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第16話 ねばねば

今日受け取った茶封筒が少し重い。

中を検めると百円玉が数枚入っている。


「桃花さん、この小銭は……?」

「ポストカードの売り上げ金よ。早速数枚売れたの」

「本当ですか!?」

「ええ。他の幻覚さんも描いてみたらどうかしら。きっと人気出るわよ」

「はい、描いてみます!」


その日の夜、カウンター席で冬夜(とうや)と菜種と三人で飲んでいると、隣に座った男性が盛大な溜息を吐きながらグラスを傾けていた。

初めて見る客だ。

冬夜(とうや)が首を傾げる。


「おにーさん、どうかしたんすか?」

「ああ、聞いてくれるかい?」


男性は弱々しく笑った。


「俺、双極性障害の冬夜(とうや)っす」

「双極性障害?」

「躁鬱病の事っすよ」

「ああ、それなら聞いた事があるよ」

「統合失調症の桜です」

「発達障害と適応障害の菜種です」


桜達の自己紹介に、何故か男性の目が一瞬羨ましそうに光った気がした。


「俺は(たけし)だ。営業職をしているんだ」


ハイボールをチビリチビリと飲みながら、(たけし)が再び溜息を吐いた。


「毎日辛いんだ。ただ、理由もなく辛い。

毎日朝起きると憂鬱なんだ」

「病院に掛かったらどうですか?

鬱病かも知れないですよ」


菜種が言うと(たけし)は首を振った。


「それが、病院では健康だと診断されてね。

光トポグラフィー検査もしたんだが異常無し。

それで、もしかしたら発達障害じゃないかと思って病院を何箇所も受診したんだ。

だけど、どの病院でも健康です、健常者ですって診断されて。

自分では、絶対に何処かおかしいと思うんだが……俺の生き辛さは甘えなのかな」

「甘えなんかじゃないですよ。

それに健康なら良かったじゃないですか。

今の世の中、健康でも生き辛い人達は沢山居ます。

独りぼっちじゃないんですよ」


桜が言う。

しかし、(たけし)の表情は晴れない。


「独りぼっちじゃない……か。

だが……嫌な上司にパワハラされながら仕事しなきゃいけないし、洗濯や部屋の掃除もしなきゃいけない。

しなきゃいけないとは分かっているんだが、片付けも出来ないし、ミスも多い。

どうしてこんなに生き辛いんだろう。

……君達は羨ましいな。生き辛さに名前が付いていて。

いっそ、発達障害とか鬱病なんかの病気になりたいよ。そうしたら楽になれるのに」


無神経だと思った。

誰も好きで病気になった訳じゃない。

代わってくれるなら代わって欲しい位だ。

思い出されるのは病院に飾られていた七夕の短冊。

一番多かった願いは『健康な身体』だった。

桜ももしも願いが叶うならば、健康な身体を願うだろう。

けれど、この人が苦しんでいるのもまぎれも無い事実で。

なんとアドバイスしたら良いのだろう。

桜が答えに窮していると、冬夜(とうや)が明るく笑った。


「鬱病なら糖尿病とか脂質異常症になるとなりやすいっすよ。

病は気からって言いますけど逆も然りっす。

転職や過労も原因の一つっすね。あと、貧困。

ブラック企業に転職してレッツ不健康生活!」

「い、いや。遠慮しておくよ」


(たけし)が困惑しながら眉を下げた。


「なんだ、結局病気嫌なんじゃないっすか」

「出来ない事じゃなくて出来た事を数えるとかどうでしょう?

