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休日の買い物 そのさん

 二区画先を彷徨い歩く男の追跡は、"探知"の魔術に依るものだ。

 これによって、男の姿は見えないどころか、男と僕らの間には多くの人や建物が挟まっている状態でも迷いなく追跡ができている。


 よく僕が使うタイプの"探知"は、範囲内に入ったすべての情報を拾い、まるで目で見ているかのように――というのはいささか誇張が過ぎるかもしれないが――誰が何をしているのかを一円に把握することができる。


 範囲を広げれば広げるだけ魔力の消耗が激しくなるが、問題はそれだけではない。

 問題は、情報を処理する僕の頭にも重くのし掛かってくる。普段目で見える何倍、何十倍、何百倍もの広範囲にわたっての情報を処理する必要があるのだ。

 そのため、人や物の多い町中なんかでは、僕の"探知"は範囲か、精度が下がる。シャロンなら普段と変わらない精度でやってのけるのかもしれないが、少なくとも僕には無理だ。


 そして、今発動している"探知"は広範囲を覆うものではなく、特定の対象を追い続ける類のものである。

 情報量は広範囲にわたって展開するものに比べて大きく絞られるため、けっこうな距離でも追跡することができるし、魔力消費もそれなりに穏やかだ。


 同じ"探知"魔術であっても、発動様式や詠唱は大きく異なるものなのだが、"全知"による魔術構造理解によって無詠唱で魔術を行使する僕にはあまり関係がないのだった。


 そんなわけで、僕らは雑談しながらも、的確に男の足跡を辿っていた。


「そういや、なんで肉体強化の魔術はこいつに弾かれへんかったん?」


 先ほど、男を探し出すためにアーニャに魔術をかけた時のことを言っているのだろう。

 こいつ、とはアーニャの首にぶら下がっている首輪のことであり、それをつんつんと指先で突つきながら、彼女は問う。


 よくぞ聞いてくれた、とばかりに僕は胸を張った。あ、この動作、なんかシャロンっぽいかもしれない。


「ふっふっふ。

 "肉体強化"や"治癒"なんかは対象の身体に働きかける、いわば同意を前提とする魔術なんだ。

 相手が意識的でも無意識的にでも魔術を受け入れてはじめて、効果を発揮する」


「んー。でもそれって他の魔術も同じようなんちゃうかったん?

