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魔道工房、開店 そのに

 直前までのダレ具合はどこへやら。

 ヒンメル夫妻の訪問によって、アーシャは猫人らしい機敏さで跳ね起きると、にぱぁっと人好きのする笑顔で挨拶をする。


「いらっしゃいませなの!」


「きゃーん!

 アーシャちゃん、今日も可愛いわぁー!」


「な〜の〜!」


 アーシャはヒンメル夫人のお気に入りである。ヒンメル夫人は手にした大きなバスケットもそのままに、小さなアーシャを全身で抱きとめ、髪を撫でながらぎゅぎゅーっと抱き締めている。

 シャロンの美しさは美術品じみているというか、高価な絵画のような超然とした美しさであるのに対し、アーシャやラシュの可愛さはヒンメル夫人にとって親しみやすいものらしかった。ヒンメルさんが苦笑いするほどである。

 アーシャのほうも、初対面時のような人見知りしたような様子もなくなり、ヒンメル夫人の心ゆくまで、むぎゅーっとされ続けている。ラシュもけしかけておいたので、しばらくヒンメル夫人はもふもふタイムに入ることと思われる。



「ようこそいらっしゃいました、ヒンメルさん。

 歓迎します」


「やあどうも、ハウレルさん」


 ヒンメルさんを握手で迎えると、ヒンメル氏もにこやかにその手を握り返してくれた。

 ヒンメル夫人はアーシャとラシュをぐるんぐるんと振り回すのに忙しそうなので、挨拶は後回しだ。というか、なにげに力があるな、あの人。


「いやはや、それにしても立派な店構えじゃあないですか。

 人通りもあるし、日当りもいい!

 開店が実に楽しみですな!」


「どうもありがとうございます。

 開店は明後日くらいになるかなって思ってます」


 ゴコ村ではお人好しすぎる商人であるヒンメル氏だが、その商人としての手腕は確かだと聞いている。

 その彼のお墨付きがもらえるなら、実に心強いのだった。


「扱う商品や、屋号はどうなさるおつもりですかな?

 ――おっと、これはどうもご丁寧に」


「いえ。ごゆっくりお寛ぎください」


 流麗な動作でカウンターにお茶のカップを置いたのは、ヒンメル夫妻を招き入れてから姿が見えなくなっていたシャロンだ。シャロンはそのままにこりと微笑むと、軽く一礼して一歩下がり、僕の隣に立つ。


「ありがとう、シャロン」


「はい。良妻たるもの、当然です」


 にこにこと応じる彼女の右手の腕輪は金の輝きを纏っており、それと同じものは僕の左腕でも同じ輝きを放っている。そんな僕らの様子を、ヒンメルさんも目を細めてにこりと見守ってくれる。

 そんな折、ようやくアーシャやラシュとじゃれつき終わったヒンメル夫人も戻ってきた。若干ふらついている。


「ちいさな星が点いたり消えたりしてるの」


「ぐるぐるする」


 ちびっこたちも座り込んでしまっているが、その表情はどこか満足げである。


 アーシャやラシュは、ヒンメル夫人によく懐いている。

 それは僕らがアーニャたちを連れて、お願い事のためにゴコ村を訪れた時からの話である。


 僕の連れということで、ゴコ村では、アーニャたち姉弟が獣人だというだけで蔑まれたりすることは、表向きは無かったように思う。だからと言って奇異の目で見られないわけではなかったし、アーシャやラシュと同年代くらいの子たちの反応はより顕著であった。

 かつて大怪我を負ったものの一命を取り留め、以後シャロンに懐いていたエリナ嬢ですら、僕やシャロンの背中に隠れるようにしていたアーシャやラシュを一瞥すると、プイと目を逸らしてしまった。


 アーニャにとってはそういう人間の態度は『まだ随分ぬるいほう』ということだったが、アーシャやラシュにとっては、なかなか衝撃的であったらしい。町ではもっとたくさんの人たちが絶えず行き交っているためか、あまり気にしていないように見えたものの、こうして面と向かってそういった扱いを受けるのはやはり気落ちするものらしい。見るからにしょんぼりしてしまっていた。


