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休日の買い物 精算

 川面をばしゃりばしゃりとかき乱し、水を跳ね上げて這い上がって来た男二人は、正面で待ち構えているのが僕一人だけだと判断すると、互いに頷き合い、各々携えた剣であるとか、腰のナイフであるとかに手をかける。


 余計な言葉や罵倒を発することもない。


 "紅き鉄の団"や、その後ちらほら見かけたチンピラのような甘い相手でないことは、その所作からも見てとれた。

 前口上をだらだら述べたり、獲物を前に舌なめずりをするのは三流のやることです、とシャロンも言っていた。なぜかドヤ顔で。



 一応、僕も剣を構えている。

 父の剣は墓碑として使ってしまったので、ガムレルで市販されていたものだ。

 男たちは小屋の有様や魔道具での検知によって、魔術師の介在を警戒しているのだろう。

 すぐに飛びかかってくるでもなく、じりじりとその距離を詰めてくる。


 二名とも、それなりに引き締まった身体をしている。

 農夫というにはいささか(いか)つすぎるし、向かって右側の男の腕に大きく残る傷痕は剣によるものに相違あるまい。


 "全知"によると、この僕を違法薬物の主犯として潰れた小屋に転がしておくか、とも考えているようで、荒事への場慣れも感じられる。


 えらい手合に手を出してしまったものだ、と普通なら後悔する場面なのかもしれない。が、しかし。事この場においては、後悔することになるのは僕の方ではない。うちの身内に累を及ぼした、お前らのほうである。



