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彼女の便利な機能

「ほら。もうオスカーったら。

 冷める前に食べちゃいなさいな」


 熱々の湯気が立つソルテリ。ごろりとした大振りの鳥肉が覗いている。

 その他には、すこし固くなった黒パン。お気に入りのカップに入った水。


 そして、少しの耳鳴り。


 冬の気配が忍び寄ってくる山村では、日の入り以降に外に出ることはあまりない。

 単純に寒いし、暗くて危ないからだ。


 びゅうびゅうと、あるいはごうごうと。

 窓の外では、風に巻き上げられた木の葉が、されるがままになっていずこかへと飛びすさって行く。


「父さん、まだ帰って来ないね」


「今日帰ってくるはずだけどーーまた酒場にでも寄ってるんじゃないかしら」


 もう、仕方のない人ねぇ、と母さんは苦笑いをする。


 母さんだって早く帰って来てほしいはずなのに、父さんが冒険帰りに酒場に寄るのはわりと容認しているフシがある。

 元同じパーティでの冒険者だったということもあり、思うところもあるのだろう。


 僕としては。

 今日に限っては、何故か父さんの帰りを無性に待ちたい気分ではあった。

 が、これまた何故か僕は腹ぺこだった。


 待っていたい気はあった。

 しかし、父さんがいつ帰ってくるのかわからないなら、仕方がないか。先に食べていよう。


「あっつつ」


 ぼんやりと考えながらソルテリの器に触れると、信じられないほどの熱が手に伝わってきた。

 思わず手を引っ込め、器を二度見する。


 そこにあったのは、先ほどまでの湯気のたつソルテリではなかった。

 かわりにそこには、燃えている、ヒトの顏があった。


「ひっ……!」


 なんだこれは。

 なんなんだ、これは。


 その顔は、知っている。


 苦痛に歪み、叫び声をあげているその顔は、隣に住むジェシカ姉ちゃんに他ならない。


 明るく朗らか。面倒見がよく、よく働く。

 とくべつ美人というわけではないはずだが、村での評判はよく、密かに彼氏の座を狙っている男衆も何人か居る。


 僕も、実の弟のように、優しく、時に厳しく、遊んだり叱られたりしたものだった。


 そのジェシカ姉ちゃんの顏が、焼け爛れ、苦悶の表情で燃えている。


「たす……け、おすかー」


 その顔に、釘付けになってしまったかのように、僕の視線は、首は、動こうとしない。

 そうするうちに、炎がテーブルに、床に、壁に。天井まで一気に埋め尽くしていく。


 何が。いったい、何が。なんで。


「母さん! ジェシカ姉ちゃんが!!」


 すぐ後ろにいる母の方を、すぐ後ろにいたはずの母の方を、振り返る。しかし。

 そちらも轟々と燃え盛る炎の赤で、目の前一面が染まっている。


 ちりちりと肌を焦がす熱気に耐え、目をこらしてみるが、そのに母の姿はない。代わりに、炎の中に背を向けた父がいる。


「逃げろ!

