僕と弟の墓参り
朝。
と言っても、まだかなり早い時分であり、ようやく太陽が空を白くし始めたくらいである。
普段であれば、まだまだ寝ているような時間だけれど、今日は特別だ。
「忘れ物はないか」
「ない。ぜんぶ、"そうこ"」
眠そうではあるが、しっかりと頷き返すラシュ。
今日はカイマンからの依頼と、ついでに魚釣りに連れて行ってくれるというので、ラシュと僕はお出かけだ。
お店のほうは、シャロンやアーシャに任せておけば問題ないだろう。どうせ、お客さんはほとんど来ないのだし。
カイマンとしては単に魚釣りに繰り出すわけではない。冒険者組合の依頼として、近隣で出没した魔物の討伐を請け負ったとのこと。
今回の討伐対象はアグニベアと呼ばれる魔物である。森などでたまに出くわすそいつは、大きくとも人間の子供程度の大きさである。
これは人里離れた所にいる限りはあまり害はないのだけれど、自身の縄張りに入った相手に威嚇してくる。さらに攻撃に移ると可燃性の溶液を掛けてきて、魔力を使って火花を散らしたりするらしい。下手をすれば大火傷で死に至る。
その上、穴を掘ってそこに篭もる習性があるので、そうなると発見も討伐も困難極まる。しかも肉は食っても美味くない、売れる部位はアグニベアが可燃性の溶液を貯めておく袋だが、溶液をあまり使わないうちに、その臓器には傷をつけずに倒す必要がある。という、何とも面倒な上に実入りの少ない相手だった。つまり、ふつうの冒険者はあまり受けたがらない依頼なのだ。依頼料も高くないと言うし。
カイマンがこの依頼を受けたのは近隣住民や行き交う商人たちに被害が出てからでは遅いので、手段があるなら討伐をしておきたい、という意図であろう。領民のために動くその姿勢から、リーズナル男爵やその息子たちの評価はけっこう高いらしい。
そして僕のところにきた依頼は、そんな厄介な相手であるアグニベアを"索敵"で見つけてくれ、というものだ。
『オスカー・シャロンの魔道工房』では商品を売るだけではなく、魔術で解決できそうなものを請け負う方針としている。"治癒"とかが必要な人もいるだろうし。今回も、それの一環というわけだ。
そして見つけさえすれば後は好きにしていていいらしい。なので、ラシュとともに釣りにでも興じよう、というわけである。"倉庫"内の魚のストックが減っていくたびに、ラシュはしょんぼりしていたので。
「やあ二人とも。おはよう。
今日はよろしく頼む」
朝も早くから爽やかな笑みを口元に浮かべながら、髪をさぁっと掻き揚げる動作をする美青年。息災そうでなによりだ。まあ、3日に一度くらいの頻度で店を覗きに来るので、よく顔を合わせているのだけれど。
「おさかな、つる」
挨拶に応じ、ふんす、と意気込むラシュ。やる気満々である。
カイマンは、無駄な動作を交えた笑みを再度振りまくと、僕らに馬車に乗るよう促した。例の、僕が譲った馬車である。巷では"ハウレル式"だとか大層な名が付いているらしい。一応、店の商品として荷馬車作製も請け負っているのだけれど、今のところそれが売れたことはない。
ごとごと、ごとごと。
揺れる馬車の荷台で、眠るラシュを眺めること1時間と少し。
ようやく日も昇ってきて、周囲が暖かくなってきたあたりで、一旦馬車が止まった。
ここは目的地ではないのだけれど。
僕に気を使ってか、わざわざカイマンが寄ってくれたようだったので、ありがたく好意に甘えることとする。
「私は馬を休ませるついでに、馬車の見張りでもしていよう」
「わかった。……悪いな、すぐ戻るから。ラシュ、行こう」
「そんなに急ぐ必要はないとも。
工房開設の件でも、報告してくるといい」
カイマンに促され、僕はラシュを連れて木立を分け入っていく。
鳥のさえずりや、木の葉の擦れる音が涼やかに響くなかを、僕らは歩く。
僕の様子がいつもと違うからか、ラシュはその小さな手で僕の手をぎゅっと掴んでくれる。この間、初めてここに来たときにそうしてくれたのは、シャロンとアーニャだったっけ。
1、2分ほど歩いただろうか。やがて木々が開けると、その空間は僕らを迎え入れた。
それは、簡素な——墓石と、剣が突き立てられただけの、本当に簡素な墓所である。
今は殺風景なこの空間だが、お墓を作るときにアーシャが周りにいろいろな花の種を撒きまくっていた。春になれば、あたりを花が埋め尽くすことだろう。
僕は、"倉庫"から花、塩、羊皮紙の束、酒、などなどを取り出し、墓前に供えていく。風に撫でられた羊皮紙の束が、かさかさと微かな音を立てた。
