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僕と彼女のデート そのに

 海の彼方に沈みゆく夕日に照らされながら、穏やかな音楽に包まれるフロア。

 もとが白を基調とし、海や空の青を取り入れるような作りとなっている空間は、今は鮮やかなまでの橙色に支配されている。


 僕の座っているテーブルの正面には着飾ったシャロンがちょこんと座っており、出された料理を上品に口に運んでいる。


 最初の料理は、彩り鮮やかな生魚の切り身になんとかいうソースと香辛料をかけたなんとか風というものだった。説明を聞いても何物なのかがぜんぜんわからない。

 一口で食べきれそうな量が、曇り一つない白い大皿に盛り付けられて供されたのだが、これだけ? パクっといっちゃっていいのだろうか? "全知"は魚の種類を教えてくれるだけで、食べ方は教えてくれない。


 そんななか、シャロンは何も慌てることもなく。

 落ち着いた所作でフォークとナイフを使い、丁寧にそれを食べ始めたのだった。そのため、僕も見様見真似で追随している。


 味は、なんだろう。酸っぱい。何らかの複雑な味がする。美味しいのかどうかすら、よくわからない。まさに食べている最中(さなか)だというのに、美味しいのかどうかわからないというのは未知の事象だ。

 生の魚を食べること自体、初めての経験である。

 さすがにこんな料亭で出てくるものだから大丈夫なのだろう。きっと。そう理性では判断するものの、あとで腹をくださないだろうかという心配は多少ある僕だった。



 ちんまりと盛られた魚を食べ終えてしばし。


 次に運ばれて来たのは、同じく大皿の中に少しばかりの白いスープと、小さく丸っこいパンだった。

 なんと、このスープ、ひんやりと冷たい。冷めてしまった、というわけではなく意図的に冷やしてあるものだ。

 そして、味は芋。完全に芋の味がする。


 料理自体も手間暇が掛かっているのだろうけれど、あいにくそういった繊細な料理を食べ慣れていない僕にとっては如何せん、芋の味しか感じない。もう芋しか感じない。

 この、やたらと大きな皿を綺麗にするためにも逐一皿洗いをしているのだろうけれど、それもかなりの手間であろう。なんだか料理というよりも手間暇を食べている気になってくる。



 そんなふうに。

 四苦八苦しながら料理と格闘する僕を、穏やかに眺めるシャロンの瞳に、ようやく僕は気が付いた。いつから見つめられていたのだろうか。とても恥ずかしい。


「うぅ。そんな眺めても何も面白くないと思うんだけど」


「いいえ。そんなことはありません。

 オスカーさんが『芋だ』みたいな表情をされているのも、とても可愛いのですから」


 それは、はたして可愛いのだろうか。


 可愛いというのなら、普段と違う今のシャロンのほうが、よっぽど――とまで考えたところで、依然僕を眺め続けるシャロンの視線を思い出し、慌ててかぶりをふる。

 見透かされて困る、ということはない。ないはずなのだけれど、やっぱり恥ずかしいのだ。素直に見惚れていた、などということを認めるのは。


 ただ、やはりシャロンの様子が僕には気にかかる。

 なんだろう、微笑みもいつも通りなのだけれど。いつも通りなはずなのだけれど。

 その笑顔にも、少し反応までに一瞬の間がある、というか。


「シャロン、どこが調子が悪いのか?」


 シャロンの状態(ステータス)に問題はない。それは視てわかる。

 あるとすれば、その内面。精神的な部分であろう。


「いいえ。大した問題はありません。

 ほんの少しばかり、悩みがあるだけです」


 特に隠すこともなく、シャロンは自らの状態を打ち明ける。


「悩み、か。昨日、何かあったのか?」


 ちまちまとスープとパンを食べるシャロンの様子は、普段と大きく変わりはしない。

 今日、突然この場へ連れてこられたことや、突然のドレス姿には驚いたものだけれども。


「アーニャがすごく酔っ払っていたし、迷惑をかけたか」


「いいえ。私が悩んでいるのは、アーニャさんとの問答が発端ではありますが、私自身の問題です」


 昨日は宿に戻ってきてからも、なにやら思い悩むシャロンと、ぐでんぐでんで愉快なことになっていたアーニャ。

 なんとも気にはなるのだけれど、シャロンが明確に否定するのであれば、深く追求するのも野暮というものだろうか。

 きっと僕が強く聞こうとすれば、シャロンは全て隠さず話すであろう。しかし、そういう主人(マスター)としての特権的な振る舞いを、僕はあまりしたくはなかった。


「そうか。ならいいんだ。

 昨日はふたりで買い物に行っていたと思ったんだけど、今日の下見でもしていたのか?

