休日ねこまっしぐら
工房の2階には、寝室や食卓、塩を作っている部屋などの部屋を結ぶ、まっすぐな廊下があります。
この廊下には丸い窓が一つあり、日当たりも良好なのです。
そこに。
白くて丸っこい、毛玉がおりました。
「あらあら」
毛玉の正体は、丸まっているラシュさんです。
ラシュさんが膝を抱きかかえるようにして、廊下の真ん中で丸くなって寝ています。そのすぐ傍ではらっぴーさんが、同じく丸っこい体をべちゃっと廊下に下ろし、寝ているようです。
廊下は、窓から差し込む光によってぽかぽかと暖かく、昼寝場所としては申し分ないのでしょう。
羊毛のクッションの上で丸まっているラシュさんは、自身の尻尾の色も相まって、まるで白い一塊りの毛玉のようです。
幸い、今日は工房はおやすみです。というのも、売り物の数が心許ないうえ、毎日店を開けて物を作り続けていては、オスカーさんの休息が取れません。安息日は重要なのです。
私は魔導機兵ですから、主人を毎日働かせているという現状に忸怩たる思いがあるのは事実です。しかし当のオスカーさんがそれを望んでいるのであれば、支えるのも妻たるものの努めでしょう。
そんなわけで。
今日は朝からオスカーさんは町へ買い物へ。アーニャさんはそれについて行き。
アーシャさんは家事を片付けるためにパタパタと走り回っています。
私はというと、オスカーさんメロメロ計画第86弾のために工房に居残りです。オスカーさんのお供をしたい気持ちも勿論あるのですけれど、計画は秘密裏に進めるほうが効果的なのです。計画は準備段階から情報戦は既に始まっているのです。
そんなこんなな様子で、皆それぞれが休日を満喫しているので、ここでラシュさんが丸まっていらしても、なんら問題はないのです。
しかし。
「っくしゅ……」
いくら日当たりが良いとはいえ、季節は冬です。
生物には厳しい寒さでありましょう。
暖炉が点いているときには、アーニャさん、アーシャさん、ラシュさんの3人は身を寄せ合うようにして暖炉前に陣取って居る姿が見受けられます。
くしゃみをして鼻をすする毛玉を目にしてしまったとあっては、仕方がありません。
計画を一時中断し、毛布を取ってくるとしましょう。
"倉庫"内に常備している毛布は、出先で急に必要になることもありましょう。
工房内にいるときは、なるべくそこいらにあるものを使うことが望ましいでしょうね。
見えないところでも考えを巡らせる、これも良妻としての努めなのです。
ええっと、たしか地下室に毛布があったはずです。
ぱたぱたっと降りてきた1階では、何かと悪戦苦闘するアーシャさんがおりました。
「あっ、シャロンさまっ。た、たすけてなのっ」
「アーシャさん。お洗濯ですか?」
「はいなのっ。
おねえちゃんのひもがっ、うぅっ……! 長くって、大変なのっ」
戦っている相手は洗濯物のようで、アーシャさんは耳も尻尾もびしょ濡れになり、しんなりとしています。
さらに当人の言うように、濡れた紐状のものにがんじがらめにされており、濡れた服が慎ましやかな胸元をはじめ地肌に張り付いており、どうしようもない状態になっています。
外の井戸水で衣類を洗ったあと、工房の床を汚さないように運ぶ過程で洗濯物が絡み付いてしまったのでしょう。
どうしてそうなったというか、どうしてそんなになるまで放っておいたんだ、というのが正直な感想です。
「あら。たしかに、濡れたら重くなって扱いづらいですね」
「あ〜れ〜なのー」
アーシャさんの体に巻きついている紐をぐるぐると解きほぐしていくと、囚われていたアーシャさんもぐるぐると回ります。少し面白いかもしれません。
この紐は、アーニャさんの暴力的な物量を秘めた部位を留めておくためのもので、いわゆるサラシのような使われ方をしています。というのも、薄い下着類や胸当ては、軒並みサイズが合わなかったためです。腹立たしいことに。腹立たしいことにっ!
