アーシャの一日 そのに
お昼前になると、お客さんはまばらになるの。
たぶん、お昼ごはんの準備やお仕事で、忙しいんだと思うの。
バチィ!
「なあおい、聞いてんのか?
これ全部もらっていってやるって言ってんだ」
変なお客さんが来るのは、決まってこの時間か、夕方前の暇な時間なの。
いまいるお客さんはふたりで、カウンター前でどっさり商品を並べて、わーって言って来るひとと、お店入り口近くでぼそぼそ言っている黒フードのひと。黒フードはへんたい、きをつけてください、ってシャロンさまが言ってたから、そっちはそっちでちょっとこわいの。
「それ全部で、金貨235枚なの」
何度言われて、何度計算しなおしても、アーシャの計算は変わらないの。
ちゃんとぱぴるすに一つ一つお値段を書いて説明したのに、不思議なの。
バチィ
「わっかんねぇやつだな。これだから獣人は嫌なんだ。
この俺が買ってって宣伝してやるって言ってんの。それが代金だ」
「全部で、金貨235枚なの」
無理やり商品を奪って逃げられたりはしないように、おねえちゃんが工房入り口をとおせんぼできるところにいてくれるのは安心なの。
力づくでなにかしようとしたら、すぐにけんぺーさんを呼ぶことになってる。でも、おはなしが通じない相手は困るし、ちょっと怖いなの。
お金を払うつもりがないのに、買ってくって一体なんなのかわかんないの。
『なに言ってんねんやろな、そいつ』
『ぜんぜんわかんないの』
これっぽっちも、さっぱりわかんないの。
オスカーさまたちが、がんばってつくったのに。そう思うと、ちょっと悲しくなる。
カウンターをはさんだ向こう側のおとこのひとは、どんどんいらいらしてきてる様子なの。うぅ。でもアーシャはまけないの。
「ああ!? んじゃこれでどうだ。十分だろ!」
「ひぅ!」
ばしん、と大きな音を立てて、男のひとが金貨をカウンターに叩きつける。
アーシャ、すごくびっくりしたけど泣かないの。
『なんやねんそいつ。どつきまわしたい』
『おねえちゃん、落ち着くの。
アーシャは大丈夫なの』
「あ……あと234枚、足りない、なの」
いらいらした様子でどなりつけてくる男のひとは怖いし、さっきからなにかがバチバチ言っててそれも怖いの。それでも、アーシャは負けたりしないの!
「いいか、この金貨は1枚で普通の金貨300枚の価値がある。
そうだ、だから釣りを出せ釣りを」
バチィ!
そんな無茶苦茶な話は、ぜったいに通せないの。アーシャはぜったいに負けないの。
だって、アーシャたちみんなが守るお店なんだから……!
「ッ……。あと234枚足りないなの!
それとも、けんぺーさんを呼ぶ?」
偽物のお金を出したり、その価値を偽るのはいけないことで、捕まるんだよってオスカーさまは言ったの。
アーシャが態度を変えないから、男のひとはどんどん顔が赤くなっていくの。こわいの。こわいけど、負けないの。
「ッチ。
おい話が違うじゃねぇか」
ボソッとこぼした男のひとの言葉は、誰に向けられたものかわかんないなの。
でも、もう大丈夫なの。
シャロンさまが、来てくれたから。
『お待たせしました。
もう大丈夫ですよ』
隣に立って、こわくて泣きそうになってるアーシャの背中をポンと叩いてくれるシャロンさまは、きれーでかっこよくって。
それだけで、もう何の心配もなくなるの。
「うちの従業員が何か間違いをしましたか?」
シャロンさまの綺麗なお声は、ばっちりしっかり怒ってらっしゃるの。
あんまり違いはないんだけど、一緒に暮らしてるアーシャたちにはわかるの。その証拠に、おねえちゃんの尻尾がすごく緊張してるの。
「ッチ。もういい、二度と来ねーよ、こんなクソな店」
男のひとはまた舌打ちをして、金貨を掴むと商品をいくつか床に払い落として、背を向けて出て行こうとしたの。
あわ、あわわわ。シャロンさまが、シャロンさまがにっこりおこってるの! おこなの!! こわいの!!
