走る僕
最初に調査した娼館だけでなく、その次も。
ならず者一歩手前な風貌の傭兵団や、粉挽き部屋まで。
その内訳も、獣人奴隷だけでなく、犯罪奴隷、農奴に至るまで広範だ。
『奴隷消失事件』の被害は想定されていた以上に深刻で、どこもほとんど痕跡を残さずに消えている。
奴隷のその後の足取りが不明だというのも共通している。
どれも最初に見て回った娼館と同じで、認識阻害と契約破棄の残滓がなんとか観測できた。場所によっては結界のようなものの痕跡が見つかることもあった。
結界が事件に関わりがあるかどうかは不明だが、認識阻害と契約破棄のほうは、もうほぼ間違いないと言えるだろう。
「実のところ、オスカーに依頼する前から何者かの手引きによる逃走だという予測はすでに立てられていてね。
理由としてはいくつかあるが、まず被害の時期が偏っているということ。そして最初はキシンタ、そこからだんだん西へと被害が移り、いまガムレルでこの事件が起きていること。被害が西へ移るにつれ、キシンタなど元の場所での被害報告がなくなったこと。
これらによって、同一の、単一の者による手引きであろうという推測が、目下支持されているらしい」
「先に言えよ」
僕が調べる前から、ある程度の当たりがついていたということではないか。
それならば、それに絞って調べればもっと楽ができたかもしれないのに。
「すまない。君に余計な先入観を与えたくなかった。それに、推測は推測にすぎない。物証は無いに等しかったからね」
「まあ僕が今まで調べ回って出した結論との相違も見当たらないけどさぁ」
苦笑いで再度すまない、と詫びるカイマンに肩を竦めることで応える僕。
「経済的にも被害が深刻だ。失踪した奴隷自体の損失はもとより、被害を警戒して奴隷だけで外で仕事をさせることができなくなっているのが痛い。
それを嘲笑うかのように、警戒の薄いところの奴隷が失踪する憂き目に遭っているのだが」
「そりゃまぁ、そうだろうな。
奴隷は言い方は悪いけど大きな財産には違いない。
かといって仕事をさせられない状況でも腹は減る。影響は大きいんだろうな」
「ああ。その通りだ。
被害がガムレルに留まらず、やがて王都へ、なんてことになったら受ける経済的打撃は計り知れない」
きつい仕事、人がやりたがらない仕事、危ない仕事は奴隷に頼るところが大きい。
位の高い多くの人間の暮らす王都ともなれば、それはなおさらのことだろう。
金があり位も高い者たち自らが、命をすり減らすような仕事をするべくもない。
それを一手に担う奴隷たちが消えるとなれば、遠からず都市機能は麻痺してしまう。
「父上に頼み込んで聞いたところによると、失踪した、奴隷だったものたちが徒党を組んで反乱することを恐れた一部貴族からは『逃走されるくらいであれば、その前に処分してしまえ』などという過激な意見もあるというんだ。
処分とまではいかなくとも、一カ所に収監して、囮として使おうという意見も支持を集めつつあるらしい」
「そうなると、奴隷との軋轢がより深まる、か」
労働力が減るというだけでも由々しき事態なのだが、仮に事件が解決したあとにも、拡がってしまった軋轢が元どおりになるなんてことはあり得ない。
どう転んでも、実に困ったことになる。
シンドリヒト王国でのクーデターのような、遠くの地で起こったいざこざだけでなく、この件を噂であれ知っている者達が、工房の商品を買い求めるのも無理からぬことであった。
――そう、工房。工房だ。
うちのアーニャたちは僕らにとっては家族だ。少なくとも僕はそのように接しているつもりだ。しかし、対外的には奴隷として見られる。
何者かによる『失踪』が、拉致のようなものであるならば、彼女たちに累が及ばないとも限らない。