 そんなふうに気落ちしたアーシャやラシュを、初見からぐわしと抱き締め頬ずりし、モフるだけモフって遊んでくれたヒンメル夫人に懐くのは、半ば当然と言えるかもしれない。アーシャやラシュは『人間はこわい』と教えられ、また恐れてはいる。しかし人間嫌いというわけでもない。愛情をもって接してくれる相手は、やはり彼女たちにとって嬉しい存在なのだ。

 ……とはいえヒンメル夫人の反応を見て、不貞の輩にアーニャたち姉弟が手を出されないように、物理的対抗策も首輪(チョーカー)に追加で仕込むことを、密かに考えていた僕だったのだけれど。



「それじゃあ。早速、合わせてみてもらおうかしら」


 挨拶もそこそこに、ヒンメル夫人はカウンターに大きなバスケットをどさりと下ろす。


 これこそが、アーシャがそわそわと待ち続けていたものの正体だった。

 構ってくれるヒンメル夫人自身を待っていたのもあろうが、アーシャの本命はこちらである。撫で回されている間も、そのバスケットに彼女の視線は釘付けであったのだから。


 じゃーん、という言葉とともにヒンメル夫人の手によって引き出され、カウンターに広げられたもの。

 それは、彼女たちに合わせて作られた、従業員としての正装、ないしは戦闘服。

 見事な、エプロンドレスである。


 真っ白なエプロンにはフリルが細かに施されており、前面に大きなポケットが設けられている。

 ドレスの方も、蒼のような、紫のような落ち着いた色だ。その穏やかな色は、アーシャがうんうんと唸って決めたものである。曰く、シャロンの目の色と、僕の魔力形質――彼女たちのチョーカーに嵌められた宝石――の間の色が良かったためだとか。そのように思ってもらえるのが、嬉しくも少しばかりこそばゆい。

 ふわりとしたドレスの内側には、エプロンと同じく真っ白な内着で、こちらにもふんだんにフリルがあしらわれている。



「ふわぁ〜!」


 カウンターをぴょこぴょこと飛び跳ねながら覗き込んだアーシャが、目を輝かせながら感嘆の声を漏らしている。

 ゴコ村を訪れた際に採寸してもらい、それ以降毎日うずうずそわそわしっぱなしであったアーシャ。そりゃもう、四六時中である。感動もひとしおだろう。

 ……それはそれとして、カウンター、ちょっと高いか。アーシャやラシュ用の踏み台を作る必要がありそうだな。



「さ、それじゃさっそく着てみましょうね」


「はいなの!」


 微笑むヒンメル夫人に、勢いよく応えるアーシャ。

 耳も尻尾もぴーんとやる気を見せており、その尻尾によって捲れ上がりそうになっている服の裾から彼女の健康的な濃いめの肌の色が覗いている。しかしその目は戦闘服(エプロンドレス)に釘付けであり、本人は気づいていなさそうだ。


