僕らのお風呂 そのいち
地下室には熱気が立ち込め、冬だというのに僕の額には玉のような汗が浮かんでいる。
それもそのはずである。結界内での作業とはいえ、鉄鉱石さえ瞬時に溶ける超高熱作業中なのだ。"全知"で絶え間なく監視しながらの作業であるが、集中力が切れては危ない。
地下室内の熱気だけでなく、緊張感の伴う作業ゆえの大粒の汗を手で拭うのも煩わしく"剥離"で消し飛ばしつつ――ついに、納得のいく代物が精製される。
「ふぅ」
ようやく息をつくと、喉がヒリついた。
カラカラの喉を潤す水が、やたらと美味い。
テンタラギウスの魔黒鱗を鋳潰すと、元の黒々した頑健でごつごつした岩の如き性質はなりを潜め、表出するのはつやっとした大理石のごとき質感だ。
魔力の伝導性もよく、金属であり石でもあるという重厚感を兼ね備えた素材である。もっとも、加工は一般的には楽ではないだろう。なにせ溶かすために必要な熱が半端なものではなかった。
魔物自体の討伐難度が高く、群れる性質でもない。討伐には12人の討伐隊で挑むのが必要とされるという話だ。討伐も加工も難しいとなると、これは高値で取引されるわけだ。
「つるつる、だね」
「そうだなー」
僕の作業が一段落したのを見越してか、地下室へと降りて来たラシュ手にはパンを持っており、差し入れだと思われる。
彼にしては珍しく、頭上にらっぴーの姿がない。乗っていないほうが違和感があるほど、ラシュは四六時中らっぴーと一緒にいるのだ。
ラシュは僕にパンを渡すと、僕の眼前で精製された、黒くつやのある延べ棒を目にすると、感嘆の息を漏らした。
「おふろやさん、みたい」
不思議な感想である。
が、ラシュの言わんとすることはわかる。つるつるつやつやした光沢で、彼にとって見覚えがあるものがそれなのだろうから。
「大通りの向こう側にある、新しいほうのお風呂屋さんか」
「そう」
ラシュは首肯し、次いで小首を傾げた。尻尾がぱたぱたと揺れている。
新しいほうのお風呂屋さんでは、大理石のような、つるっとした風呂桶が特徴的である。
「おふろ、つくる?」
「いや、そのつもりはなかったけど」
テンタラギウスの素材を使うとなれば、この世に二つとない、物凄く豪華な風呂になるだろう。加工難度を考えると、まだ金で覆った方が金銭的にも安く済むのではないだろうか。
「そっか」
僕の返答に、少し残念そうな様子のラシュ。
どちらかというと、彼はお風呂が好きではなかったはずなのだが。
「うちにお風呂があると嬉しいか?」
「ぼくは、そんなにうれしくない」
ふるふる。
首をふるのに合わせて、ラシュのふわふわとした耳が、もふもふと揺れる。
彼はその耳や尻尾が水を吸ってしまうのを嫌がって、極力濡れないように済まそうとする。いつも湯船には浸からない。
ロンデウッド元男爵の屋敷から連れ出してすぐカランザの風呂屋で有無を言わさず放り込んで以来、一度も湯船には入っていないのではないだろうか。
「だけどね、えっとね。
『じゅうじん』だけどいやがられないで、おねーちゃんたちがゆっくりおふろにはいれると、いいなあっておもった」
ラシュが言葉を選びながらもつっかえつっかえ伝えたそれに。
思い当たるところはひとつだった。
「温泉でのことか」
僕の推測に、頷くラシュ。
それは、僕らがガムレルの町に帰り着く前の話。
そう、海辺の街キシンタを出て何日か経ったあたりの出来事だっただろうか。
こんなことがあったのだ。
——
ギュギイィィィイイ!!
