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僕と妹弟と海のまち

 キシンタの街は、巨大な都市である。

 海路を往く船舶の中継補給拠点や貿易拠点としての役割のあるこの都市には、多くの人が集まってくる。


 多くの人が集まるということは、それだけ商機があり、活気があり。

 その都市の中でも、主要な市場ともなると、数多くの人々でごった返していた。


「す……すっごいの。これは、ちょっと大変なの。うわっぷ。あ、ごめんなさいなの」


 一部では人波をかき分ける必要があるほどの混雑具合であり、背の小さいアーシャやラシュにとっては、ややつらい場所かもしれない。


「あにうえさま、はぐれないように、きをつけて」


 ラシュに心配される僕だった。

 しかし、それもあながち間違った指摘ではない。


 市場のそこかしこで、見たこともないようなものが並べられ、取引され、交渉され、大変な騒ぎとなっているのだ。つい、ふらふらとそちらに吸い寄せられそうになる僕を、アーシャとラシュは実に機敏に察知し、捕獲する。


「すまん、つい」


「だいじょうぶ、あにうえさまにはぼくらがついてる」


「大丈夫なの」


 実に頼もしいふたりである。




 キシンタの街に到着した日は、長旅だったこともあり、また税関で長蛇の列に並ぶことを余儀なくされたりしたことで、疲れから黒牛の高級牛車に追突しそうになったくらいである。


 街に入ったときにはもう日も暮れかかっていたことから、宿を探し、馬を冒険者組合まで返却したりしているだけで夜になってしまった。ひとまず荷台は分割して"倉庫"行きとなっているが、いちいち組み立てるのもなかなか骨なので、いい方法を考えたいものだ。


 そうして迎えた今日、キシンタでの二日目。

 なんとシャロンがアーニャと連れ立って買い物に行くというのだ。

 ガールズトークをするのだ! というのでアーシャもそちらに行くのかと思ったら、残された僕とラシュの方が心配なのでついて来る、というので僕らは海の見える市場まで繰り出してきたのだった。


 アーシャの言い分に僕は、何をそんなに心配されることがあるのか? と思ったりしたものだけれど。

 あちらこちらへすぐ吸い寄せられそうになる僕と、残されるラシュだけでは不安に思うよなぁと今は考えを改めた。正直すまなかった。


 行き交う人々は概ね陽気だったり朗らかな感じであり、いまのところ獣人だからとアーシャやラシュが絡まれたりすることもない。チョーカーの効果があるのかもしれないし、この街ではそもそもそんなに気を張らなくてもいいのかもしれなかった。



 市場では、今日水揚げされたばかりだという色とりどりの魚であるとか、異国の服であるとか、土産物類、何に使うかわからないような雑々細々した品までがいっぱいに並べられた、簡易な屋台のようなものが処狭しと立ち並んでいる。


 また、ある区画では、いくばくかの出店費用を街に納めることで、自由に商品を並べて良いという場所もあった。あとで僕も手持ちの物品をいくらか販売してみるかな。

 僕らの使う大きな"倉庫"はまだ置き場はあるとはいえ、分解した馬車をはじめ、棺だったり道具棚だったり、テント、予備の服、それだけではなくオークがまだ7体分転がしてあったり、狼や、その他の魔物。素材の積載された箱類。飲み水のストックから、らっぴーの寝床まで、なかなか酷い有様となっている。はじめて"倉庫"を開いて興奮の最中であったアーシャをして絶句させた惨状がそこには広がったままとなっているため、少し物を減らしてもいいだろう。


