びっくりとほっそり
昼過ぎになり、ようやく予約仕事もひと段落したあたりで、ヒンメル氏が来店した。
彼は開店当初から定期的に通ってくれている常連でもあり、ゴコ村の様子であるとか、情勢であるとかを教えてくれる。
また、商人のネットワークによって情報を仕入れてくれたり、僕らの工房の宣伝もしてくれているらしい。ヒンメル氏の乗り回す『ハウレル式馬車』の効果もあってか、車輪の大口注文も増加傾向にある。
「商人の界隈でもハウレルさんのところの工房の話題は頻出しとります。
大変に景気の良い売れ行きで、一枚噛みたい商人がわんさか居ますよ。
荒事を考えるものが出てもおかしくはありません。奥方様達のためにも、ご注意なさい」
「うーん。とはいえシャロンは強いし、アーニャもそれなりに戦えるからなぁ。ちょっと考えては見るけど。
一枚噛みたい話ってのは以前も、王都で呪文紙が転売されて大儲けされている、という話を聞いた気がするよ」
僕の答えに、ええ、とヒンメル氏は頷く。
「聞くところによると、粗悪な偽物……というとちょっと違うのかもしれませんが、そういうのも出回り出して、下火になりつつあるようですがね。
ハウレルさんのところの呪文紙と違って、普通の呪文紙は作った本人にしか意味のないものだと聞きます。そういうものが、一緒に売られたりしているそうですな」
「いろんなことを考えるなぁ、商人ってやつは」
「はっはっは。契約を何より重んじ、金品を得ることから『話の通じる悪魔』みたいな言われ方もしますからなぁ」
「若干カッコいい異名なのが腹立たしいな」
というのも、僕に付けられた異名は『紫輪のハウレル』というもので、王様からのなんとかいうありがたい勲章と共に証書が届いた。
届けて来たダビッドによると、それまで無名だったものに贈られるものとしては破格の代物らしいのだが、いまいちピンと来ない。王都に招けない分、できる限り最上級のものを贈るよ、みたいな心配りやら打算やらの産物らしいのだが。
シャロンに付けられている『熊殺しの女神』のほうが、まだ実態がわかりやすいというものである。
一部では僕と武勲や強さが同等だとかいう声の上がっているらしい異名持ちたちの格好良さが、さらに僕のやるせなさに拍車をかけている。
これらの情報も、ダビッドであったり、ヒンメル氏であったり、カイマンであったり。はたまた、僕を見に来た物見遊山な客であったり。そういった人たちから齎されたものだ。
曰く、煌のネクロマンサー・フィリクス。
曰く、崩拳王女シルヴィア。
曰く、赤衣の勇者。
曰く、黒雷の魔王。
その末尾にぽつんと紫輪のハウレル、である。
魔力特質が紫色で、車輪を作っていただけじゃないか! 僕ももっとかっこいい異名が良かったよ、ちくしょうめ。
これ、四天王で最弱とか言われるポジションだよな、僕。現段階で知ってる名前だけで、すでに5人だけど。
「人ごとではありませんぞ、こうして店を構えた以上、ハウレルさんも商人の一人。
魔術師であり、医者であり、商人であり、傭兵であり。となると本業が何かわかったものではありませんがな!」
はっはっは、と景気良く笑うヒンメル氏に、僕は歪んだ笑みを返すしかない。
本当に、何者だというのだろうか、僕は。
少なくとも、最弱の四天王という謗りは避けたいところである。
「奥方の、シャロンさんとアーシャさんは、本日は傭兵業と聞きましたが」
「ああ、そうなんだよ。
朝にカイマンに泣きつかれてな、なんか羊見に行ってるみたいだ」
「……リーズナルの坊ちゃんとも、随分と打ち解けられましたなぁ。
いやはや。近頃ではもう坊ちゃんと呼ぶのも悪いかというくらい、急に貫禄も出てきて。
ハウレルさんと冒険なさった頃からか、何事にも動じないなんて評価をされているようですよ」
「そうなのか。
最初のうちはいちいちちょっかいをかけてきて、うるさかったんだけどなー。
剣抜かれかけたりもしたし」
その話を蒸し返すたび、カイマンは苦虫を3匹くらい噛みつぶしたような、味わい深い顔を披露する。
僕としては気にしていないけど、カイマンはまだ半年も経っていないあの時の自身の行動を苦々しく思っているらしい。
僕としては、覚えている限り蒸し返してやろうと思っている。
「なんというか。ハウレルさんも、奥方様達も、はちゃめちゃですからなぁ」
「はちゃめちゃ」
なんという不名誉な形容か。
まるで落ち着きがないようではないか。半ば以上正鵠を射ているというのが、またやるせない。
「退屈しないということですよ。
退屈は、簡単に人間を死へと導きます。
刺激を求めて冒険に出て、そのまま帰らなかった、帰れなかった者のなんと多いことか。
――もっとも、安全ではあれ、ハウレルさんたちの周囲は刺激的にすぎるところはありますけれども」
君たちの相手をするのは、想定外のことをどれだけ考えねばならないのか頭が痛いから割りに合わん、と溢していたのはダビッド = ローヴィスである。
この間勲章を届けに来た時にぼそっと嫌味ついでに言われたのだ。あと、ちょいちょい仕事を放り込んで来るのを加減してくれ、だとか。
僕にはあずかり知らぬところではあるので、すっとぼけておいたけれど。
「とはいえ、シャロンさんにアーシャさんも居ないとあっては、静かなものですな」
シャロンもアーシャも、騒ぐような子ではない。
むしろ、物静かなほうだと思う。どちらかというとアーニャのほうがいつも元気なイメージがある。
しかし当のアーニャは僕らの会話に入って来るでもなく、静かに商品の陳列をしたりしているのみだ。まあ、アーニャはふりふりのついた工房の受付服に身を包んでいる時には、普段からわりと物静かで、とくに僕の前でじっとしていたりはあまりしないのだけれど。
「確かに。
お客さんも一旦途切れて、静かなもん……」
そう僕が言いかけた時だった。
「うわぁぁぁぁあ!」
どたどたどたどた!
