閑話 - 私と秘密のガールズトーク そのに
ひとまず、私たちは場所を移すこととしました。
店先で問答を続けていたため、お店の人が露骨に嫌そうな雰囲気を醸し出していたことや、またナンパやら何やら人がぞろぞろ集まり始めたからでもあります。
とくに、後者に関しては純粋に面倒です。
お昼時が近いこともあり、私たちは手近なお店に入りました。
やや薄暗い店内はお昼ということもあり、それなりの賑わいのようです。
「ごめんな、シャロちゃん」
おずおずと謝罪を切り出すアーニャさん。
別に私はことさらに腹を立てているわけではありません。彼女の言葉のその真意が気になるところではありますけれど。
「いえ。でも、どうしてそう思うのかは教えていただきたいです」
そうすれば。
私の中の『わからない』が減るかもしれないので。
どうしてそう思うのか、とは。
無論、私が本当にオスカーさんのことを想っているかどうか、という先ほどのアーニャさんの発言についてです。
注文をとりに来た店員さんが、こちらを見、次いでアーニャさんを見、何やら顔を赤らめておりました。ほど若い男性ですが、やはりアーニャさんのその豊かな胸部にちらりと目が行ってしまうのは止められないようです。
もう寒いというのにあの格好はなかなかに目の毒なようですね、やはり。
とりあえず、手頃なこの店での定番のメニューを注文し、アーニャさんに向き直ります。
そうすると、アーニャさんは、とつとつと話し始めました。いつもの元気な彼女の様子は鳴りを潜めています。
「あんな、ウチはカーくんのことが好きよ。シャロちゃんのことやって、好きや」
「それは、どうもありがとうございます」
「でもな。シャロちゃん。シャロちゃんは、ウチら――ウチや、アーちゃんやラッくんには、興味ないか、むしろ邪魔なんとちゃう?」
正直に申し上げますと、特に考えたことがありませんでした。
オスカーさんが彼女らを助けると決めました。その対象に関して、私自身がどうこう思うようなことなど、特になかったものですから。
「いえ。先ほどナンパ師を蹴りつぶ――排除したように、しっかりと大事に扱っているつもりです」
「それは――」
言いかけ、アーニャさんは逡巡します。
店員さんが、飲み物のコップを置いて去るまで、アーニャさんは考えていたようでした。飲み物なんて注文していないと思うのですけれど、そこはまあいいです。
「それは――カーくんがウチらのことを大事にしてくれてるから、と違う?
ウチら個人に対してシャロちゃんがどうこう思ってるっていうよりは」
「はい。そうです」
私が頷き返すと、アーニャさんはやっぱり、と腑に落ちたような表情をしました。
それは、やはりどこか寂しげな笑みなのでした。
「さっきも言った通り、ウチはカーくんが、シャロちゃんが好きやで。
助けてもろたんもあるし、ウチら獣人にも優しくしてくれるしな。これは前も言ったっけ。
それは人として好きってことや。まあ獣人ごときと言われるウチが人を語るんはどないやろという話はあるんやけど」
寂しそうな顏のまま、アーニャさんは自嘲気味に言います。
彼女の心情を表すように、耳もへたりこんでしまっています。
「それとは別にな。人として、やなくて雄としても、たぶん好きなんやと思う。
少なくとも、求められたら拒まへんわ。
それは、助けられたからとか、カーくんシャロちゃんの持ち物やからいう義務感からやないんよ」
「オスカーさんから求められるというのは、なかなか難しい気がしますけれど」
オスカーさんからそういったアプローチがあるとは、全く想像できません。もしあれば偽者を疑うくらいです。
「にゃはは。ウチもそう思う。
でも、今言いたかったんは、ウチはなんかの義務感から好意を感じとるわけやないってことやな。
それと、今やってそうやけど。シャロちゃんがそういうの、嫌がらへんのが不思議でな」
「そういうの、とは?
