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僕と黒幕 そのさん

 紅々とした絨毯が敷き詰められ、壁には高そうな絵画が架けられた広い廊下を進む僕とダビッド。

 そうしてダビッドは、大きな額縁の前で立ち止まると、おもむろに僕のほうに振り返った。


「ヨハンくん。

 君のおかげで、私の計画は大きく狂ってしまったよ」


 ヨハンどの、からヨハンくん、へと敬称を戻したダビッドは、言葉とは裏腹にとてもにこやかだった。

 "全知"をもってしても、そこに悪意は認められない。


「ロンデウッドを検挙するには、あと数年は掛かると思っていたが。

 いやはやまさかこんなことになるとはね。

 特別功労者は私ひとり、というわけには行かなさそうだ」


 悪意は、ない。

 それは確かなはずだが、いま相対しているこの男は。

 あの応接間でこちらを怯えつつ会話していた者と、本当に同一人物なのか?

 そう見紛うほどに、彼の今の所作は余裕に満ち溢れている。


「あんたは、一体」


「安心してくれたまえ、どのみち私は君たちの敵ではない。

 君の言う通り、蛮族と、それを取り巻く金の動きや、圧力。

 それに気付いていたのは、何も君たちだけではないということさ。

 もっとも、相手は貴族だ。それも、保身にかけてはかなり周到ときた。これを憂慮していながら、手が出せずにいた者も、幾人もいたということだ」


 事実として、僕の知る情報の発端はカイマンが調べ上げたところに依る。


「いや。それでも敵ということになってしまうのかな。

 確実に検挙するために、それまでの間に苦渋を舐める人々のことを、見てみぬフリを続けてきたのだし、これからもその予定だったのだから」


 男爵の前で見せていた、僕の力に恐れをなしていたような態度は完全になりを潜め、実に堂々とした様子のダビッド。

 しかし、真実を語っているらしい相手に対し、僕も偽らざる返答をする。


「その苦渋を舐めた人間の一人としてはたまったもんじゃない、というのが正直な意見だな。

 ただ、それが即ち、あんたを敵とする理由にはならないよ。堅実に突き崩すしか方策がなかったのなら、何も手を打たないよりずっといい」


「実に理性的で、合理的だ。

 君はどこかで怒りを乗り越えたのだね。

 その歳で、それはさぞかし大変なことだっただろう。

 聡明で可憐な、あの少女のおかげなのかな?」


 僕がシャロンに大きく救われているのは事実だけれど、こと怒りに関しては直接の原因が美青年の友(カイマン)だというのが、なんだか妙にやるせない。


 ダビッドは、絵画を見上げながら、話を続ける。少し潰れたトマトのようなものがデカデカと描かれた、よくわからない絵画だ。


「それと。ひとつ恨み言を言わせてもらうとすれば、私の名を見破ったことだよ。

 とくに、ローヴィスの家名を言い当てられたのには焦ったものだ。

 ロンデウッドに聞かれていなくて、助かったよ。奴は愚かで臆病だが、それだけに保身にかけては周到だ。付き人のうちの誰かがそれを伝える前に無力化されたのでなんとか事なきを得たがね。

 まったく。ロンデウッドに伝えていた名のほうは、たまたま偽名でなかったから良かったようなものだ」


 偽名で通してた家名ではなく、たまたま偽名を使っていなかった、名前のほうで呼びかけられていたから助かった、ということらしい。とくに意図してのことではなかったが、結果として問題なかったので何よりだ。僕にとっては知ったことではないが。