そのままにっこりしているシャロンさまに背を向けて、男のひとと、それに続いて黒いフードのローブのひとがそとに出ようと扉を開ける前に、外側から工房の扉が開いて。
聞こえてくるのは、聞き慣れた声。
「おかえりの前に、取り調べに協力してくれよな」
オスカーさまと、けんぺーさんたちが4人も外から入ってきたの。
『遅くなって、すまん。
よく頑張ってくれた。アーニャ、アーシャ。ラシュも。
あとは僕に任せとけ』
扉の前に控えてたおねえちゃんの頭をぽんってして、オスカーさまは工房を見渡す。
途中でアーシャと、床にちらばった商品とを見て、ふーって息を吐いたの。
あわわ、あわわわ。オスカーさまもこれは怒ってらっしゃるの。とてもおこなの。おこおこなの。
「……」
無言で通り過ぎようとする男を、けんぺーさんたちが囲んで邪魔する。
「ンだよ。
俺が何かしたかよ」
男のひとは、とってもイライラした様子なの。
でも、さっきまでみたいな怖さはぜんぜんまったく感じないの。シャロンさまとオスカーさまがお側にいるだけで、不思議なの。
とてとて、と小さな足音を立ててラシュが2階から戻ってきて、アーシャの腰にきゅって抱きつく。
「シャーねーちゃん、がんばった、とってもえらい」
「だって、アーシャたちみんなの大好きな工房なの。
ラシュも、ありがとなの」
「うん」
目を細めて、耳をぴこぴこ。
小さい弟、ラシュはアーシャたちがこわいひとたちに捕まったときも泣かないで、ずっと側から離れなかったの。強くていい子なの。
「『何かしたかどうか』をこれから確かめるんだよ。
まあ。おとなしくしてたら怪我しないで済むぞ」
いらいらしている男のひとにも動じないで、オスカーさまは近づいていくの。
男のひとは、けんぺーさんたちに囲まれているから、とくに動きはないの。
こっちからは見えないけど、たぶんオスカーさまはとても睨まれていると思うの。
「おっと、あんたもグルやろ。
どこ行くねんな」
そろーり、そろーりって出て行こうとしてた黒フードのひとも、おねえちゃんに止められる。
また、なにかぶつぶつ言ってるみたいなの。すっごく怪しいの。
「それじゃ、何があったか教えてくれ。アーシャ」
オスカーさまに促されて、アーシャはその男のひとのはなしを伝えたの。
ぜんぶもらっていってやる、って言ったこととか。
金貨が300枚分って言ったこととか。
商品を床に撒いて帰ろうとしたこととか。
オスカーさまが作って、アーシャたちが詰めた回復薬茶は、床に落ちたときに容器が割れちゃって、一緒に落ちた呪文紙とか砕けた置物、お塩なんかがぐちゃぐちゃになってるの。
わーって怒鳴られてるときよりも、だめになっちゃった商品を見たときのほうが、泣きそうになったの。……うそ。ちょっとだけ泣いたの。
「ンだよ、獣人ごときが人間様の俺のことを陥れようとしてんのに、それを信じんのか?
憲兵さんともあろうモンがよぉ。
値切ろうとしたのは事実だが、それはべつに犯罪じゃねーだろ。
交渉決裂したんで帰ろうとしてただけだ、俺は忙しいんだ。もういいだろ」
ぐいってそのまま囲いを突破しようとして、やっぱり通してくれないけんぺーさんに、また男の人はチッていう。
アーシャの隣で手を握っててくれているシャロンさまは、アーシャの話を聞いて、やっぱりにっこりおこってるなの。
まだ窓硝子はびりびり言ってないけど、アーシャはとってもこわいの。
「商品が床に落ちてんのは?」
オスカーさまは、静かに話を続けるの。
声もお顔も怒ってないように見えるのに、アーシャにはわかるの。オスカーさま、さっきよりも怒ってるの。シャロンさまと似た者夫婦ってやつなの。
「あア?
そこの獣人が自分で落としたんじゃ……」
「言葉には気をつけたほうがいい。
もう一度だけ聞いてやろう。
商品が床に落ちてんのは、なんでだ?」
やっぱり、オスカーさまは静かに問い詰めるの。でも、その言葉は静かなのに強い力が込められていて、とっても頼もしいの。
――隣のシャロンさまが、ぽつりと「怒ってらっしゃるオスカーさんも素敵です」と呟いてるけど、それはそっとしておくの。
「獣人の管理もできてねぇような半端モンのガキが……」
男のひとがオスカーさまにまで悪態をつこうとしたら、部屋の空気が凍ったの。
暖炉のおとは静かにパチパチ言ってるのに、とっても、とっても寒い気がするの。その空気はアーシャの隣から出ているみたいだけど、こわくてそっち見られないのっ……!
「か……帰ろうとしたときに、もしかしたら腕が、当たった、かもしんねぇ。
もう、いいだろ! 帰らせてくれよ!!」
らっぴーが2階からよたよた降りてきてたのに、「ピ」って言って2階に戻っていったのがわかるの。
背中に張り付いてるラシュも、微動だにしないの。こ、こわいの。
バチィ!
この空気をこわしたのは、ふたたび鳴った、謎の音だったの。
見たら、黒いほうのひとがはぁはぁ言ってるの。やっぱり黒フードはへんたい、なの……?