 ぽたり、ぽたりと。

 水を滴らせながら、じりじりと男たちはにじり寄る。


 まず、右側の男が、ぐぐっと体を沈み込ませ、地を蹴り。一歩。

 使い込まれた様子の剣を横薙ぎに構え、踏み込み。


 そのままの勢いを殺すことなく、僕に目掛けて踊り掛かり――もんどりうって倒れこむ。


 その脹脛には鈍く光るナイフがしっかりと突き立っており、それを投擲したのは小屋の側で息を潜めていたアーニャである。


 麻痺投げナイフをうまく的中させたアーニャは、残心の姿勢からすっくと立ち上がると、もう一本のナイフを腿のベルトから引き抜き、構える。


 僕の方に向けて倒れ込んだ男のすぐ後に追随していた男は、それでも動じない。

 僕に魔術師の仲間がいるかもしれない、と想定して動いていたからであろうが、仲間が倒れたのに一顧だにしないその姿勢は、ともすれば感嘆さえ覚える兵士のようなそれだ。


 ナイフを翳し、躍り掛かってきた二人目を、僕は剣で迎え討つ。

 振り下ろされるナイフを弾き、一閃。弾いた反動で大上段に切り上げた剣先を、一転。男のナイフを持つ右手を。その手首を狙って斬り下ろす。


「――ふんっ!」


 弾かれた右手に持つナイフを中空で逆手に持ち替えた男は、さらに深く、さらに低く踏み込むと、振り下ろされる剣を迎撃すべくその腕を跳ね上げる。


 しかし。


 ナイフの長さ、そして剣の長さ。

 リーチの差、および動き出しの差を考えれば、僕の剣のほうが相手に早く到達するのは自明なはずである。

 ゆえに、ここは体勢が崩れようとも回避に徹するが正道。だが、相手はそれをしない。


 僕が、相手を斬れない甘ちゃんだと判断されたのだろうか。

 それよりも、自分の方が早いという自信の現れか。

 はたまた、為すすべなしとしての玉砕か。


 なんて。

 そんなふうに僕が迷うところまでが計算ずくな相手の思考は、"全知"によって(つまび)らかなものとなっている。

 ……駆け引きも何もあったもんじゃないわ、この"全知(アイテム)"。


 相手の秘策たる、音もなく飛来した左足による小型ナイフの投擲を"結界"によって難なく弾き飛ばすと、これにはさすがに相手も瞠目した。


「ォぐっ……!」


 キン、と甲高い音を立てて小型ナイフが"結界"に阻まれると時を同じく。

 振り下ろした僕の剣によって、過たず断たれた男の右手首が、そのままの勢いで、ひゅんひゅんと血しぶきを撒き散らしながらべしゃりと地面に達する。


 悲鳴を噛み殺し、僕のすぐ脇を駆け抜けようとした男の背に、鮮やかに飛来したアーニャの投げナイフが突き立ったところで、ようやく騒動は決着をみた。


 どうと倒れこみ、ぴくりぴくりと痙攣する男たちを視て、一応衰弱死しないように表面上だけ治癒を施しておく。

 どうせ死罪は免れまいが、できる限り後悔していただきたいものだ。


「ふぅ。終わったな。

 援護ありがとう、アーニャ」


 こいこい、と手招きすると、足早に駆け寄って来た彼女はふふんと胸を張った。


「ウチかっこいい? かっこいいやろ?」


「うんうん。かっこいい。すごくかっこいい」


「うにゃぁー。なんか(ざつ)い!

 もうちょい、こう。愛を込めて!」


 物言いがついた。


「にしても、なんで今回はいつもの無慈悲カーくん斬りじゃなかったん?」


「変な必殺技みたいな名前をつけるのをやめてくれ」


 どうせ付けるなら、もうちょっとかっこいいのがいい。


 たとえば"人体剥離す終の斬撃"みたいな感じの、こう……いや。いや、いや。やめとこう。

 シャロンに独自詠唱を褒め殺しにされて、とても居心地の悪いぞわぞわとした気分を味わったのも、記憶に新しいのだから。


 それに、躊躇いなく手首を切り落としているのも、そこそこ無慈悲であると思う。


「だって、いっつもはあれやん。

 爪とか皮とかベリィってやって、フハハハハァって言ってるやん」


「僕の印象そんなのか」


 アーニャは僕の嫁を自称していたはずだが、自分の旦那がそれでいいのか。

 僕はちょっと嫌だぞ、自分のパートナーがそんな人格に問題がありそうなやつだったら。


「今回なるべく魔術を使わなかったのは、後片付けのことを考えてのことだよ」


「いやいや、家コナゴナにしといて何を言うてるねん」


 アーニャの力無いつっこみを黙殺しつつ、僕は()()()()のために"念話"を飛ばす。



『聞こえますか、聞こえますか。今、あなたの脳内に直接話しかけています』


 宛先は、リーズナル家の次男。

 協力者と二人でテンタラギオスをも撃破したと、冒険者界隈で話題騒然のカイマン = リーズナルである。その名声の高まりっぷりは、まさに飛ぶ鳥をも落とす勢いらしい。


 無論彼は"探知"の範囲内には居ないのだが、彼の所有する、僕が作った魔道具を目印にすれば"倉庫"経由で所在の特定、および"念話"が飛ばせるというのは実験済みである。

 ――なお、向こうは"念話"を発する(すべ)がないため、僕からの一方向的な()()()である。まあいいだろう、カイマンだし。



 ――



 ごとごと、ごとごと。

 街道を馬車が行く。


 荷台では、木の上で寝かしつけた男、麻痺投げナイフで行動を封じられた男二人、あばら屋で潜んでいた蛮族風の男が、手首や足、腰などをぐるぐる巻きにして転がされている。

 見張りとしてクレスも荷台側にいる。

 "剥離"で汚れや虫、土や水のたぐいは取り去っておいたが、男5人が詰まっている荷台は相応にむさ苦しかった。


 僕とアーニャはといえば、荷台の幌の部分に腰掛けている。

 魔術により体重を軽量化し、"結界"で風の影響を受けないようにしているからこそできることであるが、時たますれ違う道ゆく人たちや、他の馬車からは二度見される有様だった。

 "倉庫"に保存してある食品ではなく、ちゃんとその場で焼いた肉を所望したアーニャの期待に応えるため、幌の上で火球を作り出して虚空から取り出した肉を炙ったり、その肉にかじりつく二人組が幌に腰掛けているとあっては、二度見するなというほうが無理な話かもしれない。



