かった。
病気になってから初めて桜はぐっすり眠れた。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ブクマ、評価ありがとうございます!
見つけた瞬間、小躍りしました。
とても励みになります。
癖の強い作品なので、評価付かないだろうなあと思ってたので本当に嬉しいです!
レバニラ炒めとニラレバ炒め、皆さんは呼び方どっち派ですか?
ニラレバ炒めが正式名称だそうですが、ここでは一般に浸透している方を採用しました。
MJは私のお気に入りキャラクターです。
念の為書いておきますが、決して障害者を馬鹿にする意図はありません。
如月水無は架空の人物ですが、『べてるの家』は北海道に実在します。
年商一億だとか。凄いですよね。