 まっすぐ走れ」


 左の腕から矢を、背中から剣を生やした父が振り向きざまに言う。


 ひぅっーー


 息を飲み、後ずさる。


 火の手は家中を包み、全てを燃やし尽くしていく。

 父さんのとっておきの酒瓶も、母さんの鍋も、僕の本も、すべてすべて、赤い海に飲まれて消えていく。


「そんなーー父さん、母さん」


 焼けてヒリつく喉, 乾く目の痛みも無視し、呆然と呟く。

 しかし。応える者は、ない。


「うぁ……わぁああぁあああ」


 逃げた。燃え盛る家を後にして、ひたすら走った。


 背後には燃える家が、村があるはずなのに、気づけば辺りは一面の闇だ。

 前も真っ暗、後ろを振り向いても真っ暗。


 もはや燃え盛る家も見えず、痛いくらいの静寂と闇が周囲を満たしている。

 でも、後ろからは何かが追いかけてきている気がする。


 だから、僕は走る。

 何かが追いかけてきている気がして、僕は逃げ続ける。


 ーーまた私たちを置いていくのね。


「母、さん?」


 応える者は、ない。


 いつしか走る足の感覚はなくなり、走る力もなくし。ただただ何かから逃げるために歩き続ける。


「寒い」


 そうして気づけば。

 寒さにガチガチと歯を鳴らしていた。


 歩いても歩いても。

 寒さが体の芯から滲み出てくるようだ。


「寒い」


 こごえてしまう。

 この闇は、この孤独は、僕には耐えられない。


 記憶が曖昧なほどの遠い昔の、嵐の日を思い出す。

 あの日も心細くて、こごえていて、寒かった。

 でもあのときは一人ではなかった。

 側に誰かがいてくれた。

 温かかった。あれは一体、誰だったっけ。


 でも今は。

 どちらを向いても僕一人。


「寒い」


 ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ


 体の震えも、噛み鳴らす歯の音も、耳鳴りも。全てが頭にガンガンガンと反響する。


 足も、動かなくなった。


 自分の体を抱え込むように、小さく、丸くなる。


 身を切り落とさんかのような冷えは、少しも緩むことがない。

 でも、もはや再び立つこともまた、僕にはできなかった。そんな力は、もはや残されていなかったので。


「さむい」


 僕は、村を、父さんを、母さんを、すべてを、置いてきてしまった。


 いくら身体を震わせても、より厳しさを増していく寒さに、ついには目も空けていられなくなる。


 ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ


 目を開いていたときと、見えているものは変わらない。


 全てが黒。全てが無い。


 ここには、僕ひとりだけ。


 僕ひとり、ここで、誰にも知られることなく、こごえて。

 そして、誰にも顧みられることもなく、朽ちていく。


 死を意識した途端、より一層寒さが増した。もはや、寒いのか、痛いのか。


「……」


 応える者のない声は、やがて一言も出なくなった。


 僕がすべてを置いてきてしまったように、僕も、すべてから置いていかれるのだ。


 孤独で、寒くて。


 喉はからから。お腹はぺこぺこ。

 目はもう開いているのか、閉じているのかもわからない。


 闇の中、自ら抱いていた腕を伸ばす。どこかに届けと。

 独りは嫌だと。寒いのは嫌だと。

 必死に、手を伸ばす。




 すると。


 腕の先、掌から、わずかに温かさを感じた。

 何かの間違いかもしれない、気のせいかもしれない。でも、僕はその温かさを手放すことはできない。


 なおも、手を伸ばす。


 やがてその温もりは、腕だけでなく全身を包み込むように全身を包み込んでいく。


 耳鳴りがする。


 喉はからから。お腹はぺこぺこ。

 それは変わらない。


 それでも、たしかに感じる温かさ。