2階から、初めて聞くようなラシュの慌てた声が響いてきた。
先ほどの『荒事を考えるものが出てもおかしくはありません』というヒンメル氏の言葉が思い起こされる。
「みてくる!」
言うが早いか、ふりふりの付いたスカートを翻しながら一足飛びに階上へ駆け上がって行くアーニャを見やりつつ、"探知"で周囲の熱源や敵性反応を探る。
一転、緊迫感の漂う工房内で、ヒンメル氏も何事かと険しい顔だ。
強い熱源反応は、塩を作っている部屋。これは塩を作るために火を入れるための術式に依るものだ。問題はない。
その他には、反応が3つ。アーニャ、ラシュと、小さいひとつはらっぴーだろう。
それ以外には特に反応は認められないが……。
『あー。なんやろ。問題は、うにゃあ。
見てもろた方がはやいわ』
困惑した感じのアーニャの報告のあと、どたどたと騒がしい足音を立ててラシュが階下、つまりこちらのほうまで駆けて来た。
「あにうえさまぁー!
らっぴー、らっぴーが」
耳はしょんぼりと下を向き、尻尾も地面に引きずっているラシュは、手元に何か緑色の棒を捧げ持っている。棒……?
「その細長いの、らっぴーか?」
僕の問いに、こくりと頷くラシュ。
鼻をずびずびと鳴らして、涙目だ。
「あにうえさま……らっぴー、なおる? なおる?」
普段の丸々した状態の緑の鳥とは対照的に、いまは細長い棒状というか、筒状というか、ほっそりとした何かになって硬直しているらっぴー。
僕は"倉庫"から"全知"を取り出し、状態を確認する。
――"全知"の眼鏡は、神名開帳という力を引き出した状態を意図せず発動してしまい、僕が一度ぶっ倒れてからは、常時の使用をしないようにとハウレル家家族会議において僕以外の全会一致で決められてしまったのである。
家族会議において一票を持っているということになったらっぴーを、頭に乗せたラシュがらっぴーの分の発言権も持つという、なんとも不可思議な議決であった。
それ以降、僕が眼鏡を掛けるのは必要な時のみ、である。それでも、わりと頻繁に着用しているけれど。
「うーん。
らっぴーは普通に生きてるし、びっくりして威嚇したまま気絶しちゃってるだけだね。
起こすよ」
気付けのためにはどこを刺激すれば良いのかを"全知"から読み取り、さすってみる。
しばらく続けると、ほっそりとしたままらっぴーは目を開け、一声「ピェ」といつも通りに鳴いた。
「らっぴー、よかった……。
まだほっそりしてるけど、よかった」
まだ鼻をずびずび言わせつつも、らっぴーから反応があったことが嬉しいらしい。
ラシュは手元でほっそりした状態のらっぴーを見つめて尻尾を持ち上げた。
「その鳥は、たしかラピッドクルスだと伺っておりましたかな。
フクロウなどの一部の鳥は、驚くとそのように細長くなることがあると聞いたことがあります。
おそらくは、問題ないでしょう」
ヒンメル氏は、傍に立つラシュの頭をよしよしと撫でる。
その頃には、らっぴーもだんだんと普段のふっくら丸々とした形を取り戻しつつあった。
「それにしても、何に驚いたんだ、らっぴーは」
"全知"では、らっぴーの思考はあまり追えないのだ。というか、あまり何も考えていないのかもしれない。
「ぼくが、びっくりして、らっぴー掴んだ。
らっぴー、ほっそりした……」
叱られる子供のようにおずおず、ぽつぽつと、ラシュが漏らす。
「ん? ラシュはらっぴーが細くなったのに驚いたんじゃなかったのか。
ラシュは何に驚いたんだ?」
「これちゃうかな?」
僕の声に応えたのは、2階から戻ってきたアーニャだ。
手元には、薄緑色の卵型の……って卵だ、あれ。
それを見たラシュも、こくりと首肯する。
ようやく、いつも通りの丸い形に戻ったらっぴーは、我関せずといった様子でラシュの服を登り始めた。目指すは定位置、ラシュの頭上であろう。
「らっぴーが。
おひるごはんたべて、卵、出した」
鶏のものと同等の大きさで、鶏よりもやや丸みを帯び、草原のような薄緑色のその卵は、らっぴーが産んだものらしい。そういやメスだったなぁ、あいつ。
「ぼく、びっくりして、らっぴー掴んで、ほっそりした……」
「もう大丈夫、カーくんがなんとかしてくれてんから。
思い出して悲しくならんでもええねんよ」
「アーニャの言う通りだ。
