僕と彼女のデート そのさん
街の灯も喧騒も、小高い丘となっているここまでは届かない。
とはいえ、料亭から街のメインストリートまではランプが点在しているため、十分な明るさを担保している。
僕らはその道から少し逸れ、料亭の前庭とも言うべきこじんまりとしたスペースから、黒々とした海を眺めていた。逆光となって海はほとんど見えないけれど、その潮騒が確かな存在を主張している。
前庭には、夕涼みのためだろうか、いくつか灯が焚かれているし、海に面して手頃な椅子も設けられている。もう少し暖かい季節であったならば、そこかしこに人の姿が見えるようなスポットなのだろうが、あいにくと言うべきか幸いと言うべきか、今この場には僕ら以外の姿はないのだった。
ランプの灯や料亭から漏れ出る光がなければ、いつぞやのようにシャロンの蒼い瞳しか光源が無い、なんてことになるのだろう。もしそうなら、それこそその時のように、魔力光を出してもよかったのだけれど。あのときと違い、魔力枯渇に怯えながら細々とした光で闇に怯える必要は、もうないのだから。
「こう薄暗いと、あの場所でのことを思い出しますね」
こてん、とこちらに首を傾け、静かに語りかけてくるシャロン。
彼女も同じことを考えていたのだろう。
「あの地下で、オスカーさんと出会い、そして永遠の愛を誓い合ったときのことが思い返されます」
「なんか記憶が捏造されている気がするよ」
どうも同じことを考えていたというのは勘違いであるらしい。
いまのシャロンは、いつもの服――ヒンメル夫人力作の逸品――に身を包んでいる。
料亭から出る際に、着替えて来たのだ。
後ろで纏め上げていた髪も普段通りに降ろしているが、纏めていた跡形もなく、その流れる絹ような金の髪はいつもの煌めきを保ったままだ。
服がいつも通りに戻っただけなのに、シャロンの纏う雰囲気まで引っくるめて全部が元のとおりに戻ったような、不思議な感じだった。
「今日はありがとう」
「はい。ええと、でもデートは私がやりたかったことですし」
僕が礼を述べると、夜風に弄ばれて流れる髪を一筋煌めかせながらきょとんとした様子のシャロンが応じる。
たしかに、僕とアーニャが二人で買い物をしていたのをにっこりねちねち責めてきたシャロンを宥める形での約束ではあったのだけれど、そんなことは関係なしに楽しかったのだった。
「だって、昨日のうちにいろいろ見て回ってくれていたんだろう?
僕の好きそうな所を、人混みを避けてたくさん回れるように」
シャロンとアーニャが昨日巻き込まれた出来事は、一日で賄うにはいささか多すぎた。
それは、彼女たちがその分多くの場所を練り歩いたという証左に他ならない。
「はい。あの、ええと。
差し出がましい真似でしたでしょうか」
「ううん。心遣いはとても嬉しいよ。
今度は、シャロンの好きなところにも行こうな」
不安げな様子でこちらの様子を伺う彼女に、僕は苦笑いを返す。そんなわけがないというのに。
「はい。――やはり、アーニャさんが言った通りなのですね」
僕の言葉を受けて、シャロンは微笑んだ。
しかし、それは今日一日見せていたような、どこかワンテンポずれたというか、悩ましそうな微笑みである。
「ん、それはどういうこと?」
「はい。アーニャさんに言われたのです。
オスカーさんのことばかりでなく、私は私のやりたいことをオスカーさんに告げるべきだ、と」
それが、先程は内緒にされた、こいばなとやらの、その一部か。
普段はあんまりしっかりしているようには見えないし、アーシャやラシュを取り戻してからは、その緩みっぷりにも拍車が掛かっている感のあるアーニャだが、それでもやはりきょうだいの一番上だけある。そこはおねえちゃんらしく、周りを見てお節介を焼く性分であるらしい。
どちらかというと、普段はアーシャのほうが世話焼きのイメージがあるけれど、こと精神面においてはアーニャはしっかりお姉さんをしているのだった。
「なるほどなぁ。
確かに、僕はもっと、シャロンのことを知りたいと思っているよ。
何をやりたいのか、とか。何が好きなのか、とか」
「私はオスカーさんが好きですし、オスカーさんとえろいことがしたくてたまりませんよ?」
ちょっと真面目な感じだったので真面目に返したらこの調子である。
