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僕らのお風呂 そのよん

 だんだんと湯量が増していく様を、ラシュに呼ばれてやってきた――そして僕らの様子を覗き見をしていた――アーニャとアーシャは一心に、じぃっと見ている。


 黒猫像の口からだぱだぱと注ぎ込まれ続けるお湯は、出す時同様明示的に止めない限り、お湯が出続ける。

 しかし決して浴槽から溢れることはない。浴槽のあちこちに設けられた穴から随時階下に水が流れ込み、再度加熱されて再び猫の口から吐き出されてくることで、寒空の下でもずっと温かな状態を保っていられるのだ。



 お湯の出し方止め方や、そこらへんの説明を一通りするとアーニャはふむふむと頷いて応じる。

 何か作っても、もはや逐一驚かれたりはしない。慣れたものである。


「改めて見るとめっちゃでかいな!

 みんなで入れるやん」


 言うが早いか、室内履きや上着をぽいぽいとその場に脱ぎ捨てると、アーニャは浴槽に駆け寄り手で湯を掻き混ぜてみたりし出した。

 脱ぎ捨てられたそれらは、あとをついて歩くアーシャが拾い上げ、てきぱきと畳んで"倉庫"へと仕舞っていく。


 そのままズボンにまで手を掛けようとするので、僕はいそいそと退散して――服を掴まれた。


「ん? カーくんは入らへんの?

 こんなけでっかかったら、みんな一緒に入れんで」


「え、いや――」


 あっけらかんと言い放つアーニャに、反論する隙も与えずにシャロンも追随する。


「良い考えかもしれません。

 私たちはオスカーさんの嫁であり、家族なのですから。

 ね、アーシャさん」


「ふ、ふぇええ!?

 ちょ、ちょっと恥ずかしいけど……お背中流すの、がんばる、がんばるの……!」


「いや、ちょっと――」


 恥ずかしさからか頬を赤く染めながらも、体の前で小さく拳を握って気合いを示すアーシャ。

 しかしその目線はあらぬところを彷徨っており、目が合いそうになると勢いよくぴゃっと逸らされる。



「らっぴー、しっとりしてるね」


 我関せずとばかり、壁付近でぷるぷるしていたらっぴーをつんつんしていたラシュ。

 そのまま自然な動作でらっぴーをつまみ上げ、そろりそろりと階下へと去ろうと――したところを、またもアーニャによってガシッと掴まれる。


「せっかくやねんから、みんなではいろ?

 くさいお風呂のときは結局、カーくんもラッくんも入れへんかったしな」


 くさいお風呂、とは温泉での顛末のことだろう。

 女性陣が先に入浴をしていたため、僕らはその間警邏に当たっていたのだ。


 そのときの反省を活かし、僕らも入れるように、という心遣いはありがたい。が。


「猫人族の風習がどうなってるかはわからないけど、お風呂はふつう、男女別々で入るものなんだよ」


「ウチらの里では、お風呂って風習がそもそもないにゃあ。

 水浴びのときは家族だけやし、似たようなもんちゃうん?」


 僕らをちゃんと家族と認識してくれているのは喜ばしいことだが、それとこれとは話が別である。

 アーニャたちのアプローチに靡かない僕の様子は、一部の常連客から『若いのにかわいそう』だとか不能(あらぬ)疑いを掛けられていることも、"全知"によって僕の知るところとなっている。が、実際はそれなりに健全な男である。

 僕の嫁(シャロン)は、僕が健全な男であることはわかっているはずなのに、アーニャたちの好意を阻むつもりはないらしい。むしろ手助けしようとしているフシさえある。


 法的には、複数名の嫁を持つことにはなんら問題がない。無論、不自由なく養えることが前提となるが。

 そして獣人はそもそもヒトとしての枠組みに入れられていないため、いくら関係を持ったところで婚姻関係とは別とされる。愛着を持つのは自由だが、それは馬車を引く馬への愛情と変わりがなく、道具への愛着と同様とされる。