 カイマンには一方的な"念話"でのお願いを三回ほど繰り返し投げつけておいた。

 要件は、大きく二つ。

 こちらの倒壊した小屋のほうへと応援を寄越すように、ということ。

 おそらく町へ向かったであろう男のほうの馬車の、樽の二重底構造を憲兵とともに調べるように、ということ。

 とくに樽のほうは、憲兵にやつらの仲間がいて握りつぶされると証拠が無くなってしまい大変困ったことになるので、しっかりと立ち会うように言い含めておいた。一方的に。


 またもや若干引いているアーニャを引き連れて、あばら家のほうに潜んでいた男もとっちめておくか、とばかりに街道まで戻る僕らを待ち構えていたのは、ヒンメル氏とクレスだった。

 あばら家の男はクレスが討ち取ったらしい。


『様子を伺ってたら、慌ててハウレルさんたちのほうに行こうとしてたんで、倒しておいたっす!』


 とのことである。


 蛮族っぽい風貌ではあったが、とくに手出しされていない相手をとっちめて、もし善良な市民だった場合はどうするのだろうと尋ねたところ、『シャロン様に喜んでいただけるなら、それでも構わねっす』と返された。

 僕らの助けになれればシャロンが喜ぶだろう、ということらしい。答えているようで答えになっていないような気もする。

 駄目だこいつ早くなんとかしないと、とか考えていたらアーニャは首を振りつつ、『カーくんもあんまり変わらんからな』と辛辣なつっこみをくわえてきたのだった。


 そんなこんなで再び乗せてもらった馬車の上。


 空腹も満たされ、景色も良く、陽光は温かい。実にのどかである。

 荷台では時折うめき声をあげる男たちがひしめきあっているが、のどかといったらのどかなのだ。ああ、実にのどかだなぁ。


 僕の魔術や、車輪の機構の甲斐あって、一頭建の馬車にあるまじき荷重の馬車は、それでもすいすいと進む。

 馬車を引いている馬が、時折幌の上にいるこちらを振り向いては不思議なものを見るような目を向けてくることを差し引いても、なかなか立派なものだと思う。

 巷でもちらほら名が聞かれるようになったという『ハウレル式の馬車』の、良い宣伝になるのではあるまいか。


「またなんか悪いこと考えとるん?」


 僕がほくそ笑んでいると、隣に座るアーニャが、ぽふっと僕の肩に頭を乗せてきた。

 肉でお腹がいっぱいになり、そこそこ機嫌も回復したらしい。


「そんな悪い顏してたか? 僕。

 単に、馬車の宣伝になるかなーって考えてただけだよ」


 今の売上状況で、生活に困ることは、まずない。


 シャロンたちの服や、新しい素材などをどんどん買い込んでいるし、工房周辺はわりと景気が良い。

 リーズナル男爵が驚くほどの税も、寄進という形で納めている。海水等を"倉庫"経由で仕入れているために、通行税が掛からない分のつもりだ。


 だから、宣伝になれば良いなと思うのは、売上金のためだけではない。

 多くの人が便利に生活できるようになればいいな、なんて。そんな風に、思うんだ。

 小屋を爆破するだけが、僕の本領ではないのだ。


「ママー、あれなにー」


「ヒッ……!! 見ちゃいけません」


 男たちがぎっちりと詰め込まれ、幌の上に腰掛ける男女という馬車を目にした親子が足早に道を逸れていくが、良い宣伝に……なってたらいいなぁ。


「今度は何しょんぼりしとんのよ。

 それよか、カーくん。あれ、カイ……なんとかいうにーちゃんちゃう?」


 僕の肩口で言葉を発するアーニャの言うとおり。

 馬車の進行方向、つまりガムレルの方から土煙を上げて走ってくる騎乗した一団。その先頭にいるのは、いい加減覚えてあげても良いのでは、と思う程度には工房に顔を出すカイマンその人である。