――いや。いつも冗談や軽口の類だと僕が判断しているだけで、いつも彼女なりに真面目で真剣に言っているのかもしれなかったけれど。
「それは、シャロンが本当にやりたいこと、なのかな。僕はそこに自信が持てないでいるんだ」
いつもならば発言を流したり、つっこみ を返したりするところである。
しかし、今日の僕は違う。誤魔化したくない話が、あるからだ。
自惚れでないのなら。
僕はシャロンに好かれている、それを疑うつもりはもはやない。しかし、その理由が一つしか思い当たらず。
そしてそれは、僕が彼女にとっての主人だから、というものに他ならない。つまりそれは、僕でなくてもいい理由、だ。
彼女が望んでいないであろう返答をした僕に、シャロンは苦笑いのような何かをする。シャロンがそんな表情をしようとするのはとても珍しい。そしてそんな表情は、可憐な彼女にはあまり似合っていなかった。
「はい。それも、アーニャさんにも言われました。
似たような、ことを」
すげぇなアーニャ。
本当にがっつりと、内面に踏み込んだ話をしていたようだ。
帰って来たときにはぐでんぐでんであり、今朝は真っ白で虚ろな状態だったけれど、何かしら彼女も思うところがあったのだろうか。
「先ほども申し上げましたけれど、私はオスカーさんのことが好きです。大好きです。愛しております。心よりお慕い申しております。
――ですが、それが『なぜ』かと問われると」
シャロンは一度言葉を切ると、ふっと目線を下げる。
そんな儚げな表情は、先ほどの苦笑いのようなものとは違い、彼女の美貌によく似合っていた。
しかしそれは、僕の好きな、彼女の表情ではなかったけれど。
「その理由が、私には明確に返すことができないのです。
オスカーさんのことが大好きなのは確かなのに。確かなはずです。それなのに」
悲しげに、そしてどこか苦しげに独白するシャロン。
ややあって、彼女は続ける。それは、突然の告白であった。
「私は落ちこぼれなんです。魔導機兵として」
「ん、それは、どういうこと?
シャロン、僕と出会う前の記憶は無いんじゃなかったっけ」
仮に、シャロン自身が言うように彼女が落ちこぼれだったとして、僕は頓着しない。だから何、といった気分だ。
だから、責めているように聞こえないように、なるべく静かな、なんてことない口調で問い返す僕。
シャロンの記憶は、僕と出会ってから始まっているもので、それ以前の記憶はない、と聞いていたためだ。
彼女はそれを首肯する。
「はい。しかし、記憶はなくとも知識や記録はインプットされています。
その中のひとつに、私のコアユニット――私の感情までを司っている、主となる演算装置の試験結果があります」
シャロンの頭の内側には、彼女が彼女として考えるための重要機器があるという。
一度、僕が指を突っ込んで魔力を吸い上げられ昏倒した、シャロンの背中にある重要機関――こちらは汎用ジェネレータだとか――と同じように、ゼリー状のものらしい。
シャロンの同型機であるという魔導機兵の、その身体には、胴体と頭にぽっかりと穴が空いており、土などが詰まっていた。あの頭の穴の部分がそれに当たるものだったようだ。
「その結果が、どうやら基準値よりも低いようなのです。
――本来、肉体に搭載されずにコアブロックのまま廃棄されてもおかしくないほどに」
シャロンが、自分のことをこんなに話してくれるのは、珍しいことだった。
果たしてそれは、今の彼女の悩みにも関連すること、なのだろう。
「だから。きっと、私は不安なんだと思います。
私が落ちこぼれでなければ。
もっとオスカーさんのお役に立てるかもしれないのに。
もっと受け入れてもらえるかもしれないのに。
そんなふうに、考えてしまって」
今まで、落ちこぼれだという事実もお伝えしていませんでしたしね。と彼女は力なく続ける。
その表情は、彼女にしては珍しく、無表情である。
僕はそんなこと、全く以て気にしたりなどしないし、むしろシャロンが優秀すぎるために自身の何もできなさに鬱々としたことも記憶に新しい。思い出すだけで恥ずかしいけれども。
しかし、僕が気にせずとも、シャロンはずっと気にしていたのだろう。それこそ、今まで僕に打ち明けられないほどに。
だから。
僕が同じように落ち込んでいたときに、彼女がどうやって救い上げてくれたかを思い出して。