 この料亭に連れてこられたのも突然で、驚いてるんだけれど」


 なので昨日の話はそのままに、雑談として。

 彼女たちの1日の話を聞いてみようと思う。


 スープを食べ終えた僕らの様子を見計らったのだろう。

 給仕服の男たちは、ほとんど音を立てず、大きなお皿を下げていく。


「はい。話せば長くなることながら、結論だけ申し上げます。

 ここの夕食(ディナー)については、昨日その権利をいただいたんです。

 ですので、慌ててらっしゃるオスカーさんが可愛くてつい黙っておりましたが、お支払いの心配はありません」


 ペロっと小さく舌を出しつつ片目を瞑って見せるシャロン。

 その悪戯っぽい仕草は、どことなくアーニャを思わせる。


 いままでそういういたずらの類を、シャロンがしたことはほとんどなかったと言っていい。

 なにかしら、アーニャたち妹弟からの影響を受けているのだろう。

 自身の考えや欲求に従った行動のようなものは、シャロンが苦手にしているところである。彼女たちの与える影響も、きっと良いものであるのだろう。いたずらは、その最たるものかもしれない。


 まぁ。心臓に悪いようなものは、僕としてはできればやめてほしいけれど。

 茶目っ気を発揮し、しかもそれを可愛く誤魔化してくるシャロンと、安堵のため息をつく僕。


 場違い感や慣れない空間というだけでなく、金銭的な不安も思ったより大きかったらしい。気分がだいぶ楽になった。

 これが、実はその権利とやらを貰ったというほうが冗談なのであれば、僕を驚かせる技としてはきっとこの上なく華麗にキマることであろう。やめてほしいが。


「昨日は、そうですね。

 朝から予定通りアーニャさんとお買い物に出ていました。

 ナンパがなかなか多くて大変でした」


 ナンパというのは、街中などで知らない人から突然声をかけられること全般を指す言葉だということを、僕は以前にシャロンから教わっていた。


 町では、連れ(ぼく)がいても退かず声をかけてくる者も、少ないながらは居たりした。

 シャロンとアーニャの二人組であれば、確かに大変なことになりそうだった。


「大丈夫だったか?

 怖い思いしなかったか。なんなら剥がしてくるけど」


「わりと本気で言ってらっしゃいますよね!

 問題ありません、あなたのシャロンにも、アーニャさんにも指一本触れさせてはおりませんもの」


 僕のわりと本気な実力行使提案にはしっかりつっこみつつ、しかし心なし、はにかんだ表情を見せるシャロン。


「でも、ふふ。ご心配いただけるのは、うれしいです」


 これはまずい。とても、まずい。

 微笑んだ目元も、その言葉を紡ぐ紅く艷やかな唇も、その全てが。有り体に言ってめちゃくちゃ可愛い。

 普段との装いの違いのせいだろうか。シャロンが僕に好意を示してくれるのはいつものことであり、多少慣れてきたといっても過言ではない。それなのに、一体何なのだ、なんだというのだ。このハイペースな脈動は。


 シャロンたちがナンパされるのはあまり好ましくはないのだけれど、相反する気持ちとして僕のパートナーの可愛さを見せ付けたい衝動にも駆られる。無論、そんなことはしないし、できないのだけれど。だって僕だぞ。