しかし、巻くのも面倒そうですし、洗うのも見ての通り大変そうです。
うーん。ともすると、私の知識の中にある昔の下着の設計をお見せすれば、オスカーさんならばあるいは再現できてしまうかもしれません。むしろ技術的にではなく、心情的に女性の下着を作ることにオスカーさんが堪え得るかどうかはなんとも言えませんが。
こと誘惑する際には下着は邪魔になりますが、オスカーさんの作が身体のデリケートな部分を包むとなると、これは私の分もどうにかして作っていただく他ありません。ええ。これは必要なことなのです。
「助かったなの。
シャロンさま、ありがとなの」
尻尾をピンと立てて、ぺこりとお辞儀をするアーシャさんは、照れ臭そうに、てへへと笑います。
「いえ。気にしないでください。
それより、アーシャさん。地下に毛布ってありましたっけ」
「降りて左側の棚の2段目に畳んで積んであるの!」
魔術も使えず、センサー類で探索ができるわけでもないのに、工房内の物の位置に関しては、アーシャさんが一番把握していると言っても過言ではないでしょう。
使用頻度にあわせ、よく使うものは手前の取り扱いやすく、仕舞いやすい場所へ。また、似た物は同じ棚に。地下の物置も"倉庫"も、まだ使いやすい環境が整えられているのはアーシャさんの手柄であることは疑いようもありません。
「ありがとうございます。
いつも整理整頓、助かります」
「どういたしましてなの。
みんな、好き勝手に置くから大変なことになってたのっ」
面目次第もございません。
私やオスカーさんは、必要なときには探知して探し当てるため、わりと適当にそこらへんに物を置きがちです。
オスカーさまの母上様、私にとってのお義母様の眠る棺の左右を囲むように、鮮魚の泳ぐ水槽やオークの肉がででんと置かれて居るのを目にしたときの、アーシャさんのなんとも言えない表情は忘れられそうにありません。
腰に手を当て、アーシャさんは得意げに胸を張ります。水に濡れ、服が張り付いた慎ましやかなその胸を張るその姿は、なんとなく、私がオスカーさんに褒めていただきたいときの所作に重なります。いえ、私の胸はもう少しありますが。
はたしてアーシャさんの言う通りの場所に、丁寧に畳まれた状態で、毛布はありました。
その足で2階にとって返すと、相変わらず丸まっているラシュさんと、その小さい右手と地面とに挟み込まれるように丸っこい身体を歪めているらっぴーさんの姿があります。
「プ……プェ……」
そんな悲しげな声を出されましても。
「ん、んぅ〜」
「ピ」
ふわさぁっと毛布を広げてラシュさんに掛けて差し上げると、穏やかな寝息で返事をされました。
ラシュさんの右手から解放されたらっぴーさんは床から私を見上げ、一声短く鳴くと、自らももぞもぞと毛布に潜って行きます。お昼寝大好きコンビはそっとしておいて、私はオスカーさんメロメロ計画第86弾の準備を——あら?
「あの——ラシュさん?」
掴まれています。
がっちりと、掴まれています。
らっぴーさんを拘束していた小さな右手は、今は毛布を掛けた私の服の裾をがっちりと掴んで離してくださいません。
困りました。
離していただくためにわざわざ起こすのも躊躇われますし、ここでぺろーんと服を脱ぎ捨てるというのもはしたない気がします。オスカーさんがこの場にいらっしゃるなら天然を装ってそういう迫り方をするのもありかもしれませんけれど。
——今度やってみましょう、それは勝率の高い作戦のような気がします。ラシュさんは魚で買収するとして。
「仕方がないですね」
小さく呟き、私もその場に腰を降ろすことにします。
オスカーさんメロメロ計画第86弾の準備は、この場でも行う事に問題はありません。
右手の腕輪にそっと触れ、"倉庫"を展開。テンタラギオス討伐の報酬にいただいた毛糸を取り出します。
ちなみに、あのときの報酬は毛糸の他には一頭分の羊肉もいただいており、そちらはアーシャさんが腕を奮った料理となって日々の食卓を彩っています。
放牧地では尻尾を齧られて半泣きになっていらっしゃったりもしましたが、散々もふもふしたり背中に乗せてもらったりとしている間に機嫌を直したアーシャさんは、工房に帰ってからも『ひつじさーん、ひつじさーん』と上機嫌でした。
