第17話 天使か悪魔か
恒例の仕事終わりの飲み会中、バーに置いてあるテレビからは夜九時のニュースが流れていた。
最初のニュースは札幌のショッピングモールで刃物男の無差別殺傷事件が起こったというニュースだった。
「何?通り魔事件?」
「ここのショッピングモール、家の近くじゃん。
よく行ってるよ、怖〜」
「最近多いよな。誰でも良かったとか言う奴」
桷が苦い顔をする。
榊が顎に手を当てて唸った。
「犯罪率自体は下がってるんだけどね。
理解し難い犯罪が増えたように思うよ」
『尚、犯人は精神科病院に入院歴があり、統合失調症だったとの事です。
次のニュースです。今日の国会では——』
「止めて欲しいよね、こういうニュース。
精神疾患があったとか一々言わなくて良いだろ」
「そーそー、偏見が助長されるじゃん」
「統合失調症の犯罪率は一般人より低いのにね」
「急性期のイメージが強いけれど……大抵、統合は薬をキチンと飲んでいれば普通の人と変わりないのにね」
統合失調症には四つの段階がある。
前兆期・急性期・休息期・回復期だ。
前兆期は何となく変だと感じる、眠れない、落ち着かない、疲れやすいなどの症状が現れる。
急性期は不安、イライラ、眠れない、幻聴、幻覚、妄想などの激しい症状。
休息期は元気が出ない、やる気が起こらない、ボーッとしてしまうなど。
回復期になると元気が出てきて心も身体も安定し、周囲への関心が出てくる。
適切な治療を受けた場合、一般的な統合失調症のイメージであろう急性期は短くたった数週間。
陰性症状主体の休息期が数週間から数カ月、回復期は数カ月から数年と言われている。
休息期や回復期にストレスがあると急性期に戻ることもある。
そして、再発が繰り返されると病状は重くなる。
急性期の患者は周囲から見て明らかに奇異な行動を取りがちだが、他の時期は至って普通の人と同じであることも多い。
「犯人、薬飲んでなかったのかな」
「犯人がアニメ好きのオタクだったとか、精神疾患があったとか、その情報いる?って思うよね」
「マスコミって結構差別してますよね」
「放送倫理的にどうなの?って思うよな。
JAROに訴えるぞ」
「棗、JAROじゃないわ。
放送倫理・番組向上機構はBPOよ」
花純が突っ込みを入れた。
榊が訳知り顔で頷く。
「自分達と違う『おかしい奴ら』の仕業って事にしたいんだろうな」
「……言いにくいですけど、私も自分が統合失調症になるまでは精神疾患の人は暴れたり、犯罪者が多いってイメージ、ありましたよ。
特に統合は頭のおかしいヤバイ人達って認識でした」
桜が言う。
精神病患者と言えば、頭にipodを埋め込みたいだとか、ブツブツ独り言を言っていたりする理解不能の関わってはいけない人々だと思っていた。怖かった。
尤も、精神科病院に入ってそのイメージは大きく覆されたが。
精神科病院も決して怖い所では無かった。
明るく白い建物内は掃除が行き届いており清潔で、イメージと違い窓に鉄格子も嵌っていない。
そして、病院で出会った大抵の患者は親切で大人しかった。
新入りの患者の面倒を積極的に見る世話焼きなおば様も多かった。
一見しただけでは何処が悪いのか分からない人達も多い。
『私、頭おかしいから皆に迷惑かけるかも』と桜が言うと、『皆おかしいから大丈夫』と笑顔で言われたのは今でも名言だと思っている。
「実際に接してみないと分からない事だらけですからね。
『統合失調症の患者』と『統合失調症の桜さん』は大きな差です。
人となりを知って、顔が見える事で安心出来るというか」
菜種が優しく微笑んだ。
花純が悪戯っぽく笑う。
「スーパーに売ってる『顔の見える野菜』と一緒ってことね」
「逆に鬱とかの精神疾患になる人は『真面目でピュアで心の優しい人』っていうイメージ、あれも止めて欲しい」
「それな。生類わかりみの令だわ」
「確かに、優しくしてくれて当然みたいな顔されたことある」
「健常者と差なんて無いよ。
性格の善し悪しはその人自身の問題だもん」
「性格捻じ曲がっててイジメする奴も居るし、優しい奴も居るし普通の奴も居る」
冬夜が溜息を吐く。
「障害者は真面目で地味ってイメージはホントに迷惑。
俺なんか鬱でキツイ時に優先席座ってたらおっさんに嫌味言われた事あるよ。
ヘルプマークつけてんのに」
「ヘルプマークまだまだ浸透してないからねえ」
ヘルプマークとは赤いタグに白い十字とハートマークの描かれたピクトグラムだ。
義足や人工関節を使用している患者、内部障害、難病、精神障害、知的障害、妊娠初期の人など、見た目で分からないが周囲の助けを必要とする者に援助を得やすくなるように作られた代物である。
「障害者手帳も見せたけど、どうせ偽造だろうとか因縁付けられた」
「金髪でピアスバシバシ開いてる冬夜の見た目だと嫌味言われても仕方ない気もするけど」
