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僕と劣等感

 医務室で補給と着替えを終えた僕らは、さらにゆっくり休んでから建造物の探索を再開していた。

 現在は医務室のあった階層から石の階段を3階層分降りたところだ。


「サーチ完了です。この階層にも動体反応はありません」


 もっとも、探索と言っても階層を降りてすぐにシャロンが階層全体の探知を終えてしまえるため、さほどの困難はないのだけれど。


 シャロンは先ほど箱から手に入れた服に身を包んでいる。

 見たことのないほどのなめらかさで手触りの良い生地のシャツの上に、薄い毛織物を羽織り、そのうえにハクイを着ている。

 膝丈より短い、これまた薄手の生地の黒いスカートから伸びる美しい白い足が、石畳を規則正しく叩く。

 毛織物はカーデガンというものだとシャロンが教えてくれた。薄くて頼りない感じがするくせに、すごく強そうな響きだ。


 そのほかに回収した水や食料および医薬品はシャロンが背負ってくれている鞄にまとめて入れられた。

 僕はシャロンのように役立つことができないため、せめて荷物くらいは持ちたかったのだが、彼女が頑として譲らないのだ。


 絶対服従とか言うわりに、僕に尽くすためにはわりとしっかり反対を主張してくる。

 体力的には無論助かるのだが、やはり(見た目だけは)可憐な女の子にだけ大荷物を持たせ自分は手ぶら、というのは心が痛いのだった。

 複雑な男心だ。ーーいや、シャロンが『お仕えできて幸せですオーラ』のようなもの全開であり、それに対して緩んでしまう自分の頬を思うと、男心というやつは存外に単純かもしれなかったが。


「それじゃ、さっきまでと同じようにこの階層も探索してまわろう。ここは地下8階、だっけ」


「はい。オスカーさん。

 見取り図上ではここが地下8階です。詳細な見取り図を更新しておきますね」


「頼む」


 各階層には、階段を降りて正面に広めの空間があり、その正面に階層ごとの見取り図が設置されている。

 それらは相変わらずの神聖文字なので僕が読むことはできないが、『僕が神聖文字を読めない』ということを理解したシャロンが対策をしてくれた。

 シャロンは手慣れた動きで指先から色のある光を放つと、何もなかった方の白い壁に、図面が浮かび上がる。

 広間正面にある見取り図っぽいが、そこに書かれた文字は僕が読み書きできるものと同一のものだ。


 これは、医務室での休憩時にシャロンが文字を覚えたためだ。

 「オスカーさんが読み書きできる文字について教えていただけますか?」とのシャロンからの申し出を受け、壁に指で文字をなぞっていくこと10数分。

 シャロンは「覚えました」と事も無げに言い、事実として、神聖語を僕の理解できる形へと翻訳してみせた。


 もともと知っていた言語というわけでもなく、新たに習得したらしい。どういう学習能力だ。

 本人によると「類似する言語が知識にありますので、比較的容易でした」とのことだったが。


 さらに驚いたことにーーもう驚きすぎて逆に慣れて来た感じがしなくもないがーーシャロンと僕が初遭遇した際。そう、筋トレを勧められた、あのときだ。

 あのときも僕の呟きをもとに、知っているいくつもの言語との差分等から、それっぽい発話をしてコミュニケーションをはかった、らしい。


 つまり、シャロンが目覚めた時点では、僕の喋っていた言葉それ自体も、正確には知らないものだった、というのだ。

 どうやらこちらも、「過去に使われていた言語から、そう大きく変わるものではないから大丈夫でした」らしいが、想像の埒外すぎてもはや理解しようと試みるのすらも馬鹿らしい。

 理解できないものをそのままにしておくことを僕は学んだといえる。


「この階層にも実験室1, 実験室2ってのがあって、資料室1, 資料室2。

 ひとつ上の、地下7階と大まかな構造は一緒か」


「はい、そのようです。魔力検知に引っかかるものもないので、備品回収も望み薄でしょう」


「見落としても何か困るわけじゃないが、外へ出る手がかりが見つかるかもしれない。

 いちおう、全部屋見て回ろう」


「はい。委細承知です」


 とはいえ、医務室のあった階層も、その1つ、2つ下の階層にも。

 動くものはおろか、シャロンが最初に見つけて来た以外の使えそうな物品は皆無といって良かった。


 シャロンとは違うタイプの"機械"の残骸や、石っぽい手触りの割れたコップ、床に刻まれた結界の跡等、壊れていたり効力を失っているものはそれなりに見つけた。


 人間の骨と思われるものも、いくつか発見した。

 この施設の規模に対して、かなり少数ではあったが。骨が衣服を身につけている場合もあったが、いずれも穴だらけで風化・劣化が凄まじいものだった。


 死体の肉が腐る過程で服も腐食したりしたのでしょう、というのはシャロンの推論であり、なんともいやーな想像が駆け巡ったものだった。


 そうして、それらのガラクタや骨の中にはいま使えそうなものはなかった。

 僕にとっては見たことのない珍しい金属や布はいくつかあったが、どうやらシャロンにとってはそうでもないもので、かつ運ぶのも手間なのだ。なので、今はそのまま置き去りにしている。