耳障りな音をたて、両断された蟲型の魔物が動かなくなる。
おそらく、これが最後の一匹だ。
「うう。まだゾワゾワするんやけど。
もうおらんよな? おらへんよな?」
「周囲には、いない。
いやあ、首輪で"剥離"が抗魔されること、完全に忘れてた。
ごめんごめん」
アーニャの服に張り付くようにして、あわや首元にまで迫っていた掌大の蟲。
"剥離"で対処ができなかったため、手にした『オズワルドの剣』で咄嗟に横薙ぎにする羽目になった。髪や尻尾に掠りつつ首付近を横切る剣には、ぞっとしないものがあったのだろう。"全知"で間合いは完璧に取れるとはいえ、アーニャの不満はもっともである。
此度の蟲型魔物は"全知"をもってしても、その名を知ることができなかった。どうやらまだ何者にも名前を付けられる前だとそういうことになるらしい。
「まだ羽音が耳元でしとる気ぃするわ。
うう。なんとなくまだ気持ち悪い……」
へなへなと座り込みたい心境なのだろうけれど、僕らの足元には蟲たちの残骸が散らばっている。いつぞやのように問答無用で腰を抜かしたりはしないあたり、アーニャも肝が座ったものだ。
アーニャ自身が倒した蟲も、そこそこな数だ。死してなお手足がピクピクと蠢き、緑色の毒汁を零すその死骸を両断していたナイフを抜き取ると、アーニャはうへぇ、と顔を顰めた。
名も知らぬ村を壊滅寸前にまで追いやっていた、この名もなき蟲型魔物。
ガサガサわしゃわしゃと手足を動かし、ときに飛び、生物に麻痺毒を注入し、その生き血を啜る。気味が悪いこと、この上ない。
大きさも、僕の親指くらいの大きさのものから、大きいものでは肘から指先にかけてくらいの大きさのものもいた。そんなものが、うじゃらうじゃらと大群で村のそこここに居るのだ。恐怖以外のなにものでもない。
もっとも、蟲たちは蟲たちなりに自由に生きているだけなのだろうけれど。人間と共存できない、というだけで。
馬車を警護していたシャロン、アーシャ、ラシュのもとに戻ると、そちらはそちらでうず高く積まれた蟲の死骸が出迎えた。アーニャだけでなく、僕までうへぇという気分になる。
「おかえりなさい、旦那様。
ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも——」
「この惨状でご飯を食べるのはちょっと嫌だな。
お風呂にしたいところだけど、それもここを離脱してから、だろうな」
いつもの調子で出迎えてくれるシャロン。
それとも、の内容は聞かない。
そのまま馬車の中を覗き込むと、倒れている数人の人影が見えた。ラシュもそのうちに含まれているが、たぶんあれは普通に寝ているだけだ。
「どうだ、村人の様子は」
「あ、旦那さま、おかえりなさいなの。
ふたりとも、さっき目がさめたの」
アーシャの返事通り、寝かされていた二人の村人は、挨拶代わりに掠れた呻き声をあげた。
「そのままでいい、聞いてくれ。
僕はオスカー。オスカー = ハウレル。魔術師だ。
村に残ってたうち、生きてたのはあんたら二人だ。あとの一人は残念ながら……。
あんたらも、かなり血を吸われてるから暫くは動けないと思う」
その他の外傷なんかはある程度"治癒"したし、体内に産み付けられていた蟲のものと思われる卵は除去しておいた。弱っているいまの状態では、教えないほうがいいだろう。気持ち悪いだろうし。
「あの蟲たちについては、周囲にいたのは全滅させた。
ただ、家畜も死に絶えてたし、この村に戻ってくる利点は薄いだろうな……。
他の村人はあんたらが逃がしたんだろう?」
僕の問いかけに、ふたりの村人は「あ」とか「う」とか呻き声を出すと、そのうちひとりが頷いた。
"全知"によって、彼らの謝意も伝わってくる。
「旦那様、生体反応です。
南方から、人間の部隊が近付いてきているようです」
馬車のなかを覗き込む僕に、シャロンが報告をくれる。
村を、もしくは村人を奪還するための、討伐隊か何かだろう。村自体にはもう魔物はいないはずなので、この村人たちを受け渡せばそれで話が済みそうだった。