「オスカー、さん?」
シャロンのように、自然にはできないし、力の込め具合もわからない。
正面に居たのに、わざわざ後ろににじり寄ったのも変だったかもしれない。
僕のキャラとしてもおかしい気がする。押し付けた胸の鼓動が聞こえてしまわないだろうか。
一日街を練り歩いた後でもあり、そういえば汗の匂いも気になる。
そんなふうに、やってしまってからうだうだと気になることがいっぱい出てきたけれど。ともあれ。
僕はシャロンを後ろからきゅっと抱きしめる。
こわごわと。まるで壊れものに触れるように。
シャロンの体は柔らかく温かで、ふわっといい匂いがした。
どこからあんな力が出るのかが不思議なくらい、細くて白い、ともすれば折れてしまいそうな体だ。
僕は彼女を抱きしめる。
かつて、彼女が僕にそうしてくれたように。
「私は。私は、落ちこぼれなので。
こんなに好きなはずなのに、その理由がわからないのです」
抱きとめる僕の腕を、シャロンの綺麗な手のひらが優しく撫でる。
その手のひらもまた、指の先まで温かい。
寒空の下で、ふたり。眺める海は、どこまでも黒々としている。
「考えれば考えるほどに『ふと微笑んだ横顔』だとか『楽しそうに小物を弄っているところ』だとか、いろいろな場面は浮かぶのですけれど、明確な理由が、わからないんです」
シャロンの独白は続く。
僕はと言えば、序盤こそ平静を保って聞いていたのだけれど、終盤になるに従い、こそばゆいというかむず痒いというか、内心はしっちゃかめっちゃかになっていたりする。だって、恥ずかしいもの! すっごく、恥ずかしくてたまらないもの!
抱きしめたはいいが、そのやめどきもいまいちわからない。誰かに終了の合図を出してほしいくらいだ。
なんというか。僕も、そしてシャロンも。不器用なのだった。
わからないから、踏み出せないし、空回りをしたりする。
悩んだり、憂鬱になったり、しょぼくれたりする。
「たぶん」
そしてそれは、魔導機兵だから、とかそういうのではなく。
「たぶん、みんなそんなものだと思うよ」
「――」
「ヒトが誰かを好きになって。
その理由が明確じゃないなんて、よくあることなんだ、きっと」
僕の腕の中で、蒼い瞳が振り返り、まっすぐに僕を見上げてくる。
そういう僕は、一人ぼっちになってしまった真っ暗闇の地下で、この蒼に魅入られて以来。
きっと、ずっと――。
いま、まっすぐに僕を見つめる蒼い瞳は揺れている。
"全知"は沈黙しているが、無表情のようなその顔からは、戸惑いとか、不安といったようなものが読み取れるような気がした。なんとなく、だけれど。
「むしろ、明確ではないけど確かにあるって言えるなら。
それは、シャロンが人間らしいことの証だ。僕は、そう思うよ」
腕の中からようやくシャロンを解放し、えっちらおっちらとまた彼女の正面に戻る。なんとも格好がつかない。
でも、彼女の正面でやりたいことがあるのだから、仕方ない。
「シャロンが魔導機兵として完璧でなくたって、いい。何も気にしない。僕だって人間として完璧じゃないしさ。同じことだ」
僕が魅入られたのは、完璧な魔導機兵にではなく、シャロンなのだから。
「僕もね。いや、違うな」
そうじゃない、と首を振る。
真面目な様子の僕に、シャロンははてな、と首を傾げている。
今だ、今を逃せばきっと期はない。
――父さん、母さん。ちょっとだけ力を貸してほしい。
すぅ、はぁ。一呼吸。
「僕は、シャロンが好きだよ」
言った。
ちゃんと言った。
冗談めかしてではなく。
話の流れでもなく。
はは、シャロンがびっくりして固まっている。珍しいこともあるものだ。
今日、目的を告げずにシャロンによって料亭に引っ張ってこられたとき、僕は本当に驚いたのだ。
だって、サプライズを企てていたのが僕だけではなかったのだから。
耳の奥のほうでばくばくと騒ぎ続けている心臓や、火照る頬を無視して僕は"倉庫"を展開――素材の満載された箱たちの奥底に隠していたものを引っ張り出す。
それは、箱だった。
昨日、アーシャとラシュと一緒に悩んでもらい、選んだ箱だ。
木で作られた、掌より少し大きな、白っぽくて軽い、可愛らしい箱である。
未だ蒼い瞳を煌々と輝かせて絶句しているシャロンに、はい、と箱を差し出す。