ですが、それはそれで肉は肉、ということらしく、私がぱぱぱっと解体した羊肉を鼻歌混じりに調理していらっしゃいました。アーシャさん曰く『可愛くて美味しくてとても良いなの!』とのことですので、あの方もなかなか強かです。
さて。
それでは計画の準備、準備です。
オスカーさんが絶対に探らないであろう場所——私たちの下着が入っている箱の奥底に仕舞っているそれを"倉庫"から取り出し、気合いを入れます。ふんす。
今日はどこまで進められるでしょうか。
ちくちくちく。
単純作業の繰り返しは、私の苦手とするところではありません。
しかし、戦闘や探索、夜のお相手などのように本来魔導機兵に求められるものならいざ知らず、こういった作業は不慣れなものです。記録としての知識こそあれ、技術は全く素人のそれです。
ちくちくちく。
しばらくそれと奮戦していますと、どうやらお洗濯を終えたらしいアーシャさんがひょこっと顔を覗かせます。
「あ、シャロンさま。
ラシュは、えっと、お昼寝中? なの?」
「はい。捕まってしまいました。
アーシャさんも、お洗濯お疲れ様でした。せっかくのお休みの日なのに、すみません」
「アーシャが役に立ちたくてやってることなの、気にしないでなの。
あ、ちょっと待っててなの!」
来たときと同じく、アーシャさんはひょこっと姿を消すと、程なくして湯気の立つカップを二つ持って来て、すぐ側に腰を降ろします。
「ちょっときゅーけい、なの」
「ありがとうございます」
アーシャさんが持って来てくれたお茶を受け取り、しばしまったりした時間を楽しみます。
とりとめもない話、羊の話、計画の話、などなど。
ちくちくと、手を動かしながら雑談をしていますと、アーシャさんの首がこっくり、こっくりと船を漕ぎだしました。時折ハッと目覚めたように相槌を打っては、またすぐにとろーんと瞼が落ちはじめます。
のんびりとした時の過ごし方も、悪くはないものです。
「オスカーさま、も……。よろこぶ、なの……」
夢見心地なアーシャさんは、何に対してかよくわからないお返事をされ、幼さの残る顔いっぱいにふんわりした笑みを浮かべます。
「アーシャさん、こっちに来ますか」
「なの……」
"倉庫"にカップを片付けて、ぽんぽんと自身の膝を指し示しますと、うつらうつらしていた少女がそのままころんと転がり込んできました。
「ふふ」
私の口元に浮かんだ笑みと、アーシャさんの幸せそうな寝顔は、きっと同質のものでありましょう。
私の膝枕はオスカーさん専用の特等席です、と以前の私は言ったものです。
今もオスカーさんが一番の最優先なのは変わりません。しかし、一緒に暮らす彼女らもまた、私にとって優先度の高い対象になりつつある、ということでしょう。だって、こんなに安らかな気持ちでいるのですから。
そうしてまた。
静かになった日の当たる廊下で、私は作業を続けます。
ちくちくちく。
ちくちくちく。
そうして少し日差しが弱まった頃に、オスカーさんたちがお帰りになりました。
軽くお買い物に、という話であったはずですが、何をしてきたやらすっきりしたお顔をされています。
私は作業途中のそれをささっと"倉庫"に仕舞い込むと、何食わぬ顔で膝の上で眠るアーシャさんの髪を撫でます。
「にゅふふ……」
アーシャさんは、幸せそうな寝顔で涎を垂らしています。乙女仲間として、拭いておいて差し上げましょう。いえ私は厳密にはもう乙女ではないのですけれど。武士の情けで拭いておいて差し上げましょう。——いえ、武士でもないのですけれど。
そんな私たちの元に、先ほどやってきたアーシャさんと同じような姿勢で、ひょこっとアーニャさんが顔を見せます。
「うわっ、なにやってんのシャロちゃん。モテ期?」
「よく寝てらっしゃるのでお静かに。
オスカーさんの嫁同士でモテても仕方がないでしょう」
「にゃはは、それもそっか。
あ、すまん静かに、やったな」
アーニャさんはカラカラと笑うと、そろりそろりとこちらに近づいてきます。
