僕と彼女のデート そのいち
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「オスカーさん、オスカーさん!」
こっちですよー、と僕の手を引くシャロンに連れて来られたのは、一部が海の上に迫り出した、見るからに高級そうな料亭だった。半球状の建物の壁面は一部が硝子になっているようで、外界の自然な光を取り入れているのだろう。
シャロン曰く、現代の硝子は『透明度も純度もまだまだ』と評していたことがあるが、確かに僕らが出会った研究所地下で発見した硝子は群を抜いて――いっそ比べるのも馬鹿らしくなるくらい――透明だった。シャロンに教えてもらわなければ、それが硝子だと気付かなかったほどである。
さすがに、その硝子と比べれば見劣りはする。しかし、現代における標準的なモノと比べるならば、その巨大さもその透明度も、かなりのものだと言えるだろう。きっと目が飛び出るような値段がするのではあるまいか。
格調高い門構えを、夕日を受けた海の煌めきが眩しく彩っている。そこに、平然と歩みを進めるシャロン。対する僕は冷や汗が止まらない。
え、ほんとにここに入るの? お金足りる? まさか"倉庫"の金を直接渡すわけにもいかないよな?
妖精亭で豪遊したあの日、会計は金貨2枚足らずといったところだった。そのうえカイマンに支払ってもらったのだけれど。大丈夫だろうか、金貨10枚あれば足りるだろうか。
なんて、僕がおっかなびっくりしている間にも、シャロンは僕の手を引き門をくぐっていく。
門の内側では、まるで貴族のお屋敷であるかのように、受付の人が深々としたお辞儀で僕らを迎える。
僕もシャロンも、普段の冒険者然とした格好であるのに対して、出迎える受付は、これまた貴族の執事のような、ピッシリとした黒服に包まれている。その動きもきびきびとしており、まるで乱れるところがない。
シャロンはその美貌も相俟って場にのまれてはいない、というよりその場の雰囲気まで使ってシャロンの美しさをなおさらに高めているようにさえ感じるのだが、対する僕はどうか。どうかというか、もはや自明であるような気さえする。これ、僕、完全に浮いてない?
シャロンはそんな様子の僕など素知らぬ顔で、こちらに向かってくる受付の人に目を向けている。
「ハウレルです」
「ハウレル様、お待ちしておりました」
再度受付の人は恭しくお辞儀をしてくる。
一方、僕はそれどころではなかった。場の雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。
シャロンが僕の姓を名乗ることに、なんとなく気恥ずかしさのようなものを感じつつ彼女を見やると、こちらを振り向いてにっこりと微笑むシャロンの蒼い瞳と目が合う。なんだか僕の動揺を全部見透かされているようで、それもまた恥ずかしさを増幅させる。
「それでは、お席へご案内いたします」
給仕服を纏った男が二人。こちらも恭しく頭を垂れたかと思うと、僕らを先導して歩いて行く。
「ご婦人はこちらへ」
かと思えば、なぜか分断される僕ら。
「え、ちょっ、えっ!?」
完全に動揺する僕だが、"全知"によると、この展開はシャロンも知ってのことらしい。
ますますわからない。
「お席で待っていてくださいね、オスカーさん」
手をひらりと振って、先導に従い廊下の奥の控え室のような場所へ消えて行くシャロン。
その後ろを僕は呆然と見送るしかない。
「さ、旦那様はこちらへどうぞ」
「えっと、あの。突然ここへ連れてこられて、僕は何の事か全くわかっていないんですが」
朝から夕方まで、シャロン先導のもとデートというか買い物というか、街の見物というか。
そのように辺りをぶらりと遊び歩いてきた一日の最後に、こんな急展開が待ち受けていようとは思いもしなかったのだ。
「大変お美しい奥方様でいらっしゃいますね。
ご心配なさらずとも、大丈夫でございます。
本日は、どうぞ心ゆくまでお楽しみくださいませ」
そんな僕の動揺も気にせず、給仕服の男はただにこりと微笑んで穏やかな口調のまま僕に告げ、再び歩き出した。
ロビーから続く廊下にはふかふかの絨毯が敷き詰められ、海からの光を取り入れる小窓が等間隔に開き、気持ちの良い潮風を運んできている。
そんな景観や風情を楽しむ余裕など僕には全くなく、シャロンと分断されたことで再び冷や汗が伝う。