なにに対して、私が嫌がるのですか?」
「ウチがカーくんのこと好き言うたことに対して、やな」
それは私が嫌がるべきことなのでしょうか。
オスカーさんが嫌がる相手からの好意であれば、私も嫌かもしれませんけれども。
少なくとも、アーニャさんはそういった手合いではないでしょう。
「やっぱ、よーわからんみたいな顔、されるよなー。
えっとな? シャロちゃん。
『ウチら皆カーくんの嫁やな』みたいな冗談を、こないだ言うたやんか」
それは確か、この街につく直前にしていた問答だったように記憶しています。
「はい。あれは冗談だったのですか」
「そっからかいな!
あー。なんやろ、なんか一人で騒いでるみたいで恥ずかしなってきたわ」
みたい、というよりも事実そんな感じですけれども。
話の腰を折ってしまいそうですので、そういうことは言いません。
女の子は、いわゆる恋バナというものを楽しむそうです。これがそういうものなのでしょう。楽しさは、よくわかりませんけれど。
「ええとな。一人の雄に複数人の嫁がいるんは、猫人族ではそんなに珍しいこっちゃない。
でも、人間はあんまりないんとちゃうん、そういうの。
そうでなくても、ウチらが居ることで、そのぶんカーくんがシャロちゃんのこと見てくれる時間は減るねんで。それは嫌じゃないん」
それは、オスカーさんがそうしたいのであれば、私自身が嫌だと言うことではないと思うのです。
「私が嫌だと言えば、アーニャさんたちは困るのでしょう?
それに――」
「それに、それはシャロちゃんやなくてカーくんが決めることやから。やろ?」
「――はい」
言い当てられたことに、動揺があるわけではありません。
しかし、なんでしょう。私がそう考えているであろうことをわかっていながら、アーニャさんは私に何を伝えたいのでしょうか。
「あんな。これは単なるウチの思いやから、的外れかもしらん。ウチ、頭もよーないしな。
それでもな、聞いてほしい。
相手に委ねて、全部任せて。自分の思いを、考えをせーへんのは、それは愛やない。ウチはそう思う」
そう言い切ると、手元のコップの中身をぐいっと一気に呷ります。
そこまで一息に言われた私は、口を開き掛け、
「ウワー!」
謎の声を発したアーニャさんに遮られます。
「え、なんやこれ。なんなんやこれ。うわー、うわー。
なんかノドが燃えとる、毒か!?」
それまでの沈鬱な雰囲気はどこへやら。
もう何も入っていないコップをわなわなと震える手で持ち、アーニャさんは慌てています。
私の方にまだ置いてあるコップの中身は、彼女の持つチョーカーに嵌ったオスカーさんの宝石をもう少し赤くしたような、濃い赤紫色をしています。
成分解析完了。どうやらこれは。
「葡萄酒のようですね」
「えぅぅ。シャロちゃん、ウチ、だいじょぶかなぁ?
なんか、カーってする。うぅ。ブドーシュって体に毒?」
一転弱気になってしまい、半泣き状態となってしまったアーニャさん。
毒ではないこと、飲み過ぎなければ問題ないこと等を伝えると、ようやくアーニャさんは再び席について、ぐでーっと机の上に突っ伏しでしまいました。
「うぅ。あせったわ」
べちゃっと机に突っ伏すアーニャさんと同様に、その耳も尻尾も、力なくへたりこんでしまっています。
「飲もうとしたときに、なんや変な匂いするなぁと思ってん……恥ずかし。
なんか暑なってきたわ」
アーニャさんはそう呟くと、羽織っていた上着をぺいっと脱ぎ去りました。
いつもの、胸元が隠れるだけの薄い中着が露わになると同時に、その豊満な胸が重そうに揺れます。
周囲のテーブルのざわつきが、心なし静まり返ったような気がします。
私があたりを見渡しますと、周囲のテーブルについている人や店員さんからは、サッと目を逸らされたり、咳払いをされたり。
なぜこんなに注目されているのでしょうか。おっぱいの魅力というやつでしょうか。
そんな周囲の様子も気にならない様子で、アーニャさんはぐでーっとしたまま続けます。
「あんなぁー、シャロちゃん。
ウチ、カーくんとも、シャロちゃんとも、仲良しのままでいたいんよ。
そいでなー、ウチはカーくんとシャロちゃんも、上手いこといけばいいなぁーって思うとるんよ」
私には、オスカーさんのようなお力はありませんけれど。
それでも、アーニャさんはきっと本気で言っているのだろうな、と。そう思います。
「それこそ、アーニャさんは嫌ではないのですか?
