休日の買い物 そのろく
藪の中を、木々の間を。
なるべく音をさせないようにかき分けかき分けしつつ少し進むと、幸いにも追跡対象が乗っていたと思しき馬車を見つけることができた。
僕らが潜んでいるのとは逆側の道の傍には、さほど大きくはないが綺麗な川が流れており、小さな水車が回っている。
その水車は、併設されている粉挽き小屋のようなものに引き込まれており、そのすぐ手前に馬車は止められていた。
小屋の横手には薪や炭が積んである。村でよく見る光景である。
たまたま立ち寄っただけであれば、周囲に麦畑があるわけでもなし、辺鄙なところに粉挽き小屋があるものだ、くらいの感想しか抱かなかったであろう。いや少しも不審に思うことすら、気にも止めることすら、なかったかもしれない。
小屋の中から"探知"対象の反応がなければ、今でさえ見逃してしまってもおかしくないくらいだ。
街道からは見えず、さりとてガムレルからもさほど遠くない。
魔物との遭遇の危険をおかしてまで森に踏み入る必要性もあまりなく。
それでいて広い森でもないために冒険者たちの狩場としても、あまり旨味がなかろう。
そんな、何の役に立てるのにも微妙なこの位置に。
人がほとんど来ないことにかけては絶妙なこの位置に。
なんら不自然なところもなく、この小屋は存在した。
小屋に近付こうと歩を進める僕を、アーニャが服を掴んで止める。
「?」
声も、"念話"も、念のため無しだ。
アーニャの"念話"は首輪に取り付けられている宝石を動力としているため、発動時にうっすらながら光を発する。
暗い藪に潜んでいる現状、見咎められる危険があるためだ。
アーニャが見つめる先に目を凝らすと、"全知"がそれを伝えて来る。
ここからは少しばかり距離があるが、小屋を見下ろす位置の樹上に、巧妙に隠された潜伏場所があり。
そこからは、男が一人、小屋周辺に目を光らせているようだった。
木と木、枝と枝、葉と葉の間に紛れ込み、『何かある』と思って見ない限りは気付けない。小屋同様、かなりの周到ぶりが窺えた。
賞賛を込めつつも無言でアーニャの耳の間を撫でると、アーニャはにゅふふ、と口元を笑みの形に変じさせる。
もっと撫でよと無言で要求するアーニャを躱しつつ、ここからどうしたものかと考えを進める僕。
樹上の男をとっちめてしまっても良いのだが、僕らは怪しい男を追跡してここまで辿り着いただけである。
状況的には、そりゃもう怪しい。ものすごく怪しい。
しかし、何の証拠もなければ、相手方から襲いかかられたわけでもないのだ。
拠点と思しき場所の所在は押さえたのだから、一度町に取って返して憲兵団に報告すべきかもしれない。
そうすれば踏み込んで捜査等、うまいことやってくれるのではなかろうか。
報告やら手続きやらで手間が掛かるのは嫌だし、変な横槍が入って握り潰されたりもしないよう、カイマンあたりを介してやってもらうとして……。
なんて、思い悩みながら。
藪の合間から小屋の様子を伺っていると、男が一人、小屋から顔を出した。
すわ気づかれたか? と身体を強張らせたが、どうやら違うらしい。
男は樹上で待機していると思しき仲間に目配せをすると、すぐに小屋に引っ込んでいく。
そのままアーニャとふたり、息を殺して待っていると。今度は小屋から3人出てきた。
そのうちの1人は"探知"でマークしていた男に相違ない。
男たちは、小屋から運び出した樽や、小屋の横にある薪、炭といったものを見る間に馬車へと積み込んでいく。
無論、僕は"全知"を着けたままだ。魔術は見咎められたり、魔道具の感知に引っかかったりすることがあるが、今のところ規格外のこの眼鏡の能力が割れたことはない。
そして"全知"は、目論見通りに目当ての物の在処を示した。
積み込まれた4つの樽のうちの1つ。2番目に積まれたもの。底の方が二重底構造になっており、その下には厳重に布で包まれた箱が仕舞われていた。布のまわりには木屑が詰めてあるようで、少々揺れたり持ち上げたところで、違和感に気付くことはなさそうだ。
その中身は、さも当然のように大量の薬物である。ようやく、決定的な証拠というわけだ。
