第6話 初めてのトンボ玉作り
冬夜に手を引かれて連れて行かれたのは色とりどりのガラス棒が何百本と立てて仕舞われている箱の前だった。
「まず、好きなガラスロッドを選んでね」
冬夜が笑顔で箱を指し示す。
「うーん……どれにしよう……」
「あはは、迷っちゃうよねー。
ゆっくりで良いよー」
悩む事五分。
「じゃあ、この淡いピンク色のにします」
なんとなく心惹かれた色を選んだ。
透き通った桜色のガラスロッドだ。
席に戻ると、冬夜が二十センチ程の細い銀色の金属製の棒を一本取り出した。
「これが芯棒。これに離型剤っていうのをつけるんだ。
ボトルを振ってしっかり撹拌させてから、芯棒を一回だけ垂直に離型剤にくぐらせるんだ。
二度漬け厳禁。串カツと一緒ね」
桜は言われた通り離型剤のボトルを振って撹拌すると、蓋を開けた離型剤の中に芯棒を慎重に沈めていった。
引き上げると白い泥状のペーストが芯棒に纏わりついている。
「おおー上手上手。均等についてるねー」
冬夜が笑顔で褒めてくれた。
「自然乾燥でも良いんだけど、今日は時間も勿体無いからササッとバーナーで炙って乾かしちゃおっか」
そう言って冬夜がガスバーナーに火を点ける。
冬夜が腕捲りすると、左手首に幾筋もの線が走っているのが見えた。
古傷だ。何の傷だろう。
冬夜が首を傾げた。
「ああ、これ……気になる?
リスカの跡なんだけど」
「リスカ?」
「あ、知らない?リストカットのこと」
冬夜はあっけらかんと言ったけれど、桜は戸惑っていた。
チャラいリア充っぽい見た目の冬夜と暗い印象の付き纏うリストカットが結びつかなかったのだ。
「リストカット……」
「そ、今はやってないけどねー。
男でリスカするのはちょっと珍しいかもだけど、女の子だと跡残るから大変だよねー。
病気治った後でも、『私メンヘラでした!』って証拠になっちゃうから婚活にも不利だし」
「冬夜さん、辛かったんですね」
「んー……桜ちゃんってば、深刻な顔しちゃって……。
ここじゃ珍しい新鮮な反応だなあ」
「?」
「ま、それじゃあ作業再開しよっか」
冬夜はケロリと笑っている。
芯棒を持った桜の手を冬夜が握ってガスバーナーの上に近付ける。
「位置はこのくらい。
……はい、オッケー。乾いたよ」
次に冬夜は黒いエプロンとゴーグルを差し出してきた。
「じゃ、このエプロンとゴーグル掛けて。ガラスが割れる事があるからさ」
「え」
「ちゃんと言われた通りやってれば怪我とかしないから大丈夫。俺を信じて」
冬夜がパチンとウインクすると、最初からテーブルに置いてあったオリーブグリーンのガラスロッドを手に取った。
「見本見せるね。
まず、バーナーのこの辺りで予熱するんだ。
大体、二十秒くらい。
その後、ガラスロッドをくるくる回しながら炎に近付ける」
青い炎の中にガラスロッドを入れ、暫くするとガラスロッドの先に火が点いた。
ドロリとガラスが溶け始める。
「内炎にガラスが入ると煤が付くから気を付けて。
今出来てきてる溶けたガラスの部分が出来上がりの大きさになるからね。
この部分を作りたい大きさにするんだ。
あんまり大きくし過ぎると落ちるから気を付けてね」
冬夜は左手に芯棒を持った。
「離型剤付きの芯棒を赤くなるまで炎で炙る。
あんまり炙りすぎると脆くなって玉が巻き取りにくくなるから気を付けて……ん、そろそろいいな」
冬夜が溶けたガラスを芯棒に巻き付けだした。
「芯棒とガラスを直角になるように巻くと綺麗な丸玉が出来るからね。
芯棒を手前から向こうにゆーっくり回転させて……と。
で、芯棒は回転させながら上に、ガラスロッドは下に……ほら、綺麗に切り離せただろ?」
冬夜はガラスロッドをテーブルの上のガラス置きに置いた。
