第2話 明日
振り返ると桷が湯気を立てたコーヒー片手に立っていた。
プライマルマッシュの無造作ヘアにラフなTシャツとジーンズ姿。
特別お洒落な服装という訳ではないが、背の高さと整った顔立ちのお陰で格好良く見える。
「遅かったね、桷。どしたの?」
「道が混んでてな」
「そっか、大変だったね。
桷はブラックコーヒー?折角スタバに来たのに勿体無い」
「別に良いだろ。なんちゃらフラペチーノとか興味無いんだよ。
あれは本物のコーヒー好きが飲む飲み物じゃねえ」
「桷っていつも一言多いよね」
桔梗と桷の遣り取りを黙って見ていると、桷が首を傾げた。
「……桜、どうした?」
「何が?」
「顔色悪いぞ」
「ちょっと寝不足なだけ。
昨日楽しみで中々寝付けなくって」
「子供か」
「あはは」
桜は明るく笑って薬袋を仕舞った。
桷は桜の斜向かいに座った。
「桷は今仕事何してるの?」
「バーで働いてる」
「バーかあ、ちょっと不安定じゃない?」
「そうでもねえよ。つーか余計な御世話だ」
桷が顔を顰める。
まだ何か言いたそうにしている桔梗に気付いた桜が話題を切り替えた。
「ところで桔梗、結婚生活はどう?」
「大変だけど毎日楽しいよー。あ、そうそう!この前旦那と沖縄旅行行ったの。これ、二人にお土産〜」
桔梗が小さめの紙袋を二つ、テーブルの上に乗せた。
「サンキュ」
「ありがとう、大事にするね」
「いや、中身紅芋タルトだから!大事にしたら腐るから!」
「あ、ハイ。美味しくいただきます」
その遣り取りが可笑しくて三人で笑い合った。
飲み物をストローでかき混ぜながら桔梗が溜息を吐いた。
「でもねー、付き合ってる時は良かったんだけど、一緒に住むとなるとどうしても受け入れられない所もあってさあ。
仮面ライダーとかウルトラマンのフィギュア集めてるんだよ、キモくない?」
桜がキョトンとした。
「え、別に良いんじゃないかな?」
「ああ、誰に迷惑掛けてる訳でもないだろ」
「迷惑しーてーまーすー、あ・た・しが!」
桔梗がむくれた。
「具体的には?」
「まず、引く。
そのスペースがあればもっと物置けるのにって思う」
「家広いんだからちょっとくらい良いんじゃない?」
「フィギュア代合わせたら沖縄じゃなくて海外旅行行けた」
「旦那の小遣いを旅行費に当て込むな」
桜と桷、二人から共感を得られず、桔梗は更に不貞腐れた表情になった。
「良い年してオモチャ集めてるとかキモいから今度こっそりメルカリで売っちゃおうと思ってて」
「やめなよ、大事なコレクションなんだから」
「だってぇー」
「仮に俺がお前の旦那でそれをやられたらお前の服を全部メルカリで売るな」
「ちょ、それは困る!」
「だったらわかるだろ」
桔梗を見る桷の視線は厳しい。
桜が柔らかく笑いかけた。
「大事な物って人それぞれだよ。
好きな物は好きなんだから仕方ないじゃない。
好きな人の悲しむ事をしちゃダメ」
「わかったよー……」
時折飲み物で喉を潤しながら結婚生活談義はまだまだ続く。
「近所のスーパーで卵が安いから日曜日の朝は開店時間に旦那連れてダッシュだよ。マジ大変」
「日曜の朝くらい寝かせておいてやれよ」
「あれでしょ、お一人様一パックまでだから」
「そうそう!限定百パックだから並ばないとすぐ無くなるのー。
それに、旦那が卵料理好きだからそこは我慢して貰わなきゃ。
それはそうと、二人共良い話無いの?」
少し考えてから桷が口を開いた。
「俺の実家の猫が子供産んだな」
「え、見たーい!……って、いや、そういう良い話じゃなくて。
恋人とか結婚相手とかそういう話!」
「無いな」
「無いねえ」
大体、病気療養という名の半引き篭もりになっている桜に出会いなど無い。
「桷、あたしの女友達紹介してあげよっか?
桷って性格はちょっとアレだけど、背も高いし顔もイケメンじゃん。
何人か彼氏募集中の可愛い子達いるんだけど」
「別に良い」
私にも良い人紹介してよ。
言いたかった言葉は喉の奥に引っ掛かって出て来ない。
まずは仕事に就いて自立する事が最優先だ。
それから。
それから——。
それから、どうしたいんだろう。
——いつかは結婚したい。
自分みたいな精神病患者が、何を贅沢な事を。
桜はかぶりを振った。
「桜?」
「なんでもないよ」
結局桔梗は桜には紹介の話題を振らなかった。
桔梗は男女問わず友人が多いにも関わらずだ。
桜が精神病だからだろうか。
それからも取り留めもない話をして、時間が過ぎていった。
「はー、楽しかった!
