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休日の買い物 そのに

 昨日、アーシャに薬物を渡したと思われる人物は、ほどなくして見つけ出すことに成功した。


 アーシャが薬物と一緒に渡されていたメモ書きには、何時にどこで天国に連れて行くよ、みたいな頭の痛い文と簡素な地図が書かれていたのだが、おそらくそれが薬の受け渡しの話なのだと思われる。

 アーシャはまだほとんど字が読めないので、そんな頭の悪い文を読ませずに済んだという点では幸いであった。


 一般的な奴隷の獣人の識字率はそう高くないと思われるが、そんな相手にメモ書きを渡した意味は、アーニャの発言によって判明した。


 匂いだ。匂いが目印となるのだ。


「なんかこの、めも? すっごい変な匂いする。くぁーむって感じ」


「なんて?」


「くぁーむって感じ」


 聞き返しても、よくわからなかった。


 とにかく、メモ書きのしたためられてある羊皮紙の切れ端は、アーニャが言うには変わった匂いがするということのようだ。

 "全知"でしっかりとメモ書きの、その羊皮紙の様子を調べてみると、どうやら魔物の体液を希釈したものが吹きつけられているらしいことがわかった。


 同様に、"全知"で薬物(エンペラー)側をもう少し深く調べると、特定の匂いへの嗅覚がかなり鋭敏になるという副次効果も持っているらしい。

 このメモ書き自体の匂いを辿り、売人は買い手を見つけるのだろう。


 何も詳しいことが書いていないメモ書きなので、仮にこれが憲兵に押収されたところで足がつく恐れはほとんどないだろう。

 僕には全くわからない程度の匂いだったため、この薬物に染まりきっている、ないし何らかの判別方法を持つ者に見つけてもらうという方法は、悔しいながら検挙されにくいという意味では理にかなっている。


 そして。匂いが目印となるのならば、こちらはそれを逆手に取るまでだ。

 とはいえ、実際に薬物を摂取するなど僕はしないし、アーニャにもさせはしない。


 幸い、メモ書きに顏を近づけてふんふんさせる程度でアーニャは匂いを嗅ぎ分けられるようだったので、"身体強化"で事足りた。


「お? お? これすごいでカーくん!

 めっちゃ跳べる、めっちゃ走れる!」


 "身体強化"によって薄紫色の光を帯びたアーニャは、建物の屋根に一足飛びに飛び移ったり、僕の目の前で横っ飛びを繰り返したり。


 その度に重力と加速に耐えかねた特定の部位が、そりゃもうばいんばいんとものすごく揺れ動くのだが、"身体強化"中であるためか、さほど痛みは感じないらしい。


 得意げな顔で横っ飛びを繰り返すアーニャを横目で見つつ、早く対象を探し始めたい僕。なにより、たまに通りかかる町人たちの視線が少々つらい。


「目的を忘れるな」


「せやった、せやった」


 ぺろっと舌を出し、その後真剣な表情に戻ったアーニャが匂いを頼りに探すこと半刻ほど。


 ――途中、嗅覚が鋭敏になっているアーニャがふらふらと屋台に吸い込まれかけたり、刺激臭を避けて大回りする羽目になったりはしたものの、あっけなく男は見つかったのだった。



「おった、多分あいつやで」


 路地裏にしゃがみ込む、ぼぅっとした様子の男を見やり、アーニャ。

 アーニャは昨日あの男が来店したときにも店内にいたため、ほぼ間違いはないという。


 太もものナイフに手を添え、飛び出そうとするアーニャを、手で制する。


「待てアーニャ。今あいつを捕まえるのは得策じゃない」


「わかっとるで、カーくん。

 捕まえたりせん。ブチ殺す」


 (アーシャ)に押し付けられたモノのことを思い返していたのだろう。

 アーニャさん、先ほどまでのやんちゃぶりはなりを潜め、なかなか煮えたぎっていらっしゃる。


「そういうことじゃない。

 売人だけ捕まえたところで意味が薄いって話だ。掃除するなら根こそぎやるぞ」


 アーニャは見るからに不満げである。


 昨晩、ひとしきり泣いて目が赤くなったアーシャの様子に気づいたアーニャを別室に呼び出し、状況をかいつまんで話して聞かせたときにも、目や歯を剥き、怒りを顕にしていたのだ。