背中に冷たいものが流れる。
『アーニャ。今、何してる?』
まだ何か話を続けているカイマンを完全に意識の外に放り出し、"念話"で彼女らの無事を確認する僕。
ほどなくして、応答はあった。
『おぉ!? カーくんか。ちょうどいいタイミングやったからびっくりしたわ。
今か? 今はちょっときゅーけーで店入って、シャロちゃんと麦茶飲もうとしとるとこやで。なんなん、ウチの声が聞きたくなったとか?』
『まあ、そんなとこ。麦茶って、どうせ麦酒だろ』
『あにゃ、バレた? それよかカーくんがウチの声聞きたいやなんて。
シャロちゃんにも聞かせたげたかったにゃあ。これはウチも嫁に迎えられる日が近いかなぁなんて、にゃははは』
『そっちはシャロンがいるなら大丈夫か。邪魔したな。飲むのもほどほどにな』
『お姉ちゃん照れちゃうにゃぁ。なぁカーくん。あれ、カーくん? おーい。おーい!? ちょぉ、なんなん、カーくんってばぁ! もぉ!』
最後のほう、会話が噛み合っていなかった感もあったがアーニャはシャロンが一緒にいる。
シャロンが居れば、滅多なことはないだろう。というよりシャロンでどうにもならない状況であれば、僕がいてもどうしようもない公算が高い。
「聞いているか? オスカー。
あと1件回れば今日のところは終わりだ。情報をまとめて、また近日中に方策を練ることになるだろう」
「ああ悪い、あまり聞いてなかった。
ちょっとアーシャたちにも連絡取るから待っててくれ」
「連絡? 『あなたの脳内に直接語りかけています』とか言うあれか。
あれ、もう少しどうにかならないか。突然すぎて身構えるも何もないのだが」
「常に身構えてれば大丈夫だろ」
対策とは呼べないような適当な対策を口にしつつ、アーシャに呼びかける。
『アーシャ、今――あれ。アーシャ?』
手応えがない。
反応がないのとは違う。
届いていない、宛先が見つけられていない、探知圏外に居るかのような、そういった手応えの無さだ。
『ラシュ、聞こえ――ラシュ、っくそ、こっちもか!!』
嫌な予感に、足元から総毛立つ。
「工房に、戻らないと」
「ん? どうしたオスカー」
怪訝そうな目を向けてくる美青年に、説明している時間が惜しい。
無詠唱で"肉体強化"を二重詠唱。片方はカイマンに掛ける、というわけではない。その対象は両方とも自分自身だ。
白紫の燐光が迸り、僕の身体をくまなく覆う。
ガガッ!!
身をかがめ十分に力を溜め込み――、強く地面を蹴りつけ、跳ぶ。目指すは屋根の上。
一回だけの"肉体強化"では、僕にはアーニャのような芸当はできない。たとえば一息で屋根の上まで跳び上がるとかがそうだ。
しかし普通に道を走っていては道ゆく人や馬車が邪魔だ。
カイマンが下から何か大声を張り上げるが、「工房に戻る!」と吠え返し、その時にはもう走り出していた。
屋根を伝い、通りを跳び超え、遮るもののいない空間をただ走る、疾る。
"肉体強化"は身体の力を限界に近いほどにまで引き出す。つまり、体に負担を強いるものと言える。
それを二重だ。通常使用で限界を引き出す魔術は、二重詠唱でさらに限界を超えた力を引き出す。
無理をさせすぎて耐えきれない負荷は"治癒"で補い続けながら跳び、走り、さらに跳ぶ。
早く、速く。
一瞬でもはやく、工房へ。
ギリッ
噛みしめる歯の隙間から、舌が不快な鉄の味を訴える。
"治癒"魔術は本来、極度の集中と緻密な観察を要するものだ。"全知"による魔術の構造理解、および人体構造の把握ができ、強大な魔力の貯蔵量を得た今でも、それは変わることがない。
だからそれは、より正確性を高めるならば"治癒"などという高尚なものではない。ただ破れた部分を塞ぎ、ちぎれた部分を繋いだだけで、走る。走る。走れ!