 向こうもこちらに気付いたようで、それぞれの中間地点あたりで、一団と僕らの乗る馬車は停止。


「オスカー! きみは……」


「おお、カイマン。

 ()()()()()()()()()、例の小屋は薬物の貯蔵拠点だったみたいだ。

 連中は捕まえてある。()()()()に、な」


 つかつかと歩み寄ってきたカイマンに開口一番、どういうことになっているかを伝えると、彼はその端正な顔を盛大に引き攣らせた。


 その後ろでは憲兵団、近衛の混成部隊と思われる従者たちがざわざわ、ひそひそとこちらに聞き耳を立てつつも「さすがはリーズナル家」「さっきの薬物の売人に対しても凄かったよな」「ああ。まるで見て来たかのごとく的確に」「すでに手を打っていたとは」「カイマン卿の手腕たるや」「テンタラギオスの件もやはり……」「冒険者組合に大穴のあいた首と討伐証明があるだろうが」などと、結構な盛り上がりである。


「おま……ン……んんっ。

 "紫輪"のオスカー、我が友よ」


「なんだよ、友よ(カイマン)


「この借りを、覚えておきたまえよ……絶対に、絶対だぞ。

 君たちはいつもいつも……くぅぅ」


「いやー、にーちゃんの指示が的確やったおかげで、ウチらには怪我もないし、あいつらも全員生け捕りできたでぇ」


 くっくっと笑いながら、アーニャもノッてくる。


 混成部隊のざわめきは最高潮で、「"紫輪"――まさか翠玉格勲章の!?」「なんだあの獣人、馴れ馴れしく」「ご存知、ないのですか。"紫輪"の従者の一人ですよ」「生け捕り? どんな策略ならそんなことが可能なんだ」「それにしてもカイマン卿の辣腕よ」「カー坊はまた何をやらかしたやら」などと。もはやひそひそする気配もなく、有り体にいって騒々しい。なんか常連客が混じってる気配すらある。


「借りか。いやだなぁ、僕とあんたの仲じゃないか、我が友(カイマン)


「親しき仲にも礼儀というものを欠かすわけにはいかないものだよ、我が友(オスカー)。貴族というものは、とくにね。

 まったく。それなりに、大事な会食だったというのに」


 諦めたかのように、前髪を鷹揚に掻き上げる仕草をするカイマン。

 相変わらず、いちいち所作が芝居掛かった男である。


「いやー、悪いな。そんなときにわざわざ僕らの指揮まで()ってもらっちゃってさー」


「きみはまだ、此の期に及んでそういう……。

 まあ、いいさ。どうせ此度の縁談は断るつもりだったんだ」


 つっこまないぞ。そんな面倒くさげで怪しげな話題にはつっこまないからな、僕は。


 そんな席であっても、一方的に呼びつけた(ぼく)への対応を優先させるあたり、それこそ礼儀というやつは大丈夫なのだろうか。


 彼のその実直な、まっすぐすぎるその性質では、周囲との軋轢もあろう。

 そこにつけ込んでいる僕が言うことではないことではあるが。


 それとも、美青年という因子は、そんな軋轢すら発生させないものなのだろうか。

 ちくしょう、整った顔立ちが憎い。何気に人気があるのがさらに憎い。


「どうした、オスカー。おもしろい顔をして」


「いや、お前(カイマン)ほどじゃないよ」


「そうか?

 ありがとう」


 べつに褒めてねぇ。


「ともあれ君の――いや、私の見立てどおり、ということになるのか。

 西門から薬物を運び込もうとしていた男は、積荷も身柄も抑えることができた。今は証拠品の確認を進めているところだ。

 抵抗された際に憲兵の一人が負傷したが、君のところの回復薬で事なきを得ている」


「そりゃ、毎度どーも」


 小屋のほうも制圧しておいたので、おそらく芋づる式に、多くの関係者を捕らえることができるだろう。

 逃げ果せるものもいるかもしれないし、事はガムレルだけの問題では済まないかもしれない。

 町のチンピラの規模というにはいささか不適な、周到な組織立ったものを感じたし。


「この借りは、いずれまた」


「じゃ、なんか美味しい物で頼む」


「お? そりゃええな!