それに伴い、ようやく我にかえったらしいシャロンはぱちくりと目をしばたかせた。
「――びっくりしました」
両手で、恭しく箱を受け取りながら。
「びっくりしました」
同じことを二度、呟くシャロン。
「ええと、これは」
「プレゼントだよ」
ちょこんと両の掌に載せられた箱を見やるシャロンに、短く告げる。
やばい、口を開くと心臓が出てきそうだ。
料亭の前庭に、他に誰もいなくて本当によかった。
こんな照れ臭さを誰かに見られようものなら、何かしら叫び声をあげて、眼下に広がる海へとそのまま飛び込んでいたかもしれない。
ようやく驚きから復帰したのか、少しいつもの調子を取り戻したらしいシャロンが、嬉しげに微笑み、次いで大仰な仕草で不思議なポーズをとる。
「サプライズ返しとは、オスカーさんも粋なことをなさいますね。
中身は一体なんでしょう。ハッ、シャロンちゃんわかりましたよ、これはプロポーズというやつですね!」
「うん。そうだよ」
僕のその答えに。
いよいよもって、シャロンは硬直した。不思議なポーズそのままに。
ばくばく ばくばく。
心臓は少し頑張りすぎているようで、大音量でその鼓動を奏でている。
あまりに頑張りすぎて明日あたりに休みを主張されたらどうしよう。死んじゃう。
「あの――開けてみても、いいですか」
「もちろん、いいけど――くく、あははははは、ははは!」
消え入りそうなか細い声で、シャロンは僕に尋ねる。その間も箱を捧げ持つ謎ポーズのままなので、ついに僕は爆笑した。
やはり。不器用なのだ。
僕も、シャロンも。
前庭に設けられたベンチに、二人並んで腰掛ける僕ら。
掌に乗せた箱を、そっと、そぅっと柔らかな指先で開けようとするシャロンの様子に、僕は再び笑いそうになる。
そんなにおっかなびっくり触らなくても、壊れたりはしないというのに。
しかし、シャロンはあくまでも真剣な様子だった。まるで、しっかり掴んで壊してしまうことを、殊更に恐れているかのように。
やがて。
「わぁ――!!」
ようやく開いた箱の中身を目の当たりにし、シャロンは感嘆の吐息を漏らした。
それは、金の腕輪である。
アーニャたちの首輪と共に、ちまちまと、しかし丁寧に作り上げたものだ。
アーニャやアーシャが暇あらば僕の作業を覗きに来ていたのは、実は彼女たちのチョーカーの出来を見に来ていただけではない。
ときに意匠のアドバイスをもらい、ときにシャロンを連れ出してもらっていたのだ。
金の腕輪の機能自体は、アーニャたちの持つ首輪と大差はない。
"念話"が飛ばせたり、"倉庫"が使えたり、他人には外せず使えなかったり、などだ。
違う部分としては、この腕輪は僕の分もあり、対になっているということと、内側に白金で名入れがしてある、ということくらいか。
「あの。オスカーさん」
名入れを見つけて、シャロンが言う。
僕の心臓は、まだ張り裂けんと鼓動を刻み続けている。いっそ、張り裂けてしまったほうが楽なのではなかろうか。
「あの、これ、これ――"シャロン = ハウレル"って」
「うん。貰ってくれるか?」
だから、言っただろう。
プロポーズだと。
「はい。――はい! もちろんです。
返せと言われても、承りかねます。
ぜったいに、絶対です」
シャロンのこのときの笑顔を、僕はきっと。
生涯を通して、忘れることはないだろう。
――
ようやく料亭を、その前庭を後にした僕らの足取りは、遅々として進まなかった。
半ば僕の腕にぶら下がるような勢いでシャロンがしがみついてしまって、歩きにくいったらなかったためだ。
だからといって、それに苦言を呈したりはしないし、その必要もないのだけれど。
「覚えておいでですか、神継研究所の地下で交わした、たわいのない約束を。
外の世界に出たら、私の望むものを、ひとつくださると」
「うん、覚えてる」
あのあと結局、町に出てからもシャロンからは何も要求されず、アーニャのことや蛮族のことが重なって、そのままになってしまっていた約束だった。
僕の腕に縋り付きつつ、はにゃっと破顔し、シャロンは続ける。
「えへへ。叶っちゃいました」
そうして。
結局、アーニャたちの待つ宿に帰り着いたのは、日が高く登ってからだった。
――何があったかは、ご想像にお任せする。
ようやく第二章も完結間近であります。