 "全知"によって見受けられる、彼女らの思考がそこいらの人間となんら変わらないために、僕としては道具扱いに徹することは難しいし、するつもりもないのだけれど。


 相手が人間として認められるかどうかは別問題としても、年頃の男女が一緒に風呂を楽しむというのは、それはもう小心者の僕としては耐えられる気がしないのである。


 隣でどう躱すかと思案する僕を見つめながら、にこにこ微笑むシャロン。

 逃げ出そうともだもだするラシュを抑え込みつつ、こちらも満面の笑顔のアーニャ。

 シャロンや僕をちらちら見ながら恥ずかしそうに、もじもじ、もたもたと、自らのエプロンドレスを外しているアーシャ。


 断言してもいい。せっかくの風呂なのに、気が休まる感じが微塵もしない。


「ピ。ピピ」


 ラシュの腕に抱えられていたらっぴーは、不穏な気配を察知したのかもぞもぞと脱出を果たすと、一目散に階段へと駆け込んでいった。


「うらぎり、ものぉ」


 ラシュの力無い声が、らっぴーの丸い背中に投げかけられるが、すでにもうその姿はない。


 ラシュは元来より、あまりお風呂が好きではないらしい。

 毛が水を吸って、べしょべしょになってしまうからだ。


「なぁラシュ。

 ラシュは、お姉ちゃんたちがゆっくりお風呂を楽しめるように、お風呂が欲しかったんだよな」


 僕の問いに、アーニャに捕縛されたままこくこくと頷くラシュ。


「じゃあ、僕らで閉店作業をしておいて、お姉ちゃんたちにはお風呂を楽しんでもらうってのはどうかな」


 こくこく。


「それ、いいとおもう。

 あにうえさまと、工房、閉める」


「アーシャがやってくるの。途中までやってあるの」


 僕らがもだもだやっていると、シャロンは『仕方ないですね』とばかりに目を伏せた。


「まず一番風呂は、作成者であり家主であるオスカーさんと、今回のお風呂の発案者のラシュさんに堪能していただきましょうか。

 もう日も暮れますし、工房を閉めたり、夕飯の準備もしなくてはならないでしょう」


 シャロンにしては珍しい提案である。なんだかんだ理由をつけてでも、一緒に入る派だと思ったのだけれど。

 しかし、その内容はもっともなものだ。


 アーシャはどこかほっとしたような、それでも少しばかり残念そうな、複雑な表情を浮かべている。


「わかったの。オスカーさまのお背中は、また今度流すの」


「んー。シャロちゃんやアーちゃんがそう言うなら、しゃーないな」


 捕まえていたラシュを離すと、アーニャも少し残念そうである。


「ま、機会はいくらでもあるしな!

 今度はみんなで入ろーにゃあ」


「うん、しょうがない、ゆずる」


「いや、ラッくんは入るんやで」


「うー」


 流れにのって脱出するのを阻まれたラシュが唸り声をあげる。

 やはり、あまりお風呂には入りたくないらしい。



「では、オスカーさん。またあとで」


 手をひらひらさせながらシャロンが階下に消えると、3階には僕とラシュだけが残された。

 どぽどぽとお湯の満ちる音が、夕暮れの町の喧騒に混じっていく。


「じゃあ、せっかくだし。入るか」


 着替えがちゃんと"倉庫"に入っていることを確認し、上着、道具類を止めておくベルト、シャツの順に"倉庫"の棚に仕舞っていく。

 あまり適当に突っ込むとアーシャにため息をつかれてしまうため、ある程度畳んだうえだ。とはいえ、"全知"なしでは上手く畳むことができず、いつもくちゃっとしてしまうのだけれど。


「ん、ラシュ。どうした? やっぱり入りたくないか?」


 僕が服を脱いでいる間、ラシュはそのまま屋根のあたりを見つめていた。

 首輪が発光していたので、"倉庫"に服を仕舞っているのだとばかり思っていたけれど。


「ううん。

 あにうえさまは、さきにはいってて。

 なあに、すぐ、おいつく」


 ラシュはふるふると首を振ると、そんなことを宣った。

 目には謎の覚悟が見て取れる。


「わかった、先に入ってるよ。

 でも、なんだその変わった言い回し」


 なんか死にそうに聞こえるのでやめていただきたい。


「あねうえさまが、そう、おしえてくれた」


 何教えてるんだ、あいつ(シャロン)


