僕と黒幕 そのに
「さあ、楽しい交渉の続きをしようか」
僕は、この場の仕切り直しをかける。
その間もアーニャは順調に屋根裏通路の制圧を行っているようだ。
彼女の位置は常に"探知"しており、彼女に持たせた板との位置が離れたら、僕が"倉庫"を介して向こう側の板のある位置に、空気の内訳をいじる結界を展開する取り決めになっている。
僕の手元の板から"倉庫"に繋ぎ、そして"倉庫"を介して向こう側の板へと魔術を放り投げるのだ。
シャロンに持たせてある板を一時的にアーニャに貸そうと思ったのだけれど、シャロンが板を手放すのを嫌がったため、"倉庫"から接続する用の板を何枚か新しく作ってある。
それらの予備の板は屋根裏の要所に仕込んでくるようアーニャには指示を出しており、それも問題なく行われているようだ。
アーニャに渡してある板は、板側から"倉庫"に接続することはできず、"倉庫"側から板に接続ができるのみのものだ。仮に発見されたところで、さしたる問題はない。
この仕込みは、交渉が終わったあとの保険としての意味が強い。使わずに済めば良いが、この分だときっとそうはならないだろうな。
アーニャは彼女に割り当てられた仕事をきっちりとこなしている。
こちらも、落としどころを上手く誘導していかねばならない。
「交渉をお望みというのは――まずは蛮族討伐の報酬のお話ですかな。
いやはや、"紅き鉄の団"には我々もほとほと手を焼いておりましてな。市井を徒に混乱させるわけにもいかず、その存在は伏せることにしていたのですが」
愚かな主人ではなく、自身が交渉を執り行うほうが安全であると判断したのだろう。男爵の背後に控え直したダビッドが、まず先に切り出してきた。
なかなか悪くない言い訳だ。こちらの出方を伺いつつ、男爵の先の発言ともなるべく相違がないようにしている。
「それと、情報の提供だな。
どうやら、その蛮族に指示を出してた黒幕が居るらしい。しかも、それはどこぞの貴族だとか」
後を継いだ僕の言葉に、仰々しい身振りで応じるダビッド。眉間に皺を寄せ、かぶりを振り。
大した役者である。その意図するところまで"全知"で筒抜けでなければ、あまりやり合いたくない相手だという第一印象は、やはり正しいらしい。
「ほう。なんということだ。
それが本当であれば、大層由々しき問題ですな。
しかし、貴族を告発するなど。もしこれが偽りであれば、その咎は鞭打ちなどでは済みますまい。
いったい、どちらから齎された情報なのですかな」
「そ、そうだ!
貴様など、斬首だ、斬首刑にしてくれる」
ダビッドの牽制の尻馬にのって騒ぎ出す男爵と、一瞬固まって頭を抱えるダビッド。"全知"越しに、悪態をつきたいのを堪えているのが伝わってくる。なかなかのキレ者であろうに、哀れなことだ。
そうそう何度も愚かな横槍を入れられては、進む話も進まない。僕も深く溜息をつく。後ろからシャロンが頭を撫でてくれるが、今はそういう状況でもない。
「なるほど、なるほど。これは交渉は無理そうかな?」
あくまでも、この場の主導権はこちらにある。
この部屋から出さないのは僕の一存だし、下手な牽制はむしろ悪手と知れ。
「ヨハンどのぉお!
主は最近少しばかり斬首にはまっているだけなのです、そう結論を急がれずともよろしいのではないですかな!」
さすがにそれは厳しいだろう、いろいろと。
斬首にはまっている領主とか、嫌だぞ、僕は。
男爵の発言は軽く流して話を進めましょうよ、というダビッドの思念には、悲しいかな同意である。なんで敵側と通じ合わねばならんのか。
"念話"でアーニャに獣人の反応を伝えつつ、ダビッドにも釘を刺しておく。いろいろごちゃごちゃになってしまって、気を抜くとアーニャへの指示を口に出してしまいそうだ。
こんな忙しいことになるとは予想していなかった。シャロンから"念話"を飛ばせるようにする魔道具を作っておけば良かったなぁ。
「ダビッド、どんどん自分たちの心象が悪くなっていることは、覚えておいて欲しい。
それとシャーロット。今は頭を撫で撫でしないでくれ」
「あら。申し訳ありません。
ヨハン様を斬首にするなどと、恐ろしいことを仰るなぁと思いまして。
何より恐ろしいのが、私とヨハン様が斃れるまでに、この町に生きている者がひとりでも残っていると思う浅慮さでございます。生き残る者がおらねば、斬首はできませんもの」
あ、これシャロンも怒ってるやつだ。
なりふり構わなければそれも容易だけれど、もう僕にはシャロンとの協力魔術は、滅多なことがない限り、使わないと決めていた。
あれがなければ、さすがに根絶やしにするのは多少なりと骨が折れる。
「町の人にはとくに恨みもないし、やりたくないなぁ。
まあ、この話がどうなるか次第だね」
"紅き鉄の団"の本拠地がどういう顛末を迎えたかを彼らが知っていれば、それなりに脅しとして機能するのだろうけど。
その情報がまだ齎されていない現状としては、単に虚仮威しと思われるだけだろう。
「はん! 身の程も弁えずに言いおるわ。
我輩の配下には宮廷魔術師並の手練や魔導土兵が控えておるし、そこのダビッドにしてもそれなりの剣の使い手よ」
わざわざこちらに戦力の多寡を教えるなど、阿呆なの? 馬鹿なの?