私がオスカーさんと上手くいけば、それだけアーニャさんのことを見てくださる時間が減るのでしょう?」
先ほどの意趣返し、というわけではありませんけれど。
「うん。まあ、せやねんけどね。
言うたやろ、ウチはカーくんも好きやし、シャロちゃんも好きやからな。
好きな人がシアワセなんって、なんやろ。嬉しいやん」
机に突っ伏したままこちらに向かって、にへらっと笑うアーニャさん。
彼女はそうやって、嬉しい想像で笑うのでしょう。
笑う場面だから、必要に応じて笑っているのでは、ないのでしょう。きっと。
「シャロちゃんはさ。もっと、自分がどうしたいから、っていうの考えたらええんちゃうかな。
カーくんがどうだから、じゃなくって。シャロちゃんがどう思うのか。
マドーキヘーとしてのシャロちゃんは、そういうの得意じゃないんかもしれへんけど。
女の子としてのシャロちゃんの幸せ、みたいなのをさ。大事にしても、ええんやないかな」
アーシャさんやラシュくんに接するときのように、優しく、アーニャさんは微笑みかけてきます。
お酒のせいもあるのでしょう、頬は上気し、少しばかりとろんとした艶っぽい目が私を捉えています。
「よく、わかりません。
オスカーさんの意思や、幸せが、私にとっての、幸せだと思っていますから」
私にとっての。
あるいは、魔導機兵としての幸せ。
それとも、あるいは。魔導機兵としては落ちこぼれな、私の自己満足にすぎないのでしょうか。
「そんな難しく考えることなんて、ないんやと思うよ。
シャロちゃん自身の気持ち、シャロちゃん自身の幸せのことなんやから。
たとえば、今日やってそうやったけど。シャロちゃん、カーくんが楽しめるような場所、ずっとキョロキョロして探しとったやろ」
「それの何が間違いなのですか?」
私が至らないことを、責められているような気になって。
少し、つっけんどんな言い方になってしまいました。
なぜでしょうか。いまはそんな『必要』はなかったように、思うのですけれど。
アーニャさんは、それでもなお穏やかな、ふんわりした笑顔です。
未だに机に突っ伏したままではあるのですけれど。
「間違いやあらへんかもしれん。ウチには人間の生活様式なんかわからんからな。
でもウチが見てて思ったんは。全部カーくんのための見方しかせーへんねんな、ってことやな」
やはり、指摘されていることがわかりません。いえ、正確には、何が問題なのかがわからない、でしょうか。
オスカーさんのためになるならば、それでいいのではないでしょうか。
「そこに、シャロちゃん自身の楽しみはどこにあるん。
カーくんが楽しそうにしてたら嬉しい、それはわかるけどな。
シャロちゃんがカーくんのためにと思うてるように。
カーくんも、シャロちゃんのために。楽しんで欲しいと思ってるって、なんで考えへんのかなって。ウチは、そう思うんよ」
私がオスカーさんのことを想うように、オスカーさんも、また私のことを。
オスカーさんのご意向を尊重したい、という思いに偽りはありません。ない、はずです。
そのオスカーさんが、私の意思を求めているというのであれば。私はどうすればいいのでしょう。
オスカーさん。
お一人で、ぼろぼろで。
ご両親の形見でたまたま私を起動したオスカーさん。
私に名前をくださったオスカーさん。
私が歩くための足をくださったオスカーさん。
悪夢にうなされて震えていらっしゃったオスカーさん。
私の向ける好意にあたふたするオスカーさん。
二人で魔術を使ったときに感じたオスカーさんの温もり。
抱きしめたときのオスカーさんの温もり。
そして、オスカーさんを単身、結界の中へ行かせてしまったときの、助け出せなかった時の、張り裂けんばかりの胸の痛み。
バツの悪そうなオスカーさん。
星空の下で、はじめて一緒にご飯を食べたときに笑いかけてくださったオスカーさん。
私の怪我に、激怒してくださったオスカーさん。
私の膝の上で寝こけるオスカーさん。
