ウチには1と7の違いがいまいちわからへん
閑話集の章になります。
時系列が前後するかもしれません。
隣に並ぶラッくんやアーちゃんの表情は真剣そのもので、動かす手の先ではカーくんがらっぴーの羽根でこさえた羽根ペンがカリカリと音を立てている。
そして手を動かすたび、羊皮紙にはいろんなおっきさの黒い文字が新たに踊る。
そんな二人の様子を、ついつい眺めてまう。なんか、ええなぁ。平和ってええなぁ。めっちゃええ。
敵襲も、大雨も、今日のごはんも、何も心配せんでええなんて。
やばそうなもん食べて、お腹痛くて死にそうな思いすることもない。
キレイな寝床とか、しっかりした服やってある。ふりふりした可愛いやつをみんなの前で着るんは、ちょっと恥ずかしいんやけどな。
「アーニャさん、手が止まってますよ」
「うにゃー」
見つかった。
ちょっとぼけーっとしとっただけやのに。
ウチらのせんせーとして文字を教えるのは、今日のシャロちゃんのお仕事やった。
シャロちゃんが買い物に出てる間はちょっとサボれるわ! とか思っててんけど、音もなく戻って来るんはずるいと思う。階段もあんのに。
「はい。追加のインクを買ってきました」
「ありがとうなの!」
ウチらのなかでも、特にアーちゃんのやる気はすごい。書いた羊皮紙はもう束になってるし、インク瓶やってそろそろ一つがカラんなりそうやった。
今のままやと店番も一人ではできへんし、勉強して少しでも役に立てる部分を増やしたいんやと思う。
「今書いて覚えてもらっているのは、数字です。
これの読み書きと簡単な計算、あとは銅貨、銀貨、金貨の違いとそれぞれの両替ができれば、ひとまず今日のお勉強はおしまいとしましょう」
「うえぇ。終わる気がせーへん」
シャロちゃんは若干厳しめやった。
カーくんのほうがだいぶ甘めなんやけど、いまは1階で店番しながら何か作ってるんやと思う。お昼ごはんまだかな。
ウチは、もっとこう、身体を動かす感じのことで恩を返したいなぁと思っとったんやけども、お勉強も大事やって言われてもうたから、しゃあなく勉強してる。
猫人族の里では、座ってお勉強する、みたいなんはあんまりなかった。
そもそも教える者がおらんし、皆それぞれ食べ物調達したりとか見張りしたりとか、そんな悠長に座ってる余裕もあんまなかったしな。
それに、ウチは賢くない。むつかしい話がはじまるとめっちゃ眠くなるし、正直あんまり聞いてへんかったりする。
こないだもご飯の人のでっかいおうちで、カーくんシャロちゃんが大人の男相手に難しい話してるんも、ぜんぜんわからへんかったし。
だから、どっちかというと身体を動かして恩返しがしたかったんやけれども。
ちっさい魔物狩ったりはウチにやってできる。里ではウチは強い方やったし、いのししとか狩って帰ったときには皆に大喜びされたもんやった。
せやけど、実際に戦うってなったらカーくんやシャロちゃんの方が早いしちょう強い。隠れてる魔物もどかーんでばーんってやっつけたりする。触るまでもなく魔物が死んだりする。
山を落としたりとか一瞬で飛んだりするような人らと比べてもしゃあないのはわかるけど、どのみちカーくんたちがやったほうが早いんやから、そういう意味ではあんまりウチは役に立たれへんのやった。
ノーギョーとかをやろうにも、土地を持ってへんかったら勝手にやったらあかんねやって教わった。
猫人族の里では、いつ外敵に見つかって移動することになるかもわからへんかったから、何かを自分らで育てて食うなんてことはせんかったから、やり方もわからへんねんけどね。
ここに来るまでのあいだ、馬車から外を見たらでーっかい畑があったりしたし、あれぜんぶ人間が、自分たちが食うために作ったんやと思うと、すごいなぁって思う。いうてカーくんシャロちゃんのほうがすごいんやけどな。
かといって、夜伽で恩を返そうにも、一向にお声は掛からへんし。
ウチから誘いをかけてみようにも、そーいう気配を察するとカーくんはやんわりいつのまにか逃げよる。
ええやんけー、シャロちゃんやって『べつに3人でも構いませんよ』って言うてたやんけー。あれはきっと正妻の余裕ってやつやで、ウチにはわかる。
カーくんにはシャロちゃんがいれば、ウチは要らんのやろかもしれへんけど。強い雄やのに、カーくんはなんかそういうとこあるからなぁ。
……。
あれ、ちょっとまって。
よー考えたらウチ、いまタダ飯食らいってやつちゃうん!?
お勉強でけへんかったら、完全に要らん子になるんとちゃう!?
これはあかん、せめて数字は覚える――!
ウチやってカーくんに首輪を貰ったんやから。ある程度できるってこと見せてやるんや!