ほら、いつも通りラシュの上でくつろいでるし」
らっぴーは登りきったラシュの頭上で、嘴や足踏みで耳の位置などを整え、座り心地を確かめたあと「ピェ、ピェ」と鳴いた。満足そうである。
むしろ、ラシュはいつも頭をわしわしと踏み荒すらっぴーに対し、十分に我慢強いものだと思う。
そんなラシュは、いつも通りらっぴーの暴挙を特に気にした様子もなく、アーニャの手の上の、丸っこい卵を覗き込む。
「あにうえさま。
らっぴー、ふえる?」
「いや、無精卵みたいだ。
食べちゃっても大丈夫」
「むせいらん?」
「うん。ふえないたまごだ」
「ふえないたまご」
僕の答えに、こくり、と再び頷くラシュは少し残念そうに見える。
「ラピッドクルスの卵というと、滋養に優れ、美味という噂ですな。
種自体がそれなりに珍しいので、あまり市場には出回りませんが」
「じゃあ、せっかくだし食べるとしようか。
んー。とはいえ、美味しく調理してくれそうなアーシャは今留守だから、簡単なものしかできないな」
「お? んじゃウチがやろっか?
ここまで割らずに持って来たのがわりと凄いかなって思ってたとこやけど」
「いや、いいよ……。殻が混じってすごくじゃりじゃりした料理になりそうだ。
アーニャはちょっとの間、店番を頼む」
「あいにゃー」
「じゃ、ヒンメルさん。
そういうことなんで一旦席を外します」
笑顔で応じるヒンメル氏に挨拶をし、アーニャから受け取った卵を手に僕は単身2階へ。
2階は、スプーンや毛布が変なところに転がっており、ラシュが大慌てで走り回ったのであろうことが察せられた。
アーシャやラシュを助け出した、ロンデウッド元男爵の屋敷では、戸惑いつつもここまで取り乱したりはしていなかったものだけれど。
この工房が年相応の反応ができるような、安らげる場所となっているのであれば、何よりのことである。単に、らっぴーの変形が意表を突きすぎて許容値を超えただけという可能性も、あるけれど。
「はい、お待たせ」
階下に戻った僕の手元の皿には、片面焼きのシンプルな目玉焼きが鎮座している。味付けは、ひとつまみの塩のみ。
白身に対して、ぷるぷると艶やかで大きな黄身がぷっくりと盛り上がり、鮮度の良さを物語っている。
あまりに綺麗な黄身だったため、変に奇を衒う技量も知識もない僕は、素材の良さをそのまま味わえるようにと焼くだけに留めたのだった。
なお、焼き加減は"全知"監修のもと、完璧に半熟卵である。これは必要なことなので、"全知"を用いる案件である。仕方ない、仕方ない。
まだ階下に居たヒンメル氏や他のお客さんが、何事かと見守る中、椅子に座ったラシュの目の前にコトリと目玉焼きを置く。
「ふわぁ」
ラシュは目をまん丸に見開き、その目よりなおまん丸な黄身を覗き込んだ。
その黄身の艶やかさは、表面にラシュの姿が映り込むほどである。
「どうぞ。らっぴーの世話をしてるのはラシュかアーシャだし。
最初はラシュが食べたらいい」
「……」
僕が促すと、ラシュはおずおずとフォークに手を伸ばし、止まる。
「らっぴーのたまご、食べたら、ぼく、らっぴーに嫌がられないかなぁ」
不安そうな表情で、僕の方を振り向くラシュ。
美味しそうな卵への興味と、らっぴーから嫌がられたらどうしよう、という不安が綯交ぜになった様子で、尻尾を所在なげにわっさわっさと彷徨わせている。
『可愛すぎかっ! ウチの弟可愛すぎかっ!』
『なぜわざわざ直通念話』
"全知"で見た限りでは、いつも通りらっぴーの思考はいまいち読めない。単純すぎると、逆に視覚化しにくいのだろう。
と、フォークを取って逡巡するラシュの頭上から、らっぴーが動いた。
とつ、と音を立ててラシュの頭上からテーブルに降り立ったらっぴーは、皆が見守るなか――僕らだけでなく、なぜか他のお客さんまで固唾を飲んで見守っていた――、とつとつと目玉焼きに近づき。
「ピェ」
一声鳴くと、白身の部分を、啄んだ。
「おまえも食うんかい!」
この場の、おそらく全員の代弁でツッコミを入れたアーニャを気にすることもなく、ラシュとらっぴーはその後も仲良く目玉焼きをつつくのであった。
ハウレル家家族会議は、主にシャロンによって発令されます。
働きすぎのオスカーくんが寝床に拉致されたときも、家長不在のまま行われていました。