「それよりも、アーニャさん。
いいところに通りがかりました。ちょっと替わっていただきたくて――」
「この毛布から尻尾だけ出とんのはラシュやな。
今日はぬくいもんなー、日向で寝るには最高やな! ウチもご相伴にあずかろっと」
そう言ったかと思うと、私の背後に腰をおろしたようです。
背中越しに、アーニャさんの温かさが伝わってきます。
「あの、そうではなく――」
「ふぁぁ。なんやシャロちゃんの背中、ひんやりしてて気持ちええわ……」
変わって、と再度訴えるよりも早く。
アーニャさんは、私の背中の感触の感想を呟いたかと思うと、三秒で寝ました。くーくーという、規則正しく少し可愛らしい寝息が背中越しに聞こえます。
驚きの早業です。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてないです。もっと恐ろしいものの片鱗というか、寝付き良すぎるでしょう。
想定外です。
想定外の展開です。
廊下の一角が、一気に猫人族の集落のような様相を呈してきました。
オスカーさんに念話を飛ばして助けを求めるのも、無理に起き上がって皆さんを起こすのも、簡単といえば簡単です。
しかしその簡単な選択肢が取れない私は、完全拘束されてしまった我が身を見下ろし、途方に暮れています。
窓越しに見上げる太陽は温かな日差しで。
規則正しく上下する毛布と、寝息と。
背中越しに伝わる体温と、腰の辺りでたまにピクりと動く尻尾。
時間だけが、ただ穏やかに流れてゆきます。
「うわ。ねこまっしぐら状態」
「オスカーさぁん——」
思い掛けず、情けない声が出ました。
そんな私にオスカーさんは苦笑い。
私の反応が物珍しいのもあるのでしょう。どちらかと笑顔成分の多い苦笑いです。
「留守番、ごくろうさま。
よっこいせ」
「いえ。あの、オスカーさん?」
オスカーさんまでが、私の隣に腰を降ろし。
そんなに狭くない廊下が、いまやぎゅうぎゅうです。
ハウレル家全員が、廊下の小窓前で集結して日向ぼっこに勤しんでいるのですから、さもありなんという感じではありますけれど。
「うん?」
「いえ、あの——いえ」
私をまっすぐに見返してくださるオスカーさんの瞳はとても落ち着いており。
ふわり、と髪を撫ぜる爽やかな風を感じて窓を見上げると、少しだけ窓が開けられています。
オスカーさんが何らかの魔術で開けたのでしょう。
「なんだか、ちょっと困ってるみたいだけど」
「皆さん、寝てしまわれたので。
どうしたものでしょう、と」
「どうもしなくていいと思うけど」
オスカーさんは目を細めると、ゆっくりと手を伸ばして私の髪を撫でます。
撫でられた髪の先からどんどん愛おしさ溢れてくるような、オスカーさんの指は、そんな魔法の指先なのです。
「少し、目を閉じてごらん」
「はい。——あの、えっと?」
「いいから」
オスカーさんに言われた通りに目を閉じます。
キス待ち顔でもしていれば良いでしょうか。こんなとき、どういう顔をしていいのかわからないのです。
どうしましょう、こんな、皆様のいらっしゃる前で。いえ皆寝ていらっしゃいますけれど。
再度、ふわりと風が頬を撫ぜていきます。
さわさわという、街路樹の枝葉の揺れる音。
シューシューという、塩を製造する部屋の微かな音。
三姉弟たちの、慎ましやかな寝息。
そして、私の指先に絡められる——オスカーさんの指先の感触。
目を閉じた私のすぐ横で、ふ、と微笑むオスカーさんの気配を感じます。
「たまには、いいもんだね。
こういうのんびりしたのも」
膝からも背中からも、指先からも。
それぞれ異なる温かさが私を優しく包みこんで。
「——はい。
これは、なかなか良いものです」
こてん、とオスカーさんの肩に首をもたせかけながら。
ふふ、と笑みを返すのでした。
——なお、その後オスカーさんも完全に寝落ちてしまい、若干開いた窓から忍び込んだ冷たい風によって、ようやく皆が起きだしてきたのが夕飯時です。
涎跡を拭いながら『ご、ごはんの準備できてないなのっ』と慌てるアーシャさんを宥めながら、その日は妖精亭で遅めの夕飯を楽しんだのでした。




