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手の中の火花 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 お〜い、つぶらや。どれくらい片付いたよ? 

 ――ペットボトル30本分? あとひと山くらいある?

 や〜れやれ、ずいぶんと溜め込んだもんだ。とにかく今日中にかたしておかないとな。ゴミ捨ても近いし。

 こいつら、数を増やさないうちに対処しておきたいものだな、つぶらやよ? 人間って自分の手に負える量ならやる気がでるが、圧倒的な数を見せられると、たいていモチベーションが下がるんだよな。

 勝ち目のなさそうな戦い。あったとしても多大な消耗を強いられそうな戦いは、避ける方が長生きできる。怠慢精神というのも、古くから続く生存本能の表れなのかもな。

 ――人の家にやって来て、進んで掃除をする物好きのセリフとは思えない?

 ま、今の話をすりゃそう感じるだろうな。だが、俺にとってはこの掃除こそ、生存本能の発露って奴だ。そのおこりの話を聞いてみるか?


 俺には小さい時に遊んでもらった、近所のお兄さんがいる。当時、お兄さんは大学受験を二度失敗していて、浪人の身だった。せまいボロアパートを借りての自宅浪人。外に出る回数も多くはない。

 じゃあ勉強しているかっていうと、これが全然していなかった。お兄さんいわく、


「去年はセンターの二週間前まで勉強ゼロ。それから頑張って、5点足りなかった。だったら今年はセンターの三週間前スタートで受かる受かる。それまでは自由を謳歌するんだ。自分のことは自分でわかるんだ」


 聞いていて、九割がたハテナマークが出る理論だったが、残り一割で、何となく心境が理解できた。

 夏休みの宿題にまったく手をつけなかったとして、何日残っていれば終わらせることができるか、だいたい分かってしまった人。もしくは火事場のバカ力で解決してきたから、「案外、俺ってできるじゃん」と、他人には絶対に分からない自信を持ってしまった人。その手合いだろうと。

 

 親はお兄さんが浪人していると聞くと、あまりいい顔をしなかった。けれども俺にとってはしょっちゅう遊び相手になってくれるいい人という認識。遊びに誘おうとした友達の都合がことごとく悪い時、俺はお兄さんの部屋にお邪魔していた。

 お兄さんの部屋はワンルーム。風呂、キッチン、服装にもこだわりはなく、家具さえあれば何とかなるという生活。おそらく大学に合格したらすぐに引き払えるようにしていたんじゃないかと思う。

 そこで俺はお兄さんから、主にインドアの遊びを伝授してもらったんだが、ひとつ気になることがあった。

 お兄さんの部屋はベランダの窓以外にも、ベッドの脇の壁に明り採り用の窓があるんだが、その手前にペットボトルが数本置かれているんだ。底から二分目くらいまでに、かすかに水が溜まっている。

 猫よけかと最初は思った。水の入ったペットボトルを置いておくと、太陽の光がそれに反射して、キラキラする。猫はそれを嫌って近づかなくなると、聞いたことがあった。

 だが、実際に近所の猫は、ペットボトルの並んだブロック塀の上をひょいひょい歩いていて、効果のほどは定かじゃない。そもそもお兄さんの場合は、猫が通る屋外ではなく、屋内に置いている。

 

「気になるかい? あのペットボトル」


 声に出さない俺の疑問を、お兄さんは拾った。

 あぐらをかいていた畳の上から立ち上がる。藍色のジャージに身を包み、髪はぼさぼさ。ひげの剃り跡も青々しい。お兄さんがいうには「俺の籠城スタイル」なのだとか。

 歳だってもう20になったと聞いたし、10歳になる手前だった俺は、やっぱり20歳以上は違う生き物なのかなあ、とぼんやり感じた。


 お兄さんが並べた500ミリペットボトルのうち、ベランダに置いてある一本を手に取って戻って来る。近づいてくるペットボトルを見て、俺は少し身を引いちまった。

 ペットボトルの底に、黒に近い深緑の草原が張り付いている。カビかコケに見えたな。それが水の中で揺れている様は、藻のようだった。よく見ると、他のペットボトルも水やカビの量に違いはあるものの、同じような状態になっていたんだ。

 一体、何年ペットボトルを水入れたまま放置していたらこうなるのか。外から入れたら入れたで汚いことに変わりない。俺の中で、不快指数が上がっていく。

 そんな俺の心情を察しているのかいないのか、お兄さんは語り始める。


「二年前。まだ現役生の時だ。自分の部屋で勉強するのが常だった俺は、しばしば夜食を持ち込んでいた。ペットボトル飲料だってお友達だ。洗いに行く手間も惜しく、俺の部屋はペットボトルでいっぱいになっていたよ。立てていたもの、横倒しにしていたもの、いろいろあったな。その立てていたもののうち、いくつかにこいつが現れた」


