僕らの魚釣り
「なあオスカー。私の知っている釣りというものは、なんというか、もっとこう、違うものなのだが」
「しょうがないだろ、釣れなかったんだから」
カイマンの、呆れ混じりの苦言に対して、籠の中に"念動"で吊り上げた魚を優しく叩き込みながら応じる僕。
僕にとっては釣りの作法に拘って釣果を上げられないより、いまも籠の淵に齧りつくようにして目をキラキラと輝かせている弟分の喜びのほうが大事だった。それだけの話である。
そんな僕の様子に、美青年はハハと声を上げて笑う。少し、ムッとする僕。
「何がおかしいんだよ」
「いやなに。
君にも不得手なものがあるのだな、と思うと面白くてね。
——っと。ほら来た、釣れたよ」
彼の言葉通り、彼が持つ竿に括り付けられた細い糸の先では、見事に丸々太った川魚がびちびちとその身を跳ねさせている。
それを横目に、僕は"索敵"で見つけた新たな魚を"念動"で吊り上げているのだけれど。
「すごいね、お菓子のひと、おさかなつれる!
みてみて、すごいね、あにうえさま」
「ぐっ……ぼ、僕のほうが手に入れてる魚の数は多いのにっ……!」
巧みに腕を動かし魚を釣り上げるカイマンの様子に、目をまん丸にして尻尾をピンと立てるラシュ。
アーニャやアーシャも時折見せる、その尻尾の動きは、かなり好意や興味を持っているときのそれである。なんだろう、すごく悔しい。ちくしょうカイマンのくせに。
「ほらラシュくんも、もう一度やってみるかい。
大丈夫、私と一緒にやろう。そんなに難しくはないから」
「うん。やる」
あんにゃろう!
僕だってその気になれば、普通に釣ることだってできるはずだ!
慕ってくれる弟分の興味が根こそぎ持っていかれるのは、地味にダメージがでかい僕だった。
僕は、放り出していた竿を再び手に取ると、真正面に構える。
先ほどまでは、ただ闇雲に糸を垂らしていたのがよくなかったのだ、たぶん。
カイマンの手元を見るに、なんだか小刻みに竿を揺らしていたりするし。いや、べつに奴を参考にしなくたって僕は釣り上げてみせるけどね。みせるとも。むしろ魅せてやるとも。
「あにうえさまがなんかへん」
「彼はいつもあんなものだと思うが」
やかましい。
おい、"全知"。力を貸せ。僕には力が必要だ。"全知"の神名にかけて、最適な釣りポイントを示してみせろ……!
——ちなみに後日、とある人物から『はじめての"神名開帳"をそんなところで使うなんてさ〜。やっぱり、きみは変な子だね〜』と笑われる羽目になるのだけれど、この時点の僕はそんなこと、知ったこっちゃなかったのだった。
ともかく、"全知"にそう念じた瞬間に、その変化は起こった。
焼け付くような眼の痛みに、痺れるような頭痛。
いや、それすらすぐに感じなくなる。全身が目になったとでも言わんばかり。痛みを感じる器官さえない。全てのものが視える。
舞い散る葉の筋一本一本が。
流れる川から飛び散る雫に映る歪んだ石の像が。
ラシュのふわふわした耳の一部、らっぴーに齧られて乱れた毛の一本一本が。
その全てが、視える。
そしてまた唐突に理解する。
これこそが"全知"の。
神名の力を引き出した状態であることを。
全てのモノが視えるということは、その後にモノがどういう動きをするか、ということさえもほとんど予測することができる。水が低きに流れるように。風で雲が流れゆくように。事象全てが理解れば、それに紐づく連続した事象さえ理解るのだ。
これこそが、真の"全知"の視界。神の名を冠する、力。
釣り竿を構える僕の姿が視える。
実際の僕はまだ構えていないのだが、この通りに動けば良いということが理解る。"全知"の視界が僕にみせる、補助のようなものだ。僕はそれに逆らわず、視える視界にぴたりと重なるように、竿を構える。
そして、投げる。
どう投げればどう飛ぶか、などということはもはや確認作業ですらない。予め定められたように、釣り糸は魚の意識を擦り抜けて音もなく着水する。
それでいて、もはやあの魚には釣り餌を無視できないことが確定する。魚の意識が緩んだ箇所に、唐突に『どうあっても食べることが確定』した位置に、『意識の隙間で不審に思えない場所』に、餌が出現したのだ。一瞬ののち、当然のように魚はそれに食いつき――
「わぁ、あにうえさまも、すごい!