ウチがちょっとやる気を取り戻して羊皮紙に向かったんを確認したからか、シャロちゃんはにこってした後で他の子らの様子を見にいった。
いまは、ラッくんが書いてる羊皮紙をじっと見てるようやった。赤い眼鏡をくいっと指で直しながら、小さな掌が数字を書くさまをじーっと見守ってる。
その眼鏡は、このあいだシャロちゃんがカーくんに頼んで作ってもらってた。カーくんのつけてる眼鏡とお揃いの見た目になってる。カーくんの眼鏡はなんや凄いらしいけど、シャロちゃんのやつは見た目だけのもんらしい。
なんでも、せんせーっぽさを出すためには必要なんやーって力説しとった。ウチもちょっとほしい。なんか賢そうに見えるし。
ってあかんあかん、ウチもやらんと。
「アーニャさんも、頑張ってください。
ラシュくんも頑張って書いてますよ――って、ラシュくん、これはなんですか」
「それは、2」
「そうですね、2ですね。よく書けています。
じゃあ、これは」
「それは、らっぴー」
「んん。なんで2の横にらっぴーが書いてあるんですかね。
じゃあこれは?」
「それは、5」
「向きが逆ですね。そうそう、そっちが正解です。それでこれは?」
「それは、おさかな」
「んん。なんでお魚がいるんですかね。
たまにひっくりかえってる5と、あとは頑なに書かれてない4の練習もしましょうね」
「4は、なんかあんまりおいしくなさそうだから、ちょっとすきじゃない。
でもおさかなはすき」
にへーっと笑うラッくんに、シャロちゃんもちょっと困り顔やった。
やばない? ウチの弟がめちゃくちゃかわいい。
それに、たしかにラッくんの言う通り。お魚は美味い。とくに、海のお魚は抜群やったわ。
滅多に食べられへんご馳走やったはずのお魚が、いっぱい食べられたし、ウチは海けっこう好きやった。あいつ、なかなかやる。
山里の川を走り回って、ずぶ濡れになって採った魚も美味かったんは確かやけど、おっきさが全然ちゃう。
ふつうのお魚じゃない、ひらたくて、べちゃーっとしてるやつとか。銀色の目が怖いやつとか。にょろにょろしてるやつとか。カーくんたちと食べたお魚は、ぜんぶ美味かった。
たまーに、カーくんが塩作るときにちっちゃいお魚が紛れ込んで来ることがあるけど、もっとおっきいやつが、がばーって来てほしい。がばーって。
「アーニャさん、また手が止まっていますよ」
「あにゃあ。しゃあない、やりますかー。
まず、おさかな、っと」
「お魚は書かなくていいんです。数字書きましょう、数字」
もうっ! と頬をぷくーって膨らせて怒りますよーってポーズをするシャロちゃん。
そうそう、そういやシャロちゃんはなんか丸くなった気ぃする。いや体格やのうて。
カーくんとの、でーと大作戦の後くらいからやろかな。カーくんがおらへんときにもよう笑うようになったし。
あの日はウチ、しんどくてのたうち回ってた覚えしかないんやけど。酒は飲みすぎるとああなるらしいってシャロちゃんに教わったけど、そのわりにシャロちゃんはケロっとしとった。
「あねうえさま、おさかなきらい?
からだにいいんだよって、あにうえさま言ってた」
「いえ。嫌いというわけではないですよ。
いまはお魚を書く時間ではない、というだけで。
ほら、4も書いてくださいね」
仕方なく、数字の書き取りを再開するウチら。
その間もずっと羽根ペンを動かしてたアーちゃんは、手の裏側のほうまでインクで真っ黒にしながらも、やっぱり楽しそうやった。
「アーシャさんは、よくできていますね。
もう、ほぼ完璧です」
「ありがとなの!」
黒くなった手で鼻の頭をこすったからやと思うけど、にぱっと笑うアーちゃんの鼻の先はちょっと黒くなってた。
自分の首輪――ウチらが飼い猫やっていう目印――に軽く触れ、"倉庫"から布を引っ張り出して、アーちゃんをごしごしごし。
「ふっふーん。
ウチの妹は賢くて可愛いねんぞ、すごいやろ!」
「わぷっ! おねえちゃん、なにするのっ、やめるのっ!」
「胸を張ってないで、アーニャさんも賢くなってくださいね。
それじゃ、同じことばかりじゃ飽きるでしょうから、ちょっと計算もお教えしましょう。お店でよく使うものから」
シャロちゃんが手をパンパンと叩くと、ウチの手から逃れたアーちゃんだけでなく、ラッくんもガバッと顔を上げる。
その勢いで、ラッくんの頭の上でバランスをとって寝てたらっぴーが「ピャー」とか言いながら転がり落ちてった。やーいやーい。
あいつ、たまにウチのこと突つこうとしよるからな。たまにはジョウゲカンケーってやつ、わからせとかなあかん。
「アーニャさんは何を勝ち誇っているんですか。
いいですか、では問題ですよ」
腰に手を当て、もう片方の手で眼鏡の位置を直しつつ、シャロちゃんは言う。
「タケシくんは、塩を買いに来ました」
「誰やタケシくんて」
「誰でもいいです。
問題はそこではないので」
シャロちゃんの指からぺかーっと一直線に出た線が、壁に当たる。
そうすると、壁に問題とやらの絵が映された。何回か見たことあるんやけど、これには毎回感心してまう。ウチもできるようになれへんかな。魔術なんかなあれ。
ウチらは文字も読まれへんから、気ぃ効かせたシャロちゃんが絵にしてくれてるんやと思う。誰でもいいというわりに、タケシくんが塩を買いに来た、というのがわかりやすい感じになってる絵やった。目ぇ細っそいなタケシくん。
シャロちゃんの問題は続く。
「小箱で掬った分を3回分の塩が欲しいタケシくんは、いくらお金を持ってればいいでしょうか?