それらを積み込むと、"探知"を貼り付けた男は馬車を駆り、足早に街道へと戻っていったようだった。ガムレルで売り捌くのだろう。
それが、巡り巡ってうちのアーシャにまで届いたのが、この話の発端である。
馬車を見送る僕を、アーニャが『どうするん?』と目で訴えかけてくる。
残る2人は樹上の男を残して小屋に戻っていった。
待望の証拠を掴んだのだ、仕掛けるなら今だろう。
樹上、小屋、やっつけるぞ、と。わたわたと身振り手振りでアーニャに伝える。
それを受け、アーニャはこてん、と首を傾げてきた。
《木と家を喰らい尽くす?》
……うまく伝わらなかったようである。
再挑戦してみよう。
木、小屋、倒す、と。
《ウチら、アイツら、まるかじり?》
なんで結局最後は食べるんだよ。
やれやれ、と仰いだ空では太陽がすでに天頂を過ぎており、そういえば朝に工房を出発して以来、何も食べ物は摂っていなかったことを思い出した。
アーニャは飛んだり跳ねたり走ったりで、きっとお腹が空いているのだろう。意識した途端、僕のお腹も空腹感を訴えかけてきた。
怪しい男たちのすぐ側で潜んでいるというのに、随分肝が座ったものである。
遅めの昼食を楽しむためにも、この場はさっさと片付けるとしよう。
まだ首を傾げているアーニャに、口の動きで『やるぞ』と伝えると、彼女は大きく頷いた。最初からこうしておけばよかった。
まずは、木の上に潜む男を片付ける。
"探知"を広域型――といっても周囲20メートルほどであり、負担は少ないものだ――に切り替えて、人員の位置を把握する。
木の上に居るのは、"探知"を抗魔されていない限りはアーニャの察知した1人だけのようである。
小屋の中には地下室があったようで、そちらに2人。1階部分に人は居ない。
『カーくん、なんか音がすんで。気づかれたかもしれん』
『なんだと』
騒がれないように、木の上の男の顔周辺の空気を"結界"に閉じ込めて、中身の濃度をいじくっている僕に、アーニャが警戒を飛ばしてくる。
たしかに、地下の男たちは手に手に武器を携え、状況を伺おうとしているようだ。
『魔力検知の魔道具の類か。やられたな』
広域"探知"に切り替えたときに、魔道具の網にかかったのだろう。
『どうするん?』
『気づかれたなら、しょうがない。
速攻で無力化しよう』
樹上の男がそのまま意識を失うと同時に、今度は対物理の四角い"結界"を小屋の1階部分を全て覆うようにして展開する。
神継研究所の最下層の結界とは比べるべくもないが、僕の作る"結界"魔術の硬度も、それなりのものだ。
なにより、地下室から地上に出るときに"結界"を破壊しないといけないのは、なかなかに骨が折れるものだろう。
低いところから高いところへの攻撃は、力を伝えにくいのだ。
『なんかカーくんが悪い顔しとる……』
『なんとかなりそうで、ほっと胸をなで下ろしているところの僕に向かって、なんたる言い草』
『ほっとした人間はそんなニヤァって笑うんか。怖いわ』
なんとも失礼極まる形容である。
ただの軽口だと思ったら普通に若干引かれており、ちょっとしょげる僕。
うん。ところで。
密封された空間で火を使い続けるとどうなるか、ご存知だろうか。
そして、もしそこに新鮮な空気を勢い良く送り込んだらどうなるかも、重ねてご存知だろうか。
結界内で圧力を高めて温度を上げようと試みていた当初、これを一度やらかしてしまった僕は、度肝を抜かれたものである。
危ないなら教えてくれよシャロン。"全知"は僕に何も言ってはくれない。
"結界"、"発火"および結界内の空気の操作によって、小屋の1階部分は火に包まれる。
広域の"探知"を展開した際に、薬物は地下にあることは確認した。1階を破壊しても、証拠に困ることはない。
むしろ逆に、1階を破壊しておかないと証拠を隠滅されてしまう。これは、時間との戦いである。
魔術の並行使用によって、額を汗が伝って落ちる。
思えば朝から魔術を使いっぱなしであり、それに伴って魔力も垂れ流しっぱなしだ。
身体も少々だるい。全て片付けて、今日はぐっすりと寝るとしよう。そのためにも、ここで後顧の憂は断つ!
「アーニャ。耳を塞いでおいて」
「ちょぉ、まじか!