「ローヴィスってのは、有名な家系なのか」


「一部では、それなりにね。

 代々、王都近衛騎士を排出している家柄、といえば伝わるかな」


 ダビッドの立ち居振る舞いが堂々とした、貴族としても通じる気品を持っていたことは、そういう理由だったらしい。

 となると、この男の潜入に関しては、王都でも有力な者の力が働いている可能性がある。


「私の出自をバラしたところで、そろそろ外の仲間に連絡を取らせていただきたいのだが。構わないかな」


 大きなトマトのようなものが描かれた絵画の額縁をダビッドが取り外すと、その裏には通信用の魔道具が鎮座していた。

 それは、ちょうどカイマンが馬車に積み込んでいたようなものと、同様の魔道具である。


「ああ。そういうことなら好きにしてくれ。

 べつにあんたとやり合いたくはないしな」


「助かるよ。

 もしやりあえば、どちらかは恐らく命を落とすだろうからね」


 自らが死ぬとは少しも思っていないのに、よく言うものだ。


 ダビッドはそこそこの剣の使い手? 冗談じゃない。

 一度も僕を剣の間合いから外さず、魔道具を操作している今も、一息で剣を抜きざまにこちらを断てる位置取り、角度を崩さない人間が、そこそこ程度なわけがない。


 シャロンならきっと苦もなく倒せるだろうが、遠距離で会敵しない限り、僕には分が悪そうな相手だった。倒すことは出来るだろうが、相打ちになりかねない。



「待たせたね、行こうか」


「ああ」


 魔道具の操作による連絡の成果だろうか。

 アーニャの居る部屋に入る直前に、整った動きの衛兵が僕らに合流してきた。

 4人しかいなかったが、一糸乱れぬなめらかな動きから、なかなかの練度であることが伺える。

 聞くところによると、全部で8名いるそうで、残りは1階部分の制圧を行なっているらしい。



 彼らは、僕が血みどろになっていたアーニャの"治癒"をしている間にも、半裸のままうずくまってピクピクしている魔術師をテキパキと拘束し、運んでいく。


「ねーちゃん、ねーちゃん」


 ぼろきれのみを身に着けた、小さな獣人。アーニャの弟である《ラシュ》は、不安そうな様子で、僕とアーニャの様子を交互にみていた。


 階下からは、腹に響くようなズズンという地響きが断続的に伝わってくる。それもまた、ラシュの神経を尖らせるのだろう。


 アーニャの様子が、痛みを堪えるものから安らかな寝息に変わったのを見て、僕もようやく肩を撫で下ろす。


 こんなにもアーニャが無茶をするとは、読み違えていたという他ない。

 僕やシャロンが向かうまで、出来る限りサポートに徹するものだと。そう彼女自身が言っていたためだ。


『ウチはカーくんシャロちゃんと違って強ないからな。あんまり危ないことはせーへんよ』


 潜入開始前に、アーニャはそう言っていた。

 しかし、目の前で弟が危ない目にあっていたら、そんな考えは吹き飛んでしまったのだろう。


「頑張ったな、おねーちゃん」


「んふふ〜」


 アーニャを抱き上げたまま、猫耳の間を優しく撫でてやると、彼女は眠ったまますごく満足そうな表情を浮かべるのだった。



 僕は未だ不安そうな表情のラシュに向き直ると、再びその頭をぽんぽんと撫でた。

 ラシュは身体を強張らせるが、恐怖というより戸惑いの色のほうが強いようだ。


「おねーちゃんは、もう大丈夫だ。

 いっぺんに治すことはできないけど、たぶん傷も残らないよ」


 すでに大きな傷は塞ぎ、剥がれたり割れていた爪も元通りとなっている。流れた血はすぐには戻らないが、流し込んだ僕の魔力が、しばらくは血液の役割を果たしてくれる。

 小さな傷は無数にあるが、それもアーニャの魔力が戻り次第、"治癒"することができるだろう。



「もう一人の、妹の方もきっと大丈夫だ。

 僕よりもっと強い人が、今迎えに行ってる」


 本来であればシャロンを単独行動させたくはない。

 アーニャが特に怪我なく無事に合流できていれば、シャロンとこのまま合流をはかるつもりであった。

 しかし意識がないアーニャを背負い、小さな弟を伴ったままでは、危険な場所に踏み込むのもまた、躊躇われるのだった。


 後ろにはダビッドとその配下が居るが、現状で敵ではないだけで味方というわけでもないのだ。

 あまり気を許せたものではない。



「やあヨハンくん。

 君の、あー。ペットちゃんの具合はいかがかな」


「おかげさまで。

 元気に寝ているよ」


「まさかそんな方法で侵入を果たすとは、いや、果たせるとは思ってもみなかった。

 侵入警報の魔道具は、わりと穴があるということだね」


 僕とシャロンの2人と、ペットが屋敷に入る承認をしたのは、ロンデウッド男爵の替え玉として指示を出したダビッドなのだろう。

 彼は、出し抜かれたというのにも関わらず、さも楽しそうである。


「穴っていうか、そういう魔道具だからな、あれは。

 人間の意図を汲んでくれると勝手に期待したら、そりゃ足元を掬われるさ」


 基本的に、魔道具は作られた通りに機能だけを提供するものだ。

 リーズナル家で見せてもらった魔道具と同じ類のものであれば、今回の欺瞞がうまく通るであろうことは、あらかじめわかっていたことである。リーズナル家で構造も見たし、魔道具で散々遊んだし。


