とある工房の千客万来
「ありがとうございましたなのー!」
本日最後の客を見送り、閉店作業をはじめるアーニャとアーシャを横目に、僕は悩んでいた。
「本日新たに来た注文は、車輪の注文が4件――内訳として、アルミニウム合金製1件、木製2件、既存のものの改造1件です。
ほかには、念話魔道具が1件。魔力灯が2つ。それ以外には回復薬茶の予約が14本分、です」
シャロンの報告を聞き、僕の記憶と相違がないことを確認。げんなりである。
お客さんが来ないなー、と贅沢な悩みを持っていた日々がもはや懐かしい。たった十日かそこいら前まで、そんな有様だったはずなのに。
取り置き注文分以外にも、モノは売れている。
なかでも売れゆきが良いのが、使い捨て呪文紙、回復薬茶、塩の三点である。
「回復薬茶が、そろそろなくなっちゃうの」
「呪文紙も、硬くなるやつはもうないで。強くなるやつも、あんまないわ」
「しおは、まだある」
在庫報告が矢継ぎ早に飛んでくる。
塩に関しては問題ない。いくら売れたところで、僕らの手をかけずに作り出すことが可能だからだ。
倉庫から勝手に海水を汲み出し、加圧したり加熱したり抽出したり、といった一連の動作を延々と繰り返す機構を、すでに作成済みである。そのため2階の一室は、自動的に塩を作る機構のスペースとなっている。
あとは出来上がった塩を集めたり、塩が"抽出"されたあとの残った汁――栄養剤を選り分けたりするだけで、商品になる。
塩の副産物である栄養剤はピリッとした苦味がある白濁した液体で、そのまま瓶詰めにしたり、圧縮して丸薬として売ったりしている。
丸薬のほうは、リーズナル男爵がいたくお気に召したようで、屋敷から使いの者が買い付けに来たりする。身体の疲れが随分と楽になったとのことで、商品のご愛顧は喜ばしいながら男爵の苦労性が伺える話だ。
余談であるが、看板や魔力灯――猫のしっぽの形のオブジェにランタンを掛け、ランタンの中には魔力光が灯る結晶を入れてある。結界もはってあるが、念のため閉店時に取り外している――を出してからぽつぽつと増え出していた客足が、買い付けにきた家紋付き馬車によって『男爵家御用達』という箔を得て、さらに一気に増えた。ここ数日は、そのための忙しさだったりする。
栄養剤には丸薬以外にも使い道があり、肉を柔らかくしたりもできる。これは"全知"から齎された情報である。最初は半信半疑だった『妖精亭』の主人が、このところ来るたびに塩とともに買って行ったりする。気に入ってもらえたようで、なによりだ。
"全知"によると、大昔は豆を潰して作った汁を固めることにも使ったりしたらしい。大昔の食べ物らしく、わざわざ何のためにそんなことをするのかは甚だ疑問だが、その時々の食事事情があったのだろう。豆を作る技術しかなかったのかもしれないし。
そのような変わった料理であっても、そのうちアーシャが作ってくれるような気がせんでもない。彼女は近頃『妖精亭』の主人に師事し、料理の腕をどんどん上げていたりするのだ。
そんな嬉しい副産物もある塩と違って、同じく売れ行きの良い呪文紙は、自動的に作るような方法が無い。常に僕の手が掛かるのだ。
呪文書は、魔法陣を羊皮紙にしたためたものである。
ふつう、使い捨て呪文紙は、術者の血と銀を混ぜたものを使って魔法陣を描く。使用時にはこれを広げ、描いた術者が魔力を通すことによって、魔術が発動する。つまり、魔術師用の詠唱短縮の手段なのだ。自らの血を使うのは、魔力を通すための道とするためであり、一度魔力を通した呪文紙は焼き切れてしまう。それゆえの使い捨てである。
さらに、銀を使うために高価になるし、道具作成のための技量も必要だ。血も混ざっているため、1年かそこらで劣化して使えなくなる。古い呪文紙を無理に使おうとすると、暴発の恐れがあって危険だ。――そう、通常は。
うちの工房で取り扱っている呪文紙は、僕が抽出した魔力結晶、ないし僕の作った馬車を走らせて貯めた、結晶化した魔力をインクとして使い、羊皮紙に陣を描いたものだ。
この呪文紙の優れたるところは、使用者が誰でもいいというところだ。すでに紙に魔力が充填してあるため、僕以外の者だって発動が可能だし、なんなら魔術師である必要がない。この利便性の高さは、非魔術師でないと、わからないかもしれない。
緊急時に一瞬で火を起こしたり、綺麗な水を入手したり、"硬化"、"肉体強化"といった魔術で急場を凌いだり。そういったことが、魔術の使えないはずの剣士であろうとも、無詠唱で行えるのだ。
無論、使い捨てであるのはそのままであるし、"治癒"などの相手の状態を見極めて行う必要のあるものや、"転移"など対象地点や物を指定しないと発動できないものは、呪文紙にすることはできない。
しかしそれでも余りある利便性から、売れ筋商品である。少々であれば水に濡れても大丈夫だし、血も入っていないので使用期限も、おそらくない。"全知"によると保存環境によっては羊皮紙が虫食いなどで痛むと使えなくなる、ということだったが。
けっこう高価いかと思ったのだけれど、金貨2枚でもガンガン売れていく。
『本当に俺にも魔術が使えるのか? いざというとき使えませんでした、じゃ話にならんぞ!』という客も当然ながら居て、店内で試しに使わせてみたりもした。今日だって、使えなかったら金貨1枚をやる、使えたら呪文紙どれかを金貨3枚で買え、という条件を快諾した無骨な男がいた。彼は呪文紙によって掛けられた"肉体強化"にいたく感激し、かなりの数の呪文紙を買っていった。
