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とある工房の仕事中毒

 どうして。


「どうして、こうなった……」


 手も足も出ないとは、まさにこのことである。

 "全知"も取り上げられてしまって、もはや打つ手なし、だ。


「あ、もう。だめですよ。

 ちゃんと休んでくださらないと」


 僕の右腕にがっちりと全身で抱きつき、封印している者の蒼の瞳が、薄っすらと暗闇を照らす。肩から掌にかけてが万遍なく脳まで『ふにふにとした感触です!』と伝令を飛ばしてくる。

 落ち着け、まだ慌てる時間じゃない。なんたって全身が動かない。


「――んゃっ。

 あんま動かんとってぇな」


 左腕は、ものすごくむにむにもにもにとしたものの下敷きにされている。その上艶々とした尻尾の毛並みがたまに手の甲をなぞっていくのだ。動くなというほうが無茶な話である。

 あまりに圧迫され過ぎてか、左腕全体が甘く痺れたような感覚になってきた。むしろ痺れていたほうが、彼女の暴力的な物量による圧力を感じにくくて良いかもしれないけれど。

 アーニャは僕に背を向ける形で、僕の左腕を抱きかかえるようにして丸まっている。その胸の間に"全知"の眼鏡が挟み込まれ埋没しているため、実力行使で取り返すのも困難だ。


 ベッドの上に横たわっている関係上、足の方を伺うことはできないのだけれど、右足左足にはそれぞれアーシャとラシュが抱きついて、くぅくぅ寝息を立てているようだし、おへそのあたりには丸い鳥(らっぴー)まで鎮座している。

 シャロンが頻繁に潜り込んでくるため、僕のベッドはわりと大きめのものを使っている。とはいえ、5人と鳥がぎゅうぎゅうとひしめき合っていては、やはりさすがに狭い。


 手足はほぼ動かせないながら"念動"で眼鏡を取り返そうにも、なぜか待てど暮らせど反応は梨の礫である。


「未知の事象……だと!?」


「もぅ。

 ウチのカラダをこんなにしたんはカーくんやろ?」


「人聞きが悪すぎる!!」


 そうか。アーニャの首輪(チョーカー)完全防御(レジスト)してしまっているのか。

 さすが僕の作品。どうにもならねぇ。

 僕の、どこに間違いがあった……。


 右腕からは、シャロンがくすくすと笑う気配。


 肩口には柔らかな頬をすりすり。

 掌にはむにむにした内股をすりすり。


「はやくおやすみになられませんと、年齢制限が一段階上がることになりますよ?」


「ちょっと待って、なにをする気だ」


「さぁ。ナニをして欲しいですかねぇ」


 シャロンはくすくすと。

 アーニャはより強く、むぎゅっと腕を抱きしめる。


 どうして。


「どうして、こうなった……」


 再度言葉を溢すも、誰も解放してくれる気はないようだった。


 そして僕は思い返す。どうしてこうなったのかを。



 ――



 黙々と呪文紙に魔法陣を刻み、その間に組み上げられていた車輪にも調整を加え、アルミニウム合金を精製し、寝不足や魔力の消費で痛む身体は"治癒"で誤魔化し。

 考えるのは、工房のこと、シャロンのこと、ご飯のこと、フリージアのこと、ヒンメル氏の言っていたこと。とりとめもなく流れていくなか、手だけはずっと作業を続けている。


 他の皆はそろそろ寝付いている頃だろう。少なくともこの時の僕はそう思っていた。

 月明かりが1階を照らさなくなったし、2階や通りからの物音も聞こえない。

 ただ、カチャカチャと手元で整えられていく車輪の音だけが静かに響いている。


 一体、僕は何をやっているんだろう。


 魔道具を作っている。それはそうだ。

 なんで魔道具を作っているかというと、注文をこなすためだ。

 僕は魔道工房を切り盛りして、僕らの居場所を守らないといけないのだから。


 水を一口ふくむと、冷気がガツンと頭と喉を痛めつけて腑まで降っていく。

 さすがに徹夜三日目ともなると、魔術で騙し騙しやるにも限界が出て来るのかもしれない。

 とりとめもなく、変な考えがいつのまにか巡っては消えていき、それもまた疲れを増幅させる。


 ラシュは寝る前に『あにうえさま、さみしくないように、らっぴーおくね』とカウンターにらっぴーを置いていった。

 しかし置いていかれた当のらっぴーは、ピェピェ言いながらよたよたと階段を登っていったので、僕はまた一人ここに残されている。ラシュはとても温かいので、きっとらっぴーは寝に戻ったのだろうと思う。

 どうでもいいが、階段を一段一段えっちらおっちら登っていく丸っこい後ろ姿は哀愁を誘った。むしろ飛ぶより疲れるんじゃないか、あれ。あの鳥(らっぴー)が飛んでいるのは、シャロンの威圧に驚いた時だけしか見たことがない。