「まるで見てきたかのように言うのだね。

 もしかすると――持っているのかな、君は」


 口元や目元は笑っているが、その実、ダビッドはこちらを淡々と伺っている。

 本当に気の休まらない相手だ。


「その魔道具のことなら、持ってないぞ」


「いや、魔道具のことではなくてね。

 そう、たとえば未来を知ることができる"神名"とかをさ」


「そんなものは持ってないな」


 答えながら、しまった! と気づく。が、すでに遅い。

 実際にそんなものは持っていないのだけれど、"神名"という存在を知っているということは、結構な情報なのかもしれない。

 つい、すぐに返事を返さなくてはならないような気になってしまい、失言をしてしまった。これも一種の威圧のようなものなのだろうか。


「ふうむ。なるほど、なるほど。

 嘘ではないようだ。

 しかし、大規模な蛮族や、悪徳貴族をも手玉に取る手腕に関しては、納得だとコメントさせてもらおう」


「そりゃ、どーも」


 "全知"越しでも、ダビッドが何か"神名"のような特殊な力を持っているわけではないことは、すでにわかっている。

 しかし人間、特殊な能力がなくとも技術でそれと渡り合うことができるものなんだな。少し、気を引き締めないといけない。緩めた気もなかったのだけれど。


「それにしても、ヨハンくんの付き人のシャーロットさんも大概のものだとは思ったが。

 君も、なかなかにデタラメな人物だね」


「そっくりそのままお返しするよ。

 なんだ、あのおどおどした演技」


「いやいや、私などとてもとても。

 無詠唱で結界魔術や治癒魔術が行えるような規格外の魔術師とコトを構えるなど、想像したくもないね」


 結界魔術のほうもしっかり見切られている。

 しかも、それをわざわざ僕にバラすあたり、敵対しても旨味がないことを重ねてアピールしているのだろう。周到なことだった。


「あんたの力があれば、そんなに時間をかけなくてもあんなボンクラ男爵、すぐに片付けられたんじゃないのか?」


「いやはや、耳の痛い話だね。

 私には、ヨハンくんが思うような力はないよ。

 たとえば、私には生きたまま外傷を残さず、毒も使わずに無力化する手段なんて持ち合わせはないからね。

 証拠も裁判もなしに行動に出たら、処断されるのは私のほうさ」


「その証拠ってやつを、今回の騒動で手に入れられそうだと?

 いざとなれば僕らに罪を被せればいいし」


 僕が切り返すと、それもさも予想通りだとでもいうように、ダビッドは片目を瞑って応える。


「概ね、その通りだね。

 もっとも、いかにシャーロットさんがいかに強くとも、無限再生する魔導土兵を超えられるというのは望み薄だ。

 そろそろ、私の部下たちを投入させるべきタイミングと思うが」



 僕らがそんなやりとりをしていると、ラシュの足元に落ちていた板から、とつぜんシャロンの声が聞こえ出した。

 耳から尻尾から総毛立ったラシュは、ピュンと僕の後ろに回り込んでしまった。びっくりするよな、そりゃ。


『――えますか。聞こえますか。

 いま、あなたの板に直接語りかけています』


 板を介して声を飛ばすやり方は特にシャロンに教えた覚えはなかったが、僕とアーニャのやりとりである程度察したのだろう。

 うちのシャロンは賢いのだ。


「聞こえる聞こえる。

 どうした、何かあったか」


『いえ、ご報告です。万事、つつがなく。

 地下にいた土塊は、やっつけて砂になりました。

 コアは視たいかもしれないと思ったのですが、あれがあったら再生されたので潰しました。申し訳ありません』


「いや、いいよ。そっちは無事?」


『ええ、無傷です』


 その僕らのやりとりに、驚愕といった表情で食いついたのは、先ほどまで相手をしていたダビッドだ。


「声を自由に届ける魔道具というだけで驚異的なものだが、まさか無傷で魔導土兵を退けるとは。

 しかし、その奥の部屋には強力な結界が張ってあってね。

 それは決まった手順で男爵が触れれば一時的に開錠できる仕組みになっている。この手順を解析するのに半年は掛かったのだよ。

 部下に命じて男爵を運ばせるので――」


『あ、壊しましたよ、結界(それ)