 ウチら『獣人』はそういうのを拒む力がカスみたいなんやろ?」


「いやそこまでは言ってないけど……。

 まあ概ね、アーニャの言ってることは正しい。言い方はともかく。

 でもそうなると、僕やシャロンみたいな、抗魔(レジスト)力が普通にある者に、"肉体強化"や"治癒"が使えないと、困るだろ」


 正確には僕の抗魔力は普通にあるなんてモンじゃないのだが、割愛する。


「だから、そういう術を受ける側にプラスに働く魔術には『抗魔してもいいよ、でも受け入れたらいいことがあるよ』みたいな制御が働いてる。

 だからこそ高等魔術なんて言われていて、難易度が高いし。使える人がかなり限られるんだけど」


「そんなん、受け入れたら死ぬみたいな魔術に『いいことあるでぇ』って言わせたら、相手騙せるんちゃうん」


「おー、なかなか冴えてるな。

 うん、だからそういう魔術もあるらしい。

 確か、古い遺跡で発見された罠の一つで、夜目が効くようになる魔術の陣のように見せかけておいて、受け入れたら足が爆発するとかなんとか」


「ひぇ」


 アーニャ、ドン引きである。

 尻尾がびんびんと自己主張をしており、少し面白い。


「話を戻すと、その首輪(チョーカー)にはアーニャたちの生体因子を組み込んであってな。

 つまり、アーニャたちの体の一部みたいな動作をする。

 だから、全ての魔力を抗魔(レジスト)してしまうんじゃなく、僕らの身体と同じように取捨選択ができるようになってるんだ」


「なんかわからんけどカーくんはすごいな」


 内容をすべて理解したわけではなさそうだが、それでもアーニャは人好きのする笑顔をにぱっと振りまく。

 白い八重歯がきらりと光り、彼女の笑顔をより魅力的に引き立てているようだ。


「まあ、そういう"治癒"みたいな高等魔術と違って、"剥離"や今使ってる"探知"なんかは問答無用で弾いちゃうから、汚れを落とす場合なんかは外してもらうんだけどね」


 その分、高等魔術とされるものよりも発動が早かったり、魔力消費が少なかったり、制御が簡単だったりという利点もあったりする。


 とはいえ、"全知"による魔術の構造理解と、かなりの魔力貯蔵量がある僕にとっては、さほど大きな利点というほどでもないのだけれど。


 そして、いま使っている、この"探知"にも問題はある。

 特定人物に絞って追跡をかけているため、仮に対象が建物に入った場合などに、なんの建物に入ったのか、誰と接触したのかが不明だったりするのだ。


 そして、今、まさにその状況に直面してしまった。

 アーニャと話しつつ追跡している間に、男が何らかの建物に入ってしまったのだ。


 仕方がないので、距離を詰め、男が入った建物が何かを確認する。


「あの建物、のはず」


 なんだけど。

 僕が見ている先にあるのは、明らかに娼館である。


「なんの建物や? これ。

 たしかカーくんと初めて買い(モン)した時も、似たようなんあったよな。

 入ってみよか?」


「いや、やめとこう」


 仕方がないので、娼館がどういう店であるかをかいつまんでアーニャに話すことにする。

 最初はふんふん、と興味深げに聞いていたアーニャは赤くなったり、そっぽを向いたり、尻尾をびよんびよんさせたりして、最終的には赤面して俯いてしまった。


 そんなアーニャに気を取られていたため、男が店舗出口に向かって足を進めているのに気づくのが遅れてしまった。


「まずい、出てきた」


「えっ、ちょ、カーくん!?」


 僕は奴に面が割れていないが、ここでアーニャが見咎められるのはまずい。

 追跡に感づかれる恐れがあるし、そうなれば以後の展望は望めないだろう。


 アーニャの手首を掴むと、彼女は明らかに狼狽(うろた)えた。


「ちょっと静かにしてて」


 今から走って逃げるにしても、周囲の人の目に止まることは避けられない。


 アーニャに向かい合うようにして、握った右手首はそのままに。

 僕は右手で彼女の左肩を掴むと、彼女が背にしている路地の壁に押し付ける。


「んっ……!」


 僕の肩くらいの高さにある、アーニャの目。その赤みがかった瞳は驚愕に見開かれ、短く声を上げる。


 ――しかし。それも一瞬のことで。


 彼女は強張る体からふっと力を抜くと、ゆっくりと、その目を閉じた。

 細やかに震える瞼と赤みを帯びた毛並みの艶やかな耳だけが、ぴくぴくと動いてアーニャの緊張を伝えてくる。


 呼吸に伴って規則正しく上下するアーニャの胸が、僕の胸板を押しあげて。

 冬だというのに、じっとりとした熱を感じさせる。ツウと僕の頬を伝った汗が溢れ落ち、そのままアーニャの胸元に滑り込んでいった。


 ごくり、と唾を飲んだのは、果たしてどちらか。


 時間の感覚は麻痺してしまったとでもいうのだろうか。そのまま10秒が経ったようにも、10分が経ったようにも感じられる。


 こうしている限りは傍から見れば、朝から路地でイチャつくカップルにしか見えまい。

 とくに、ここいらは娼館があるような通りである。時折近くを通る者がいても、チラりとこちらを伺うだけで、すっと視線を逸らして足早に通り過ぎていく。


 よろよろとした足取りで娼館から出てきた例の男も、こちらを気にするそぶりもなく。

 そのまま、娼館の隣の宿屋に消えて行った。


「っふぅー。焦った」


「……」


 油断した。目視確認できるということは、向こうからもこちらが見えるということだ。少々、近づきすぎた。

 どうやら気づかれてはいないようなので、結果としては問題ない。が、同じ危険は犯すまい。


 僕は大きく息をつくと、アーニャを拘束から解く。

 抑えていたことで、僕の手の形に若干赤くなっている手首を見下ろし、アーニャは依然無言である。


「大丈夫か、アーニャ。

 痛くなかったか?」


「……ふぇっ!?