馬鹿な。こんな、馬鹿な。蛮族との戦いも、黒幕たるロンデウッド男爵とのやりとりのときも、こんな緊張感とは無縁だったぞ。
僕とシャロンが入った後からも、いかにもお金持ちそうな身なりの良い老夫婦が門構えをくぐっているのは察知している。
この空間に入ってから、いついかなる状況となっても脱出できるよう、周囲の状況まで含めて全力で"探知"を行なっているためだ。
驚くべきことに、僕らや老夫婦が門をくぐった後でも、門で控えている受付の者たちは少しも緩んだ気配を見せていないようであり、その一流の仕事人然とした風格もまた僕を狼狽させるのに一役買っている。
こんなところで場違いな格好で一人立ち尽くしていた結果、他の客と遭遇する、などという展開は避けたい僕は、若干縮こまりつつ給仕服の男の背を追うのだった。
――
そうして通された席で、一人腰掛ける僕。
テーブル同士の距離も大きく隔てられており、その上間には鉢に植物が植えられたりしており、他のテーブルの様子は極力気にならないような作りとなっている。
そもそも、テーブル自体の数がとても少ない。大きな料亭であるのに、このフロアに見えるテーブルはわずか6つほどなのだ。"探知"範囲内には、個室の展望席もあるようなので、そちらはさらなる上客用の部屋などの用途なのだろうと思う。
それに、外から様子が伺えた巨大なガラス面の壁から見渡す一面の海の青が素晴らしい。このフロアに入ったときに景観が全面通して見渡せるような設計となっているのだろう。
フロアの入り口には小さな噴水があり、階段状の水路を絶え間なく綺麗な水が流れ落ちてゆく。
また、その水の流れの中の浮島では、白っぽいドレスを纏った女性が3人、それぞれ笛などの楽器を手に手に穏やかな音楽を奏でていた。
噴水から流れ落ちる規則正しい水音と、慎ましやかな音楽が聴覚からも空間の完成度を引き上げている。
それだけではない。
僕が一人場違い感に苛まれながら腰掛けるこのテーブルも、白く磨き上げられて一点の曇りもない。
わりと純度の高く、透き通った硝子でできたコップには、よく冷えた水が注がれている。それだけではなく、その縁には新鮮な柑橘系の果物が輪切りにされたものが突き刺さっている。水ひとつ取っても、この風格である。
有り体にいって。ものすごく落ち着かない。
やめてよぅ。僕はただの小市民なんだよぅ。大規模な蛮族や貴族をやりこめても、中身はただの小心者なんだよぅ。
美青年や腹黒などは平然とこういう場でも順応しそうだ、とか思いつつ。
迂闊に嘆息もできやしない。僕の一挙手一投足は、僕の視界に入らない位置からずっと給仕服の男が伺っているのは、"探知"でわかっている。
さらなるサービスなんかを行われたらたまったものではない。
現実逃避および手持ち無沙汰解消のために、念話を飛ばしてみる。
『そっちは問題ないか? アーニャの具合とか』
『オスカーさまはシャロンさまとのデートに集中するのっ! おねえちゃんはもう大丈夫そうなの、お気遣いなくなのっ』
間髪入れずに怒られた。
アーニャはじめアーシャ、ラシュは、チョーカーを通して僕の魔力結晶を目印として念話を飛ばすことができる。
そこからやや間を置いて、
『あにうえさま、がんばって』
応援のメッセージも届いた。
励まされてしまったものは仕方ない。
場違いな格好な気はするし、お値段にたいする恐怖も依然ある。
しかし、せっかくシャロンが用意してくれた場なのだ。
楽しまないと損というものだろう。お値段が高いのであれば、余計に。
ちょうどシャロンもこちらにやってくるようだし、存分にこの時を楽しむとしよう――とゆっくりと振り向いた僕は、そのまま固まった。
シャロンだ。
ゆっくりと階段を降ってフロアに足を踏み入れたその美女は、シャロンに違いない。
そうそうあのレベルの美が存在してたまるものか。
彼女は、僕がそちらを見ているのをみとめると、まるで白い花が美しく開くかのような可憐な笑みを浮かべる。
流れる水の音も。奏でられる音楽も。何も耳に入らない。
すべての音が。色が。消え失せてしまったかのようだ。
そのなかで、唯一。シャロンだけが動く。色を放ち。音を放つ。
こつ、こつと硬い音を響かせて。
まるで見入ってしまったように。
まるで魅入られてしまったように。
僕の視界の中で、唯一、シャロンだけが光り輝いている。
天使のように。《シャロン: 魔導機兵》いや知ってるけど。実際に天使じゃないのは知っているけれどね?