 僕とシャロンの会話に割り込んできたダビッドが絶句している。いい気味である。


「よくやった。

 アーニャの妹は無事か?」


『はい。空腹で若干衰弱されていますが、命に別状はありません。

 これよりそちらに帰投します』


『おねーちゃん、ラシュ。

 アーシャは大丈夫、なのっ』


 聞き覚えのない、少し掠れてはいるが軽やかに弾む少女の声に、僕の後ろに隠れていたラシュがぱたぱたと板の側に戻っていく。


「シャーねーちゃん、あのね、ねーちゃんがね。かったよ」


 ふさふさの尻尾が、ぴこぴこと嬉しげに揺れている。

 ラシュに板を持っていてもらうことにすると、小さなその手でしっかりと板を抱え、その目は使命感に燃えている。

 そんなにしっかり持っていなくても逃げ出したりはしないのだけれど、なんとなく微笑ましい。



「僕らの方の目的は達した。

 "商品"は受け取ったし、おいとまさせてもらうぞ」


 気持ち良さそうに眠るアーニャを背負うと「あかんてー、カーくんそんな。シャロちゃんが見てるし」とむにゃむにゃ寝言を言ってらっしゃる。

 現在進行形で弟くん(ラシュ)にまじまじと様子を観察されているのだが、どんな夢を見ているんだか。


 微妙に驚愕から立ち直っていないダビッドに対して暇乞いをすると、彼はようやくわたわたと慌て出した。もっとも、慌てている演技かもしれなかったが。


「いや、えっと。

 せめて君たちの連絡先を聞いておかないと――いやいや、べつに罰しようというわけではなくてね。

 おそらく功労者となるだろうし、ええと」


「証拠保全しに行かなくていいのか?

 男爵もその取り巻きも、ずっと寝ているわけじゃないぞ」


「あああ、もう。

 まったく。君たちは本当に、私の計画通りに動いてくれない。

 わかった、わかった。私はもう行く。

 だからせめて。君の名と、連絡の付け方だけは教えてくれたまえ。探し出すのは手間だからね」


 仕方がないので、リーズナル家の紋が入った書状を見せることにする。

 アーニャを背負ったままなので、"倉庫"から取り出すだけでも一苦労だ。


「僕はオスカー。オスカー = ハウレルだ」


「よろしく、オスカーくん。

 私はダビッド = ローヴィス。またいずれ会おう」


「できればその機会がないことを祈っているよ」



 にこやかに笑いかけてくる食えないおじさんと握手を交わし、無言であくせくと動き回る彼の部下たちを横目に。

 アーニャの妹を抱き上げたシャロンとも階下で合流し、僕らはロンデウッド邸を後にしたのだった。

 たぶんもう二度と、訪れることもないだろう。



 ただ、まあ。

 僕らの苦労など、目の前で涙を浮かべながらじゃれあう獣人妹弟の姿を見られただけでも、十分に報われたものだと思う。


 僕の隣に寄り添い歩くシャロンも、うっとりとした表情で、僕のほうに小首をかしげてくる。


「なんだか、オスカーさんが嬉しそうです」


「そりゃ、まあな。

 はじめて、蛮族とその一味の連中から取り返したんだし」


 シャロンは、そんな僕の様子に、ふふっと微笑む。優しく、どこまでも優しく。


「無事に帰り着くまでが、遠征ですからね」


「ああ。本当は特に帰る場所なんて、僕らにはないんだけど。

 リーズナル家やゴコ村の面々には、報告しにいかなくっちゃな」


「ええ。美味しいものを食べる約束も、ありますし」


 そういえば、そうだった。

 ちょうどそんな話をしていたタイミングで、獣人3姉弟の腹の虫が、くぅ〜と情けない音を立てる。

 若干一名はまだ僕の背中で寝こけたままだが、笑い合うきょうだいの様子はとても微笑ましいものだった。


「何はともあれ。まずはご飯だな」


「はい。そうしましょう。

 賑やかに、なりますね」


 一人でもそもそと、シャロンに見守られながら保存食を食べていたときに比べて、思えば遠くに来たものだった。

 その次は、星空の下で、シャロンと噛み切りにくい肉を食べ。


 シャロンとふたりだけというのに不満があったわけでは決してないのだけれど。

 賑やかな食卓というのも、なかなかに心踊る響きなのだった。

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