おさかな、おっきー」
歓声。
しかし今の僕は"魚を釣り上げる概念"と化している。歓声に応える機能を有していない。
餌となる虫に向けて竿を振る、餌のついた竿を再び川に振る、釣る。
その一連の動作に要する時間は10を数えるに満たない。
僕にこの視界がある限り、なんぴとたりとも僕の釣果を上回ることなどできはしない――!!
再び、視えている僕に重なるように身体を動かし、釣り上げ、振り、釣り、振り、振り、釣り、振り、視えている像がぶれブレブレブレブレ――
「――ッ!!?
オスカー、おい、大丈夫……ッくそ!」
明滅する光の中、走り寄ってきた何かを巻き込んで、川の中に倒れ込んだということだけは、理解った。
――
ぱちぱちという、火のはぜる音で僕は意識を取り戻した。どうやら、倒れているらしい。
僕が寝かされているのはごわごわとした布の上のようだった。ひどく身体がだるく、口の中もなんだか嘔吐くほどに気持ち悪いが、ゆっくりと身を起こす。
「っくしゅ」
寒い。僕は半裸であるようで、というよりも下着と腕輪しか身につけていない状態である。冬といって差し支えない時節において、寒いのは当然と言えた。
「あにうえさま、おきた」
すぐ近くにいたと思しきラシュが、てててーっと寄って来てぎゅっとしがみついてくる。ものすごくぬくい。
『オスカーさん。お目覚めとのことですが、どこか具合の悪いところはないですか?
あと22分38秒ほどで到着予定ですので、安静にしておいてください!』
脳内に、シャロンからの"念話"が響く。
え? と思ってしがみついているラシュを見ると、耳をぺたんと畳んでしまった。怒られると思っているのかもしれない。
「あにうえさま、倒れたって言ったら、あねうえさま、走ってくる」
「そっか。シャロンに連絡してくれたんだな」
連絡を疎かにしがちな僕と違って、実に気の利く弟分である。
へたりこんでしまった耳を撫でてやると、脇腹あたりに顔を埋めてぐりぐりしてくる。ふわふわの毛並みがちょっとくすぐったい。
『僕は大丈夫、心配しないでくれ』
『大丈夫な方は倒れたりしません!
アーニャさんやアーシャさんもひどく心配していらっしゃいました。大人しくしていてください』
怒られた。たしかに、もっともな話である。
ラシュと同じように僕も少ししょんぼりしていたからか、ラシュの小さな掌が、座る僕の頭をよしよしと撫でてくれる。その表情は真剣であり、とても微笑ましい。
「やあ。お目覚めの気分はいかがかな」
背後で、同じく下着のみ身につけた半裸の美青年が、歯を煌めかせながら問いかけてくる。
男ふたりが半裸で見つめ合う図である。誰が得をするんだ、この状況。リーズナル邸の大浴場でカイマンとは裸の付き合いをしたこともあったけれど、そういうサービスシーンはお呼びではな
いのだ。
倒れる前の状態をできる限り思い返してみる。
――そうだ、たしか"全知"の力を偶然引き出して、それで……。
おそらく、魔力枯渇で、倒れたのだろう。
当の"全知"の眼鏡は、僕が寝かされていた布のわきにちょこんと置いてある。
体調が万全になったら、試してみないとな。いろいろと。
「あんまり良い気分じゃないな、頭がぐるぐるするし。寒いし。
――悪い、迷惑かけたな」
「しおらしい君も物珍しくはあるが、なんとも調子が狂うものだね。
いやなに。友を助けるのは当然のことだし、ついでに水浴びができたというだけだよ」
朗らかに嘯くカイマン。
半裸の男ふたりが向かい合ったまま座っているのは明らかに変な図なのだけれど、彼は頑なに後ろを向こうとしない。僕が倒れるときに、それを庇って背中に怪我でも負ったのではあるまいか。川の中では、大きめの石もごろごろしていたし。
アグニベアとの戦闘はほぼ無傷で切り抜けたというのに、その後のどうでもいいところで怪我を負わせてしまったとあっては、あまり気分の良いものではない。
頭がズキズキと痛むので、たぶん"治癒"みたいな、大きく魔力を食う魔術の行使はできないと思う。