その装いは、先ほどまで身につけていた、いつものヒンメル夫人謹製の服ではない。
抜けるような空の青と、広く澄んだ海の青を内包したような下地に、決して派手すぎないレースの波紋が刻まれたドレスが、彼女の完璧に均整のとれた肉体を包み込んでいる。
夜の帳のような深い紺色の肩掛けをふわりと靡かせながらしずしずと歩んでくるさまは、いつもの、どこか天真爛漫さというか少女らしさを感じさせず、大人の女性然とした美しさを濃密なまでに表現している。
長い髪は後ろで纏め上げているようで、彼女の瞳のような蒼い髪留めが、滑らかな金の御髪の中できらりと光っている。
ぷっくりとした唇には淡く紅が引かれ、頬にも薄く朱がさしている。
僕が混乱していると、それを"全知"が補正しようと躍起になったのか、あれは口紅による効果だとかRGBでいう何色だとかいう知識をぶち込んでくる。
なんだよRGBって。
《色の表現法の一種》
お、おう……。
でも助かった、すこし冷静になった。ような気がする。
「お待たせしました、オスカーさん」
彼女が僕の目の前にまで歩みより、その鈴の音のような優しい声で僕の名を呼ぶ。
僕も返事を返そうとして、ようやく口の中がカラカラであることに気づいた。唾を飲むことすら忘れていたらしい。
「すごく、綺麗だ」
なんとか絞り出した僕の声。
普段であれば、そんなことを言えば、すぐに彼女はわーわーと残念発言で騒ぎ出すようなイメージがあったのだけれど、いまのシャロンは落ち着いたもので「ありがとうございます」とただ静かに微笑むのだ。
一体、どうしたことだろう。
彼女に一体何があったのか。
何か、様子がおかしい気はしていた。
昨日、ぐでんぐでんに酔いつぶれたアーニャを背負って帰ってきてから、シャロンは何やら考え込んでいるふうであった。
今日だってそうだ。僕とデートだ、と意気込んではいたものの、時折目を伏せたり、何か思い悩んでいるような素振りを見せていた。
それとなく気にはしていたものの、その原因を察したりだとか、直接話を聞いたりはできない――だって僕だぞ?――ので、様子を伺うばかりだったのだけれど。
僕の前で。白い素足に白いレースの踵が高い靴で、くるりと一周回ってみせるシャロン。
その、どこか子どもっぽい所作も、まるで踊るような優雅さを伴って彼女の美をなおも引き上げる。
ふわりと浮かぶ金の髪と、露になった白いうなじ。
また、青いドレスの大きく開いた背中の、シャロンの肌の白さが、僕の瞼に焼きついた。
そうして、彼女はゆっくりと。白く細い指先で僕の手を取ると。
自らの腰あたりに当てがい、その優しい声音で。
「わかりにくいのですけれど、この内側あたりのボタンで止まっているので、脱がせるときは是非こちらを外して――ふぁっ、なにをするんですか、オスカーさん。いま大事な説明をっ」
真面目モードみたいなのを保つのに、彼女は時間制限でも抱えているのだろうか。
シャロンはどこまでも、今日も今日とてシャロシャロしていたので、腰へと導かれていた手で脇腹を突ついておいた。
そして。
どことなくいつも通りな様子が垣間見えたシャロンの様子に、どこか安堵してしまう僕なのだった。
新しい服を纏うと、まず脱がせ方を説明するのが自らに課された重要な使命と信じて疑わないシャロンちゃん。
他の魔導機兵が皆が皆こうというわけではなく、だいたいシャロンちゃんだけの習性です。