「オスカーさん、オスカーさん」


「ん? なんだシャロン」


「内腿が気になるのでしたら、どうぞ私の……」


「いやいやいやいや! 客人が居るときは本当に勘弁して――ヒンメルさん、ご夫婦揃ってニマニマしないでください。

 ああもう! シャロン、ヒンメル夫人を2階へ案内してくれないか」


「はい。任されました」


 放っておくとまた益体のない事を言い出しそうだったので、シャロンには常に何かしら役目をお願いしていたほうがいいのかもしれない。

 そんな僕の考えにも、とくに頓着せずシャロンはしっかりと頷くと、バスケットを片手に、ヒンメル夫人とアーシャを連れ立って2階へと消えていく。


 うきうきしているアーシャを、僕もアーニャもヒンメルさんも、なぜかラシュまでも暖かい視線で見送った。

 しかし、ヒンメル夫人は途中でくるりと振り返る。あとをついて歩いていたアーシャがその背中にぽすっとぶつかって「なのっ!?」と声をあげる。


「そんなところでなにをしていらっしゃるんです。アーニャさんも、行きますよー?」


「ええっ、ウチも? え、なんで?」


 顔面から自身にぶつかってしまったアーシャを撫でつつ、もう片方の手を腰に手を当てたヒンメル夫人は呆れ顔だ。


「なんで、って。

 あなたの分も合わせないと。でしょう?」


「ええっ。

 でも、そんなフリフリなん。ウチには似合わんし」


 そう言いつつ僕らの方を振り返りつつも、耳や尻尾はピンと立てられて、ちらちらそわそわとヒンメル夫人の方を気にしているのは丸わかりだ。

 その仕草は先ほどまでのアーシャとよく似ており、たまらず吹き出してしまう僕。


「いいから、行ってこい」


 僕が促すと、アーニャは一瞬だけ困ったような、それでも興味があるのを隠せないというような、そんな感じで苦笑した。


「カーくんがそう言うならしゃーないな!

 よっしゃ、ウチの可愛さに驚くとええわ!」


「おう、楽しみにしてる。な、ラシュ」


「うん。たのしみ」


「――ッ!」


 おそらく、ツッコミが返ってくるとでも思っていたのだろう。

 素直に応じた僕らに、アーニャは半ば染まりかけていた頬を完全に朱に染め、一足飛びに2階へと消えて行った。

 追い越される形となったヒンメル夫人とアーシャは、二人で顔を見合わせ、微笑んで後を追っていったのだった。



 その後しばらくは、あとに残された男性陣――僕とラシュとヒンメル氏――および、ラシュの頭上に移動したらっぴーで、楽しく歓談と相成った。

 どういう商品を置こうと思っている、というのを説明したり、品定めをしてもらったりだとか。


「これ、あにうえさまがつくった、しお。ぼくもてつだった」


「作っ――いや、もはや驚きますまい」


 いい加減、ヒンメル氏も慣れつつあるらしい。

 僕の周りの人たちは、だんだんこうやって順応していくのである……。


「ふむふむ、この皿、それぞれ塩ですかな。

 片方だけ純度が物凄く高いようですが」


「片方が煮詰めて濾過した方、もう片方の純度が高いほうは、煮詰めて魔術で"抽出"した方かな。

 売るならどっちが良いでしょう」 


 二つの塩は、見た目だけならあまり変わりはしない。純度が低い方は、並べて置けば色合いが少し違うかな、というくらいである。

 食べてみることもせずに純度の違いを初見で見抜くヒンメル氏は、やはり商人として優秀なのだなということを再確認させられる。


「ふうむ。

 高く売るならもちろん、純度が高い方が良いでしょうな。

 その皿にある分で、銅貨3枚ほどと、質の高い方は銀貨1枚ほどになりましょうか。

 しかし、一般に家庭や屋台で用いる分には、質の高いものでなくとも十分でしょう」


「なるほど。っていうか高いね、やっぱり」


「このような内陸部では、塩は採れませんからな。

 運河で輸送しようにも、この辺りはそれほど川幅もありませんから、必然的に陸路による運搬が主となります。

 日数もかかれば、運べる量にも限りがありますからな。相応の値になりますとも」


「まあ、そうなるか」


 普通は、運搬に掛かる手間が半端ではないのだ。

 その運搬中には蛮族や魔物に襲われないように護衛を雇う必要もあるし、商人や護衛、馬の飲み水、食べ物、関税、その他諸々とお金が掛かる。

 その上でなお利益を出す必要があるのだから、利鞘を考えるとそれくらいの金額にはなる、ということか。


「ほぼ無尽蔵に作れて運搬コストが掛からないって、実は物凄いことなんじゃ……」


「ん、なんですかな?」


「ああ、いや何でもない」


 海沿いの都市、キシンタから少し離れた綺麗な海の中に、海岸に打ち上げられないよう重しと共に沈めてある"板"――ロンデウッド旧男爵邸の屋根裏に設置してあったのを、"板"自身から手を出して回収したもの――から、"倉庫"を介して好きなタイミングで海水の補充が可能である。