 ーー





「そうかーーこれは、夢か」


 呟いたのは、果たして夢の中でのことだったのか、それとも目覚めてからのことか。

 さしたる違いも、その意味もない。


 ゆっくりと目を見開いてみても、見えるものはだいたい同じ。ほとんどが真っ暗の闇だった。


 ただ一方向、微かに明るいほうへ。

 首をもたげた方向へ、痛む身体を軋ませながら目を向けると、優しく微笑みかける蒼の瞳が出迎えてくれた。


「おはよう、シャロン」

「おはようございます、オスカーさん」


 僕の体はどうやら横になっており、その頭や腕を抱きかかえるように、シャロンも共に横になっているらしい。


 つまり、僕の頭はいま、シャロンの腕と胸の間に挟まれている状態である。


 シャロンを見上げる形になる僕の首が、角度的な負荷により若干の悲鳴をあげている。


 きぬ擦れの音がするにはするが、僕に触れている部分のシャロンの感覚はほぼ裸体なのではないだろうか。

 あいかわらずの暗闇なので実際には見えていないのだが、僕は慌てて視線と首の角度を戻す。

 戻した先も、肩や胸元があるあたりだと思われるので大変危ういが。暗くて見えないから。見えないから大丈夫。絵柄は駄目かもしれないが、きっと年齢制限的には大丈夫だ。


「お身体に不調はありませんか?」

「空腹感がすごい」

「丸一日以上おやすみでしたから。いま食べるものをご用意いたしますのでーーとと?」


 僕に背を向け、起き上がろうとするシャロンを、背中に回した腕で引き止めるように抱きしめる。


 一瞬驚いたような声をあげたシャロンだったが、すぐに姿勢を戻すと、僕の頭を撫で始めた。やさしく、やさしく。


 僕も、自分でも何をやっているのかと驚いている。

 気付くと、衝動的にシャロンを止めていたのだった。

 すでに恥ずかしさで顏はそらしてしまっており、シャロンの表情をうかがい知ることはできない。どうせ真っ暗だが。


 柔らかな温もりに、心が癒されていく。もうあの寒さは感じなかった。



 そうして、しばらく僕が落ち着くまでーーというより恥ずかしさに耐えきれなくなるまで。ふたりとも何も喋らず、シャロンは僕の頭を静かに撫で続けた。



 5分ほどして。

 恥ずかしさに身悶えしそうになりつつ、それを内面で押しとどめるのにさらに2分ほどして。


 僕らは、どこか、のっぺりとした白っぽい石造りの一室の、簡易的なベッドのようなものに腰掛けていた。


 いまは部屋に明かりが灯っている。光源は、シャロンの右手人差し指の先である。


 真っ暗だな、と思っていたところ、シャロンがなんの説明もなく突然指をまばゆいばかりに光らせだしたのだ。

 原理は不明ながら、シャロンが意図的に行い、とくに苦痛もなさそうなので、そのままにしている。


 腰掛けているものはベッドのような、とは言ったものの、寝台部分は石なのか金属なのか、冷たく硬い物体である。とても寝やすいとは言い難い。

 先ほどまで僕が横たわっていたのもそこであり、シャロンいわく一日以上にも渡って眠り続けていたらしい。


 そしてシャロンはというと、白くて薄い服だけを羽織っており、ほぼ裸体と言っても過言ではない状態だった。

 その胸に顔を埋めて泣きついていたーーいや、泣いてはいないがーー僕としては、大変に、それはもう大変に恥ずかしい事態である。


「いったい、何がどうなった?」


 恥ずかしさをどこかに追いやるためにも、現状整理のための話をしよう。そうしよう。


 現在進行形でわりと危ない格好をしているシャロンが横にいるので、かなり無駄な努力ではあるのだが、僕は話を促した。


 僕が意識を失ってから、何がどうなったのか。

 そしてここはどこなのか。どうやら元居た場所とは雰囲気が異なるようだが。


「はい。ええっとですね。

 ではオスカーさんが昏倒されてからのことをお話します」


