第15話 唐傘お化けの怪
久しぶりに美容室を予約した。
ネットの口コミで高評価の店だ。
初めて行く美容室に、少し緊張しながら入る。
椅子に座るとカットクロスを掛けられ、襟元にタオルを巻かれた。
髪を霧吹きで濡らしながら、お洒落な美容師が笑顔で話しかけてきた。
「京谷さんはお仕事は何をなさってるんですか?」
「トンボ玉作りの工房で働いているんです」
「へー、トンボ玉作り。職人さんなんですね〜」
「まだぺーぺーですけどね」
失業中の恐怖の呪文「お仕事何をやってるんですか」。
それを訊かれるのが怖くて美容室に行けなかった桜は、髪を自分で切っていた。
元々手先は器用な方だ。
スキバサミも持っている。
病気療養中は殆ど誰にも会わないからと適当に済ませていた。
何よりも、ただでさえ働けず親の経済的負担になっている自分が許せなくて、髪のカット代を親にねだるのが嫌だったのが大きい。
食費に換算すると何日分だろう、なんてしみったれた事を考えていた。
「今はカットクロスで隠れちゃってますけど、京谷さんのペンダント、トンボ玉でしたよね?」
「よく見てますね。初めて作ったトンボ玉なんです」
「そうなんですかー、思い入れもひとしおですよねー」
「はい。お守り代わりに毎日着けているんです」
「なんか良いですよね、そういうの」
苦手な美容師との会話も弾む。
セミロングからボブに切ってもらい、軽くゆるふわなパーマをかけて貰った。
鏡に映る自分は別人のように輝いて見えた。
「あれ、桜ちゃんイメチェン?
すっごく可愛いよ!」
「似合ってますよ、桜さん」
「えへへ、ありがとうございます」
「良いよ、凄く。あんた髪傷んでたからねー。
バッサリ切って良かったんじゃない?」
仲間達からも評判が良い。
冬夜が首を傾げる。
「でも、全然イメージ違うね。
どういう心境の変化?」
「今までは私なんかが可愛い格好するのは分不相応だって思ってたんです。
でも、いまは可愛くなりたいなって、素直に思えるようになって」
桜が照れ臭そうに笑った。
長い前髪で目を隠すのもやめた。
そしたら世界が明るくなった。
作業中にふと顔を上げた時だった。
「きゃあ!」
桜は目の前に居た珍妙な生物に短く悲鳴を上げた。
隣で作業していた冬夜が尋ねる。
「どしたの、桜ちゃん。虫でも出た?」
「げ、幻覚さんです……」
「そっか、怖いよね」
「怖かったというよりびっくりして……」
桜の前の作業台で作業していた紫苑が振り返った。
「どんなのが見えたの?」
「八本足の毛むくじゃらの唐傘お化けがこっち見て笑ったんです」
ドッと笑いが起こった。
棗が笑いながら疑問を呈する。
「八本足なら実は蛸なんじゃないか?」
「あはは、唐傘お化けって普通一本足でしょ?ケンケンしてる奴。八本足て」
「何処から毛ぇ生えてんの?全身?」
「毛むくじゃらの唐傘お化けってどんなのか想像も出来ませんね」
「え、見たい見たい!桜、ノートに描いてよ」
「俺も見たいな」
皆に請われて、桜は絵を描く事にした。
まず、桜はガスバーナーの炎を消した。
幻覚妄想ノートを取り出し、毛むくじゃらの唐傘お化けを黒のボールペンで写生していく。
「流石元デザイナー。絵上手いね」
「あーね、こんなの見えたんだ。迫力あるー」
「これは確かにびっくりするわね」
「なんていうか、ユーモラスですね」
「意外と可愛いかも」
紫苑がニヤリと笑った。
「ていうかこれさあ……」
「うん、俺も同じ事考えてた」
「なんですか?」
「……売れるんじゃない?」
紫苑の言葉に桜はポカンと呆けた。
「売れる?」
「そ。彩色してポストカードにしたら売れるよ。
スキャナもあるし」