「おいお前。
いまのは町なかで撃っていい魔術じゃないよな。
うちの従業員を昏倒させようとして――タダで済むとは思ってないよな?」
「ひ、ヒィ!?」
シャロンさまとはまた違う感じの威圧感を放ちながら、オスカーさまは黒フードに詰め寄るの。
めがねがきらっと光って、その表情はわかんないけど、たぶん心中穏やかではないの。
「あ、もしかして今、ウチぴんちやった?」
「抗魔が無ければ、下手したら死んでる」
「うわ、怖っわ。
ウチ、カーくんの愛で生かされてるわぁ」
おねえちゃんも、なんだかんだ余裕があるの。
「抗魔!? まさか、獣人の奴隷が、なんで……」
うろたえた様子の黒フードは、けんぺーさんにてきぱきと縛られて、がっくりと肩を落としたなの。
たぶん、シャロンさまの威圧にびっくりして、焦ったんだと思うの。だからおねえちゃんを倒して、その混乱の間に逃げちゃおうとしたんだと思うんだけど、相手が悪かったの。
おねえちゃんが冗談めかして言ってたように、オスカーさまのくれた首輪はとっても強いなの。
「お前らの相手よりも、いい加減うちの従業員を労ってやりたいんでな。
ちゃきちゃき進めさせてもらうぞ――"追憶"」
オスカーさまがローブ男を掴んで魔術を使うと、おねえちゃんと、アーシャのまわりにたくさんの薄紫の丸っこい玉が浮かび上がる。
「ひぅっ!?」
横をみたらすぐ近くにも玉があって、とってもびっくりしたの。
「カー坊、これは……?」
ざわざわしだしたけんぺーさんたちのうち、代表して一人が、オスカーさまに尋ねる。
けんぺーさんたちの中にも、常連さんはいるの。
たまに、"追憶"魔術っていうのを使う依頼が、けんぺー隊から工房に来たりもするの。
「これは、"魅了"系統の魔術の……それほど強力じゃないな。"思考誘導"くらいのものだろう。
アーシャやアーニャを"思考誘導"して、物品や金品をまき上げようとした、ってとこだろうな」
ばちばち言ってたのは、アーシャたちの首輪が抗魔してくれてた音だったみたいなの。
あとで、ありがとうっていっぱい綺麗にするの。
「なっ……!! 言いがかりだ! 知らん、俺は知らんぞ!!
こんな獣人や、ガキの言うこと信じるなんて、お前らどうかしてんじゃねぇのか!?」
男のひとは囲いを破ろうとして、けんぺーさんたちに床に押さえつけられてるの。
ちょっと痛そうだけど、アーシャたちが頑張って作ったものをぐちゃぐちゃにした恨みも、ちょっとあるの。ふんす。
「獣人が接客をする娼館でも、売上金をちょろまかされる等の不可解な報告がぽつぽつ上がってんだ。
それに関しては獣人の嬢ちゃんたちが疑われてたんだが……余罪があるかもしれん。また近々、憲兵隊からカー坊に依頼が行くかもだ」
「わかった。
まあそこの輩も僕の魔術じゃ信じないってんなら、いつも通り王都のダビッド = ローヴィスに仕事を放り投げてやるとしようかな」
「いやー、ローヴィス卿にそんな気軽に依頼を放り投げるのは勘弁してくんねーか、カー坊……」
わめく男のひとたちを連れて、そんなことを溢しながらけんぺーさんたちは外に出て行くの。
でも、それをオスカーさまは呼び止めたの。
「あ、ちょっと。
駄目にした商品分と、店の床をこんなにした分、うちの従業員を散々怖がらせてくれた分、合計で金貨200枚払ってから行け」
「ああ!? てめえこのガキ。
んな金持ってるわけねーだろ、死にくされ」
それでも、ぎゃーぎゃーと言い返す男のひと。なかなか元気なの。
「金持ってないのに買おうとしたのか?
やっぱりワザとなんじゃねーか。
まあお金がない分は、内臓とか腕とかでもいいよ。道具作りとか実験に使うし。
そっちの魔術師のほうが高くなりそうかな。どっちでもいいよ、僕は。
取り調べが終わったら取り立てに行くから、それまでは身体を大事になー」
男のひとと黒フードのひとの顔色は、赤くなったり青くなったり、白くなったり忙しそうで、お互いに言い争いをしているの。
それを連れてくけんぺーさんたちも、これには苦笑いなの。
アーシャとおねえちゃんは、お見送り。いつもは、またきてくださいって言うんだけど、こういう変な人はもう来てくれなくてもいいの……。
はふぅ。
いいひともいっぱいいる町だけど、やっぱり、変なひともいっぱいいるの。
変なひとの相手をするのは怖かったり、とっても疲れたりするの。
それでも。
それでもアーシャは、この工房が大好きなのでした。
閑章は出来る限り一話完結ものを目指しているのですが、文字数が全然安定しないのが困りものです。