 同じくベッドに腰掛けているシャロンが応じる。

 輝く指をくるくるとまわすたび、二人の影がゆらゆら踊る。


「まずはじめにですが、私がジェネレータを通してオスカーさんの魔力をほぼ吸い尽くしてしまったようです。

 お手を触れないよう注進しこそすれ、あまつさえオスカーさんを味わい惚けてしまうなど、完全に私の失態です。

 申し訳ありませんでした」


 普段のノリであれば艶やかな物言いでお仕置きをねだったりするような場面かと思ったが、どうやら本気で悔やんでいるらしい。


 そして、普段の彼女ならそうするだろう、という予測が立つようになっているあたり、僕も随分と毒されてきているようだ。それに気づき、苦笑混じりで応える。


「そうだね。僕はもともと体力も魔力も限界が近かったし。

 それに、僕自身にも注意が足りなかった。お互い、もうちょっと慎重にいこう」


 だから、これは二人の責任ということにする。シャロンを責めても仕方がないのだし、そうしたいわけでもない。


 なので、この話はここまでにして先を促す。

 シャロンは短く瞑目すると、続きを話出した。


「オスカーさんの命に別状がないことを確認後、私はオスカーさんを背負って移動を開始しました。

 目的は、オスカーさんを安全に寝かせておける場所の確保と、オスカーさんの飲食物の確保です」


 オスカーさんオスカーさんと、僕を最優先に行動してくれているのはわかるが、少々むず痒い。


「シャロンは食べ物が必要ないの? 何年も寝ていられるなら、いらないのかもしれないけど」

「食物を摂取し、それをエネルギーに変換することは可能です。

 ですが、エネルギー自体は何を元に与えられるものでも同様に起動状態を保てるため、宝玉を体内に持つ今では、とくに必要がないと言えます」

「そっか。食べることができるなら、ここを出たら何か美味しいものを一緒に食べよう。――うん、約束」


 ぱちくり、と蒼が驚いた表情を形作る。

 次いで、ふにゃふにゃほわほわとふやけた表情になる。


「ええ。必ず」


 そして、小さい声で、しかし噛みしめるように応じてくれた。

 僕としては、ソルテリはしばらくトラウマになりそうなので、避けたい所存である。


「ええと、ええと。

 あ、そういえばあの"出会いの間"はかつてゴミ捨て場として使われていたようです」

「”出会いの間”」

「オスカーさんが私を見つけ、名前をくれたあの空間は”出会いの間”です。私が決めました」


 どうです、かっこいいでしょう、みたいに胸を張るシャロン。

 動作にあわせて、白い布で申し訳程度に隠された肌が見え隠れする。その仕草に、先ほどまで抱かれていた柔らかさを思い出してしまい、ぶんぶんと頭を振った。


 くるくるくる。影が楽しげに踊る。


 それにしても話がすぐに脱線する。シャロンと出会ってから、ずっとこの調子である。


「あそこから1区画ほど移動しましたら、施設の見取り図がありました。

 あの地点は地下1階相当の場所とのことで、シェルターとしての効果を兼ねているために地表まではそれなりに距離があるようです」


 それなりの距離というのがどれほどのものかはわからないが、意識が曖昧な状態で掛けた"硬化"でよく大きな怪我なく生きていたな、僕。


「また、出入り口に関する記載がありませんでした。軽く見回った限りでも発見できませんでした。

 この施設内で生活できる設備を備えているらしい記述はありましたが、それらも壊れてしまっており、空振りでした。

 仕方なく、さらに階下で休めそうな場所を探していたというわけです」


 僕は丸一日以上眠ったままだったという。かなりシャロンに負担をかけてしまった。

 どれほどの間、僕をかついで探索をしていたのかはわからないが、シャロンの白く華奢な手足や体格では、さぞ苦労を掛けたことだろう。


「それとですね、オスカーさんが気にしていらっしゃった"出会いの間"の床に関する記述もありました。