 無論、出口やそれに通じるようなものもなさそうだった。ここが地下だというのが正しければ、それも当然なのかもしれない。



 こうも生きているものに出会わないと、もはや全ての生き物が滅んでしまい、いま生き残って居るのは僕とシャロンだけなのではないか、という錯覚を覚える。

 そして、それはこの地下8階でも同様だった。


 それまでの階との大きな違いは、人の骨だけでなく大型の獣と思われるものの骨、ないし、大型の骨と金属の混ざり合った何か。

 それらを覆い尽くすように、完全に干からびたコケやカビの跡で、実験室2は床中が埋まっていた。


「ここでは獣と機械、および魔力との適合実験を行なっていたようです」


 辛うじて読める状態で残っていた、走り書きのメモを読んでいたシャロンが、要約を報告してくれる。


 魔力を持った獣というと、魔物、魔獣と呼ばれる類のものだろうか。

 冒険者組合に討伐依頼が出たりするらしい。僕らの村には組合の建物がなかったため、依頼の内容なんかは知らないものの、魔物は地上ではそんなに珍しい存在ではないはずだ。

 そういった存在を研究した場所だったのか、ここは。


「うーん。だめですね。他に読み取れるメモはありませんでした」


「そっか、ありがとう」


「はい。お安い御用です」


 現段階で地下8階、 まだ下の階層もある巨大な研究施設の割に、残っている資料は少ない。


 資料室とやらも調べてみたが、ガラスの嵌った板や、親指の第一関節くらいの小さな四角い箱のようなものがいくつもあるだけだった。

 シャロンによると、情報集積用のタブレットと光で情報を保存する媒体、とのことだ。

 僕にとっては意味不明な技術であるのには違いなかったが、当時は紙とインクよりすごいもの、とされていたらしい。

 しかし、それらはすべて長い長い時の中で内容物と共に機能を失っており、今となっては唯一読み取れた情報が先ほどの紙とインクによる走り書きだった、というのはなんとも皮肉めいている。