 "肉体強化"ではしゃいでいたのも、もしかしたら彼女なりに気を落ち着けるためだったのかもしれない。素かもしれないが。


「この手の禁止薬物を扱う奴らは基本的に拷問にかけられて情報を引き出された上で斬首刑だ。

 犯罪奴隷として生かされることも、ないはずだ。国家を脅かす重大犯罪だからな、見せしめの意味もあるし」


 まあ、もっとも。

 捕まえる、その過程で向こうがこちらを殺しにかかるというのであれば、やられないためには仕方がない。殺すのもやむなしということになるだろう。


 とはいえ僕は、どちらかというと捕まえておきたい。

 うちの(アーシャ)に手を出すということがどういうことかを、死ぬまで後悔し続けてもらうためにも。

 捕まえて拷問されるまでの絶望の期間は『良い薬』となるだろう。


 ……アーニャに『煮えたぎってるな』なんて思ってたわりに、僕もわりとかもしれない。



「それに、見たところ。

 奴はいま、(モノ)を持っていないみたいだ。

 往来で人を襲ったら、捕まるのは僕らのほうになる。慎重にいこう」


「むぅ。でも……」


「でもじゃない。いいか、アーニャ。

 僕らは落とし前を付けさせるだけじゃなく、アーシャやラシュ、皆の居場所を守る必要もあるんだ。

 僕らが追われる身になって、皆が居場所をなくすようなのは、ナシだ」


「ん……」


 叱られたようにしゅんとしたアーニャは、しぶしぶといった様子で頷いた。

 そういった細かい所作が、昨日のアーシャに重なって見える。


 僕らが守るべき『居場所』と『皆』には、僕やアーニャ自身も含まれていないといけないんだ。

 まったく。守るものが多いと、大変である。大変なわりには、あまり苦ではないけれど。



「それにしても。ただ待つというのもなぁ」


 やや露骨だが、話題転換をはかる僕。


 僕らが問答している間にも、一区画先の路地でしゃがみこむ男に動きはない。

 このまま何か動きを待つというのも手ではある。しかし、その動きもいつになるかがわかったものではない。


 薬物に関わる動きを見せるまでに、何日も張り込むというのは少々避けたかった。


「ウチが」


「ん?」


「ウチが、やる」


 アーニャの瞳に、怒りの色はない。

 アーシャやラシュの話を出され、少し冷静になったのだろう。


 アーニャは僕の手からメモ書きを取ると、くるくると丸めて胸元に挟んで仕舞い込む。上着にもポケットがついているのだから、そこを収納スペースとして活用するのはやめたほうがいいと僕は思う。


「『獣人』はナメられやすいからな。ウチがやる。

 殺したりせんから、安心し」


「……。

 わかった。気をつけて」


 僕の返答に、アーニャはにゃははと笑って応じる。


「あいにゃー。ま、危なくなったら、守ってな?」


 アーニャはあくまで軽い足取りで、すたすたと男の元に歩み寄っていく。


 すたすた。すたすた。


 "肉体強化"の効力も切れ、傍目からもただの獣人であるアーニャはまるで気負った様子もなく。

 ただ、歩み寄っていく。


 ここで逆に僕が発見されてしまっては事がややこしくなる。

 男に仲間がいる可能性も考慮しつつ、その場を少し離れることにする。


 アーニャと男のやりとりは、首輪を介して"倉庫"経由で聞くことができる。

 魔術の発動も然り。ロンデウッド元男爵の屋敷で板を介してやっていたことが、今は彼女らの首輪越しに可能である。

 なので、もし突発的にアーニャを守る必要が生じた場合でも大丈夫だ。



 僕が表通りに出て、近隣の店先を物色している風を装いつつ、ぶらぶらしはじめた頃に、アーニャはうまく男に接触することができたようだ。


 男は、相手がアーシャでなかったことに若干落胆している様子だった。


「すまんな、妹やなくて。

 ウチはあの子の代理。ウチにもアレを分けてくれたから、その分買()うてきたろって思ってな」


 特に話を用意していたわけでもないのだが、アーニャは男相手にそれらしいやりとりを展開している。


 魔法陣の淡い光を誤魔化すためにも、アーニャの服の内側で"倉庫"の出口を作っているため、声は若干こもった感じで聞こえる。が、意味をひろう分には問題ない。


 声だけで、視覚を拾えないのも、服の内側であるためだ。下手をすると、アーニャの健康的な肌の色が大写しになってしまうため、そもそも視覚が確保できるほどの大きさの魔法陣を展開してはいない。


「ああ、ああ、ああ!!