 簡易な説明しかありませんでしたが、どうもあの特殊な地面から魔力・電力的な要素を濾し取って再利用する機構のようです」


 あの、謎のぐにぐにする床にはそういう要素があったのか。結界か何かだろうか。


 そういえば、あの空間で使った魔術は、平常状態になかったとはいえ、常日頃よりも効力を減じていたような気がする。たとえば、光が弱い。たとえば、持続時間が短い。


「それじゃあ、ここはその階下の施設の一室ということ?」

「はい。そうなります」


 そう言うと同時に、シャロンの指先の光に変化が生じた。


 光は複数の色がないまぜになっており、なんだろうと思って壁のほうを見た僕は、驚愕した。

 なんと、光が照らす壁に絵が浮かんでいる。これは地図、だろうか。


 一般に地図として出回っているものは、大変高価だ。紙自体が高級品だからというのがひとつ。また、書き写す者の技量が必要とされるから、というのも理由のひとつである。

 そしていま、壁に描かれている地図とおぼしきものは、少しも歪んだところがなく、綺麗な四角い感じで構成されていた。


「現在の居場所は、見取り図でいうと、このあたりですね」


 ベッドに腰掛けたまま、事もなげにシャロンは続ける。


 僕は、光が形作る壁の絵を凝視したまま、微動だにできないでいる。

 光を照らして絵を形作るというと、もしかすると影絵のようなものを想像するかもしれない。


 だが、いま目の前にあるのは、そういった類のものではない。

 細かく書き込まれた羊皮紙や本の1ページを、光を使って壁に転写したかのような状態だ。

 そしてシャロンの言葉に従い、図面の重なった3枚目の一部分に赤いマル印が付けられた。


 見たことのない文字ーー神聖語の一種だろうかーーが書かれたその部屋こそが、今僕たちがいる部屋だということなのだろう。


 驚愕の表情のまま、光のあたる壁からなんとか視線を引き剥がし、シャロンの方を見やる。


 僕の視線に応じて、また胸を張るシャロンがそこにはいた。表情は、いまにも「ふふーん」と言わんばかりである。


「ふふーん」


 あ、言った。


 彼女が胸を張った拍子に、薄くて白い服から、その白く柔らかそうな胸元が今にもはだけそうになっており、慌てて視線を壁に引き戻す。


「見取り図上では医務室とのことでしたので、ここを選びました。

 道中は、一部崩落したり埃が溜まっていた以外には、特に問題はありませんでした。

 ですので、こちらにオスカーさんを寝かせて、私は周囲に危険がないかを探索していました。

 つい先ほど、オスカーさんがうなされだしましたので、添い寝をしていました」


 そして今に至る、と。


「わかった、説明ありがとう。

 それでーー気にはなってたんだけど、その格好はなに?」


「はい。これですか?」


 ベッドに腰掛けたまま、服の裾をパタパタする。


「"時間凍結処理"された白衣を見つけましたので、拝借しました。

 その。おやすみになられる前に、オスカーさんから服を着るようにとご命令いただいたので」


 そういえばそんなことを言ったような。


「えっと。前の服は?」


「はい。破れてしまっていましたし、このベッドも衛生的ではありませんでしたので、清掃に使用しました」


 部屋の隅を指すので、目で追ってみると。

 なるほど、そこには埃まみれでくちゃくちゃになった布切れがあった。


 となると、服を着るよう言っていなければシャロンは全裸で僕の目覚めを待っていた、ということになるだろうか。やりかねないが。

 意識を失う前の僕、地味に良い仕事をしている。


 とはいえ、現状でも目のやり場に困るには違いない。

 事実、ハクイと呼ばれた服の裾からは生足が惜しげもなく露出しているし、柔らかそうな胸の双丘も、今にも零れんばかりである。なにより生地自体が分厚くない。いや、薄い。薄いよそれは。