 そんな僕の内心を知ってか知らずか。

 シャロンは楽しげに昨日のことを話してくれる。


「ナンパをかわしつつ、服を見たり、アーニャさんと恋話(コイバナ)をしたりしましたね」


「こいばな」


「はい。コイバナです。

 内容は、ナイショです」


 気にならないかと言われれば、それはとても気になるのだけれど。

 シャロンが内緒だというのであれば、それを尊重したい。気になるけれど。


「こいばなをしてたらアーニャがぐでんぐでんになって、夕飯の権利を貰えるのか?」


「だいたいそうです」


 だいたいそうなのか。


「コイバナしながらお昼ご飯をとることにしたのですけれど、葡萄酒が出てきたんです。店員さんのサービスとのことでしたが」


 昼からか。

 察するに、シャロンやアーニャに良いところを見せたかっただとか、あわよくば酔った彼女たちをどうにかしようとでも考えていたのだろうか。剥がしにいこうか。


「ちょっと目付きが怖い感じになっていますよー、オスカーさん。

 そこで私たちはそれぞれ6杯ずつくらい飲んだのですけれど、まだアーニャさんは受け答えはできていました。とても楽しげでした」


 昼から飲みすぎではなかろうか。

 しかし、まだ終わりではないようなので、黙って聞く僕。

 まだ受け答えはできた、ということはこの後も飲んだということなのだろう。


「その後はまた街に繰り出しまして。

 屋台の麦酒を飲みながら町歩きをしていました」


 もしかして、飲んでばっかりでは。


「僕らもお昼前からしばらくは屋台や市場方面をぶらついてたから、もしかしたら近くにいたのかもな」


「いいえ。オスカーさんたちのいらっしゃった南広場付近ではなく、私たちは東側の、海近くをぶらついておりましたので、そんなに近くはなかったです」


「……。

 それって、もしかして常に僕らの位置を捕捉しながら歩いてたの……?」


 もしそうなら、控え目にいって少し怖い。

 シャロンは、にこにこ笑顔を崩さない。控え目にいって少し怖い。


「アーニャさんは足許が若干怪しかったですが、楽しそうでした。とてもとても笑っていましたし。

 ナンパに寄って来た男たちが若干引いていたのが面白かったです」


「いや止めてやろうよ……」


「やんわりは止めたのですけれど、アーニャさん本人が酔うてへんわー! と言い張られるので、まあいいかなと」


 完全に酔っているやつだ。

 僕の父のありし日の姿を思い出す。なんとなく微笑ましいような、切ないような気分だ。

 それはそれとして、アーニャの訛りを再現するシャロンの様子がなんとも微笑ましい。


「そうして。

 海辺をぶらつきながらアーニャさんとのんびりとコイバナの続きをしていたのですけれど」


「まだやってたんだ、こいばな」


「はい。といってもアーニャさんはだいぶ呂律(ろれつ)が怪しかったですけれど」


 どれだけ呑んだんだ。


「その間、シャロンは飲んでなかったの?」


「いいえ。私もアーニャさんと同じ分、同じものを飲んでおりました。

 魔導機兵ですので、そうそう我を忘れることなんてありませんよ。

 とはいえ、もし私を酔わせたかったら、オスカーさんが甘やかしてくだされば一発です」


 そのぷっくりとした唇に指を添え、どこか妖艶さを感じさせるような、そんな笑みを浮かべるシャロン。

 それをモロに受けて言葉に詰まる僕と、次の魚料理を運んで来て一瞬固まる給仕係の人。


 しかし、さすがは料亭のプロである。シャロンの艶やかな笑みを真正面から見たであろうに、一瞬固まっただけで一礼し、料理に対する謎の説明をすると元の位置へと戻って行った。若干、ギクシャクはしていたけれど。

 料理の説明に関しては、聞いたそばから右から左にスゥッと抜けていき、僕の中に知識として残ったのは『魚だ』ということと『クリームソース』ということだけだった。

 だが、それも無理からぬことだと思う。視線はずっとシャロンに釘付けであったのだから。


 そんな僕の様子にも、シャロンは目を細めて微笑む。

 やはり、いつもと違う雰囲気というのは、こう。なんとも調子を狂わせる。

 僕は昨日のシャロンたちと違ってお酒を飲んでいるわけでもないのに、顔が火照ってくるのを感じていた。


 その後も肉料理、デザートと続く間にも、シャロンは昨日の出来事を、楽しそうに語るのだった。


 曰く、地震が起きたときに建物から落ちてきた男の子を助けた話だとか。

 曰く、海の魔物を退けた話だとか。

 曰く、新しいお酒を見つけるたびにアーニャと二人で飲み歩いた話だとか。

 曰く、大道芸の真似事を力業でやった話だとか、料亭の食事券を貰った話だったりとか。


「たった1日で行動を起こしすぎだろう……」


 話を聞いた僕が驚き呆れるくらい、忙しい1日を過ごしていたらしい。

 あと、お酒飲み過ぎ。

 そりゃアーニャもぐでんぐでんになるよ。今朝は亡者(グール)かと見まごうほど、真っ白になっていたけれど。その理由もわかろうというものだ。


 楽しくお喋りをしつつデザートをつつくシャロンの様子からは、『悩み』を抱えているような様子は見受けられない。

 先ほどの話からも、充実した――むしろ充実しすぎな――1日の様子を感じることができた。


 それでも。それでもどこか、何となく。

 彼女の素振りが。彼女の仕草が。彼女の悩みが、気にかかるのだ。



 もうすっかり日も暮れ、橙色だった海はひっそりとした濃紺に閉ざされている。

 波間は星のきらめきだけを反射している。そして落ち着いた潮の音が、ゆったりとした音楽に深い彩を加えていた。


 だから、僕は。この場の雰囲気の力も借りて。

 自然な風を装って、声を掛けられたと思う。


「なあシャロン」


「はい。なんでしょう」


「この後、ちょっとそのへんを歩かないか」


「はい! よろこんで」



 小首を傾げてにこりと微笑むシャロン。

 僕らのデートの締めくくりが、はじまる。

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