せっかく情報を漏らしてくれたので、魔導土兵とは? と思考を読んでみたら、どうも土塊で作った番兵のようなものであるらしい。なんでも、水に弱いとか。
"全知"で相手の手の内が読めるというのは、本当にずるいものだ。全く脅威に感じない。駆け引きも何もあったもんじゃない。
シャロンと同等の存在が出てくるのかと思って少し身構えたが、そう警戒するには値しなさそうだった。
そして、読み取れたのはその情報だけではない。隠してある裏帳簿が表沙汰になる前に僕らを亡きものにする算段を立てているらしい。交渉カードが増えた。
「そっかー。それは怖いなぁ。
じゃあダビッドにも寝ていてもらおうかな?
無事に目が覚めるといいね」
「いやぁあ、はっはっは。ヨハンどのは、ご冗談がうまくていらっしゃる!
私など、とてもとても無害な、居ても居なくても変わらぬような存在です。
さ、さ。どうぞお話の続きをなさいませ」
どうにか穏便に話を片付けたいダビッドは必死である。
本当に居ても居なくても変わらないような相手なら、むしろ邪魔なので寝かしつけるべきなのだけれど。
悲しいかな、そうしてしまうと男爵相手に交渉が上手く行くイメージが全く湧かないのだった。
「あー、んじゃつまらん脅しはナシで頼むな。
それで交渉が上手く運ぶ相手かどうか、あんたならわかるだろ」
「ええ、ええ! それはもう!」
調子の良い男だ。しかしこれも、それなりの場数を潜ったからこその身のこなしなのだろう。
自らの状況を冷静に判断し、柔軟に対応できる者は、生き残る力に長けている。
「話を戻すぞ。
どうも、その蛮族に指示をしていた貴族ってのは、討伐隊が組まれるのを邪魔したり、蛮族が攫ってきた者を奴隷として売り捌いて利益を得ていたとか。
そして、その帳簿が秘密の地下室に隠してある、とかな」
「――なるほど。それは、それは。
本当に、由々しき問題だね。いや、本当に。
それが事実なら、いや。まどろっこしいのはなしにすべきだな。
それが事実だとして。ヨハンどのは、我々に何の交渉を持ちかけるつもりなのですかな」
完全に挙動不審になっている男爵のかわりに、やはりダビッドが答える。
ようやく、こちらの目的の話ができそうだった。
男爵は「こんなはずでは」とか「こやつを消してしまえば」とかぷるぷる震えながら小声で口走っているが、この場にはそれに応える者は居ない。
「あんたらのところに運び込まれた獣人、2人。
これを譲っていただきたい」
「――それだけ?」
「ああ。
その分の金も支払ってやろう。
あんたんとこの奴隷は、1人あたり金貨3枚なんだったよな?