 その潔癖さを体現したかのような輝くほどの白さは、白い肌、金の髪のシャロンに驚異的に似合ってはいたものの。

 あまりに刺激が強いため、明るい状態ではもうシャロンの方を見られない。


「そのほか、"時間凍結処理"品は、見つけた分はそこに積んであります。

 非常食もあるようでした」


 それはすごくありがたい。

 もう腹ぺこで気持ち悪くなりつつあったところだ。


「その"時間凍結処理"っていうのは、言葉の雰囲気で意味する部分はなんとなくわかるけど。

 食べても大丈夫そう?」


「おそらくは、大丈夫でしょう。

 一度開封すると効力を失いますが、極めて高い精度で外界の時間経過から遮断されるものです。

 外にあったその他のものは、ほとんどが劣化したり、風化していて使い物にならないものばかりでした。

 ですが、ご覧のこの白衣のように、"時間凍結処理"が有効なものは使えるのではないかと思います」

「なるほど。シャロンがそう言うなら大丈夫なんだろう」


 僕の見立てなんかより、シャロンの言うほうがよっぽど頼りになる。彼女と出会ってからまだ短い時間しか経っていないが、そのあたりには全幅の信頼がおける。


 積んである資材は6つくらいの箱に小分けになっていた。赤と黃の神聖文字でデカデカと何事かが書いてあるが、警告か何かだろうか。


「"時間凍結処理"の表示と、開けると効力を失う旨、あと何が入っているのかが書いてあります。

 これは痛み止めなどの医薬品ですね。鞄も一緒に入っているようです」


 やはりシャロンは神聖文字が読めるらしい。


「薬は助かるな」

「ですね。私では外傷の応急処置しかできませんし」

「おお、シャロンは何でもできるんだなー。

 これは?」

「お褒めいただき光栄です。

 これは飲料水ですね。開封しましょうか」

「たのむ」


 箱は、デカデカと神聖文字が書いてある以外はのっぺりとしており、中を伺うこともできない。取っ手のようなものもなく、唯一、細い穴のようなものがついている。


 鍵なんかを使って開封するものなのだろうか。

 他の箱も近くにあったので触ってみるが、とくに何事かが起こる気配もなく、固く冷たい感触が指に伝わる。

 そして、この箱にも鍵穴のような細い穴がひとつ。


「シャロン、鍵は」

「えいっ」


 持っているのか、と続けようとした僕の目の前で、フォンッと軽快な音。

 それに合わせ、なにか、白銀のものを辛うじて視界の端に捉えた。


 次に、よいしょとばかりに箱の上部を持ち上げるシャロン。


「はい。オスカーさん、開きました」


 にぱっ、と微笑む。褒めてくれと言わんばかりであるが、待て。いま何をした。


「――? どうされましたか、オスカーさん。開きましたよぅ」


 褒められなかったことに気分を悪くしたふうではなく、純粋に僕の反応が無いのを訝しんでいる様子のシャロン。


 手元にある箱の上部を持ち上げようとしてみる。わりと重い。

 そしてシャロンのやったように、箱の上部だけが開くという感じもせず、そのまま箱全体が持ち上がってしまう。


「それも開封いたしましょうか。

 先ほどの医薬品の箱ですが」

「いや、いい。

 ただ、どうやって開けたのかなー、って」

「それでしたら。こう、です」


 シャロンは、持ち上げた右腕をそのままゆるゆると横に振る。それにあわせて指先に灯った明かりがゆらゆらと影を踊らせる。ゆらゆら。ゆらゆら。


「これを。こんな感じ、です」


 先ほど取り外した箱の上部、蓋とでも言うべき部分に、再び白銀が煌めく。


 それは、ハクイを纏い、指先に光を灯し、肌の白いシャロンがもの凄い速度で右手を振ったものを目が追いきれず、白銀の閃光として映ったものに他ならなかった。

 それすら、蓋がすぱすぱと細切りにされていくのをずっと見ていて、ようやくわかったくらいだ。


 なにこのこ、すごい。


 やはり、普段の言動が残念なのは本質の凄さを隠すためのものではあるまいか。


「はい、オスカーさん。お水です。

 焦らず少しずつお飲みください」

「あ、ありがとう」


 透き通る容器に満ちる水を受け取る。

 ガラスではない、つるつるした、しかし柔らかな素材で出来た筒状の器だ。その器にもシャロンは「えいっ」とやって開封し、水を一滴も零すことなく僕に手渡してくれる。