「他に気になる部分も、とくにないな」


「そうですね。目星振りますか」


「なんだそれは。いいから、次の階に行こう」


「はい。そうしましょう」


 口調は変わらないのだが、知らない単語であっても表情や声色から、シャロンが適当なことを言っている時がある程度わかるようになってきてしまった。

 シャロン検定試験があったら合格できるんじゃないだろうか、僕。


 この階層の探索も終わったので、この8階層に降りて来た石の階段から、そのまま下に続く次階層へと降りる。

 指先に光を灯したシャロンが先導してくれているため、階段の上を振り返ってみると後ろには漆黒が広がっている。

 なかなかに、ぞっとしない光景だ。


「オスカーさん、5段先、陰になっている部分に瓦礫の破片があります。

 いまの進路であれば大丈夫ですが、踏み外すと危険です。ご注意ください」


「ああ、ありがとう」


 階下への警戒だけでなく、僕の足元にまで注意を怠らないシャロン。

 おそらく、僕の後方に広がっている闇に対しても、警戒をしてくれているのだろう。

 そんなシャロンに頼りきりで、僕は一体何をしているのだろう。

 持ってもらっている荷物だって、水と食料と医薬品、つまりは僕のためのものであり、シャロンには不要なものだ。

 もしかすると医薬品は使えるものがあるのかもしれないが、今のところシャロンが何か怪我をしたりする気配はない。


 周囲に対する図抜けた感知能力に加え、手刀で箱を切ってみせた動きからみても、かなりの戦闘力を誇っているだろう。

 それに今のところ、動く者や罠の類にも遭遇していない。研究施設にそうそう危険な罠もなさそうであるし。


「サーチ完了です。この階層にも、動的反応はありません」


「そう。ありがとう」


 一足先に地下8階層目へと降り立ったシャロンが報告してくれる。


 その働きに、なんら不満があるわけではない。問題なのは、僕だ。僕自身だ。

 シャロンは、時に残念な発言をするけれど、僕に対して一心に尽くしてくれている。

 それは疑いようがない。それすら疑うようになっては、僕は自分のことをこれ以上嫌いになってしまう。


 そんな僕は、いったいシャロンに対して、何ができるのだろうか。あまりに完璧な彼女ーーその造形や愛嬌、能力に至るまでーーに対して、両親を見捨てて逃げた僕なんかが。


「詳細な見取り図を更新しにいきましょう」


「……。ああ」


 9階層に踏み入り、そこから動かない僕を、くるりと回ったシャロンの蒼い瞳がにっこりと迎える。

 そして僕の横に並ぶと、にこにこしたままゆっくり僕にあわせて歩き出す。


 指をくるくる。影もくるくる。

 一緒に歩くのが楽しくて仕方がないと言わんばかりのその様子に、僕の胸がまたズキリと痛む。

 きっと、シャロンにとってはそんなに大きい負担でもないのだろう。なんとなく、そう感じる。


 でも、僕は。


『まっすぐ走れ、振り返るんじゃないぞ』『せめてこの子だけでも逃して』『全て奪うだけだ!』


 あんな思いはもう、嫌なんだ。


 僕の力がないせいで、一人残されるのは。


 こうやって慕ってくれる人を失って、また孤独に戻るのは。

 きっと、もう。僕には、再び耐えることは、できない。


「見取り図、出します」


 広間の詳細見取り図を見、先ほどまでと同じように、壁にシャロン謹製の、僕でも読める見取り図を投影する。

 地下9階は、先ほどまでとは作りがいささか異なるようだ。

 大部屋がひとつに、小部屋が3つ。


「これは、えっと。

 食堂と、調理場。食材倉庫。で最後は”オスカー・シャロンの愛の巣”。

 ちょっと待てシャロン。なにこれ」


「はい。よくぞ聞いてくださいました。

 どうやら4階層上にあったものと同じく、元・医務室だったようですので、構造は似たようなものだろうと判断しました」


「うん、図上での広さも同じくらいみたいだね」


「ですので、ここを次なる拠点にできるのではと考えました」


「"愛の巣"」


「はい。ご休憩でも、ご宿泊でも。シャロンちゃんバッチコイでございます」


「なにをバッチコイするんだ」


「それはオスカーさんに頑張っていただくとしまして。

 探索を続けてお疲れとも存じます。一旦休憩することを進言します」


 視界の外の瓦礫の破片すら検知できるシャロンのことだ。

 僕の調子があまりよくないこともすでに十分看破しており、休憩できる場所を探していたのだろう。

 また、迷惑を掛けてしまっている。


「わかった、休憩にしよう」


「はい! ありがとうございます」


 感謝を述べるシャロン。それは進言を受け入れてもらったことに対してだろうか。自身も休めるからといった意味合いでは、おそらくないのではないか。

 たぶん彼女には、今の段階での休憩もほんとうは必要ないのだろう。

 動きの精彩さは翳りもないし、二人で歩くことをあんなに楽しんでいた。


 僕が何か彼女にできることがないか。そう思っても、から回るばかりだ。

 きっと様子のおかしい僕に対して、少しでも気を遣わせないように部屋に変な名前をつけて、話の流れで自然に誘導しようとしたのだろう。たぶん。


「じゃあ、行くか。

 医務室は左手か」


「”オスカー・シャロンの愛の巣”です!」


「医務……」


「あ・い・の・す・です!」


「"愛の巣"……」


「はい!」


 気を遣わせないように、だよなーー?

 るんるんといった足取りで隣をぴょこぴょこ歩くシャロンに、さすがに自分の考えを疑い始めた僕だった。





 ーー





「とーちゃく、です」


「ここも埃っぽいな」


「そうですね。

 すぐ清掃しますので、申し訳ありませんが少しのあいだ部屋の外で待っていていただけませんか?