「くはっ」
息が漏れ、夥しい量の汗を飛び散らせながら、駆ける。町の広さが今は恨めしい。
ちぎれた筋肉を繋ぎ、またちぎれ。走るのに不要な部分は放置して構わない。
矢のように流れる景色や洗濯物を置き去りに、ともすれば縺れそうになる足を叱咤しなおも走る。
視界の隅に、朱が散っていく。血か。
一度に多量の魔力を使ったことで鼻血が出ているらしい。
いかなる事態にも対応できるよう、"全知"の眼鏡も着けたままだ。いかに膨大な魔力貯蔵量があっても、それを取り出す負荷は掛かり続ける。
しかし、そんなことはどうでもいい。鼻血が出ていようとも走ることに支障はないのだから。
切れた足の筋組織を瞬時に"治癒"ぎ合わせ、断裂の激痛、無理な回復の激痛、肉体の酷使による激痛と倦怠感を全て同時に受けながら、なおも走る。
東門付近に居たのが悔やまれる。西寄りに位置する工房までが、ひどく遠い。
"転移"の魔道具を作っておくべきだった。
必要とする魔力量が半端な量ではきかないため、"転移"は呪文紙にすることはできない。
魔結晶のインクだけでは、到底必要な魔力量を賄えないためだ。
そのうえ、術式も複雑極まる。
大きな魔力結晶自体に緻密な術式を刻み込んでいけば、ようやく実現できるだろうか、というような代物である。
そうまでしたところで、"転移"できる先は予め術式に刻み込んだ一箇所のみ。そして使い捨てとなるだろう。
得られる効果が労力に見合わないから、と製作しなかったことが今になって悔やまれる。
「間に合え、間に合え」
もう、誰も奪われたくない。
もう、誰も奪わせはしない。
頭の中はぐるぐる、ぐるぐる。
『奴隷失踪事件』、僕を逃した両親、一人佇むフリージア、腑の溢れた村人、墓、蛮族、アーシャにラシュ。
様々な光景がぶつ切りに、ぐるぐる、ぐるぐる駆け巡る。
口の中の鉄を吐き捨て、早馬の蹄よりなお早い心臓の鼓動を押さえつけ。視界の端が明滅しているのもご愛嬌だ。
遮るモノのない屋根を走り、跳んで、走って、また飛び移り。あまりに長い一瞬を駆け抜けて。
だん!
速度を殺すことなく飛び降りた衝撃で、路面はひび割れ、着地点周辺をたまたま歩いていた人物は悲鳴をあげて後ずさり、尻餅をついたまま逃げ去っていく。
"肉体強化"と"治癒"の燐光で白紫に輝く血まみれの男が突然頭上から降ってきたとなれば、それもいたしかたないことだろうが。
――余談になるが後日の夏の盛り頃には、路地に血の雨が降り、紫の炎を纏った屍に魅入られる、というオチなし怪談話がまことしやかに囁かれることになったりするのだった。無論、その時は完全に知らんぷりを決め込むことになるのだが。
情けない声を上げながら逃げ去る人々をそのままに、人気の絶えた路地の端には、開店中を示す看板のかかった見慣れた扉がある。
『奴隷失踪事件』に関わっていると思われる認識阻害がどれほどのものかはわからない。
いざとなったら"全知"の神名開帳を使うことに躊躇いはない。
扉を開けようとして、腕が上がらないことに気付く。
「チッ――!」
べしゃっと朱を路面に吐き捨てて、看板のかかった扉を体当たりする要領で勢いよく押しあける。
そうして、倒れこむようにして工房に踏み込むと、ツンと鼻を突くような独特の匂い。そして悲鳴が僕の耳を貫いた。
その悲鳴の主を、その声を、家族の声を、この僕が聞き間違えるはずがない。
カウンターのこちら側には、見知らぬ黒緑のローブを纏った人物。
それと対峙するように、カウンターの奥側には、木剣を構えて姉をその背に庇うラシュの姿。
そのさらに後ろでは、涙を湛えたその大きな目を見開き、いやいやと首を振る、悲鳴の主たるアーシャの姿があった。
――よかった。
――なんとか、間に合った、みたいだ。
ラシュの陰から飛び出したアーシャは、カウンターを超え、足をもつれさせながらも僕の元にまでたどり着き、腰辺り目掛けてがばっと縋り付いた。
腰に縋りつくアーシャをあまり動かない腕で軽く抱き返すと、その温かみがじんわりと伝わった。
今度は、奪われなかった。
――奪わせて、なるものか。
「――誰だ」
嗄れた、どす黒い声が漏れる。発した僕が驚くほどの、黒く、淀んだ声。
僕に縋り付くアーシャはびくりと飛び上がり、ラシュも驚きで目を見開かせる。
そのラシュと対峙していた黒緑のローブの人物も、ぎぎぎと音をさせるような動きでゆっくりとこちらを振り返る。
「誰だ、僕の家族をこんなに怯えさせたのは」
ふるふるしながら恐る恐る、僕にすがりついたままのアーシャが、答える。その震える指先は、僕を指差して。
「オスカーさま、なのっ!」