 ごくり。


 一日以上ぶりの水が、僕の乾ききった喉に染み渡っていく。


「ぐっ……ゴホ…ッガは」


 むせた。


 急いで飲んだつもりもなかったのだが、身体としてはそうでもなかったらしい。

 久しぶりの水に驚いた身体と、嘔吐のしすぎで胃液で焼き付いた喉が抗議を飛ばしてくる。

 だが、それを差し引いても。こんなに水とは美味いものだったか。


「大丈夫です、ゆっくりお飲みください」


 僕の後ろにまわったシャロンが背中を優しくさすってくれる。


 ここで「えいっ」されたら僕はまっぷたつになるなー、などと考えながらもべつに恐怖はない。

 まっぷたつになって死ぬことへの恐怖の話ではない。シャロンへの警戒など、もはや僕にはする必要がなかったからだ。


 ちなみに、さきほど細切れにされ細長くなった蓋部分でさえ、僕の力では切ることはおろか、全体重をかけても折り曲げることすらできなかった。

 ”切断”の魔術をかけても、たぶん無理だろう。どうせ僕には”剥離”で表面の汚れを落とすくらいしかできないのさ。あー、水美味ぇ。


 こくこくと水を飲む僕を、シャロンは何が面白いのか、飽きもせず微笑みながら見つめ続けていた。気恥ずかしさが先立って、若干飲みにくい。


 なので、シャロンには別の指令を与えることにする。


「シャロン。他の箱は何が入ってるんだ?」


「はい。少しお待ちくださいね」


 よいしょ、と水の入っていた箱を、細切れにされた蓋もろとも脇に避け、次の箱に取り掛かる。


「ええと、これはーー食べ物ではないです」


 そのまま、自然な動作で次の箱に向かうシャロン。

 だが。


「シャロン」


 ビクッ


 呼び止められ、ぎこちなく振り向くシャロン。


「なんでしょうかオスカーさん。食物を探す、あなたのシャロンです」


「シャロン」


 再度、名前を呼ぶことを繰り返す。


 シャロンの表情は、いたずらが見つかってバツの悪い顔をしている、ジェシカ姉の飼っていた犬ころみたいな感じになっている。


「今の箱の、中身は?」

「食べ物では、ないです」


 顔を覗き込むと、ふいっと逸らす。でも逸らした先で、こちらの表情を横目でちらちらと伺っている。


「食べ物じゃないのはわかった。

 正確な中身を教えて?」


 誤魔化しが効かないよう、再度正確に尋ねる。

 この場で嘘偽りを答えることもできるし、なんならシャロンが開封しない限り箱は開けられない。でも、シャロンは僕の不利益になることはしないだろう。


 やがて観念したかのように、シャロンは白状しだした。


「この箱の中身は、衣類です。目録には、下着類一式、シャツ、ズボン、スカート、カーディガン、安全足袋とあります」


 なんでそんなものを秘匿しようとするのか……と考えて、今のシャロンの格好を正面から見て、遅れて納得する。

 今のシャロンは、ハクイという白い布以外、おそらく何も纏っていない。服を着て、という僕の指示には従いつつも、極力は何も着たくなかった、ということなのではないか。


「ええと。服、嫌いなの?」


「そういうわけではないのですが。

 ああっ、そんな可哀想なひとを見る目で私を見るなんてっ。

 でもでも、どんな視線であれオスカーさんから見られていると喜びが先に立ってしまう自分がくやしいびくんびくん」


「びくんびくん言うな」


 そうしたやり取りの中で完全に自供モードに入ったのか、そのまま本人いわく「恐るべき計画」について吐露するシャロン。


「この格好はですね!

 オスカーさんメロメロ大計画の一端だったのです!」

「……大丈夫?」

「ああっ! そんな目でまたっ」


 どうやら、先ほどの状況説明をより正確にすると、こういうことらしい。


 ハクイを着、いままでの服を雑巾扱いにし僕を寝かせたあと、シャロンは付近の探索を行い、いくつかの箱を入手。


 この部屋に運び入れるうちに、僕がうなされ出したので添い寝して温めよう、と考えた。

 ここまではまあ、わかる。しかし問題は、この次からだ。


 下着類などの他の服もあるが、素肌のほうが人体は温められるだとか、素肌にハクイは萌えるとか、そういう知識を自身の内から引き出しつつ正当化、シャロンちゃん天才的! とばかりにそのまま添い寝を開始。あわよくば自分の魅力に僕がコロッといかないかなー、と。