 海水が手に入れば、あとはそれを煮詰めて"抽出"するだけで、好きなだけ塩を取り出すことができる。元手は(かまど)()べる炭だけで済むし、なんならそれも魔術で常に火を加え続けるような仕組みを作り上げてしまおうか。となると、海水を"倉庫"から汲み出すときに小さな水車を回させて魔力源を確保するとして――と、いけないいけない。今は来客中だった。


「塩が安定的に手に入るのであれば、私もゴコ村から買い付けに来る時には欠かさず寄らせてもらいますよ!」


「おお、それはありがたい。

 さっそく今日も持って帰りますか」


「ほう。どの程度の量があって、あとはお値段によりますな」


 口調は穏やかながら、ヒンメル氏の視線がスッと真剣なものへと変わる。これが商人としての彼の顔なのだろう。

 シャロンの威圧とはまた違う、隙の無さのようなものを感じさせる。ほんとうにこの人は、あんな小さな村ではなく、ここガムレルや、ともすればキシンタのような大きな町でもやっていけるだけの器量を備えているのだろうに。


「とりあえず、いまある分は樽一個分くらいかな」


「たる」


 スッと細められていたヒンメル氏の視線が、きょとんとした点になった。


「おじさん、たる、しらない? こんな、おっきいんだよ」


 ラシュが、身振り手振りで樽の大きさをヒンメル氏に伝えているが、たぶん彼は樽を知らないわけではないと思う。


「ははは――さすがに樽いっぱいの塩を買い取れるだけの手持ちはないので、もうちょっと少量分けていただきましょうかな。

 それにしても。ハウレルさんたちは塩屋をやるおつもりなのですか」


「いや、そういうわけじゃないんだけど。

 塩は商品のひとつってだけで」


「ほほう。それはそれは。他のものも楽しみですな!

 とと、どなたか降りてきたようですぞ」


 そのヒンメル氏の言葉通り。


 勢いよく、それこそ跳ぶように2階から降りてきて、僕らの前にまで走り込んできたのは、アーシャだった。もちろん、ヒンメル夫人の逸品に身を包んでいる。

 彼女は、エプロンを(なび)かせ満面の笑顔だ。一刻も早く、僕らにその姿を見せたかったのだろう。


挿絵(By みてみん)


「ほう。可愛らしいものですなあ」


「シャーねーちゃん、かわいい」


「ああ。よく似合ってる」


「ピェッピェッ!」


 上階でかすかに歓声が聞こえたのも納得で、彼女の弾ける笑顔が伝染したかのように、僕ら男性陣もまたみんな笑顔となっていた。



「ちょうどいい。

 アーシャ、昨日練習してた、お客さんが来たときの挨拶をヒンメルさんに披露してみてくれないか」


「はいなの!」


 僕の依頼に、すぅっと息を吸い込んで。

 アーシャは、にこりと微笑んで、腰を折った。


「いらっしゃいませなの!

 『オスカー・シャロンの魔道工房』へようこそ、なのっ!」



 それが、新しい僕らの居場所であり。

 帰るべき家の名であった。




 ちなみに。

 着替え終わり、髪まで梳かされたアーニャが恥ずかしがって逃げ回り、僕らの前にその真っ赤に染まった顔を晒すまでに結構時間が掛かったことを、ここに申し添えておく。

これにて第二章完結となります。

ここまでお付き合いいただき、まことにありがとうございます。


第一話投下から2ヶ月と少し。

日々少しずつ、読んでくださる方が増えてきて、いまや累計7千アクセスをいただきました。

とってもとっても嬉しいです。


タイトル名と同じサブタイをつけたので「終わるのかな?」と思われた方もいらっしゃるかもですが、まだ続きます。一区切りではありますが。


ここからしばらくの間は閑章に入りまして、本編からちょっと離れた日常パートみたいなノリになります。

今後とも、『オスカー・シャロンの魔道工房』をよろしくお願いいたします。

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