ここに眠っているのは、僕の父母。ふたりだけである。とはいえ、父のほうは遺体もなく、剣だけが刺してあるのだけど。
再び蛮族に奪われたりしないよう、"おずわるどの剣"は一部を溶かして墓石と接着してある。
僕も、ラシュも、何も喋らなかった。けれど、小さな掌は僕の右手をきゅっと握って離さない。その温かさに、僕はどれだけ救われているだろう。
両親と死に別れてから、僕の傍には、だいたい常に誰かが居てくれた。シャロンが、フリージアが、アーニャたちが。あとは認めるのはちょっと癪だけれど、カイマンだってそうだ。
きっと、一人きりだともっと早くに死んでいた。地下研究所から脱出することすら叶わなかっただろうから。
シャロンと僕のふたりだけでも、きっと、僕は駄目になっていた。"全知"を——手に入れた力に溺れ、徒らに周りを傷つけたり、外道に成り果てていたことだろう。
今の僕を、僕たらしめているモノは、僕だけの力ではないのだ。決して。
だから。
僕は、大丈夫。
あなたたちと共に戦って死ねたら良かった、なんて。そんなふうに思ったこともある。
しかし、人の死を感傷的にするのは、生き残った者の感情、心の動きでしかなく。実際の人の死は、物語ほどの意味を持たない。
僕は知った。魔物や、蛮族を屠る中で知った。
死というものは、劇的なものじゃないし、突然やってくる。
そこに何を見出すかは生きているものの特権で、死という結果を与えられたモノには、もはやそれを考えることすら適わない。
人は簡単に死ぬ。
串刺しになれば死ぬし、埋まっても死ぬ。首を刎ねられても死ぬ。
戦いだって、冒険譚にうたわれるような大仰なものじゃなかった。
ただただ泥臭くって、血生臭くって。
爪を剥がしただけで人は蹲るし、骨を折れば戦闘不能に陥る。そして斬れば死ぬ。
何合も剣を打ち合って、骨が折れても矢が刺さろうとも戦い続ける——なんてのは、物語の中だけの話であり。
現実は、物語ほど劇的じゃあない。
だから、これは僕の感傷だ。
あなたたちの死は無駄ではなかったと考えたい、僕の醜悪な心の動きだ。
仇は討った。
あなたたちのため、とは言うまい。僕がそうしたかったから、許せなかったから、それだけの話だ。
だから、安らかに。
そう、思うのに。
そう思っているのは本当なのに。
ここに。墓前に立ったとき。浮かんでくるのは後悔ばかりだ。
僕は、やっぱり二人には生きていてほしかったんだ。
シャロンを、アーニャを、アーシャを、ラシュを。紹介したかった。
とびきり可愛くて、その上強い僕の嫁を自慢したかった。
きょうだい思いの、可愛いうちの従業員を見せびらかしたかった。
あとは、新しくできた僕の友達に。
「会わせ、たかったな」
呟いた声は嗄れていて。
いつのまにか、涙がぼろぼろと地面を濡らしていた。
英雄譚、冒険譚、その他物語の王道、お約束展開として、その死を確認できていない者はあとで無事にひょいっと現れたりすることがある。
いっそお約束展開、御都合主義との誹りを受けたって構わないから、父さんだけでも無事であればどれだけいいことか。
——しかし、どれだけそう願ったところで。記憶の中で父が致命傷を受けていた事実は変わらず。
"全知"を持っていない当時の僕から見ても、あれは助かりようもない。
だって人は、すぐに死ぬのだから。
しばらく感傷に浸ったあと、僕らは墓石を布で綺麗にしたり、酒を撒いたりした。
ラシュは、白っぽい耳をぴこぴことさせながら、羊皮紙を広げて自分の勉強の成果を墓前に報告しているらしい。
「これが、らっぴー。
それでこれが、おさかな。
おさかなは、おいしい。
これは、4。
たぶん、おいしくない。
これは、たけし。
なかなかやるやつ」
……勉強してたんじゃないのか?
シャロンのやつは、いったい何を教えていたのだろう。
「ラシュ、そろそろ行こうか」
「うん」
てけてけてと戻って来たラシュの頭をくしゃりと撫でつつ、羊皮紙の束を"倉庫"に仕舞うと、ラシュはその小さな手で先ほどまでのように僕の手をとった。小さくたって、ちゃんと温かい。生きている温もりだった。
僕が振り返って礼をすると、ラシュもちょこんとお辞儀をした。
服の裾を摘んで頭を下げるその所作は、きっとシャロンを見て覚えたのだろう。アーシャもやっていた気がするし。ただ、それはスカートとかを穿いてやるものだぞ。
「付き合ってくれてありがとな、ラシュ」
「うん」
今の僕は一人じゃないから。守るべきものも、居場所もできたから。
「それじゃあ。また、来るよ」
もう振り返ることもせず、僕らは歩き出した。
僕らを待つ友の元へと。