そんなこんなのおかげもあって、商品棚には空きが目立つ。
ラシュが頭上で寛いでいた鳥をぐわしと掴んで、空いた商品棚に置いたりしているが、それでも埋まらない隙間がいくつもある。
「アーニャ。
今日の売り上げのお金のうち、1割くらいを使って羊皮紙とパピルスを明日買い足してきてくれ。
頼めるか?」
「うにゃー。
カーくんの頼みを聞きたいんは山々なんやけどな? たくさんの1割はたくさんやで?」
「おねえちゃん、おねえちゃん。
いま数えたら、今日の売り上げは金貨32枚、銀貨88枚、銅貨100枚と44枚だったの。
これを10個にわけて、そのうちの1つなの……!」
「このぎんいろのいちまい、とってもきれい。ぴかぴか」
「どうしよカーくん、シャロちゃん。
アーちゃんめっちゃ賢いし、ラッくんめっちゃ可愛い。やばない?」
うにゃうにゃ言いながらも、アーニャとアーシャは頑張って計算をしている。
なんだかんだ言って、あれでアーニャも勉強をしているのだ。身につき具合があまり芳しくないだけで。
アーシャのほうは、数字の書き間違いもかなり減ったし、簡単な計算は少しずつできるようになってきた。そろそろ帳簿をつける練習をしてもらってもいいかもしれない。
ラシュは数字を書くお勉強中でも、集中力が切れると余白のスペースに絵を描き始めてしまう。そんなラシュの『りきさく』を工房に飾ったりしているので、シャロンから溜息を吐かれるなど珍しい事態も発生していた。
そんなシャロンは、真剣な視線を片手に持ったパピルスに落としている。
それは注文をメモしたものであり、今日さらに増えたものを書き足すと、なかなか壮観かつ目眩を感じる物量となっている。
「車輪の成形、回復薬茶の下準備は私やアーニャさんでも代替できます。
ただ――使い捨て呪文紙や、車輪、回復薬茶の魔術部分はオスカーさんしかできません。
昨日までの注文分もありますし、店頭在庫を増やす必要もあります。
これを満たそうと思うと――どう考えても、働きすぎではありませんか?」
「やっぱり、ちょっと無理があるよなぁ。
僕がもう一人くらい居ればいいんだけど」
「そうしたらお一人は私がいただきますね。
ふふ、それはとてもいい考えです」
「えっ、カーくん増えんの?
ウチにも一人ほしい!」
あら不思議、増えたはずなのに仕事をする人がいなくなってしまった。
そもそも僕は増えないが。
「ぼくも、あにうえさま、ほしい。
一緒に、おさかな釣ったり、剣のれんしゅうしたり、おひるねする」
ぽわぽわと望みを語るラシュ
なんという汚れなき瞳か。
「オスカーさん、オスカーさん。私もいいことを考えました。
もう一人のオスカーさんに関してです」
「え、適当に言ったのに何か手段があるの?」
分身を作る魔術みたいなのがあるのだろうか。
僕が食いつくと、シャロンは自身の腰に左手を当て、いいですか、とポーズをとる。
彼女が得意げなときによくやる仕草だ。
「オスカーさんが孵卵器を作ってくださいましたら、可能です。
私の遺伝子操作技術を駆使して作った受精卵をもってすれば、10年ほどでミニオスカーさんがですね」
ちょっと気が長すぎやしませんかね!?
あとそれ、僕らの子どもってことだろう!?
孵卵器とやらを作って作って、とシャロンは隙あらば僕にねだってくるのだけれど、今回はすこし搦め手で来たといったところか。
《遺伝子操作技術:生物のもととなる塩基配列内の遺伝情報を書き換え、あるいは選別し、生物の形質を意図的に取捨選択する技術》
そんなよくわからない技術まで持っているシャロンの思いつくままにさせていたら、本当に僕そっくりの子どもが作られそうである。
「ミニオスカーさん――仮にミニカーさんとしましょうか。第一子ですよ第一子。
なんて呼んでもらいましょう。おかあさんも良いですが、ママも捨てがたいです。
いっそ、舌ったらずに『しゃろん』なんて呼ばれた日には――ああいけません、いけませんよこれは!
試しに今すぐ『身体が子どもになる薬』みたいなの作ってみませんか、オスカーさん!」
「なんか盛り上がってるところ悪いが、却下だ却下」
そんな怪しい薬がほいほい作れてたまるものか。
ただまあ。幻覚魔術のようなものが使えるようになったら、そう見えるような術式を掛けてみるのもいいかもしれない。フリージアも、あることだし。
「シャロちゃんとやや子作るんが大変なんやったら、その。ウチが協力しても、ええんよ?」
あらぬ方向を向きながら、耳まで真っ赤にしたアーニャが口を挟んで来た。
そっちの方向には、棚の上に降ろされたまま寝に入ったらっぴーしかいない。
おかしいぞ、僕は単に仕事の人手が足りない話をしていたはずなのに。
「人手に関しては、しょうがない。
しばらくの間は、僕がなんとかするよ。
どこかでお休みの日を作るとか、値上げするとか、そのへんはまた考えよう」
「逃げおった」
「逃げましたね」
現実的な回答をしたはずなのに、散々な言われようである。
『今日一番ぴかぴかだった銀貨』を見せにきたラシュや、夕飯の準備のためにぱたぱたと走り回るアーシャだけが、このときの僕の癒しだった。




