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第9話 ミルフィオリと世界の秘密

翌朝八時に出勤すると、カフェは既に開いており、モーニングを食べている客で賑わっていた。

しかし、工房には誰も居なかった。


作業台下のロッカーに荷物を仕舞い、エプロンとゴーグルを取り出す。

タイマーをセットすると、桜は冬夜(とうや)を待つ間、芯棒に離型剤を付けては乾かす作業を続けていた。

百本を作り置きした所で一旦作業終了。

予め用意されていたミルフィオリを使ってトンボ玉作りに入る。


パラパラと疎らに人が集まり始めたのは九時過ぎ。

十時過ぎに冬夜(とうや)が現れた。


「おはよう。早いね、桜ちゃん。何時に来たの?」

「八時です」

「あはは、誰も居なかったんじゃない?」

「はい、びっくりしました」

「俺の方がびっくりだよ。早起きなんだね」


冬夜(とうや)が笑顔で綺麗にラッピングされた小包を差し出してきた。


「じゃーん!プレゼント。開けてみて」

「そんな、受け取れません。申し訳ないです」

「良いから良いから!

開けてから受け取るか選んでよ」


渋々、包みを開ける。

そこに入っていたのは、シンプルな桜色のトンボ玉のペンダントだった。

このトンボ玉には見覚えがある。


「これ、昨日桜ちゃんが初めて作ったトンボ玉。

アクセサリー部門の子にペンダントにして貰ったんだ」

「貰って良いんですか?」

「うん。記念にね。

どう?気に入ってくれた?」

「はい!ありがとうございます!」


これなら受け取れる。


「つけてあげるね」


そう言って冬夜(とうや)はトンボ玉のペンダントを箱から取り出す。

何故か前から抱き締めるような姿勢でペンダントをつけてきた。

こういうのって普通後ろからつけるんじゃないだろうか。

急に距離が縮まってドキドキする。

冬夜(とうや)から淡く爽やかな香水の匂いがする。


「あ痛!」


冬夜(とうや)が叫んだ。

冬夜(とうや)は後頭部を押さえている。

見ると紫苑(しおん)が冬夜の後ろに立っていた。


「あんたが馬鹿やってるからだよ。桜、大丈夫?」

「あ、はい」

「もー、紫苑(しおん)は乱暴なんだからー」

「今のはあんたが悪い」

「ちぇっ」



冬夜(とうや)と一緒にガラスロッドを選ぶ。


「まずは一番簡単な花のミルフィオリ作りから。

好きな色の花びら用ガラスロッドと花芯用の黄色を選んでね」


選び終えると、作業台の下の引出しから大振りのペンチのような物を冬夜(とうや)が取り出した。

先には刃が付いている。


「ガラス切りでガラスロッドを十センチ程度に切って、ガラスロッドを花の形に束ねる。

真ん中が黄色の花芯になるようにしてね。

次にこのポンテにクリアガラスで玉を作る」


ポンテとは先に薄く小さな円盤のついた金属の棒だ。


「束ねた花の上にポンテを乗せる。

溶かして馴染ませたらクリアガラスで全体を覆うんだ。

先を滑らかに収束させて、もう一本のポンテを取り付け真っ直ぐ引っ張る。

捻じれないように気を付けてね」


溶けた十センチ程のガラスロッドを一気に引っ張る冬夜(とうや)

ガラスは細く長く引き伸ばされた。

まるで飴細工を見ているようだ。


「あとは金太郎飴みたいに切ったら出来上がりだよ。

どう?やれそうかい?」

「やってみます!」


冬夜(とうや)はいとも簡単にやってのけたが、これがかなり難しい。

ただのトンボ玉作りと違い非常に難しく、冷ましてから切ってみると花は歪な形になってしまっていた。


「初めてにしては上手だよ。

後は練習あるのみ!

一緒に頑張ろうね、桜ちゃん」


ガラスロッドを十本ほど駄目にした所でやっと綺麗な花が出来た。


「おおー、吞み込み早いね、桜ちゃん!