「おとこは、せなかでかたる」


 ゆっくりと階段へ向かおうとするラシュは一度立ち止まり、首だけこちらを少し振り向いて、そのまま何事もなく階下へ消えて行った。

 ほんとに何教えてるんだ、あいつ。



「ふぅ」


 そうして一人残された僕は、残りの衣服も"倉庫"に仕舞う。

 冬の風が冷たく肌を撫でるので、たまらず湯船に身を投じると、温かなお湯が全身を包み込む。

 全身を弛緩させ、屋根の向こう――わずかに星が瞬き始めた寒空を、ぼんやりと眺めた。

 染み入る温かさ。だぽだぽと注ぎ足し続けられるお湯。全身の強張った筋肉が、満遍なくほぐされていくようだ。


「あぁ〜……」


 たまらず、気の抜けた声が漏れる。が、どうせ聞いているのは僕一人なのだ。

 周囲の建物も、うちの工房に比べると低いか、せいぜい同じくらいの高さであるため、簾の上からは何にも遮られることなく星の瞬きが堪能できる。

 のんべんだらりと手足を投げ出し、ぼぅっと星の数を数えたりなぞしていたら、とたとたと階段を登る足音が聞こえ出した。


 ようやくラシュが戻ってきたかな。なかなかいいお湯だぞ。なんてこの時の僕は完全に油断していた。


 次いで、パチンとベルトを外す音、しゅるしゅると衣摺れの音が聞こえた段になり、湯船の力でぼーっとしていた頭でも『あれ、なんかおかしいぞ?』と思ったが、もはや遅い。


 ちゃぷ。


 静かな水音を立てて僕の視界の隅に這入り込んだのは、すらりと伸びた白くきめ細やかな手足。

 一糸纏わぬ姿で、さも当然のように僕の隣で寛ぐのは、僕の嫁。いや、一糸まとわぬ姿なのは風呂なので当然といえば当然なのであるが、それは先ほどまで一緒に入ると思われていた人物(ラシュ)ではない。天使と見紛うその美貌は、シャロンその人に他ならず、"全知"がなくとも僕がその姿を見紛うなどあり得ない。