得意げに、作ったものを説明してくださるオスカーさん。
水遊び中にコケて水浸しになったオスカーさん。
オスカーさん。
オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。オスカーさん。
私は。オスカーさんと共に在る、どの場面だって。鮮明に思い出すことができます。
お昼前にアーニャさんは、言いました。『シャロちゃん、ほんまにカーくんのこと、好きなん?』と。
それについては、私は即答できます。好きです、と。大好きです、と。
しかし、その答えは。なぜ好きだと言えるのか、なぜ即答できるのか、というところになると、すぐに行き詰まってしまいます。
なんで。どうして。すぐに答えが返せるはずなのに。
私の好意は、魔導機兵が主人に対して向けるもので。
オスカーさん自身を愛しているわけではないのではないでしょうか。
その違いすら、かつての私には理解ができませんでした。
しかしそれは、オスカーさんにとって、なんて残酷なことでありましょう。
自身の考えさえまとめられない私は、やはりヒトとしても、魔導機兵としても、落ちこぼれなのでありましょう。
コップの中の葡萄酒色を、グイッと飲み干します。
初めてのお酒は、酸っぱいような、苦いような。不思議な味がしました。
それでも、答えは出ません。
「これの、おかわりを」
ちょうど食事を運んできた店員さんに伝えます。
香ばしい焼いた魚の匂いに、アーニャさんががばっと跳ね起きてきます。
尻尾をピンとたて、ぴこぴこと動く耳がなんとも微笑ましいものです。
「そんな難しい顔せんでも、大丈夫やで」
「難しい顔、ですか?」
そんな表情を、私はしていたのでしょうか。しているのでしょうか。
「シャロちゃんがそういう子なんは、カーくんもわかってるやろ。
もっとシャロちゃん自身の望みとか、そういうの聞きたがっとるんも見てたらわかることあるけど。
いきなりってのも無理な話なんやろ。せやから、ゆっくり、ゆっくりな」
その、私が思い悩む話を振ってきたのはアーニャさんなのですけれど。
抗議を込めて、頬を膨らせてみます。むいー。
「にゃっはは。今のはシャロちゃんが表情を作ったんわかったわ。
さっきのは素やったんかな、珍しいもん見たわ」
上気した頬で、からからと笑うアーニャさん。
こういうの、姉御肌というのでしたっけ。
なぜか運ばれて来た、コップ二つ分のおかわり。
片方をアーニャさんに渡し、小さくカチンと打ちならします。
「なんやそれ」
「乾杯、といいます。お酒を飲むときの決まりごとのようなもの、でしょうか」
「そうなんやー。カンパーイ」
すごい順応性の高さです。
「にゃっははー。
なんかよくわからんけど美味い気ぃしてきた」
尻尾をぷらぷらさせながら、豪快にお酒と魚を頬張るアーニャさん。
そんな様子を見ながら、思うのです。
彼女なら、私が詰まった問いでも、難なく答えてしまうのかもしれません。
「アーニャさんは」
「ん」
「アーニャさんは、ご自身が、どうしてオスカーさんを好きだと言えるのでしょう」
「ごぶっふ」
咽せたようです。それもかなり豪快に。
「ああ、そういう話やったな。まだ悩んでたんな、それ。
なんやろなー。ウチの場合、相手の子を産んでもええかな、産みたいな、って思ったら、かなぁ」
「それなら、わりと初対面から私もそのような感じでしたけれど」
「えぇ……」
引かれました。
「子どもは欲しいですね、200人くらい。という話は初対面で済ませました」
「えぇ……それはカーくんも、大変やな」
わかりやすく、引かれました。
どうやら。私が人間らしい感性を手に入れるのは。なかなか、前途多難なようです。
それでも、オスカーさんが私にそれを望むのであれば。
いいえ。私がそれを手に入れて、オスカーさんと共に在るために。
呷った葡萄酒は、やはり苦いような、酸っぱいような。そんな不思議な味がしました。