 周囲に脅威はなさそうですし」


 一度、シャロンも部屋から出ようとする。

 僕一人だけを暗い中歩かせるつもりはないということなのだろう。

 でも、それを押しとどめる。


「いや。僕もやる」


「ですがーー」


「掃除くらいなら僕にもできる」


「いえ。ですが、私が」


「シャロンは!」


 はずみで、すこし大きな声を出してしまった。


 一瞬後に後悔するが、一度出した声を戻せるわけでもない。

 できるだけ、優しい声を心がけて言葉を続ける。しかし、出たのは固い声だったが。


「シャロンは。シャロンには他にもたくさんできることがある。

 ーーほら、"時間凍結処理"だっけ、その箱がいくつかあるみたいだし。

 中身の確認をお願いしたい」


 それは掃除が終わってからでもできる。

 どうせ休憩なのだ、すぐに動くことはない。

 わかっている。そんなことは僕にもわかっている。

 そして当然、言われたシャロンもわかっているはずだ。


「わかりました。では、そのように」


 シャロンは今度は反論しなかった。

 何が気を遣わせない、だ。全然駄目駄目じゃないか、僕。


 ポケットから取り出した、シャロンが最初に来ていた服の成れの果てで、ベッドっぽい固い台の埃を拭う。

 2分もしないうちに、上面は拭き終えてしまった。

 しかし気まずさから、無言で一心に拭き続ける。もう埃は無いのだけど。


「オスカーさん、どうやら毛布があるようです」


 僕は、台を拭き続ける。


「4階層上でも毛布の箱自体はあったのですが、一度開封されたようでボロボロのくちゃくちゃだったんです」


「ーーそう」


 台の上2巡目を拭き終えてしまったので、3巡目に突入する。


「これで、少しは柔らかく、温かくしておやすみいただけそうです」


 我が事のように、シャロンは嬉しそうに話す。


 すべて、僕のための行動なのに。僕は一体何をやっているんだ。

 いや。何をやっているもなにも、ない。何も、やっていないんだ。何も、できないから。


「緊急時の備えという性質のものですから、このような医務室ーーじゃなかったです、"愛の巣"でした。

 そういうところに備え付けてあるのかもしれません」


 彼女の役に立つことを、僕は何らできていないのだ。

 今、僕が拭き続けている台だって、主に僕を休ませるためにしか、シャロンは使おうとしないだろう。

 それに気づいてしまい、僕はようやく拭くのをやめる。


「ごめん、シャロン」


「はい? 何がですか?」


「さっき怒鳴った」


「いえ。多少お声が大きかっただけではないですか。

 あなたのシャロンは、そんなことは気にしません」


「僕が、気にするんだ」


 駄目だ、駄目だ。

 喋るたび、どんどん駄目な自分が出てくる。

 謝ったのさえ、自分のためか。どこまで駄目な人間なんだ。


「こう暗くては、気も滅入ります」


「シャロンが照らしてくれてる」


 最初は、僕が魔力光を作り出していた。

 しかし、それももう必要なくなった。


 シャロンが引き合いに出した暗さは、そういうことではないのだろう。

 僕を慰めてくれているだけなのだ。それはわかっている。わかっているのに。


「シャロンは、だいたいなんだってできるじゃないか」


 絞り出した声は、固く、震えていた。


 泣きたいのだろうか。自分のことを、まるで他人事のように心で評する。

 そんな一歩引いた自分だって、この醜い自分の一部だ。心だけ他人事で潔癖でいられるわけじゃあない。


「そしてその力を、僕のために使ってくれる」


 一度決壊した言葉の群れは、止めようと思っても滑りおちていった。

 なにシャロンを責めるみたいな物言いをしているんだ、僕は。

 それにより一層、自分のことが嫌になる。


『この身は、命果てるまで貴方の剣であり、盾となります』


 騎士の最上の礼をとりながら、シャロンが僕に言った言葉だ。過分にすぎる。


 僕は、可憐な彼女が、よく笑う彼女が、優しい彼女が、何でもできる彼女が、命を賭してまで仕えるような、守る価値のある人間じゃ、ないんだ。

 両親まで見捨て、自分ひとりでは何もできない、ただのガキなんだ。


「そんなシャロンに、僕は、何もしてあげることができないんだ」


 最後まで言い切ってしまい、沈黙する。


 シャロンのほうに背を向けてしまっているため、その表情は窺い知れない。

 もっとも、僕のほうもこんな無様な物言いをしている上に半泣きの顏なんて、見られるわけにはいかなかった。


 きっと、シャロンも僕に対して呆れてしまった。

 自身の仕えている人間に価値がないことに、気付いてしまった。それもまあ、時間の問題だったと思うけれど。


「何をおっしゃいますやら」


 半ば呆れた、残り半分は、心底不思議なことを聞いた、といった声音で。シャロンは言う。


「いいですか。オスカーさんは、私にたくさんのものをくださいました」


 背中越しなのに、その表情が瞼に浮かぶ。

 それは、わたしおこってますよ、というのを端整な眉を寄せて表している。


 しかしすぐに優しい声音に切り替わる。