「いやまぁ。そんなこったろうとは思ってたけどさぁ」


「はい。オスカーさんの、ご期待に添えて嬉しいです♪」


 声を弾ませるシャロンは、先ほどまでは弛緩しきっていた、いまは緊張で少し固くなった僕の左腕をきゅっと抱きかかえる。


「あの。シャロン。シャロンさん。

 その。ふにふにした感触が、当たってるんだけども」


「はい。あててんのよ」


「そ、そうか」


 何が『そうか』なものか。

 あまりに自信満々に返答するシャロンに、たじたじになってしまう僕。


 シャロンの長い金の髪は後ろで纏め上げられ、白い頸が眩しく輝かんばかりだ。


 僕は微動だにできないが、シャロンが少し身じろぎするたび、お湯がちゃぷ、と音を立てる。

 湯を注ぎ続ける猫の像の音は意識の外へと追いやられ、ともすると自身のどくどくいう心音が外に漏れ聞えそうだ。


「せめて布で前を隠すとか、どうだろう」


「はい。むしろ存分に見ていただきたいという心配(こころくば)りです」


 配られた心が僕に容赦なく突き刺さっているのだけれど。


「何を照れていらっしゃるのですか。

 夜はあんなに情熱的ですのに」


 僕の左腕を拘束したまま、しっとりと濡れた頬をこすりつけながらシャロンは微笑む。

 そういう話に弱い僕は、ただ赤面して俯む――いた先にシャロンの白い腿が視界をかすめ、首を跳ね上げる。おそらきれい。


 仕方なしに、違う話題を振ってみる。


「なあシャロン。ひとつ質問、いいかな?」


「はい。ひとつと言わず、いくつでも。

 スリーサイズをご所望ですか?」


「いや、そういうのじゃなく。

 ラシュ、どこいった?」


「あなたのような勘の良い旦那様は、大好きです♪

 ラシュさんなら、夕飯のお魚一切れで陥落されましたよ、ふふ」


 シャロンさん、ご機嫌である。

 ラシュは僕が入浴準備をしているときには、階下からシャロンの"念話"を受けていたのだろう。まんまと謀られた。


 こうなると、風呂はもはやのんびりできる時間ではない。

 醜態を晒す前に、なんとかして脱出を果たすしかない。



「そろそろ、体を洗おうかな。

 シャロン、ちょっと離してくれる?」


「任されました!」


 渋るかとも思ったのだが、シャロンは俊敏に僕の左腕を解放する。

 水面がちゃぷちゃぷと、楽しげな音を立てている。


「それでは、お背中を流させていただきますね。身体で!」


「やめい。年齢制限が上がってしまうわ」


 これが狙いでシャロンは簡単に腕を離したのか。

 ふふふと笑みを零すシャロンは、実に楽しそうである。


「年齢制限だけでなく、血液も上がってしまいそうですね、局所的に」


「ちょいちょいおっさん臭い発言するとこあるよね、シャロン」


「さあさあ、神妙に観念してください、オスカーさん。

 私が丹念に入念に、全身くまなく洗って差し上げます。

 途中で他のことがしたくなったら、いつでもどこでも何度でも。

 シャロンちゃんてきには、うふふオッケー! です」


 僕がオッケーじゃねぇよ。


「せめて、洗うのは布を使ってくれ……」


 どこまでも楽しげで、どこまでもテンションの高いシャロンに、僕は力なく最低限までの譲歩を要求するのだった。




 そんな感じで体を洗うだけで一悶着があり。

 いや、やましいことは何もしていない。していないとも。

 本当に全身くまなく洗われたために、羞恥で真っ赤にのぼせ上がりそうではあるが、それはそれ。


 泡で表面が濁った湯に浸かり直し、ようやく僕とシャロンは一息をついた。

 心なし、シャロンの横顔はつやつやとしているような気がせんでもない。


「わぁ。オスカーさん、見てください!

 月が、綺麗ですね」


「あー……そうな」


 半ば、ぐったりしている僕である。


 露天風呂から覗く空は、いつしか月が登りつつある。

 冬の空気を感じながら、温かなお湯に抱かれ、ようやく僕も落ち着きを取り戻しつつあった。


 リーズナル家の邸宅でお借りした風呂も、豪奢な作りだった。一点の曇りもなく磨き上げられた広大な浴槽に、良い匂いのする薬湯がいっぱいに満たされ、これが貴族のお風呂か! と感嘆したものだ。

 が、僕らのお風呂もそれに勝るとも劣らない。広さこそ及ばないものの、僕らが使う分には十分である。アーニャが言っていた通りに、みんなで入ることも可能だろう。するつもりはないけれど。


 ――つもりがなくとも乱入されるということは、今回身に沁みたため、鍵でも取付けるとしようか。もっとも、それが効く相手とも思えないが。


「月が、綺麗ですね」


 何故か僕を見据え、再度繰り返すシャロン。


 泡は階下へと流されてゆき、お湯は再び澄みはじめている。


「ああ。いい月だ」


 僕はそっぽを向きつつも、彼女に賛同する。


 そんな僕に、再びシャロンはぎゅっと抱きつく。

 体を洗う前とは違い、今度は正面から。僕の太ももに彼女はちょこんと腰掛け、首に手を回し。


 再び身じろぎすることも出来なくなった僕は、首から上だけで必死に月を眺めた。

 まるで両親の仇であるかのように、もしくはこの状況を打開してくれるものがそこにあるかのように、必死に。しかしなにも起こらなかった。現実は非情である。


 僕に抱き着くシャロンの方は見ないようにしていても、蒼い瞳が僕の首あたりから見上げてくるのがわかる。


 ふわりと妖艶に微笑んでいるのも、わかる。


「あの、シャロン……?」


「はい、旦那様(オスカーさん)

 ご存知ですか? 『月が綺麗ですね』は古来では誘い文句だったのです!

 なので合意と受け取りましたっ!」


「誰だ、ンなこと言い出した奴ぅー!!」


 ガムレルの夜空に、僕の声が虚しくこだまする。応える者は、ない。


 ぜぇ、ぜぇ。


 いい加減、本格的にのぼせそうである。


「頼むシャロン、古代でなく現代で生きてくれ」


「はい。もちろんです。

 オスカーさんのいらっしゃる場所が、私の居場所なのですから」


 わかってくれたか、と肩の力を抜いたのも束の間。


 いたずらっぽく見上げる蒼の瞳が近づいたかと思うと、僕の唇が奪われる。


「んっ、ぁむ……!」


 そうしてシャロンが解放してくれるまで。

 より正確には、僕がのぼせる寸前まで。


 彼女はじつに楽しそうに、幸せそうに。

 飽きることなく、唇をついばんでいた。




 ――そんな僕らの様子を、2階へと至る階段に生えた、二対の猫耳がぴょこぴょこと伺っていたのだが、それに気づいたときにはもう、僕にはツッコミを入れる気力が残されてはいないのであった。


「ぐぬぬぅ、めっちゃ楽しそうやん、シャロちゃんめぇ」


「やめようよぅ、お姉ちゃん。覗きはよくないなの……」


 ただ登りゆく月だけが、そんな僕らを見下ろしていた。

お風呂回ラスト、久々にはっちゃけてるシャロンさんでした。


あと何話か挟んだら、そろそろ第三章に入る予定です。

が、あまり予定通り進んだためしがないのです……

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