 その自由に販売できる区画では、屋台のものよりもなお混迷とした、より雑多なものが並べられている印象だ。いわゆる露天商というやつである。

 見るからに冒険者といった風体の男が、拡げた敷物の上に並べた素材を、これまたいかにも商人といった感じの男が値切っている姿。

 おどろおどろしい色をした薬瓶を並べている老婆。

 貝や、あれは……岩? 《珊瑚(サンゴ)》 生き物なのか、あれ。なんかそういうのを並べている人だとか。"隷属の首輪"を嵌めているので、奴隷の人なのかもしれない。


 ほかにも——


「あにうえさま、おちつく」


「もう。すぐふらふらーってしちゃメッ!! なの」


「はい。すいません」


 舌の根の乾かぬうちから、これである。誠に申し訳ない。

 先日のアーニャを微笑ましいだとか何だとか言っている場合ではない僕だった。


 しかし。しかしだ。

 これだけ面白そうなものがたくさんあるのだ。ただ見物するだけというわけにはいくまい。

 勝手にふらっと行くのが問題なのはわかるので、なるべく連れ立って動く。これはいい。


 あとは、わかりやすく物で釣るとしよう。

 幸い、ここには魅力的なものが溢れている。


「アーシャ、ラシュも。

 なにか食べたいものはないか?」


「大丈夫なの。さっき朝ごはんを食べたの」


 しかし、目は屋台をじっと見つめている。

 その屋台では、やや大振りな貝を木で作った炭の上でじっくり丁寧に焼いているようだ。黒っぽいソースを塗りたくり、それが貝を伝って炭に落ち、独特な香ばしい焦げた香りをあたりに漂わせている。


「ぼくも、おなか、いっぱいだよ」


 ちいさな掌で自らのお腹をぽんぽんと叩いて主張するラシュも、僕の後ろの屋台の音にさっきから耳をぴくぴくさせているのはわかっている。"全知"もそれを肯定しているし、さらにラシュにとってタイミングの悪いことに、その小さなお腹がきゅるると叛逆の声を上げている。


 加えて言うと。

 僕だって、それなりに食べ歩きたい衝動に身を任せたかったのである。




 そうして数分後。


「ふわぁ」


「ごーかなの。おねえちゃんには内緒なの」


「そうしよう。さ、食べようか」


 喧騒から少し離れた、木の椅子などが設けられた休憩スペースにて、僕らは敷物を広げていた。


 他にもあちらこちらに敷物を広げて思い思いに寛いでいる人々の姿が見受けられ、談笑しながら食事を楽しむもの、昼寝に勤しむもの、熱く議論を交わす者。皆それぞれに楽しそうだ。

 祭りの日でもないだろうに、これだけ活気がある街というのは、なかなかに凄いことだと思う。


「ぼく、あの」


「ん、どうした、ラシュ」


「あのね、あにうえさま。ぼくあさごはん、たべた。

 でも、たべても、いいの?」


「おー、いいぞいいぞ。たくさん食べな」


 まず自分からでは食べづらいのかもしれない。

 なので手始めに、僕がひとつを口に運ぶ。すると、おそるおそるといった様子でラシュもアーシャも追随した。


 僕が口にしたのは、塩っ辛い肉を、揚げた魚の切り身とともに豪快にパンに挟んだものだ。

 ドロッとしたソースが絡み付き、美味い。力強い味とでも言おうか。

 パンで挟んであることによって、味の調和だけではなく、食べやすさまでを兼ね備えているのだろう。なるほど屋台で売るのに適した料理である。


 他にも、先ほどアーシャが気にしていた貝を焼いたものや、ラシュがちら見していた、鶏肉や魚を潰して揚げたもの、一口サイズのパイ包みのようなものだとか。また、"倉庫"から取り出した冷たい水もあり、豪華な間食の場を作り上げていた。


「美味いか?」


 最初はおそるおそるだったものの、すでに両手に食べ物を抱え、小さな口をもっきゅもっきゅと動かしているラシュ。一口ごとに、耳がぴこぴこと揺れ動いている。

 その隣ではアーシャも、はぐはぐと一生懸命に貝に齧りついていた。鼻の頭にソースがちょっと付いているので、そっと"剥離"と"抽出"で奇麗にしておく。


「あのね、とってもあじがある」


 僕が差し出した水をこくこくと飲み干し、にぱっとラシュが応じる。


 最初のうちこそ、不思議な言い回しだと思ったものだけれど、アーニャの話を聞いているうちに朧げながらわかってきたことがある。獣人の里では、味のある食べ物のほうが稀だったという、言葉通りの意味だったのだ。