はたして、合流した討伐隊に村人を引き渡すと、討伐隊に同行していた村人からはいたく感謝された。
「ケッ。くっせえと思ったらケモノ連れてやがる。
テメェらが報酬金目当てに仕組んだんじゃねぇのか、あ?」
一部の討伐隊員――おそらく冒険者――にはガラの悪い者も混じっていた。背に帯びた剣をアピールしながら、馬車から村人をおろす介添えをしていたアーシャに目を付け、罵倒してくる。
罵声にアーシャの肩がびくんと跳ねるとそいつはニンマリと笑みを浮かべたが、そいつを必死に抑えようとしている女冒険者二人に免じて、無視することにした。
「僕らは報酬は要りません。
なんなら、僕らの分はそこの喚いている人にあげてください、どうもお金に困っているようなので。
かわりというわけではないですが、このあたりで身を清められる場所はないですかね。魔物と戦って、ちょっと気持ち悪いので」
――無視しようかと思ったけど、皮肉は出た。
「魔物みたいなもん連れてるやつが、どの口で……んぉっ……ほぁ」
男はなおも突っかかってこようとしたので、顔面付近の空気を少し"結界"と"抽出"で操作しておいた。ロンデウッド男爵邸でも披露したもので、ヒトが呼吸するなかで必要な要素を削って昏倒させるというアレである。
昏倒し、どさっと後ろ向きに倒れ込む男に、側で諌めていた女性が短く悲鳴をあげる。
「最近の冒険者は道端でも寝られるんだな。
いやぁ肝が太い」
素知らぬ僕に、御者台からシャロンがくすくすと笑みをもって応える。
ずるずると引きずられていく倒れた男を目で追う村人の視線が、なんともいたたまれない。
そんなこんなの後はとくに悶着もなく――報酬金のため、是非避難先には立ち寄ってくれと依願されたりはしたものの――少し山に分け入った先にあるという、温泉を教えてもらった。
なんでも、温かい地下水が勝手に湧き出ているそうだ。
討伐隊は村を検分する必要があるということなので、そこから僕らは教えてもらった温泉へと向かうことにした。
幸いなことに馬車でも分け入れる道があるということで、数十分ほど山道をごとごとと進む。すると。
「うわ!
なんやこれ、くっさ」
「くさいの……」
「すごい、におい」
荷台から、抗議の声が発せられた。ラシュが起き出して抗議するほどのものだ、猫人族にとってはよっぽどの匂いなのだろう。
白い湯煙があちらこちらから上がり、それに伴い変な匂いが周囲に充満している。
「硫黄を主成分とした温泉のようです。
この匂いは、温泉の特徴のひとつですね」
僕らにそう説明してくれるシャロンは、別段平気そうである。
僕も、変な匂いがするな、と思う程度で大した問題ではない。
「さあ着きましたよ。
旦那様、背中の流しっこをしましょう」
「いやいや」
馬車を停め、"倉庫"へとマントなどをいそいそと仕舞いつつ、シャロン。
対する僕は久しぶりの『いやいや』である。
「んもぅ、旦那様ったら。
便宜上背中と言いましたけれど、実際は好きな部分を洗っていただいても、揉みしだいていただいても大丈夫ですから」
「カーくん、おっぱいはあんまり掴むと痛いから、ちょい加減してほしい」
「いやいや。そういうのじゃなく。
ていうかアーニャも便乗しようとしないで」
そういえば、アーニャはシャロンとはじめてお風呂に入ったときにやたらと弄られまくっていたのだったっけ。
"全知"が補正して、無駄に正確そうな予想図を思い浮かべそうになるので、僕は頭を振ってそれを阻止。
「僕かシャロンかは周囲を警戒したほうがいい。
僕らなら索敵能力も、戦闘力もあるからね。さっきの魔物のこともある。
直接蟲のやつらと闘ったシャロンとアーニャ、あとはアーシャも一緒に。先に入ってくるといい」
裸でも戦えます! と、なおも食い下がるシャロンを宥めすかし、三人が湯煙のなかに消えていくまで、さらに数分の時を必要とするのだった。
温泉話はガムレルに帰り着く前の話なので、まだ旦那様呼びが一行の中でブームだったりします。