とびきり上玉なうちのシャーロットでさえそうなんだ。獣人2人に金貨6枚。泣いて喜べ」
眼前で口をぱくぱくとさせる男爵と、対照的に拍子抜けな表情を浮かべるダビッド。背後ではシャロンがくねくねしているようだった。たぶん『とびきり上玉』発言に喜んでいるのだろう。
でっぷりとした男爵の目の前に、"倉庫"から取り出した煌めく金貨6枚を、そのまま叩き付ける。
男爵は真っ赤な顔で口の端に泡を飛ばしながら、最後の悪態をついてきた。
「ゆ、許さんぞ、貴様、小僧、こ、この――」
「僕は、許してやるよ。今回だけはな。
僕が外道に堕ちれば友が悲しむらしいし」
自らの誇りをかなぐり捨ててでも、友のためだと言ってのけた彼を思い出す。
彼の思いを無にしないためにも、ここで矛を収めるのなら、僕はこれ以上の手出しをするつもりはない。保険は打たせてもらうけどね。
「ただ、二度目はない、と思ってもらおう。
僕らに今後、危害を加えるそぶりを見せた場合。それなりに、抵抗をさせてもらう」
やはり口をぱくぱくとさせる男爵と、何やら思案顔のダビッド。
その時、少し離れた東の部屋で、わりと強めの魔力反応があった。次いで、爆発音のようなもの。
それに反応して、まず口火を切ったのはダビッドである。
「む。ヨハンどのへの引き渡し前の商品が黒焦げになってしまってはまずいですな。
もうお代はいただいているわけですし」
「なっ、きっ、貴様、ダビッド。どういうつもりだ。
この逆賊の小僧に売るものなど何もないわ、さっさと首を刎ねて――」
「ヨハンどの。どうやら男爵様は随分と眠そうです。
以後は不肖私が取り仕切らせていただきます」
「わかった、それでいい」
元よりダビッドとしか交渉は成り立っていなかったようなものだ。
男爵にも伝えることは伝えたし、もう無理に起きていてもらう必要もなかった。
速やかに空気を弄って意識を刈り取ると、男爵はそのでっぷりとした体を、ソファの前の机にしたたかに打ち付けることとなった。
倒れ伏す男爵に、シャロンはぺろっと舌を出して、ざまーみましたか! みたいなそぶりをしていた。そんな子供っぽい振る舞いまで可愛いシャロンだった。
「僕としては、一刻も早く商品の状態を確認したいな。
傷物になってちゃかなわない」
「ええ、それはもう。
しかし、商品の1つは男爵様しか開けられないお部屋におります。
男爵様をそちらの部屋にお運びするためにも、人を呼びたいのですが」
ふむ、どうやらこの男、地下の男爵しか入れない部屋から何かを奪取したいらしい。
知らぬ間に僕らには関わりのないことの片棒を担がされそうになっており、やはり強かな男である。転んでもただでは起きないというか。
こちらに獣人2人を引き渡すつもりはあるようなので、べつにその提案に乗っても良かったのだけれど。
しかし、どうやら魔術師と相対しているらしいアーニャのほうが急を要する状態のようだった。
先ほどの空気をいじった結界は避けられてしまったのだろう。魔術師の反応は健在であった。
そこの男爵が喚いていたように、それなりに手練なのかもしれない。
追加で"剥離"を送っておく。相手がそれやりに手練の魔術師であっても、抗魔している隙に、アーニャなら一旦逃げて体勢を整えるくらいの余裕が出来るだろう。
かと言って、長く放っておくわけにはいかない。
「いや。まずは僕と一緒に爆発があった側へと来てもらおう。
うちのペットがお宅のお抱え魔術師と遊んでいるみたいだからな。仲裁できる者がいたほうがいいだろう。
その間に、もう片方にはシャーロットを向かわせるが、構わないな?」
「構いませんが――地下への隠し扉も、その様子だとご存知のようですね。いやはや、あなた方は一体何者なんですか。
地下には、男爵の秘密部屋を守るモノがおります。どうかお気をつけて」
「その守るモノというのは、さっきの魔導土兵ってやつか。向かって来たら壊しても構わないか?」
「壊せるのであれば、どうぞご随意に」
妙な物言いだ。
この男が男爵の忠実なしもべでないことは、これまでのやり取りでわかっている。
それは自身の保身のためだとばかり思っていたが、そうかと思えば屋敷の防備を壊しても良いと言う。
破れかぶれになっているわけでもなさそうだし、魔導土兵は決して壊れないと思っているからこその物言いなのだろうか。"全知"で読み取れる表層意識では、なんとでも取り得る情報なため、いまいち判然としない。
「そういうわけだ。
シャーロット、頼むぞ。僕はペットを迎えに行く」
「はい。仕方がないですね、任されました」
今までのように二つ返事ではない。
昨日のやり取りを経て、シャロンも何かしら変わっていこうとしているのだろう。それは、喜ばしいことだ。
颯爽と部屋を飛び出していったシャロンを見送り、僕もダビッドとともにその部屋を後にした。
部屋の中には、幾人もの倒れ伏す男たちの静かな寝息だけが残された。