左手の芯棒はゆっくりと回転させ続けている。
「こうやってくるくるして、ガラスが綺麗な玉になるまで形を整える。
芯棒と机が平行になるようにしてね。
じゃないと変形しちゃうから」
ガラス玉が綺麗な球体になった。
冬夜が炎からガラス玉付きの芯棒を取り出した。
その間も回転は止めていない。
「十秒以上はこの状態をキープしてね。
ガラスが完全に動かなくなったらこのトンボ玉立てに立てて冷ますんだ。
以上、おしまい!何か質問ある?」
「無いです。説明、凄く丁寧で分かりやすかったです」
「オーケー。じゃあ、早速やってみよう〜!」
桜はドキドキしながらガラスロッドを炎に近付ける。
予熱二十秒。
ガラスロッドをくるくる回しながら炎に入れた。
火が点き、ドロリと溶けるガラスロッド。
意外と時間が掛かる。
そろそろ腕が疲れてきた。
十分にガラスが熱された所で、炙った芯棒にガラスを巻き付ける。
ガラスロッドを切り離し、芯棒をくるくる。
ガラス玉が綺麗に丸くなってきた。
炎から芯棒を取り出し十秒。
ガラスが完全に動かなくなった。
「出来ました!」
「桜ちゃん器用だね〜。
初めてでこんなに綺麗に作れる子、俺初めて見たよ。これ、十分売り物になるよ」
「えへへ、ありがとうございます」
多少お世辞かもしれないが、褒められて素直に嬉しい。
トンボ玉立てにはカラフルなトンボ玉が幾つも並んでいる。
まるで棒付きキャンディーのようだ。
「あの、冬夜さん。
こういう模様付きのはどうやって作るんですか?」
「お、やってみたい?
これは二色のガラスロッドを混ぜて作るんだよ。
じゃあもう一本ガラスロッドを選びに行こうか」
先程のガラスロッド置き場に来た桜は一本一本丁寧にガラスロッドを取り出しては眺めた。
「どれにしようかなあ……」
「あ、ちょっと待って!
桜ちゃん、こっちの箱の中から選んでね」
冬夜は二つに区切られた箱の右側を示した。
「どうしてですか?」
「鉛ガラスとソーダガラスを混ぜると冷め足の違いで割れやすいんだ。
あ、冷め足っていうのは冷める速度の事ね。
ソーダガラスが鉛成分で濁る事もあるし……。
出来ない事はないんだけど、上級者向けなのさ。
初めてだからオススメしないけど、ソーダガラスの割合を少なくすると失敗しにくいよ」
「そうなんですね、勉強になります!」
桜が次に選んだのは澄んだ黄色のガラスロッドだ。
二色のガラスロッドを溶かし、さっきより大きなガラス玉を作る。
「このケガキ棒で引っ掻いて模様をつけるんだよ」
渡された先の尖った細い棒で適度に模様を入れる。
思っていたより意外と簡単に出来上がった。
桜色と淡い黄色のコントラストが美しい。
手毬飴みたいにコロンと可愛らしいトンボ玉が出来上がった。
「やっぱ桜ちゃんセンスあるなー。
今度のは大きいから、藁灰に入れて冷まそうか」
「藁灰?」
「そ。線香立てるのに使う奴。
小さいのと違って藁灰に入れてゆっくり冷まさないと割れちゃうかもしれないからね」
桜は言われた通りにサラサラした灰の入った器に慎重にトンボ玉を入れた。
ふと、テーブルの上に並べられた器に花模様の金太郎飴のような物が入っているのに気付いた。
「冬夜さん、この細かいビーズみたいな物は何に使うんですか?」
「ん?ミルフィオリのこと?
ピンセットでトンボ玉に付けて溶かすと花模様になるんだよ。
見本見せてあげるね」
冬夜が濃い藍色のガラスロッドで地玉を作る。
白い花のパーツをピンセットで摘み、予熱してから炎の縁で軽く溶かし、地玉に取り付けた。
炎の縁でパーツを少しずつ溶かしていく。
「溶けてきたらコテで模様を軽く潰して、ケガキ棒で真ん中を突いて花びらを寄せるんだ。
で、表面を馴染ませたら完成!