 きっと表情は、ゆっくりと、目を伏せながら。


「私に、命をくださいました」


 転がっていった宝玉が、偶然シャロンのもとにたどり着いただけだ。

 ーー両親の形見であるそれを、取り上げることはしなかったが。


「名前をくださいました」


 女の子らしい名を、と望まれて付けたものだ。

 いまでは、シャロンはそうあるべくしてその名になったのだという気さえしている。

 しかし、名前はなくてもシャロンが困ることはなかっただろう。


「歩ける足をくださいました」


 "剥離"の魔術で、同型機からもいだのだった。

 そういえば、それまでシャロンは片足だった。


 あのときも、腑抜けてしまった僕の元に、這ってまでやってきてくれた。

 僕の口から、苦笑が漏れる。成長してないな、僕。


「大事だと言ってくださいました」


 孤独で震えていた僕を、温めてくれたシャロンを、僕は大事だと思った。


 それを単に、伝えただけだ。

 しかし、孤独を払われたのは、僕だけではなかったということか。それを失念していた。


「そして今だって、私が生きる理由をくださっています」


 僕に仕えることが、シャロン自身の生きる理由だ、と。

 ゆっくりと、シャロンが歩み寄ってくる音がする。


「私が一生かかってもお返しできないほどのものを、すでにいただいています。

 もちろん、一生をかけて少しでもお役に立つ所存ではありますが」


 まるで壊れものを扱うかのように。

 シャロンの両腕が僕を後ろから優しく抱きしめる。

 柔らかい温かさが、じんわりと伝わってくる。


「私が役に立ちすぎるというのであれば、私はこう返します。

『そうでないと、私があなたにいただいたご恩が、とても返しきれません』」


 ーーは。

 ははは。


「はは、はぁ……」


 乾いた笑いが出る。僕は馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、違った。大馬鹿だった。

 僕がシャロンからしてもらっているように、僕もシャロンに、シャロンにとっては大事なことをしていたのだ。


 偶然だ、大したことない、そんなことで。


 僕はそう思っていた。貸しにすらならないと。

 だが、違った。僕にとって大したことでなくともシャロンにとってもそうだとは限らないのだ。


 そう、シャロンの能力が、本人にとっては当たり前のこととして振る舞うように。

 それを、僕がどう感じるかが別問題であるように。


「だいたい、私とオスカーさんは別人なんですから。

 人はそれぞれ、できること、できないこと、得意なことが違って当たり前なのです。

 私にできなくとも、オスカーさんにはできることがあります。その逆のこともあります」


 パートナーなのだから、補完し合っていきましょう? という意を言外に感じる。

 僕がシャロンのパートナーとして相応しいかどうかでいま思い悩んでも仕方がない。

 悔しいなら、相応しくあるよう精進するしかあるまい。


 シャロンと僕は別人である。そんな当たり前のこと、わかっているはずだった。

 しかし。事実、いつのまにか張り合ってしまって、何もできない自分に落胆していた。


 シャロンに出来なくて、僕にはできること。ぱっと思いついたりはしないが、何かしらあるのだろう。

 自分自身はいまいち信用できなくとも、パートナーたるシャロンがそう言うのであれば、信用できる。


「ありがとう。シャローーんん。

 ちょっとシャロンさん、なんで僕の服を脱がそうとするんですかね」


 展開があまりにあまりすぎて、敬語になってしまう僕。

 なんでだ。そういう雰囲気じゃなかっただろう今。

 もっとこう、なんだ、そういう、あれだ。

 なんかしんみりしている展開だったじゃないか。


 シャロンは、後ろから僕を優しく抱きしめたまま、ぺろーんと僕の服を捲りあげてきていた。


「いえ。何か私にしたいという話でしたので、ナニかしてもらうためにも、それならばまずは身体でお返ししていただこうかと思いまして」


「ちょっと待って。シリアスな空気が死んだ。空気死んだよいま」


「えー。なんですかそれ、空気の読めない空気ですね。

 私が脱ぐのはオスカーさんに止められますのでオスカーさんを脱がしてしまえば後はなし崩しだー、という完璧な策略ですのに」


「ちょま、シャロン、シャーーアッー摘まないで、ちょっと」


「赤外線視でも見ておりましたが、良い身体されてますよねー、お痩せのように見えて胸筋がこんなに。

 鍛えてらっしゃいますね? これは」


 ふにふに。

 背中から押し付けられるシャロンの温もりが、別種の熱を帯び始めるのを、まだ辛うじて引っかかっている服越しに感じる。

 助けて、シリアスな空気さんが息をしてないのーー!!


「アッーー!!」


 そのまましばらくまさぐられ、どうにか逃げ出した僕が毛布を頭から被り「もうお嫁にいけない……」と部屋の隅に逃げ込むまで、シャロンは僕から離れようとしなかった。

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