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第11話 資本主義という病

朝八時に出勤し、午後五時終業。

カフェで時間を潰して、七時に終業する冬夜(とうや)紫苑(しおん)や他のメンバーと一緒に食事を摂って飲み会をする。

そんな生活が始まって三日目の事だった。



十二時の鐘が鳴る五分前、急にそれは現れた。

照明が眩しい。

脳がチカチカと忙しく、頭の中でノック式ボールペンをカチカチカチカチと高速で鳴らすような不快感。

音がグワングワンと反響する。

周りの音がゲシュタルト崩壊したように上手く拾えず、耳を通過していく。

具合が悪くなってきた。

作業台の下のロッカーから鞄を出し薬袋を取り出すと、抗不安薬を一錠ペットボトルのお茶で流し込む。

隣で作業中だった冬夜(とうや)が尋ねてきた。


「それ頓服(とんぷく)?」

「はい」

「桜ちゃん、具合悪いなら帰った方が良いよ」

「まだ頑張れます!」

「頑張っちゃダメ。ほら、帰る」


手を引いて立たされ、背中を押される。


「でも……」

「あ、ご飯食べてから帰る?それだったら俺も早めに休憩取って……」

「そうじゃなくて!ちょっと休めば仕事できます!」


冬夜(とうや)が優しい声で諭す。


「ガスバーナー使ってるんだから集中力切れてる状態じゃ危ないでしょ。

安心して早退しなよ」


肩を抱いた冬夜(とうや)に有無を言わさず歩かされる。

カフェカウンターに連れて行かれた。


「桃花ー、桜ちゃん早退ー」

「あら、顔色真っ青ね。気を付けて帰るのよ」


そう言って茶封筒を渡された。

中身を確認すると一万円札が入っている。


「桃花さん、金額間違ってますよ。

半分しか働けてないので五千円の筈です」

「間違ってないわ。ウチは日給制だから」

「じゃあやっぱり仕事に戻ります。

中途半端なお仕事でお金は貰えませんから」

「桜ちゃん!」


冬夜(とうや)が珍しく声を荒げた。


「どうかしたのかね?」


カウンターでミルクティーを飲んでいた口髭の男性が尋ねた。

細身の身体で英国風トラッドスタイルに身を包んだお洒落な老紳士だ。


「あ、オーナー。新人ちゃんが真面目過ぎて困ってるんすよ」


冬夜(とうや)が事情を掻い摘んで説明する。

ふむふむ、と冬夜(とうや)の話を聞いていたオーナーは桜ににっこり笑いかけてきた。


「桜くんと言ったね。

初めまして、私はこの4Uのオーナー郡司(ぐんじ)藤四郎(とうしろう)だ」

「は、初めまして」

「ここで日給制を取っているのには訳がある。

障害者……特に、精神障害者にとって継続して長く働く事はとても難しい。

普通の人より疲れやすかったり、具合が悪くなりやすいからね。

時給制にしてしまうと生活が立ち行かなくなる者が出てくる」


藤四郎(とうしろう)はミルクティーを飲んで、カウンターの上で節くれだった長い両手の指を組んだ。


「世の中の大多数の障害者は貧困に喘いでいる。

生活保護や少ない障害年金で遣り繰りしている者が大勢居るのだよ。

働けている者でも都道府県の最低賃金しか貰えていない者も多い。

私はそんな現状を何とか変えたくてね。

だからここでは日給制を取っているんだ。

一日中働いても、半ドンでも賃金は一緒だからね。

安心してサボって良いんだよ」


藤四郎(とうしろう)がにっこり笑った。

しかし、桜には一つの疑問が浮かんだ。


「でも、そんな事したらみんな手を抜くんじゃないですか?」

「あっはっは。君はビョーキだね!」


藤四郎(とうしろう)が腹を抱えて笑った。

桜はほんの少しムッとした。


「確かに統合失調症ですけど……」

「統合失調症か。

つまり君は百人に一人の選ばれし勇者という訳だね。

いやしかし、私が言っている『ビョーキ』というのはそういう意味じゃない。

『資本主義』というビョーキだよ。

資本主義の亡者とでも言おうか」


一度言葉を切った藤四郎(とうしろう)が口髭を撫で付ける。


「君はここで何時間働きたいかね」


藤四郎(とうしろう)は澄んだ目で桜を見据えた。

なんだか試されているような気がした。

少し悩んでから、正直に答える。


「具合が良い時は、出来るだけ長く……目標は八時間です」

「そうだろう、そうだろう。皆そうなんだよ。

八時間キッカリ働く者が多い。

勿論、どうしても具合の悪い日はサボるがね」

「どうして皆手を抜かないんですか?」

「ここに来ている人達は社会のはみ出し者ばかりでね。

はみ出し者なりに、誰かの役に立ちたいと必死に足掻いている……ね」


藤四郎(とうしろう)の言葉に頷き、冬夜(とうや)が微笑んだ。