「早速彩色してみてよ。
三階のアトリエに画用紙とか、絵の具とかパステルなんかの画材があるからさ」
周りを見回してみると、皆頷いていた。
売れると思っているらしい。
なんだか面白そうだ。
「その前に幻覚さん消して良いですか?」
「え!桜さん、幻覚さん自分で消せるの?」
「ちょっと変な動きになるので人前ではやらないようにしてるんですけど」
「変な事なら慣れてる」
「それな」
ここでは問題の多い料理店を自称するだけあり、突然奇声を発したり変な行動を取る人は多い。
幻聴さんに悪口を言われてうるさい!と叫んだりする職員がいるのも日常茶飯事だ。
左腕を真っ直ぐ伸ばし、軽く握った拳で唐傘お化けに照準を合わせる。
右手に力を込めつつ見えない矢を弓につがえるイメージをしながらゆっくりと弓を引き絞る動作をする。
——消えろ、消えろ。
そう念じながら唐傘お化けを真っ直ぐ見据える。
十分に集中し切った瞬間、見えない矢を放った。
唐傘お化けはすうっと消えていった。
桜は詰めていた息を吐いた。
「消えました」
「おおーなんか格好良い」
「弓を射る動作で消えるなんて新発見だな」
「個人差はあると思うけどね」
「フォーム、凛として綺麗だったです」
「あ、私、元弓道部です」
「意外〜。美術部じゃなくて体育会系なんだ」
「体育会系かっていうとちょっと……」
弓道部は体育会系なのかと問われると困惑する。
文化部ではないが、体育会系かと訊かれると違う気がするのだ。
「なんだ、言う程変じゃないじゃん」
「一般人の前でやったらドン引きですよ、どう考えても」
桜が明るく笑った。
ここではありのままを受け入れてくれる、そんな安心感。
それがとても居心地が良い。
「精神障害者の奇妙な行動って、自己流の『手当て』なんだよな」
「そうそう。一見支離滅裂でも、本人的には全部意味がある事なんだよ」
「確かに私も変な行動を取った事があるわ。
身体に赤い糸が絡まっている幻覚さんがあったから、解こうとして病室内でずっーとくるくる回ってたわね」
そう言いながら花純がその場でくるくる回り出してみると、皆笑った。
階段を上って三階のアトリエに行く。
鉛筆、木炭、水彩色鉛筆、パステル、水彩絵の具、アクリル絵の具、油絵の具、ボールペン、コピック。
様々な画材が所狭しと並んでいる。
先程見た唐傘お化けの色を思い出しながらコピックを使って彩色していく。
小一時間で彩色は終わった。
スキャナでパソコンに画像を取り込み、レイアウトを整えレーザープリンタで試し刷りしてみた。
集まった仲間達から歓声が上がる。
「おおー、良い出来じゃないか」
「やっぱ色付いてると違うな」
「何枚印刷する?」
「試しに十枚で良いんじゃない?」
「オッケー」
長い毛をざんばら髪のように振り乱し、舌を出して笑う唐傘お化け。
おどろおどろしくも、何処か愛らしさのある妖怪のイラストは独特な魅力がある。
「本当に売れるでしょうか……」
「大丈夫、大丈夫!」
「あたし達を信じてよ」
「それじゃあ、店頭に並べてくるわね」
花純が透明なビニール袋に刷り上がったポストカードを入れると、カフェの美術・書籍コーナーにポストカードを並べに行った。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ブクマ・感想ありがとうございました!
統合失調症の幻覚は人によって色々な物が見えるらしいですね。
大抵、患者にとって恐ろしかったり、気味悪かったりするそうです。
それが良い方向に作用している人も居ます。
かの有名な草間彌生も統合失調症。
彼女の作品は独特な魅力があって素敵ですよね。