 アーシャは、夜食にスープを作ってきてくれた。ゴロッとした大ぶりのハムと野菜を煮込んだもので、温かさが沁み入ってくるようだった。

 腰に手を当てながら『ちゃんと寝ないとだめなの!』とぷりぷり怒っていたけれど、その所作はシャロンがたまにみせるものとそっくりである。


 アーニャは、先ほどまでシャロンと一緒に車輪を作っていたけれど、大欠伸ののちに引き上げていった。


 シャロンは――どこに行ったのだろう。

 工房が忙しくなってから、あまり構っていないのでへそを曲げてしまっているのかもしれない。


 みんなの居場所を守りたくって。作ったものが必要とされるのが嬉しくって。

 こうして沢山の魔道具を作っているけれど。


『"ハウレル式の呪文紙(スクロール)"といって王都でも飛ぶように売れとりましたよ。金貨11枚で、です。

 悪いこたぁ言いません、せめて金貨8枚くらいまで値上げをしては?

 今のまま金貨2枚というのでは、ハウレルさんが身体を壊してしまいます』


 昼間に仕入れにやってきた、ヒンメル氏の言葉だ。

 求められたことに応えすぎだ、とも言われたっけ。



「どうすれば、いいんだよ……」


 屋内であっても、吐き出した息は白っぽい。

 そろそろ暖炉を入れる時期かもしれなかった。


 誰かに喜んでほしい。

 シャロンやアーニャたちの居場所を守っていきたい。

 楽しくものを作っていたい。

 ぜんぶ、自分で望んでいるはずのことなのに、なぜかそんなに楽しくない。

 工房運営が軌道に乗るまでは、試行錯誤しながらも楽しかったはずなのに。


 本当に、どうすれば。


 再びの溜息が白く消えゆくのを見送っていたら、不意に。

 背中から、声を掛けられた。

 いわく。


「大人しくしてください」


 うん? シャロンが戻って来たのか。

 僕はべつに暴れたりしていないけれど、一体何が。


 振り返った僕の視界には、もこもこした寝巻きに、黒い布で顔を隠したシャロンと、アーニャの姿。

 いや、本当に。一体何が。というかアーニャは寝たんじゃなかったのか。


「私たちは休息を届ける使者です。にんにん」


「大人しく寝るんやで! にんにん」


「ええ……なんなんだよ一体」


 むしろ彼女らが寝るべきではなかろうか。

 あなたたち疲れてるのよ。


「ヒュプノスの声を聞け! です」


 フッ、と目の前で姿が掻き消えたかに思われたシャロンが、一瞬で僕の左手にまで詰め寄り、足払い。

 足払いを掛けられた、と気付いたのはシャロンの腕のなかで抱っこされた時だった。

 ヒュプノスってどなた様だよ。


《ヒュプノス:旧文明の古代神話に登場する神の一柱。眠りを神格……》


「アーニャさん、眼鏡を!」


 "全知"による説明も最後まで読み取ることができないまま、シャロンによって奪い取られた眼鏡が、ぽいっとアーニャに受け渡されていく。


「あいにゃー!

 ってか名前呼ぶなら顔隠しとった意味は?」


「とくにありません」


 雑だなぁおい。


 たぶん今回のものは『襲撃者は顔を隠すもの』みたいな、シャロンの謎のこだわりによるものだと思う。彼女は、たまに変なところで変なこだわりを持っていたりするのだ。

 そもそも隠す気も何もあったものではなかったけれど、"全知"を着けている僕にとってはどんなに完璧な変装や幻術の類も、あまり効果はないだろう。


 そんな"全知"の眼鏡も、見ている前で布にくるまれた上で、アーニャの胸の間に仕舞われてしまった。

 そこを収納スペースに使うのはどうかと思うよ、僕は。


「さ、行きましょう」


「あいにゃー」


 僕を抱えたまま、軽快な足取りでシャロンは階段を登る。


「ちょ、ちょっと待って。

 まだ呪文紙とか作らないと」


 なおも仕事に戻ろうとする僕にも、シャロンは動じない。


「アーニャちょーっぷ!」


「あだっ!

 ちょ、何するんだ、アーニャ」


 ほんとは別に痛くもないのだけれど。

 シャロンに抱えられた僕の頭を、べしっと叩いた所作もそのままに、僕の髪を撫でるアーニャ。

 その指先はじんわりと温かい。


「今日はもう、皆で寝るということに決まりました。

 金髪美少女に、おっぱい美女に、つるぺた美少女、ふわふわショタっ子、丸っこい鳥まで居ます。

 それでもご不満ですか? なんならひとっ走り行ってリーズナルさんを持ってきますが」


「要らん要らん」


 美青年要素を補充するために、深夜に男爵邸に侵入する賊など、前代未聞であろう。

 そもそもそういうのは求めていないというのに。


「なあシャロちゃん。おっぱい美女ってウチか。ウチのことか」


「おっぱい魔人より良いと思いませんか?