 なのでラシュたちは、出て来た料理に対して——一般的には簡素とか粗雑だとか言われるものであっても——いつも、とても美味しそうに食べるのだった。


「オスカーさま、これも。これもとってもおいしいの。

 おねえちゃんに内緒なのに、持って帰ってあげたいの」


 よほど美味しかったのだろう。

 困ったような表情を、手元の貝殻と、もう片手に持ったパイ包みに落としている。


 何を困っているのかわからないのだけれど、アーシャはあちらを見、こちらを見。

 またパイ包みに視線を落とし、何かを逡巡する。


 しかし、やがて。

 アーシャはキッと決意をしたふうな顔つきで、両手で揚げ物に齧りついているラシュのほうを向き直る。


「ラシュ。アーシャのぶんのパイ包みをあげるから、ラシュの分の、貝のお料理持って帰らせてほしいの」


 ぎゅっと目を瞑りながら、自分の分のパイ包みをラシュのほうに差し出すアーシャ。

 一方、ラシュのほうは魚の揚げ物に夢中である。断腸の思いで覚悟を口にしたアーシャよりも、口いっぱいに頬張った魚の味を堪能する方が急務なのであろう。


 随分長いあいだ悩んでいたと思っていたら、アーシャの中ではわりと覚悟のいる選択であったらしい。


 この場に買ってきたのは、いろんな屋台の食べ物をそれぞれ3つずつ。

 僕と、アーシャと、ラシュのぶんだけなのだ。

 姉弟思いのアーシャらしいといえば、らしい話だった。


「アーシャは優しいな。——ああ、ごめんごめん、ラシュが優しいのも知ってる、大丈夫だよ、でもいまは水はいらないかな。

 えっと。またあとで帰り道にアーニャとシャロンの分も買えばいいから、気にせずに食べよう」


「ぅ。でも——」


「僕が、アーシャやラシュと一緒に食べたいんだ。それじゃ駄目かな」


 なおも迷っているというのか、困った様子のアーシャ。

 しかし、僕が手元のパイ包みをアーシャに渡すと、その小さな掌でおずおずと受け取るのだった。


「ううん。ううん——だめじゃ、ないの。

 えへへ、オスカーさまは優しいなの」


 嬉しげにはにかむアーシャと、もごもごしながらもウンウンと頷くラシュ。

 面と向かってそんなことを言われると気恥ずかしいが、そういえば僕も直前に同じようなことを言っていたのでお互い様である。


 そもそも、彼女たちが気にし過ぎなのだ、と僕は思っている。

 この豪華な間食でさえ、全部合計しても銀貨2枚に満たない。


 今も倉庫内に転がしてあるオーク肉を一体分でも売れば、十分にお釣りが来た上で数日分の宿代まで賄えるだろう。


「アーシャもラシュも。アーニャだってそうだ。

 僕やシャロンに何かをねだったりもしないし。

 もし、欲しいものがあったら言ってくれたらいいんだよ」


 すぐにうろうろと、どこか行ってしまうから頼りないかもしれないけれど、と苦笑いをする僕。


 それに応えるアーシャは、やはり再び困り顔である。

 手にしたパイ包みを一口齧ると、その表情はパァッと華やぐ程度の困り方、ではあったのだけれど。


「あのね、オスカーさま。

 アーシャは、ううん。きっと、おねえちゃんも、ラシュもなの。

 アーシャたちには、よくわかんないの」


「わからない……?」


「はいにゃの。——噛んだの。わざとじゃないの。

 ——ぅー。なでなでしてもらえるのは嬉しいのっ、でもなっとくいかないのっ!」


「ぼくも。なでなですき」


 僕もラシュのふわふわな耳の付け根あたりを撫でるのは好きだった。


「わふー……」


 美味しいものも食べ、温かな日差しの中、撫でられて満足そうな笑みのラシュ。放っておいたらそのまま寝てしまいそうだ。


「えっと、あのね。オスカーさま。

 アーシャたち、とっても感謝しているの。

 こわいでぶから助けてもらったことも」


「こわいでぶ」


 ロンデウッド男爵のことに違いない。こどもは時に、なかなか残酷な形容をする。


「こわいでぶなの」


「まあ、あれはこわいよな」


「こわかったの」


 思い出し身震いをするアーシャ。

 酷い目にあう前に、なんとか助け出せたらしいことはシャロンやアーニャから聞いている。しかし、それでも怖いものは怖かっただろう。


「あのね、それだけじゃないの。

 また、おねえちゃんと会えたことも。

 ごはんも、ねどこも、お服も。