桜、桷!また遊ぼうねー。またねー!」
「うん、さよなら」
桜は遠くなる桔梗に笑顔で手を振った。
桷が膝を折って桜の顔を覗き込んだ。
「な、何?」
「桜、やっぱお前顔色悪いぞ。
家まで送ってやるよ」
「いいよ、一人で帰れる」
「けどよ……」
「桷、お母さんみたいだね」
「誰がお母さんだ」
「あはは、本当に大丈夫」
「……無理するなよ」
「うん、またね」
「ああ、じゃあな」
ICカードを改札口に翳す。
階段を登ってホームに辿り着く。
なんだか、ドッと疲れた。
——桔梗、キラキラしてたな。
それに引き換え、私は——。
——私は、何のために生きているんだろう。
特に誰かの役に立つ訳でもない。
仕事をしている訳でもない。
実家暮らしだけど、家事もやってない。
桜はぼんやりと空を見上げた。
駅舎の屋根越しに見える空には突き抜けるようなスカイブルーが明るく広がっている。
空は清々しく晴れ渡っているのに、桜の胃は鉛でも呑み込んだように重たかった。
真後ろからヒソヒソ声が聞こえてきた。
「桜って仕事辞めてお金無いから、毎食コンビニおにぎり一個しか食べてないんだって」
「うっそー、だっさ」
——なんで知ってるんだろう。
桜はどきりとして振り返った。
後ろでは女子高生達がケラケラと爆笑している。
じわり、と涙で視界がぼやける。
——だって、役立たずで能無しの自分が上等な食事を摂って良い筈がない。
しかしそれでも腹は減る。
本当は食べたくないが、食べなくては死ぬ。
食べる事に罪悪感を感じているが、それでも仕方なく食べているのだ。
毎日食物を摂取して、排泄して眠る。
ただ、それだけの毎日だ。
また別な方向から声がする。
「貯金も尽きて家賃払えなくなって、一人暮らししてた家引き払ったらしいよ」
「実家で毎日ゲーム三昧だって」
「家の事手伝わないの?
役立たずの穀潰しじゃん。
死んじゃえばいいのに」
ザワザワと悪意が耳を刺す。
周りの雑踏から聞こえる心無い言葉に涙が溢れた。
——好きでこんな事になった訳じゃ無いのに。
定職に就いている訳ではない。
結婚して出生率に貢献している訳でもない。
自分は生産性の無い人間だ。
居ても居なくても変わらない。
いや、いない方が良いくらいだ。
——無駄に生きててごめんなさい。
耳を塞いでも声は消えない。
そこで桜はハッと気付いた。これは幻聴だ。
見知らぬ女子高生達やホームに並ぶ乗客が桜の懐事情や生活を知っているはずがない。
「死ね」
「死ね」
「死ね」
空が突如紅く染まった。
青空を不気味に覆う炎の舌のような星月夜。
幻覚だ。
禍々しい景色が恐ろしくなって目を閉じた。
「目を開けろ。じゃないと殺すぞ」
チカチカと脳が忙しくなる。
もう、疲れた。
今日も昨日も、明日もその先も。
ずーっと毎日幻覚幻聴に悩まされて生きていくのか。
明るい日なんて来ない。
明日なんて来なければいいのに。
「お待たせ致しました。
まもなく九番線に十七時十五分発、石狩当別行き普通列車が到着致します。
危険ですので白線より下がってお待ち下さい。
……まもなく九番線に列車が到着します。ご注意下さい」
列車がホームに滑り込んでくる。
——今、ちょっと勇気を出せば、明日が来る事に怯えなくていい。
そんな考えがぽつりと心に浮かんだ。
「飛び込め!」
誰かに背中を押されたような気がした。
桜はふらりと吸い込まれるように線路に飛び込んだ。
鳴り響く急ブレーキの音。
衝撃に備えて桜は目を閉じた。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
ラブコメを読んでいる筈が気付いたら主人公が電車に飛び込んでいた。
な…何を言っているのか(以下略)
自殺を考えたことのある方はなんと成人の四人に一人だそうで。
増加傾向にあるそうです。
もしも、あなたが辛いのなら、誰かにSOSを出して下さい。
自殺相談ダイヤルもありますよ。
視覚障害者のホームからの転落事故も多いんだとか。
不幸な人身事故を防ぐ為、全国の全ての駅にホームドアが設置されると良いですよね。