 美女ですよ、美女。

 さ、アーニャさん。そっち脱がせるの手伝ってください」


「そっか、美女かー、悪ないな、うん。美女かぁー。

 おっけー、任せとき。ぽんぽん脱がすでぇ!」


 シャロンに抱えられたまま、アーニャに服を脱がされるも為すすべもない僕。

 威勢の良い掛け声だったわりに、アーニャはおっかなびっくり僕の服を脱ぎ着させるので、その恥ずかしさもかなりのものだ。

 えっちらおっちらとシャロンの腕の中で寝巻きに着替えさせられ、寝室まで運ばれる僕。


「もうお嫁にいけない……」


「すでに私が娶っているので問題ありません」


 本当は、こんなじゃれあいをしている暇はない。

 僕は、工房の商品を作らないといけないのに。


 ぼすっ、とベッドの中央に降ろされると、その上からふわりと毛布が掛けられる。


「おつかれさまなの。

 さぁ、寝るの」


「アーシャ?

 起きてたのか。はやく寝ないとだめだぞ」


「オスカーさまもなの!

 おやすみなの」


 自分のことを棚上げして寝ることを促すと、ぴしゃりと言い返された。

 そのままアーシャは、僕の左足を抱きかかえて丸まってしまった。


「え、ちょっとアーシャ?」


 返事はない。

 そのかわりに、僕のお腹の上にべそっと何かが置かれる。この丸っこいシルエットは、らっぴーだ。


「あにうえさま、ねる」


 ラシュがこんな時間まで起きているなんて、と僕が内心でびっくりしていると、そのまま彼はうにゃうにゃ言いながら僕の右足を抱きかかえるようにして、すぐに寝てしまった。


「言ったでしょう、皆で寝ると決まりましたと」


「いや、でもそんなこと言ったって」


 ぎゅーっと僕の右腕を抱きかかえるようにしてベッドに入ってくるシャロン。

 おずおずと、それでいて離すまいと、僕の左腕をおさえて背を向け丸まるアーニャ。


「ウチらみんなの居場所なんやろ、この魔道工房は」


 だから、僕は頑張らないと。

 僕にしかできないんだから。

 僕にはいま、その力があるんだから。


「その『みんな』には、もちろんカーくんが含まれてないとあかんねんで。

 アーちゃん、ラッくんを助け出せたことも。そのあと離れ離れにならんでよーなったんも。

 全部全部、カーくんシャロちゃんのおかげやねんから。

 みんなで、楽しく長生きしよーや」


 きゅっと抱かれた左腕には、アーニャのどくどくという鼓動が熱いくらいに伝わってくる。


「恩返し、させてえな」


 小さく溢すアーニャに、僕は言葉をかけることができない。

 そんな僕を、シャロンは笑う。くすくすと、笑う。


「ご自身が勘定に入っていないのは、悪い癖、ですね。

 私も指摘されたことがありますけれど。似た者夫婦、ということでしょうか」


 そっと言葉を紡ぐ唇を僕の腕に触れさせ、可笑しそうに身じろぎをするシャロン。


 どうして。


「どうして、こうなった……」


 こうして場面は冒頭に戻る。



 仕事が忙しいから。

 僕しかできないから。


 それで、彼女らを不安にさせてしまっているようでは、まだまだということなのだろう。

 なかなか、ままならない。



 仕事はまだまだたくさんあるけれど。

 こう全身を押さえつけられていては、寝返りをうつことさえ困難だ。


 でも。

 まあ。いいか。今日くらいは。


 これからもずっと、彼女らと共にあるために。

 仕事のやり方も、考えていかないといけないな。


 僕が背負っている重さや温かさを全身から感じるし。

 なぜだか、心までもがあたたかい。そんな、気がした。


「おやすみ、みんな」


 呟く言葉は、夢か現か。

 なんとなく両隣から、ふっと微笑む気配がしたので、たぶんちゃんと声に出たと思うけれど。

 染み入ってくる微睡みの気配を、僕はそのまま迎え入れた。






 余談になるが。

 翌日はアーシャとラシュが店を開けておいてくれていた。

 商品が少々欠品していようがなんだろうが、しっかりお客さんは来てくれていたようだ。ようは、僕の気にしすぎである。


 昼過ぎくらいにようやく起き出した僕は、そんな工房の様子と、節々が傷む身体を見下ろし。

 腕のあちこちにある歯型や、吸い付いた痕が隠せるような冬場で良かったなぁ、としみじみ思うのだった。

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