何すんの、カーくん何すんの!?」
喚くアーニャは頭上の耳をぺたりと折りこみ、さらにその上から手でぎゅっとおさえてその場に縮こまった。
尻尾も抱き込んで丸まるさまは、時と場合が違えば微笑ましいものだろう。本人は必死なようであり、クレスとの話でも出ていた『山を落とした一件』をわりと本気で怖がっていたらしい。少し悪いことをしたかもしれない。
1階に燃え広がった火が不自然に小さくなってきたところで、"結界"を一部解除。地下への入り口の面だけは、一応"結界"を残しておいた。地下室が壊れて証拠がどこかに行ってしまう、という事態は避けたかったためだ。
そして、僕とアーニャを守るように、前面に再度対物理"結界"を展開する。
結界が解除され、ついでに"念動"でダメ押しとばかりに扉を開け放ったことにより、新鮮な空気が小屋内に吹き込んでいき……一瞬の無音。そして。
――ずずん。
「ぎにゃあぁぁあああ!?」
腑の芯にまで轟く重く低い音。そして、アーニャの悲鳴。
それらとと共に、小屋の1階部分が紙細工のようにあっけなくぺしゃりと崩れ、沈み込んでいく。
バラバラと木片や石が飛来するが、すべて前面に展開した"結界"が弾き落とすため、僕らに届くことはない。
完全に地下への入り口が埋まりきったところで倒壊が止まり、あたりは一面、もうもうと立ち込める土埃に閉ざされる。
"全知"に降り注いだ砂を"剥離"で取り払うと、全ての"結界"を解除して周囲を確認。うん、上出来である。
地下からは、川の中へ逃げのびる脱出路があるのは事前に確認済みだ。
念の入ったことに、この小屋――正確には、元・小屋――には証拠隠滅の機構まで備わっていた。
水車の機構を粉挽きから組み替えることで、脱出路となる川から地下室にまで水を引き上げ、地下室を水没させて証拠を隠滅してしまうという大胆なものだ。
しかし、さすがに水車ごと小屋を吹っ飛ばされるという想定はしていなかったようである。
そう。必要に応じて小屋を吹っ飛ばしただけで、決して僕の趣味だとか、アーシャに薬を齎した鬱憤だとか、そういうののためではないのだ。
べ、べつにあんたのために爆破したんじゃないんだからねっ!? というやつである。
「もう!
もうもう、もう!
カーくんは、ほんまに、もう! 知らん! もう!」
茂みに潜んだままの僕の背を、うにゃうにゃポカポカぺしぺしと、アーニャのゆるい拳が襲う。
「あいてっ。
ごめん、ごめんってアーニャ。
もうちょっとでおわ、あだっ」
「許さんもん! もう。もう、もう!
肉! 焼いたやつ! あと目一杯撫で撫でしてくれんと許さんもん!」
「あでっ。地味に痛い!
わかった、わかったよ。
脱出してくる二人組をやっつけたらほんとに終わりだから、な?」
耳を畳み、座り込んだまま半泣きで隣に座る僕の背中に地味なダメージを蓄積させ続けていたアーニャは、ようやく拳をおろして潤んだ瞳で僕を見上げた。
「むぅう。終わる終わるいうても、いっつもカーくん終わらんもん」
アーニャは頬をぷくーっと膨らせる。
彼女はあまりに感情が高ぶりすぎると、どこか言葉遣いが幼くなってしまうようだった。
普段は『お姉ちゃん』としての振る舞いを求められるため、元来はそういう甘えた性格だったのかもしれない。
――普段、ちゃんと『お姉ちゃん』としての振る舞いができているかどうかは、彼女の名誉のためにもコメントを差し控えるとしよう。
「三分間だけ、待ったる」
ぐすんと鼻を鳴らして立ち上がるアーニャは、かつて小屋であったものを見下ろして、なんとも神妙な表情だ。
なんとか三分間で片付けるために、川の中から男たちが出てくるのを、いまか今かと待ち受ける僕。
陽光が降り注ぎ、冬だというのに温かい。
川べりのために風は相応に冷たいが、工房の2階や、作りかけの3階などは、日向ぼっこに最適であろう。
「シャロンたち、今頃何してるかな」
"探知"による男たちの反応が、武器を携えて川に入ったことを確認して、僕。
「お買い物でーと中やねんから、ウチのことだけ気にしてて!」
なおもぷくーっと頬を膨らせたまま、アーニャ。
その反応に、僕は苦笑いでもって返す。苦笑いが最近どうにも板についてしまった。
「そういや、『お買い物』って話で、今日は出て来たんだったなー」
やっていることは、組織的な違法薬物の流通ルートの破壊に他ならないけれど。
しかし、売られた喧嘩を最大限高く買うという目的は、どうやら完遂できそうだ。
「さて。さっさと終わらせるとしよう」
河面にぽこぽこと浮かび上がる呼気はやがて大きくなっていき、顕になった男たちの姿を前にして。
僕は"倉庫"から剣を引き抜いた。
「終わる終わるいうても終わらんもん」に関しては、すまないという他ないですね。