 みんなみんな、とってもとっても嬉しいの」


 うつらうつらと船を漕ぎ出すラシュの様子に、ふっと笑みを見せるアーシャ。

 アーニャだけでなく、この世話焼きのしっかりした小さなお姉さんのおかげで、ラシュもここまですくすくと優しく育つことができたのだろう。


 それでね、とアーシャは続ける。

 自らの首に取り付けられたチョーカーを優しく撫でながら。


「いまもいっぱい幸せなの。

 だから、もっと欲しいとかは、あんまりわからないの」


 いつだったか。

 数日前に野宿しているときに、夜にぽつりとアーニャがこぼしたことがあった。

 二人を助けると言っておきながら、実際は自分は死に場所を求めていたんじゃないか、と。

 それが今はこんなに幸せで。ふわふわしていて。いつ夢から覚めるのかとたまに怖くなる、と。

 そんなことを、言っていた。


 そういう、不安感、というのだろうか。

 幸せに慣れていない故の。このような小さな、些細な幸せだけで十分すぎて、それ以上を考えられない、というのは。


 しばしアーシャはそのまま考えを続けていたようだった。

 そして、やがて思い当たることがあったのか、その耳をぴんと立てて、こちらを見据えて来た。


「あ! でもひとつだけ、欲しいもの、あったの」


「お。どんなものが欲しい?」


 珍しく、というより初めてかもしれない、アーシャが口にする欲しいものとは一体何なのだろう。


「アーシャたち、オスカーさまやシャロンさまに、何もしてあげられないの。

 オスカーさまも、シャロンさまも、すっごく強いって知ってるの。

 魔物が、触る前に死んだのも、見たの。強すぎなの。がくぶるなの」


 実際には、シャロンは触れている。一瞬過ぎて見えないだけで。

 でもそれが、欲しいものにどう関わってくるのだろうか。


「おねえちゃんも、言ってたの。

 何もしてあげられないって、言ってたの。

 だから。オスカーさまたちに、してあげられることが欲しいなって思うの」


 これも、いつだったか。たしか、研究所のどこかで。

 シャロンが同じようなことを言っていたような気がする。

 僕への恩を返すために、だとか。

 僕は恩を感じてほしいわけでもないのだけれど、それじゃあなぜアーニャたちを助けたのか。

 助けた上で、今後も一緒にいることを選んだのか。


 だから。

 僕も、彼女が悩んで、それで欲しいと口にしたものの話をする。


「居場所をな」


「なの?」


「僕らが。僕やシャロン、アーニャやアーシャやラシュ。あとは、らっぴーもか。

 皆が居ていい場所を作ろう、って。僕は、そう思ってるんだ」


 アーニャの話で、考えたこと。

 シャロンと話して、決めたこと。


「居場所、なの。

 それはどんなところなの?」


「お店を、やろうと思ってるんだ。

 だから、アーシャたちにはそのお店を手伝ってもらいたいな、って。そう思う」


 奴隷として、ではなく。

 獣人だから、とかでもなく。

 魔導機兵の役目として、でもなくって。

 皆の居場所を、皆で守る。そういうふうに、できたらいいな。


「はいなのっ」


 威勢の良い返事とともに自身の胸を勢い良く叩いたアーシャは、これまた勢いよく、()せた。

 うつらうつらとしていたラシュもその勢いでびっくりしたらしく、跳ね起きてくる。


「けっほ……えっほ……はい、なの」


 お水を渡すと、小さな両手で抱えてこくこくと飲むアーシャ。

 その仕草は、やはりラシュとそっくりだ。


 状況がわからない様子ながらも、ラシュはその小さい姉の背中をさすっている。優しい子である。


「けほ。ふぅ。

 ねえラシュ。オスカーさま、今度はお店作るって言ってたの。

 アーシャたちも、そこでお仕事させてもらうの。頑張ろうね、なの」


「おみせ、がんばる。ぼくも、あにうえさまのおよめさんだから」


「うんっ! 一緒に頑張るの!」


 笑顔できゃっきゃと戯れるきょうだい。

 この笑顔を守れる場所にしたい、と強く思う。

 ……嫁に貰ったつもりは、まだないのだけれど。


 齧ったパイ包みからは、甘い果実の味がした。

毎日更新、ついに途切れました。

2日に一度更新か、どこかで良いペースを掴みたいと思います。

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