 やはりあの娘は。あの娘は清らかだ。心が清らかだ。

 清らかで素晴らしい。素晴らしい妹を持って、君は幸福だ。

 幸福を分け与える清らかさを持った娘を妹に持った、君は大変幸福だ」


 応じる男は、路地に俯いていた者と同一人物とは思えないほどの、驚きのテンションの高さである。


『カーくぅん……ウチこの人苦手なタイプやわ……』


 速攻でアーニャからの"念話(なきごと)"が飛んでくる。

 なんとか会話を続けるアーニャの言葉も、だいぶ気後れが滲んでいる。


「えーっと。それで、あのな? アレを売ってくれへんかなー、なんて思うんやけどな?」


「ああ、ああ、ああ!!

 あれは神の薬だ。薬の形をとった神の御業だ。

 御業を清らかなる者に与えて幸福に。君たち虐げられし者も幸福に」


「それでな? えっと、売ってもらわれへんのかな?」


『どつきたい! ほんまにどつきまわしたい! なんやこいつ!!』


『落ち着け。がんばれお姉ちゃん』


『うう……』


 男との会話にならない会話を続けつつも、器用にこちらに泣き言を漏らすアーニャ。


「ああ、ああ、ああ!!

 清らかなる娘と共に幸せになるために。幸せを共有するために。共有して幸福を増幅するために。

 いいだろう。いいだろうとも。売ることもいいだろう。君にも売ろう。皆で売ろう。皆で幸福になろう」


『なんか、こいつ、変やで。

 なんていうか。おかしいわ、カーくん。

 言うてることも変やけど、それだけやない。身体ゆすって、目も合わせへんとウチのおっぱいガン見してるし』


 彼女のその部位が注視されるのは、別段珍しいことではない。男性あるあるどころか、女性客にも見られていることさえある。

 とはいえ、それはアーニャの目が逸れているときの話であり、面と向かって話をしているときにもじっと見つめられることは少ないのかもしれない。

 ちなみに僕がそういう部分にすこーし気を取られそうになる気配を察すると、シャロンは僕の手をにぎにぎしに来て意識を自分に向けさせる。アーニャたちのことを可愛がるのは良くても、シャロンは何故かアーニャのその部位にだけは対抗心を燃やしているらしい。


『そいつが見てるの、アーニャがそこに仕舞ったメモ書きなんじゃないか?

 なんか匂いがするんだろ?』


『ああ、せやった。

 ちょっと出してみる――ああ。おっぱいと、メモで目線が半々くらいになったわ。

 はは、ぐるぐるしとる』


 結局、見られはするらしい。


「これなら持ってるで。

 はよ売ってぇなぁ」


 若干、奇妙な相手に慣れたのか、メモを手に甘めの声で迫るアーニャ。


「あ、あ、ああ、ああ!!

 幸福になろう、幸福に救おう、不浄の者にも幸福を齎そう。

 今ではない。今はない。残念だ。しかし残念だ。今ではないのが残念だ」


 甘い声で迫るアーニャに狼狽えたのか、男がどもって立ち上がった気配がある。


『こいつん中でアーちゃんが清らかなんはええけどさぁ。ウチが不浄扱いなんは納得いかんねんけど。

 アーちゃんもウチも汚れなき処女やわ、こんにゃろー』


『それよりも。相手は移動するのか?』


『流された。カーくんに軽く流された。ウチ的には大事なことなんやけど……。

 こいつ、どうも動くっぽいな。追っかける?』


「待て、待て、待て!!