 肉か? 酒か!?」


 再度蒸し返すカイマンに、ひらひらと手をふりながら僕。

 『美味しい物』に食いついてはしゃぎ出すアーニャ。さっき食べたばかりだろう……?



 カイマンはじめ、混成部隊は小屋の方にまで確認に行くというので、ヒンメル氏の馬車の荷台に積み込まれていた男たちを引き渡し、かわりに"倉庫"に一時避難していた商品を積み込んでおいた。

 アーニャは幌の上が気に入ったらしく、残りの道中も二人でごとごとと風に揺られることにしたのだった。



 工房手前まで馬車で送ってもらい、お礼にいくばくかの塩を積み込んでおき、そこでヒンメル氏とクレスとは別れた。


 見送りに出て来ていたクレスに「シャロンに会っていくか?」と尋ねると、首がもげるのではというくらいにぶんぶんと激しく横に振り「畏れ多いっす」と繰り返し、馬車の荷台に駆け込んでしまった。

 それでいて馬車の荷台から深く深く工房を拝んでいるようで、僕、アーニャ、ヒンメル氏は揃って素直にドン引きした。



「それにしても、疲れたわぁー」


 半日であちこち動き回り、僕もくたくたである。

 んんー! っと伸びをするアーニャは、言葉とは裏腹にその表情は晴れやかなものだ。


「ご機嫌だな」


「んー! うまいこと片付いたからな、気分ええわ。

 それに、身体動かすほうがやっぱウチには()うてるみたいやし」


 にはは、と誤魔化し笑いをするアーニャが、それでも計算の練習を続けていることを、僕は知っている。


「工房も、好きなんやけどな。

 ウチらが居ていい場所を作ってくれたカーくんやシャロちゃんのことも、もちろん大好きやで」


「お、おお」


 まっすぐに。

 僕を見据えてアーニャは笑う。


 そんなふうにされると、なんだ。ちょっと、困る。


 自分以外の誰かのために。

 そうやって動き回る僕は、こういう正面からの賛辞や好意に、とことん弱い。


「ありがとーな、カーくん!

 また一緒に大暴れしよーなー」


 にこにこと、八重歯を覗かせアーニャは笑う。


「もうちょっと平和に生きたいものだよ、僕は」


「ほんとに平和に過ごしたい人ってたぶん、笑いながら小屋をふっとばしたり、せーへんと思うねんな、ウチ。

 まあ、そこまでひっくるめてのカーくんやからなぁ」


 どういう意味だ。


「いつまでも工房前で喋ってても仕方ないし。

 帰るか。僕らの居場所へ」


 頬をぽりぽりと掻いて話を逸らすと、アーニャは満面の笑顔のまま頷いた。


「ん!

 もう大丈夫やでーってアーちゃんラッくんに言うねん。

 たっだいまー! ……っと、あれ、誰もおれへん」


「いちおう、僕らは買い物に行って来たってことになってるはずだけど。

 ……まあいいや。シャロンまで含めて、皆2階にいるみたいだ」


「ほんまか! いってくる!」


 工房内にかけ込んだアーニャは、そのままとたとたと階段を登って行く。


「室内履きに履き替えろよー」


 その背に声をかけるが、彼女はすでに2階へと消えたあとである。素早い。



 僕もアーニャに続いて工房内に入ろうとして、気付く。


 路地の端の方では、幸せそうな笑みを浮かべ、ぶつぶつと口元を動かしながら、彷徨い歩く男。

 小刻みに手を震わせ、しかしその表情は、どこまでも幸福そうなそれ。

 アーシャのことを、清らかで素晴らしい、と涙を流さん勢いでまくし立てていた、その男。


 あいつも、たぶん、捕まって。そして死ぬことになるのだろう。


 僕は、そこに後悔はない。僕は家族を守るまでだ。


 彷徨う男から視線を切り、今度こそ工房への扉をくぐる。


 僕の背で、パタンと閉じた扉には、閉店を示す看板だけが。

 ただ、静かにぶら下がっている。

この後めちゃくちゃ寝落ちた

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