 うゎっ! びび、びっくりしたぁ!」


 顏を覗き込むと、一気に飛び退かれた。

 その反応に、僕もびっくりしたよ。

 驚いたときのその反応は、アーシャとそっくりである。


 壁に押し付けたときに、どこかぶつけでもしただろうか。

 アーニャは少し俯きがちにして、どこかぼうっとしていたアーニャは、我に返ってからもまだ若干挙動不審なままだ。


「それより、例の男。一人で隣の宿屋に入っていったぞ」


「え、男?

 男がなんて?」


 受け答えは返ってくるようになったものの、まだ若干おかしい。

 返事はしてくれるのに顔はなぜかあらぬ方向を向いたままだし。


「しっかりしてくれ。

 薬の売人、アーニャが接触した男の話だ。

 娼館から出てきて、隣の宿屋に入った」


 そこまで説明すると、アーニャは「あー」と言いながら手をポンと打った。


「完ッ全に意識から吹っ飛んどったわ」


 カラカラと笑うアーニャの上気した頬は、拘束していたときの熱をまだほんのり残しているようで。

 大丈夫なのだろうか、本当に。若干不安になる僕だった。



「んでも、入ってすぐ一人で出てくるってことは、お気に召す()がおらんかったってことなんか?」


「いや。それだと宿屋には入らないだろう。

 娼館自体が狭い場合や、衛生状態なんかが気になるだとか、そういう場合は女の子を宿泊所に来させるんだ。

 だから、周りには短時間……『そういうこと』に使うだけの、安宿がいくつかあったりする。

 娼館から出てそのまま女の子と連れ立って宿屋に入ったら、女を買ったのがモロにバレるから、そういうことをするらしい」


「ンなもん、女買う店に入って、すぐ宿行くんやったら同じ意味になるやん!

 娼館に入った時点で、そんなん気にしてもしゃーなくない?」


 まあ、その通りなんだけどね。

 だから、実際はお付きの者が娼館に出向いて主人(あるじ)が宿泊所待ち、なんて使い方がよくあるらしい。が、話がややこしくなるし今回は関係なさそうなので、言わないことにする。