私は毎日日記に些細な事でも出来た事を書くようにしてますよ。

その日にあった良い事と一緒に」

「日記かあ……きっと三日坊主で続かないな。

折角の提案だけど、余計に自己嫌悪になりそうだ」


菜種の案は却下された。


「……あなたは、生き辛さに理由が欲しいんですね。

でも、病気になったら、マイナスです。

病気になった分、余計な苦しみが増えるんですよ。

きっともっと生き辛くなるだけだと思います。

……そもそも、生き辛さには理由が無いとダメなんですか?」


桜は慎重に言葉を選ぶ。

安心させるようににっこり笑った。


「辛いものは辛い、それで良いじゃないですか。

世の中全ての物に理由があるとは限らないと思うんです。

肩の力を抜いて下さい。

気楽にやっちゃいましょう。

ズボラで良いじゃないですか。

洗濯も掃除も毎日しなくても死にませんし、上司の愚痴なら私が聞きますよ。

だって、『ねばねば』したら、疲れちゃうでしょう?」

「『ねばねば』?」

「人はああせねば、こうせねば、そうやって自分で自分を縛っちゃうんです。

それって、凄く疲れませんか?」


例えば、良い母であらねばならない。

真面目に働かねばならない。

理想の女性像、男性像、大人像。

こうあらねばならないと、幻想のような鎖に縛られて生きている。

誰もが自分らしくありのままで生きたいと願いながら、狭い檻に囚われている。


「私、毎日働けないんです。

週に一日か二日は働いている途中で具合が悪くなって早退するんです。

お仕事、サボッちゃうんです。

最初は凄く抵抗があったんですけど、一度過労で倒れて、皆に心配掛けてしまって。

それからは毎日自分に出来るだけ、それ以上は頑張らない事にしたんです」

「しかし、仕事に穴を開ける訳にはいかないんだ。

俺にしか出来ない仕事だからね」

「無理したら本当に壊れちゃいますよ」

「本当の意味で自分にしか出来ない仕事なんて無いっすよ。

芸能界とか見てください。

この人が欠けたらテレビつまんなくなるなって思うような、テレビに出突っ張りの売れっ子芸能人が不祥事起こして消えても、何事も無かったようにテレビやってるじゃないすか。

面白さもそんな変わんないっすよね。

穴が開いたら必ず誰かが穴を埋めるんす。

不要な人間なんて居ないっすけど、『俺の代わりなんていくらでも居る』そう考えた方が楽っすよ」


枝豆を摘みながら菜種が苦笑する。


「発達障害って色々あるんですけど、私の場合は文字の読み書きや計算が苦手で。

テストの無い美術以外オール一でした。

文字の読み間違いが多いから一般企業に就職しても上手くいかなくて、上司に『こんな事も出来ないのか!』とか、馬鹿呼ばわりされて凄く辛かったです……」

「私、幻覚さんも幻聴さんも居ます。

毎日死ねって聞こえるし、怖い化け物も見ます」

「躁鬱も大変っすよ。

躁の時には金遣いが荒くなって散財するし、鬱の時には自殺未遂するし。

あ、これリスカの跡っす」


そう言って冬夜(とうや)が腕を捲った。


「私も線路に飛び込み自殺未遂しました。

あそこにいるバーテンダーに助けられなかったら、私死んでたんです」


これでも、病気になりたいですか?

そう桜達の目は問いかけていた。

(たけし)が三度目の溜息を吐いた。


「ごめん、本当に病気の人達に失礼だったね。

本気で苦しんでいる人達に無神経な事を言った。

君達に比べたら俺の悩みのなんてちっぽけな事か。

……俺の悩みは贅沢な悩みだったのかもしれないな」


カラン、と氷が音を立てた。

桜が優しく微笑む。


「悩みに貴賎も大小も無いと思います。

他人から見たら大したことが無いとしても、あなたにとって辛い事なら大問題です。

一緒に解決策を考えましょう?」

「そうか……そうだね。

でも、君達と話していたらなんだか楽になった気がする」

「有休でも取って旅行したらどうっすか?

気分変わるかもしれないっすよ」

「一日中ゴロゴロするのも気持ち良いですよ」


菜種がにこにこ笑った。


「いや、有休は取りにくい空気でね……」

「有休は労働者の権利ですよ?

あなたはきっと完璧主義者で頑張り過ぎなんです。

空気読むのと自分の健康、どっちが大事なんですか?」


菜種が問うと、(たけし)は苦笑した。


「うーん……前向きに検討してみるよ。

ちょっと元気が出た。

ありがとう、また来るよ」


そう言って(たけし)は帰って行った。


「鬱病や発達障害になりたいなんて、変わった人でしたね」

「今は発達障害ブームだからね」

「発達障害ブーム?」


桜は鸚鵡返しにした。


「ブームというと語弊があるかな。

でもね、精神科の患者にはある程度流行というか、ブームみたいな物があるんだ。

少し前は鬱病、今は発達障害。

鬱病は真面目な人がなる病気、発達障害だから仕方ない。

生き辛い健常者から見た場合、テレビでも盛んに取り上げられてて、ある意味他の精神疾患より偏見が少ない。

当然偏見はゼロじゃないけどね。

生き辛さに免罪符が欲しい人達で最近の精神科は溢れてるらしいよ」

「そうなんですか」

「そ。待合室で待ってる時、発達障害の診断が下りなかったんだろうな、『じゃあ私が空気が読めなくて片付け出来ないのは私がダメ人間だからだって言うんですか!?こんな病院、二度と来ないわ!』って金切声で叫んでるのが診察室から聞こえてきたよ」