 君はまた機会を待つ。良くない。ついてくることは良い機会でない。

 売るためには待つ。君は待つ」


 君は待つ、とうわ言のように繰り返しながら、ざっざっと足音が遠ざかって行く。


『ついてくんなってことやろかな?』


『たぶん。

 薬を仕入れに行くのかもしれない。

 一旦合流して、追跡しよう』


『あいにゃー』


 ずっと野菜をひっくり返したり戻したりして吟味している風だった僕が立ち去る構えを見せると、店主は露骨に嫌そうな顏をしていた。

 しかし、今はそれなりに急ぐのだ。またそのうち買いに寄らせてもらうとしよう。



 アーニャに指示した二区画先で合流を済ませると、彼女はどこか複雑そうな表情をしていた。


「なんだ、まだ不浄って言われたの根に持ってるのか?」


「んー。ちゃうねん。それもショックやったんはあるけどな。

 なんか、わからんなってな」


 うにゃあ、と息をつき、自身の髪をわしわし。


「あれ、あの男な。たぶんやけど、その例のクスリやってるんやろ」


「多分な」


 例のメモ書きが仕舞われているときから反応を示していたのだ。

 言動も、話が通じているようで、どこか様子がおかしいようにも感じた。

 十中八九、薬物の影響下にあるのだろう。


「アーちゃんに毒を売りつけようとしたってのは最悪やけどな。

 でもなんか、あいつ。自分が感じとる『シアワセ』を、アーちゃんに分けたりたいみたいな、そんなふうに」


「……」


「アーちゃんのこと言うときにもえらい笑顔でな。若干こわかってんけど」


 複雑そうな表情のアーニャは、ぽつぽつと言葉を続ける。

 『ウチの妹に手を出した敵』であった相手に、多少なりとも感情移入してしまっているのだろう。


「アーニャ」


「お金が欲しゅうて、みたいな感じや、なかった。

 やり方は最悪やけど、皆で幸せになりたいみたいな、そんな……」


「アーニャ!」


 なおも逡巡した様子のアーニャは、僕の呼びかけにビクりとして止まる。


「奴自身の意図や、意志がどうか、というのは関係がないんだ。

 どうあれ、奴は僕らを巻き込んだ敵だ」


 僕は身内を守るために、その他のものと敵対するなら容赦しない。そう決めたんだ。


 もう、誰かを失うのは。一人ぼっちになるのは。きっと耐えられない。

 しかし、目に視える全てを救うなんてこと、できっこない。


 だから、僕は線を引く。敵と味方を隔てる線を引く。

 どんな考えを持っていようと、僕の敵であるならば。決して、容赦はしない。そう決めたのだ。


「ん……そうやな。ごめん」


「いや。なんだかんだ言ってもアーニャは優しいからな。

 つらかったら工房に戻ってていい。後は僕一人でやるし」


「なんだかんだは余計やと思うんやけど」


 ぶつぶつと反論してくるアーニャの頬はほのかに赤い。耳も、忙しなくぴこぴこと動いている。が、表情は少し明るくなったようだ。


「ウチも、最後までついてく。

 危なっかしくて、カーくんをひとりぼっちにはでけへんからな!」


 何故か顔はそっぽを向いて、しかしアーニャはしっかりと返事をかえす。

 僕はそれに頷くと、アーニャの髪をくしゃりと撫でた。


「じゃ、行こうか。

 僕が危ないことをしないように、ちゃんと見張ってて」


 折しも、ずっと"探知"で動向を追跡していた例の男が、別の区画へと歩みを進めたところだ。


 いままでは尾行を警戒してか、同じ区画内を彷徨い歩いていたようなのだが、ここから薬を仕入れに向かう可能性もある。


 こちらとの距離は二区画以上離れており、魔術か魔道具でも用いない限りは感づかれることもないだろう。今のところ、アーニャが何らかの魔術の標的にされて抗魔(レジスト)が働いたような形跡もないため、そちらもあまり心配あるまい。


 歩き出した僕に遅れないように、てててっと横に並ぶアーニャ。


「ウチにまかしとき!」


 こちらに向きなおって八重歯を見せつけ、ニッと笑う彼女の髪をもう一度撫でつけて。


 僕らは男の追跡を開始したのだった。

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