「皆、居場所が欲しいのさ。ここには居場所がある。

だから毎日自分に出来るだけの時間働く。

ここはそういう奴らの集まりだよ」

「桜くん、この職場の働き心地はどうかね?」

「凄く良いです!毎日来たいくらいです!」


桜は胸を張って答えた。

藤四郎(とうしろう)が嬉しそうに笑った。


「それは何よりだ。

従業員が『よし、今日も出勤したくなって来たぞ』ってなるような職場を作るのが経営者の仕事だからね。

さあ、今日はもう帰りなさい」

「……はい。お先に失礼します」


何処かに行っていた桃花が戻って来て、桜に一つの包みを差し出した。


「桜ちゃん、はい。これ」

「何ですか?」

「今日の賄い。包んで貰って来たわ。

お家に帰ったら食べなさいな」

「お気遣いありがとうございます、桃花さん」

「良いのよ。ゆっくり休んでね。また明日」


冬夜(とうや)が笑顔で桜の背を押した。


「家まで送るよ」

「それは悪いですよ」

「俺、休憩時間だし。一人で帰すの心配だから」

「ふふ……冬夜(とうや)、変な事しちゃダメよ?」

「わーってるって。

俺だって流石に病人に手は出さないよ。

弱ってる桜ちゃん、ちょっとグッと来るけど」

「と・う・や?」

「ひっ!冗談!冗談だって桃花!」


冬夜(とうや)が本気で怯えた顔をした。

バス停でバスに乗り、揺られる事五分。

桜がビクリと肩を震わせた。


「どしたの、桜ちゃん」

「あ……バス停の所に幻覚が見えてて……」

「どんな?」

「黒いのっぺらぼうです。

あ、嫌だバスに乗って来た……」

「何それ、怖っ。

でも大丈夫、俺がついてるからね」


ギュッと手を握られた。

冬夜(とうや)の体温が伝わってくる。

冬夜(とうや)のお陰で桜はほんの少しだけ安心した。

黒いのっぺらぼうは吊革に掴まって立っている。

猫背で斜めに立っているそれは、顔は無いが確かにこちらを見ている。


隣に座った冬夜(とうや)が心配そうに桜を見つめていた。

桜は言いにくそうに口を開いた。


冬夜(とうや)さん、申し訳無いんですけど、あんまりこっち見ないで貰えると助かります」

「どうして?」

「具合悪い時って、人の顔が怖いんです。

般若みたいに歪んで見えたりするんです」

「それは嫌だね」

「あと、物凄く視線が気になるというか。

一時的な視線恐怖症になるんです」

「わかった。じゃあそっち見ないようにしてるね」

「ありがとうございます」

「ううん、気にしなくて良いんだよ」


いくつかのバス停を通過して五十五分後、桜の家の最寄りのバス停のアナウンスが流れる。

ボタンを押す。

降車してからも冬夜(とうや)と手を繋いで歩いた。

後ろからペタ、ペタと足音が聞こえる。

振り返ると十メートル程後方に黒いのっぺらぼうは居た。


「ずっとついてくる……」

「それは怖いねえ。大変だね、統合は」


家に辿り着いた。


「それじゃあ桜ちゃん。戸締りはしっかりね。

ゆっくり休んでね」

「はい。送って下さってありがとうございました」


玄関の鍵を開け、中に入るとすぐに鍵を閉めた。

桜の両親は共働きの為、家の中には誰も居ない。


ダイニングで桃花から渡された包みを開ける。

今日の賄いは肉じゃがだった。

まだホカホカと湯気を立てており、温かい。


黒い影が窓の外から覗いている。

幻覚が見えないように、桜は昼間なのにカーテンを閉めた。

肉じゃがを食べ終え、空になった発泡スチロールのパックをゴミ箱に捨てる。

味はよく分からなかった。

具合が悪い時は味覚が鈍くなるのだ。


自室に戻るとノロノロと着替えベッドに横になり、目を閉じる。

瞼の裏に毒々しい花が次から次へと咲くのが見える。

チャカチャカと忙しい幻覚が鬱陶しくて目を開けた。

顔の無い黒い人影が口を開けて至近距離で桜の顔を覗き込んでいた。ギザギザの歯が見える。


「きゃあああああぁ!!」


思わず上げた悲鳴。


これは幻覚これは幻覚。

これは幻覚。


桜は布団を頭まで被った。

やがて疲れ切って眠りにつくまで、桜は恐怖で顔を紙屑のようにクシャクシャにしてガタガタ震えていた。

ここまで読んで頂きありがとうございました。


カフェ4Uで採用している安心してサボれるお給料制度は現実的には不可能だろうなあと思います。

4Uの入社は基本的に紹介制で、性善説に基づいているので。

でも、フィクションの中でくらい夢見たい!って事で採用。


毎日お仕事して社会の役に立つことって、当たり前だけどとっても大事。

休職中の『何者でもない自分』程辛い物って無いと思います。

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