ね、簡単でしょ?」
「わあ、綺麗ですね!」
「じゃあ桜ちゃんもやってみようか」
「はい!」
冬夜の隣で桜は時間も忘れてトンボ玉を作り続けた。
何時間没頭していたのだろう。
ボーンボーンと柱時計が十二時を告げた。
「そろそろ休憩にしようか。
お昼食べよう、桜ちゃん」
「あ、はい」
冬夜に連れて来られたのは表のカフェではない食堂スペースだった。
中は人でごった返しており、とても賑やかだ。
「あの、冬夜さん?ここって……?」
「社食。あ、今日はビーフシチューかあ。うまそー」
「え、私社員じゃないですよ」
「いーからいーから!賄いだから気にしないで食べてね」
冬夜が二皿のビーフシチューを持って食堂内を先導する。
桷が奥でビーフシチューを食べていた。
丁度向かいが二席空いている。
桜と冬夜が近付くと、桷が顔を上げた。
「桜、どうだった?」
「凄く楽しかった!桷、今日はありがとう」
「そりゃあ良かった」
「この子凄いな、桷。色彩センス抜群。
この才能が眠ってたとか勿体無すぎるよ」
「こいつ、前職デザイナーだからな。当然だろ」
「へー、デザイナーかあ。道理で器用だと思った」
冬夜が納得して頷く。
いただきますを言うと、冬夜は席についてビーフシチューを食べ始めた。
「それにしても、昨日は大変だったね。
でも、君が死ななくて良かった」
冬夜が優しく笑う。
「会えて嬉しいよ、桜ちゃん」
冬夜が桜の目を覗き込み、甘い声で囁いた。
なんと反応して良いのかわからない。
桜の頬にサッと朱が走る。
「…………な、なんか、照れますね」
「ん?惚れちゃった?」
「ち、違います!」
「グサッ。ちょっと傷付いた」
「え、わ、すみません!」
「阿呆の話だから間に受けるな、桜」
「相変わらず桷は酷いなあ。俺、泣いちゃう」
「知らん。つか、俺の友人を勝手に口説くな」
「桷のじゃないんだろ?だったら別に良いじゃんかー」
「お前のジェットコースターのような気分の上がり下がりに付き合ってたらこいつも巻き添えで心中しかねねえ」
「んー、それを言われると痛いなあ。
あれ、桜ちゃん。
ビーフシチュー、食べないの?もしかして苦手?」
「くだらねえ遠慮してるんだろ。
桜、食わないと顔に、」
「掛けないで!食べるから!」
スプーンでひと匙掬い、口に入れる。
口の中に広がるのはデミグラスソースの旨味。
赤ワインの風味豊かに煮込まれた牛肉は柔らかくホロホロだ。
舌で押し潰しただけで崩れていく。
そして野菜の甘さが後から後から追いかけて来る。
社食とは思えない豪華な昼食だ。
「美味しい……!これ、凄く美味しいです!」
「でしょー。この賄いが楽しみで職場に来てる節のある奴いっぱい居るんだよー。
ていうか桜ちゃん、滅茶苦茶美味しそうにご飯食べるねー。見てて飽きないや」
冬夜がにこにこ笑う。
ビーフシチューを食べ終えた桷がコーヒーを飲みながら桜を見遣った。
「桜、午後からはどうする?
またトンボ玉作るか?それとも他のをやるか?
そういやお前、お菓子作り趣味だったよな」
「お菓子作り!?趣味も女の子っぽいんだねー。
いいなあ、俺に作ってよ。あ、でも午後からも一緒にトンボ玉作りたいなーうわー迷うー」
「お前のために菓子作る訳じゃねえだろ」
ざっくり桷が突っ込みを入れた。
アクセサリー作り、編み物、お菓子作り。
どれも魅力的だ。しかし……。
「病気になってから認知機能障害で順序立てて物事を処理出来なくなったから、料理もお菓子作りも出来なくなっちゃってて……。
だからあんまり複雑な事は無理かも」
認知機能障害とは、記憶、思考、理解、計算、学習、言語、判断などの知的な能力が低下する症状だ。
人によって症状は様々だが、簡単な暗算が出来なくなったり、洗濯物を畳んで箪笥にしまうような単純な事すら出来なくなる事もある。
桜は悩みながら口を開いた。
「楽しかったからまたトンボ玉作りたいな」
「よっしゃー!」
隣で冬夜がガッツポーズをした。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
私、子供の頃からトンボ玉が大好きなんです。
少ないお小遣いを貯めてトンボ玉を買い、簪を作ったりしました。
一つ一つ手作りで作られているから世界にたった一つしかない。
たった一つしかない命の尊さに通ずるものがあると思って、主人公の桜にはトンボ玉を作って貰いました。