「そう言う紫苑だって髪ピンクだろ。
俺は障害者だから優先席に座る権利がある」
「まあまあ、二人とも」
菜種が宥めた。
棗が焼き立ての熱々ソーセージに齧り付きながらモゴモゴと言う。
「オーナーから聞いたが、ここに4Uが出来た時、住民の反対運動があったらしいな。
精神障害者が集まると治安が悪くなるって」
「そんな事があったんですか」
「ああ、住民を呼んで何度も説明会をしたらしい。
今じゃ地元民の憩いの場だけどな」
「色んな人がいる。
それを多くの人に知って貰いたいよね。
僕らは天使でも悪魔でもない。
普通の人間なんだって」
榊がしみじみ呟いた。
桷が口を開いた。
「俺、思うんだけど、義務教育で精神疾患や発達障害を教えるべきだと思うんだよな」
「それな」
「鬱病や統合失調症、双極性障害。
それらの病は悪化すると死を選んでしまう事もあるからね。
五人に一人が精神疾患になると言われている。
発達障害は十五人に一人。
決して他人事じゃないんだ。
本人は異変に気付かなくても、周りが気付いて医療に繋げられるかどうかは大きいからね。
知っていれば、一人でも多くの患者を苦しみから救ってあげられる。
あんな不幸な事件も起こらずに済んだかもしれない」
冬夜が同意した。
「でも、一番不幸なのは家族からの無理解さ」
「MJ」
「桷、ガトーショコラ一つ」
「おう」
MJはガトーショコラにコーヒーのプラスチック製マドラー(未使用)を何故かブスッと刺し、スッと滑らせて桜の前に置いた。
そこに居た桜以外の全員が爆笑した。
「えっと……MJさん、これは?」
「ガトーショコラ、嫌いかい?」
「好きですけど……」
「MJからのプレゼントだよ。桜ちゃん可愛いから」
冬夜がニヤッと笑った。
「あちらのお客様からですって奴?」
紫苑も笑った。
何故マドラーがグッサーと刺さっているのかは謎だ。
「ありがとうございます。いただきますね」
桜は礼を言ってガトーショコラを食べ始めた。
しっとりとした生地は滑らかで、濃厚なチョコレートの風味が口の中に広がる。
とても美味しい。
「俺の家族、何処行ったんだろうな」
MJが寂しそうに呟いた。
「どういう事ですか?」
「俺が入院してる間に蒸発した」
「蒸発?」
蒸発したとは一体どういう事なのだろう。
桜が理解出来ないでいると、桷が補足する。
「MJが入院してる間に家族が引っ越したんだってよ。
入院費も払わずにな。
病院の職員が生活保護と障害年金を申請して十数年病院暮らしだ」
「そんな……だって、家族でしょう!?」
MJは見捨てられたのだ。
他ならぬ家族によって。
「良いんだ。
ただ、願わくば幸せに暮らしていると良いと思う」
そう言ったMJの笑みは哀しい笑顔だった。
「私も親が精神病に無理解で苦労したわ」
「花純さんのご家族も蒸発したんですか?」
「檻に入れられてたの」
桜は烏龍茶に噎せた。
「ウチの両親は身内に精神病患者がいる事が我慢ならなかったみたいでね、病院に連れて行ってくれなかったの。
精神科病院に行く所をご近所さんに見られたら恥だってね」
「精神の病気って本当は別に恥ずかしくなんかないんだけどな。
骨を折ったら病院に行くのと同じ事だよ」
冬夜が渋い顔で言う。
「元々良い両親じゃなかったわ。
酒浸りで暴力を振るう父親に、ネグレストの母。
市の職員に発見されるまで、何年も狭い檻暮らしだったわ」
いつも明るく笑っている二人の生い立ちは桜の予想を超えて壮絶だった。
こんな哀しい世界があるなんて、知りたく無かった。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
精神疾患に関する記述が2022年から高校の保健体育の教科書に復活するそうです。
遅いですが、これは朗報ですね!
以前おぎやはぎの小木さんが昔の彼女に『奥歯にチップを埋め込んだでしょ!』と某国のスパイ容疑を掛けられた事があるとテレビで話していたのですが、どう考えても元カノさん統合失調症だと思うんですよね。
学校で教えてて知ってたら医療に繋いであげられたのだろうなあと残念に思います。
精神科病院は当たり外れが大きいらしいですね。
私が入院した病院は当たりでした。
長期に渡って入院させられる患者に関してはNHKのETV特集『長すぎた入院』が一見の価値ありです。
統合失調症患者の寝屋川監禁事件は衝撃でした。
十五年監禁され続けた当事者の苦しみ。
誰にも相談できなかったであろう、家族の苦しみ。
どちらも想像を絶する物があります。
1900年制定の精神病者監護法という法律がかつての日本にはありました。
自宅の座敷牢に精神障害者を閉じ込める事は1950年まで合法だったのです。
精神科病院を廃止したイタリアとは大違いですよね。