そう言って冬夜(とうや)はカクテルグラスを傾ける。


「俺はちょっとだけ分かるよ、彼の気持ち」


冬夜(とうや)がポツリと呟いた。


「双極性障害だって診断された時、正直ホッとしたんだ。

俺は元々アパレル関係でサラリーマンしてたんだけど、朝具合が悪くて起きれない日が続いてね。

内科に掛かっても異常無し。

栄養ドリンク飲んでやっとの思いで職場に行ってた。

毎日死にたくてしょうがなかった。

幾つ目かの病院で心療内科を紹介されてね。

双極性障害だと診断された時……俺は怠けていた訳じゃないんだ、これは病気のせいなんだって……凄く安心したのを覚えてる」


冬夜(とうや)が笑った。


「許された気がしたんだ」

冬夜(とうや)さん……」



それから暫く経った頃。


「ねえ君、その料理一口くれないかい?」

「へ?」


少しみすぼらしい格好をした男性が桜達の目の前にある料理を指差して尋ねた。

男性の片手には大皿があり一口分ずつ、様々な料理が載っている。


「出たな、『妖怪一口くれ』」


冬夜(とうや)が笑った。

冬夜(とうや)が料理を一口分取り分ける。


「良いっすよ。

今日のディナーは豪華っすね、村崎さん」

「皆には感謝しかないよ。

この借りはいつか必ず返すつもりさ」


村崎が苦笑した。


「ありがとう、三人共」


礼を言うと、別なテーブルに村崎は移動した。


「今の、なんだったんですか?」

「通称サバイバー村崎。

彼はギャンブル依存性とアルコール依存性と統合でね、妄想で未来が分かると思い込んで大金を競馬に注ぎ込んでしまったのさ。

癌と糖尿病にもなり、奥さんにも逃げられ、最終的には闇金から金を借りてしまったんだ。

その返済に追われていて、金欠になるとああやって皆から一口ずつ夕食をカンパして貰うんだ」


「今は彼、ギャンブルも酒もやってないけどな」と料理を摘みながら冬夜(とうや)が笑う。


「それでついたあだ名が『妖怪一口くれ』って訳さ」

「苦労人なんですね」

「ええ、皆それを知ってるから咎めないんですよ」

「『問題の多い料理店』って訳ですね」

「そゆこと」



飲み終わり会計しようとした時だった。

(ずみ)がぶっきら棒に告げた。


「金ならもう貰ってる」

「誰から?」

「さっきお前らと一緒に飲んでたサラリーマンがお前らの分も払って行ったぞ」

「お礼、言い損ねちゃいましたね」

「ああ、だけど彼また来るって言ってただろ?

その時礼を言えば良いさ」

ここまで読んで頂きありがとうございました。

ブクマ・レビュー本当にありがとうございました!


生き辛い方はきっと頑張り過ぎなのだろうと思います。

例えば朝起きて出勤して帰って寝るだけの生活。

最近の日本では生きる為に働くのではなく、仕事する為に生きてるような方も多いかと。

その上家事もやらないといけない。

心をすり減らして病気になるくらいなら、ちょっと位ズボラで良いと思います。


本音を隠して空気を読み過ぎる優しい人もきっと生き辛いだろうなあと思います。



発達障害といっても千差万別。

菜種は知能に問題は無いのですが、文字の読み間違いが多いタイプ。

その代わり光や色に過敏で色彩感覚に優れており、好きな事なら一つのことに何時間でも没頭できる子です。


発達障害の偉人って多いんですよ。

レオナルド・ダ・ヴィンチやエジソンだとか。

でも、実際に天才になれるのはほんの一握り。

鬱や適応障害なんかの二次障害になって苦労する方もいるのだとか。

短所が強みになるよう、社会の受け皿がもっと広がれば良いんですけどね。

最近はメディアでも積極的に取り上げられるようになって来ているので、世間の理解が深まって発達障害の方々が生き易くなると良いなと思います。

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