「てか、カーくんはなんでそんなん知ってるん?」


「工房の常連客に、そういうのが好きなおっさんがいらん世話焼いて話してくるんだよ……。

 ほら、あの、東門の詰所の憲兵さん」


 なお、その後おっさんはシャロンのにっこりブリザードに処されていた。

 しかし当人は『あの視線がたまらない』とかいう(ごう)の者である。むしろ、あの目で見られたいがために僕にちょっかいを出してくる、(ごう)の者かもしれなかったが。


「ほーん。

 カーくんにはシャロちゃんと、その……ウチらやっておるねんから、そんなん必要ないんになぁ」


 そういう店に通う人も、しっかりと所帯を持っていたりすることもあるらしい。

 仕事で後腐れなく相手をしてくれるというのも大事な要素だ、とかおっさんは言っていた。

 工房の物が壊れるので、かなり加減しているとはいえシャロンのにっこり威圧感に耐えるおっさんの胆力は、素直に目を見張るものではあった。


「そんな話をしてる間に、また娼館から誰か出てきたぞ。女の子だな。

 ……って、アーニャどうした。なんでそんな不満そうな顔してるんだ?」


「べっつにー。

 ほんま、カーくんはカーくんやなーって思っただけやしー」


「なんやそれ……」


 アーニャの口調が若干移ってしまう僕だった。


「それよか、カーくん。

 なんかあの娘、えらい楽しそうやけど」


 胸元の大きくはだけた、薄布のような服を纏う、その女性。"全知"によると、歳は24歳。名前はテテ。


 この季節においてその格好はものすごく寒そうだが、そんな様子はおくびにも出さず、にこにこ、へらへらと楽しそうだ。

 栗色のふわふわした髪の上側には、くるんと丸まった耳がついており、それが即ちその女性が獣人であることを示している。尻尾は見えない。


 獣人だから寒さに強い、とかそういうのだろうか。

 傍のアーニャを眺めると、上着を羽織っているとはいえ短いズボンに、おへそが覗く丈の短い服。


「ん? どしたんカーくん」


「いや。寒くないのかなって」


「寒いにゃー」


「だよなぁ」


 アーニャは動きにくくなるのを嫌ってこういう格好をしているだけで、実際はけっこう寒がりだ。

 アーニャ、アーシャ、ラシュの三人は、寄り集まって暖炉前を占拠していることが、わりとある。


「たぶん、カーくんの思うてる通りやと思う。あれは……うにゃっ!?」


「おっとと」


 しかし。

 何かを言いかけたアーニャの言葉の途中で。


 地面が、揺れた。


 ぐらぐら、ゆさゆさ。


 バランスを崩しかけたアーニャを咄嗟に支えるために手首を握ると、先ほどの密着状態を思い出したらしいアーニャの頬が再び熱を取り戻したようだった。



 揺れ自体は数秒で収まった。


 この揺れも、頻度が頻度なので、もはや慣れっこになってきている。

 揺れがあっても棚が倒れたり物品が壊れたりしないよう、工房の棚には揺れを感知した段階で軽めの"結界"を形成する魔法陣がそれぞれ描かれていたりもする。


「ぅ……ありがと」


 弱々しく礼を述べてささっと離れるアーニャ。普段の様子とまるで違う。

 やはり、どこか具合が悪いのか、本調子でないのかもしれない。


「それより、カーくん。あれ」


 以後は僕がなんとかする、もしくはシャロンをかわりに呼ぼうか、など僕が悩んでいる間にアーニャは目線で宿屋の店先を示した。


 そこでは、先ほどの獣人の女性がむくりと起き上がるところだった。

 突然の地揺れで、転んだと思われる。


 ゆっくりと起き上がる女性の顔面には、へらへらとした笑顔が張り付いたままで。


 異様。


 異質。


 目線を虚空に投げる瞳をそのままに、女性は口元をニカァっと吊り上げ。


 笑う。


 嗤う。


 声を上げずに、ただにやにやと。へらへらと。


 楽しげに。


 愉しげに。


 そうして宿屋の中にふらふらと歩を進めるまで、女性の表情は変わらなかった。



「なぁ、カーくん。

 あれってさ、やっぱり」


「おそらく。薬物(エンペラー)中毒者だろうな」


《確実に薬物(エンペラー)中毒》


「ああ、わかった、わかった。おそらくじゃない、確実に、だ」


 曖昧な表現が嫌いな"全知"から、久しぶりに割り込みを受けた。

 必要なとき以外に装着しないようにしているので、ヘソを曲げているのかもしれない。眼鏡に曲げるヘソなどないが。


「さっきの男と、いまの()の接点、ありそうやけど。

 どうやって確かめような?」


 うにゃあ、と唸ったアーニャは再びそっぽを向き。


「確かめるために、ウチらも、入る?」


 耳も尻尾もピンと立て、しかし視線はそっぽを向いたまま切り出した。

 彼女の頬は、当然のように真っ赤である。


「いや、実は"探知"を広域型に切り替えたから、外からで問題ない。

 店から出入りするときに目につかないように、ちょっと距離を離すか」


 先ほどのように見つかりかけるのは、こりごりである。


「カーくんってさぁ。ほんまにさぁ。そういうとこあるよにゃぁ……」


 とぼとぼと、僕の後ろをついて歩くアーニャは、大きく白い息を吐くのだった。


買い物してない買い物編、思った以上に長くなってしまっています。

だいたい1,2話完結型を目指したいところなのですが、たまにはこういうのもあるという感じでひとつ。

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