小箱で1回掬うには、銅貨2枚が必要とします」
お店で扱っている塩の値段と同じですね、と続けるシャロちゃん。
でも、ウチの興味関心はそっちやない。
「えっ、ちょ、壁の絵動いてへん?」
壁では、タケシくんが塩を3回すくう動作をゆっくりと繰り返している。
なんやあれ、どうなっとるんや。
「壁の絵が動いてるのは問題に関係ないので、頑張って考えてくださいね」
うにゃあ。
やっぱり、シャロちゃんはちょっと厳しめやな。カーくんやったらもっと変なところノリノリやから、壁の絵が動く説明とかし始めて話が脱線しまくるねんで、きっと。
まあ、言うてもしゃーないし。考えるか。
銅貨2枚いるのが3回?
えっと、んーと。
ちらりと隣のアーシャのほうを覗きこむと、2、2、2と書いて考え込んでいた。
「そんなに、しお、どうするの?
しおいっぱいつかうと、からだにわるい。あにうえさま言ってた」
「それも問題には関係ないのですけど、そうですね。
タケシくんは塩像を作ろうとしている、と考えてください」
シャロちゃんの受け答えに対応して、壁の中のタケシくんが塩をこねこねしてらっぴーの姿を作り出した。
「タケシ、らっぴーのことすき?」
「そういうことにしておきましょう」
よじよじと膝にまで戻って来ていたらっぴーをわしっと掴むと、ラッくんはにへっと笑って自らの頭の上に緑の鳥をぽすっと下ろす。
「ピ」
「らっぴー、にんきもの」
ぽわぽわした笑顔を浮かべながらラッくんは見るからに満足そうな様子やった。ウチの弟がちょう可愛い。
問題のこと、忘れてそうやな。ウチももう半ば考えるの諦めてるんやけどな。
でも、ウチらと違ってアーちゃんは賢い。
さっきもいっぱい練習してたんやし、その力を見せたれ! 行け、いったれ! そこや!
「アーニャさんも、もうちょっと考えてくださいね」
「あい」
怒られた。
でもやっぱり、ウチよりもアーちゃんのほうが早かった。
「わかったのっ! 銅貨6枚いるの」
アーちゃんの答えに、シャロちゃんもにこりと頷く。
やたー、これで今日のお勉強終わりやな! お昼ご飯何かな!
「はい。正解です。
じゃ、次の問題ですね。タケシくんは王銀貨を1枚だけ持って、その塩を買いにきていました。
銀貨は銅貨10枚と同じ価値があります。おつりはいくら渡せば良いでしょう」
タケシ、ぴったり持って来いやぁ!
がんばれアーちゃん、アーちゃんだけがウチらの頼――アーちゃん? ちょっと、アーちゃ……固まっとる。
「な、なあシャロちゃん。
ちなみに、残り何問くらいあるん……?」
おそるおそる聞くウチに、シャロちゃんのにっこり笑顔と一緒に「8問くらいでしょうか。書けますか、8」という追撃が容赦なくウチらに突き刺さる。
どうやら、ウチらのお昼ごはんはまだまだ先みたいやった。
でも、ウチら姉弟の力をもってすれば、タケシなんて恐れるまでもないということ、しっかり見るといい!
そこからしばらく。
寝てしまったラッくんを起こしたり、まさかのタケシの兄が出て来たり、兄が引きつけてる間にタケシが塩を使って屍人を倒す展開になったり、なんやかんやとぎゃいぎゃい勉強するウチらをカーくんが覗きに来るまで、ウチらは楽しく勉強を続けた。
彼女らの学んでいる数字はアラビア数字でもギリシア数字でもないですが、だいたい似たような特性を持っている別言語だとご理解ください。
金貨、銀貨、銅貨の両替は貨幣の鋳造年度によって金の含有量が異なることから実際は細かく違ったり、他国の銀貨からの両替は0.8掛けだったりいろいろありますが、大まかには1金貨 = 10銀貨 = 100銅貨 の10進法です。