「そういうことを考えていた、というわけか」

「全てオスカーさんの仰るとおりでございます」

「……それで?」

「いやー、狙いとはちょっと違いましたが、私の素肌をオスカーさんがぎゅっと抱いてくださったので、シャロンめは正直大満足でございました」


 すごくツヤツヤした表情をされた。

 くるくると、シャロンが恥ずかしげに指先を回すたび、影も楽しげにくるくる踊る。


 はぁー。

 嘆息する。この歳でため息が癖になりそうだ。


「変な策を練らなくても、僕はもうすでにシャロンを大事に思っているよ」


 これは嘘偽りのない、本当の気持ちだ。


 出会ってまだ1日と少し。意識があったのはほんの数時間でしかない。それでも、僕は自分でも驚くほど、シャロンのことを信頼しているし、同時に大切に思っている。

 恥ずかしいから、小声だけど。


「ーーシャロンという名を賜ってから、わずか1日と3時間18分20秒。こんなに立て続けに幸せな記憶をいただけるなんて。

 シャロンは間違いなく、幸せものです。

 いえ、世界一の幸せものかもしれません」


 恍惚とはこういう表情のことだよ、という見本にでもなりたいのだろうか。整った顔をうっとりと桜色に染め、夢見心地な蒼の瞳は何を映しているのか。

 ああオスカーさん、世界はなんて幸せに満ちているのでしょう、とか明後日の方向を向いてつぶやき出したシャロンはさすがに少し怖い。わりと本格的に怖い。


 どうやらシャロン記念日とはべつに、また何か新しい記念日ができてしまったようだった。

 そして、やはりというべきなのだろうか。シャロン記念日はずっとカウントされ続けていたようだった。


「シャロン。シャロンさーん。おーい。シャロンやーい」

「うえへへへへオスカーさんが私の名前を呼んでくださっていますー」


 美少女が出していい笑いじゃないからな、それ。


「なんですかー、あ・な・た(はぁと)。きゃっ」

「既視感あるぞ」


 いかん。いかんぞこれは。

 すぐにシャロンのペースーーそれも暴走気味であるーーに付き合わされていては。

 いい加減食べ物も欲しいし。


「とりあえず、その箱は開けて、中身をちゃんと身につけてくれ。

 今の状態だと目のやり場に困るけど、ちゃんと服を着ていてくれればもっとシャロンのことを見ていられる」


「はい。あなたのシャロンはもとより絶対服従ですが、そこまで言われて着ないという選択肢は皆無です。

 安易に脱がなくても魅力があることをオスカーさんに知らしめてみせます!」


 実にチョロいシャロンさんだった。

 簡単に人攫いとかに捕まりそうだが、大丈夫なのだろうかこの子は。


「えいっ」


 スパーン


 小気味良い音を立てて蓋が吹っ飛んでいく。

 ーー人攫いに会っても大丈夫そうだった。「えいっ」で飛ぶのが首に変わるだけだ、これ。


「ついでに食物の箱も開けてしまいますね」


 スパパーン


 シャロンさん絶好調である。


 食物が入っているという箱を覗き込むと、中には手のひらほどの長さの、棒状のものが何本も入っていた。

 それらの棒状のものは、銀のような、しかし半透明な膜に一本ずつ巻かれている。これは果たして本当に食物なのだろうか。


 半透明の銀の膜は、指で簡単に千切ることができた。この膜ひとつとっても、"時間凍結"とやらの技術にしても。僕の想像の埒外のものである。きっと、都市部へ行ったところでこのようなものを目にすることはない、と思う。

 これらは、まさしく失われし技術の産物なのだ。食べるけど。


 中から出てきたのは、やはり棒状であり、茶色っぽい塊だった。

 小麦を焼き固めたような、クッキーのようなものに見える。突いてみる。固そうな見た目とは裏腹に、指で触っただけでも表面がぽろりと崩れる。


 本当に食べ物なのだろうか。これは。


 食べて大丈夫か聞こう、とシャロンのほうに向き直り。


 その視線の先でハクイをはだけ、白い肌を惜しげもなく晒しながら箱の中を漁っている存在を認識するかしないかの段階で体ごと180度後ろ向きに回転する。

 今の回転は自分史上最速の回転だった、間違いない。うっぷ……。


「いやー、仕方ありません。これは仕方ありませんねー。

 私は着替える必要がありますが、私が部屋から出ると、ここは真っ暗になってしまいオスカーさんが困ります。

 ですから、私がここでそのまま着替えるのは仕方がないことですねー」


 随分楽しげに弁明するシャロンの声を背中に受けながら、僕は心を無にして茶色い棒をかじるのだった。


 味など、まったくわからなかった。

シャロンさんの機能そのいち、そのに。

指先照明、並びに指先プロジェクター。

「えいっ」はただの腕力です。


ソルテリは架空の食べ物です。

シチューとかポトフ的な何かを想像していただければ、それっぽいものです。

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