 表情が悦に入っているお兄さん。不潔を賛美するかのような物言いに、俺は幻滅の色を隠せなかったが、話は続く。


「最初はこいつを取り出そうと思ったが、無理だった。水洗いをしても、さいばしを突っ込んではがそうとしても、こいつははがれなかった。石鹸やアルコールも効果なしだ。その頑固さ、カビや汚れじゃないと思ったなあ。そして中の水を捨てても、数日後にはこの有様だ。よっぽどの汗っかきらしい」


「観察してないでさ、ペットボトルごと捨てなよ、そんなの。引っ越し先まで連れて来るとか、趣味悪すぎ」


 ついに突っ込んでやったけど、お兄さんは「俺は無実だ」と言わんばかりに、胸の前で両手を振る。


「こいつらはここで発生した奴だ。ペットボトルを換えても出てくる。そう考えると、原因はどうやら俺か、俺の周りにあるらしい。困ったもんだが、少し前にもう一つ気づいたことがある。最近の注目はそっちだ」


 お兄さんは目の前の机の上にペットボトルを置くと、今度は部屋のカーテンを閉め始めた。最後に、昼間にも関わらずつけていた室内灯を消す。部屋の中は闇に包まれた……ただ一点を残して。

 それは先ほど置かれたペットボトルの中身。今度は口に近い部分だった。

 線香花火。俺の第一印象がそれだ。火花が激しく散っているように見えた。

 だが線香花火ならば、中心となる火球がある。そこを起点に火花が散るはずなのに、その存在がない。火花たちは思い思いにペットボトルの中で弾けている。いや、空間を走っていると表現した方が良かったかもしれない。

 意思を持っているかのように、生き生きとした動き。見ると、先ほどのペットボトルたちの中でも、火の粉たちが踊っている。それでいて、どれも一向に収まる気配を見せない。音も立てない。


「……いくら水で洗っても駄目なんだよ。底に張り付いたカビと一緒だ。消えないんだ。でも良かった。君にも見えたようだね。今まで他の人に見せたことがなかったからね。もしかしたら俺の妄想や幻覚じゃないか、とちょっと心配だったんだよ」


 お兄さんが部屋の明かりをつけると、火花たちはまた見えなくなってしまった。カーテンを開けつつ、お兄さんは言葉を継ぐ。


「この花火らしきものが何なのか、俺は興味がある。だから、こうして取っているんだ。一度見つけた以上、離れるのは危ない気がするんでね。監視できるところに置いておきたいんだ」


 俺はその日から、お兄さんの部屋には行かなくなった。花火の姿には少し目を奪われたが、最初に抱いた、汚いという気持ちを拭うことはできなかったよ。

 だが、お兄さんとはそれからも近所で何度か顔を合わせた。いつも通りのジャージ姿だが、見るたび少しずつ痩せているように見えたよ。運動していないとしたら、逆に太りそうなものなのに。

 お兄さんは俺に合うと、何よりも先にペットボトルの様子を話してくれた。あれから色々な手段を取ったが、底のカビは取れず、水も出続けたらしい。ただ、火花に関しては俺が見せてもらった時よりも、少しずつ勢いが弱まっているとのこと。

 もう、ずっとフタをしているんだ。燃えるものがなくなっているんだろう、とお兄さんは話していたよ。異状なのは変わりなかったけれど。

 そして最後にお兄さんとあったのが、年の暮れ。お兄さんもジャージの下に、ダウンジャケットという妙ちきりんな格好をしていた。あのペットボトルの火花はすっかり元気がなくなってしまって、それこそ線香花火の消え際くらいだという。

 それからお兄さんは、「これから勉強に集中する。受験が終わるまで合わないだろう」と言い残して、部屋へ戻っていったよ。


 実際、それからお兄さんに会うことはなかった。受験の当日に、いなくなってしまったんだよ、部屋から。

 春になっても、お兄さんは帰って来なかった。やがてお兄さんの親から大家さんに連絡があったみたいで、部屋が改められた。聞いた話だと、お兄さんの私物はそのまま、そして窓際にはふたを閉めたペットボトルがたくさんあって、いずれも中には白い煙が充満していたとのことだ。

 お兄さんは、あの火花と共に燃え尽きてしまったのかもしれない、と俺は思ったよ。

 だから俺は、ペットボトルをそのまま放置はしていたくないんだ。



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