凄い凄い!」

「良かった。これなら使えそうですね」

「うん、全然オッケー。頑張ったね」


コツを掴めたのか、それからは失敗しなくなった。

花のミルフィオリを器一つ分作り、水中花のトンボ玉を製作していく。



鳴り響く十二時の鐘。

作業を中断し、冬夜(とうや)と共に食堂へ入る。

今日は鯖の味噌煮定食だ。

冬夜(とうや)と桜は花純(かすみ)(さかき)が居る席の前に座った。

(さかき)が笑顔で手を挙げた。


「よう、桜さん正式採用になったんだな、おめでとう」

「ありがとうございます。

これからよろしくお願いします」


ぺこりと頭を下げる。

花純(かすみ)が重々しく口を開いた。


「桜さん知りたい?世界の秘密」

「世界の秘密?」

「私、世界の仕組みが分かってしまったの」


囁くような声だった。


「世界の仕組み?」

「そう、宇宙が誕生して百億年後地球が誕生した。

今から四十六億年前の話よ。

そして長い時間の後人類が生まれた。

人類の歴史の中で現れては消える天才達。

天才達の寿命は短いわ。

けれど世の中が混沌とした時には必ず指導者が現れる。

それが何故なのか知ってしまったの。

『彼等』の仕業なのよ……神の見えざる手とでも言えばいいかしら。

そして私が生まれた事にも私の旦那の(さかき)が生まれて出会った事にも意味があるの。

勿論あなたと出会えた事にも。全ては必然なの」


桜は反応に困った。

一体全体、何の話をされているんだろう。


「お二人、ご夫婦だったんですね」


一番無難だと思う答えを返した。


「そう。大恋愛の末、運命的に結婚したの」

「4U皆で見守ってたから、結婚式は感動的だったなー」


頬杖をついた冬夜(とうや)がニヤニヤ笑った。

言われてみれば、二人の左手薬指にはお揃いの結婚指輪が光っている。


「すべては啓示。

けれど読み解き方は教えられないわ。

ある日突然悟る物だから。

林檎の味を説明しても林檎の味が口の中に広がらないのと同じ事。

どれだけ言葉を尽くしても叡智は伝承出来ないわ」


(さかき)は熱っぽく語り続ける花純(かすみ)を優しい目で見ている。

いつ息継ぎをしているのか、花純(かすみ)は興奮気味で一方的に喋り倒す。


「これを知ればあなたも公安やCIAから狙われる事になる。だからこれ以上は話せないわあなたの安全のためにも」

「公安?CIA?」

「そう、何百人も動員して集団で私の事を尾行するの。

毎日入れ替わり立ち替わり集団ストーカーが私の事を監視しているのよ。

ゾロ目のナンバープレートのカルトカーがよく家の前を通ってたけれど最近はヘリで監視してる。

私の周りで咳払いをしたり洟をすすったりペットボトルのお茶を飲んだりして仲間内にしか分からない合図を出すの」


桜は曖昧に相槌を打った。

妄想話には否定も肯定もしてはいけない。

否定すると、『自分』を理解して貰えなかったと患者は悲しみ、肯定すると妄想がより強固になるからだ。

話を途中で遮るのもバツ。

患者が納得するまで話を聞いてあげる事で患者が楽になるからだ。


「それでも私は負けないわ。

これが私の運命で使命だから。

相手がどんなに大きな組織でも私は平和主義だから決して攻撃しない。

ほらそこの掲示板。

そこから『彼等』が私に秘密のメッセージを送って来るの」


指し示されたのは至って普通の掲示板だ。

お知らせや催し物、落し物のリストが貼り出されている。

掲示板……啓示。


——ああ、成る程。連合弛緩と関係妄想か。


桜は得心がいった。


『今日は晴れですね。

晴れといえば、僕の誕生日は来月だけど君はお肉が好き?』


この一文を目にした事は無いだろうか。

これは一見支離滅裂だが、本人的には意味が通っている一文だ。

この一文を解説すると、晴れ→祝い事の『ハレの日』→誕生日→ご馳走→お肉だ。

『心の病と精神医学』という本の中の統合失調症を解説する一節なのだが、非常に良く出来た統合失調症らしい一文だ。


統合失調症の連合弛緩では、次から次へと関連する単語が浮かぶ事がある。

感覚としては連想ゲームや駄洒落に近い。


花純(かすみ)にとっては『ケイジ』バンから神の『啓示』が来るのは真実なのだ。


関係妄想とは自分と関係の無い物事を全て自分と関連付けて考えてしまう妄想の事である。

こうなると、目に映る全ての事がメッセージに感じてしまう状態になる。

掲示板やテレビの放送、新聞、ツイッターやウェブサイト、流行歌、果ては空を飛ぶヘリコプターや道行く人々の何気無い行動一つ一つまでが意味ありげに感じられるのだ。


花純(かすみ)はキチンと服薬していても恐らくこれ以上治らない。

桜は優しく微笑んだ。


花純(かすみ)さん、苦労してますねえ」

「ふふ、褒められちゃった。ねえ聞いた、(さかき)?」

「ああ、聞いてるよ。良かったね」


(さかき)が愛おしそうに花純(かすみ)の頭を撫でた。

ここまで読んで頂きありがとうございました。


花純の妄想話は統合失調感情障害のリア友の話がモデルになっています。

「私、世界の仕組みが分かっちゃった!」と嬉しそうに報告されたのでどんな?と訊いてみると、「いや、分かるんだ……」と恍惚としていました。

なんだか楽しそうだったのでよく覚えています。


支離滅裂パロの元ネタの解説も入れました。

あのぽかんとした顔のイラスト、なんとかなりませんかね……

実際の患者はああじゃないよ!って思います。


実際にそうでないのに「誰かに命を狙われている」だとか、「集団ストーカー」という言葉を発している方が身近にいらっしゃる場合、なんとか医療機関に繋いであげて下さい。

ほぼ100%統合失調症なので。

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