同様に、再び眼鏡を掛けるのも今は躊躇われた。肩から上に腕を持ち上げるのが困難なくらいに、とにかく全身がだるい。
木の枝に掛けて乾かしてある僕らの服は、まだかなり湿っぽかった。冬場にさしかかっているとはいえ、日差しも焚き火もある。そんなに長時間倒れていたわけでもなさそうだ。
服をごそごそとやりつつ眼鏡を"倉庫"に仕舞い込み、かわりに茶色い液体の入った小瓶を取り出し、カイマンに差し出す。
「うん? それは?」
「回復薬の試作品。
ちょっと飲んでみてくれ」
「ふむ。
特に不要ではあるけど……いや、変な意地は張るまい。
いただくよ」
受け取った小瓶をしげしげと眺め、匂いを嗅いでみたりしているようだ。
半裸で液体の匂いを嗅ぐイケメン。シュールである。
「香りも味も、お茶のようだが。
ふむふむ、たしかに痛みや疲労感が軽減されたように感じるよ。
私の知るヒールポーションとは、えらく趣が異なるようだがね」
「道具屋で売ってるヒールポーション、高いしマッズいからさ。
どうにかならないかと思って」
「はは。違いない。
オスカー作のほうは効果もそれなりなようだし、何より味がいい。
これ、売り出さないのか? 冒険者組合に広告でも出しておけば、きっとかなり売れるぞ」
対抗馬はなんたって不味いからな、とカイマンは思い出しただけで顔を顰める。
「それが、さっきも言ったけど、まだ試作品でな。
ぜんぜん日持ちしねぇ」
皆が皆、"倉庫"のような手段を持っているのであれば、その問題もないのだけれど。
「市販のヒールポーションも、さほど日持ちはしないけれどね。
5日も保てば良いほうだ。
高価いし不味いしそれほど日持ちもしなくたって、それでも冒険者にとっては命を繋ぐものだ。
旅のお守り替わりにに持っている者も多い。すぐに買い替えが必要だけれどね」
「そんなもんか。
なら、なおのこともうちょっと日持ちするものの完成を急ぐとするよ。
――ちなみに、カイマンは今日は持ってなかったのか? その『お守り』」
仮に持っていたとしても、念のために使わずとっておいているかもしれないけれど。できれば飲みたくはないものだし。不味いから。
しかし僕の問いかけに、カイマンは明らかに、しまったという顔をして強張った。
そして、僕らにトドメをさしたのはラシュの一言だった。
「それって、お菓子のおにーちゃんが、あにうえさまにのませたやつ? むちゅーって」
いつのまにやら、カイマンの評価が『お菓子のひと』から『お菓子のおにーちゃん』へとランクアップ(?)している。が、そんなことよりも。
「飲ませっ――!? どうりで目覚めてからこっち、口の中がなんか気持ち悪いわけだよ。ポーションの味か、これ。
それで、むちゅーってのは……どういう。ちょっとまてカイマン、お前、目を逸らすな、いや僕を見つめ続けろって意味じゃないけど、お前、いやいやいや頬を染めるな、ちょっと」
「何が原因で倒れたかしれなかったので、その、すまない。
直に飲ませようとしたら吐き出してしまったので、その。あー、すまない」
カイマンは、経済状況には多少余裕のある冒険者である。『お守り』としてのヒールポーションも、持っていたのだろう。
しかし、意識を失っていた僕は、自力でポーションを飲むことができなかったのだろう。
自分で嚥下するだけの体力がないものに、水や薬を飲ませるにはどうするか。
医学の知識を持つものだけでなく、冒険者もそういう知識はある。冒険者組合では緊急時の救命方法を教え、それを覚えて晴れて組合員と成ることができるからだ。そのへんは、冒険者組合で馬を借りるときに聞いたことである。
今、問題としているのはその方法の方であり。
それは一般的に『口移し』だとか呼ばれる方法だと予想され。
僕もカイマンも半裸の状態で、片方は目を逸らしており。
「なんじゃそりゃぁああああああ!?」
僕の絶叫を聞きつけたシャロンが風のように現れるまで、僕は喚き続けたのだった。




