閑話 - 私の不調 そのに
明日には町に到着するだろうというあたりまで歩いて、この日は野宿をすることとなりました。
ガムレルの町で買っておいたテントを"倉庫"から引っ張り出し、森の中のそこそこ拓けた場所に設置します。
オスカーさんと2人で密着して寝られるように、少し小さめなテントを購入したのが裏目に出ました。3人だとぎゅうぎゅうです。
そのうえ、今は鳥が居ます。鳥は"倉庫"に居てもらえばいいかもしれませんが、どのみちテントはとても狭いです。
私には睡眠が必要ないので、オスカーさんとアーニャさんにテントを使ってもらうことはできます。
しかし、それは可能というだけです。却下です、即却下です。
オスカーさんとアーニャさんが小さめなテントで寝るなんて、だめです。だめだめです。誰ですか、こんな小さなテントを買ったのは。
オスカーさんは、薪を探しに行きました。
本来なら私がやるべきなのですが、アーニャさんとテントを張ることを頼まれてしまったので、そうも行きません。顔を合わせにくいというのもあるのでしょう。
夜、テントで寝るときまでにはなんとか元通りになっておきませんと。そうしないと、オスカーさんとアーニャさんがしっぽりと洒落込んでしまいます。いけません、いけませんよそれは。
「これ、ウチら妹弟が住んでたおうちみたいで、なんか好きやなー」
「そうですか」
獣人と呼ばれる人々がどんな居住環境で生活していらっしゃるかは知りませんが、毎日これだと身体に悪そうです。いかに雨風凌げ、床に布が引いてあるとはいえ、地面の固さはその身に伝わってきます。
「今日の食べ物はあるん?
やっぱりそこの鳥食べるん?」
「心配無用です」
"倉庫"の中には、水や食料の蓄えもあります。
おなじく安置されているご遺体は氷で覆われていますし、気分以上の問題はないでしょう。
「なーなー、シャロちゃん。
このおうちはどっから出てきたん?」
「オスカーさんのお力です」
"倉庫"のお話は他人にはしないようにしよう、というオスカーさんとの約束があります。必要であれば、いずれオスカーさんからお話があるでしょうし。
「そっかー。カーくんはすごいねぇ」
「そうでしょう、そうでしょう!
この間も、寂れた村に水路を作ったり、跳ね橋を作ったりともう大活躍だったのです。
村の人たちも大喜びで、それだけじゃなくってオスカーさんはお料理も出来るんです。"全知"の力を使いこなして、とっても美味しいお料理を――む。何がおかしいのですか?」
何がおかしいのか、アーニャさんはケラケラと笑い声を上げるのでした。
「あにゃー。すまんすまん。
シャロちゃん、カーくんのことになると元気やなぁと思ってな」
「そうですか?
いつも通りだと思います」
それにオスカーさんの素晴らしさみたいなのが滲み出してしまうのは、ある程度不可抗力でもありましょう。
「たしかに、いつも通りなんやろなぁ」
ひとしきり、笑われました。解せません。
ややあって、アーニャさんは再び切り出してきました。
テントは完成してしまったので、お互いに手持ち無沙汰です。アーニャさんは足下に居た鳥をつついていますが、ややうざそうにされています。
「あのさ。シャロちゃんて人間とは違うん?」
「はい。私は魔導機兵、人間に作られた存在です」
「すっごいなー。人間にしか、見えへんのやけど。
だからめっちゃくちゃ強いんか。カーくんも、そうなん?」
「いいえ。オスカーさんは、人間です」
「ええ。カーくんもめっちゃくちゃ強いのに。
そっかそっかー。あ、わかった、シャロちゃんを作ったんがカーくんなんやな?」
「いいえ。違います」
「あえ。違うんか。じゃあ、なんでシャロちゃんはそんなにカーくんのこと――あ、あだっ。こいつ噛みよる!」
「ピェッ!! ピェェエッ」
「あだっ、ちょ、こいつ。あだっ。ウチが反撃せーへん思って、こっ、あだっ」
「ピェェー!!」
「ふしゃー!!」
「ピ」
ふふん、わかればええねん、みたいなドヤ顔をされましても、怪我している野鳥と同レベルで争いを繰り広げていた後では、なんともコメントをしがたいです。
「ふー、ふー。
なんやったっけ――今日のご飯の話やったっけ。
ちゃうわ、カーくんとシャロちゃんの関係の話やった」
「それが、どうかされましたか?」
アーニャさんが、何を疑問視されているのかがわかりません。
私にはわからないことが、すぐに出てきます。落ちこぼれでない魔導機兵なら、こんな疑問とは無縁なのでしょうか。
「シャロちゃんとカーくんって、どういう関係なん?」
「見ての通り、私はオスカーさんのエロ奴隷ですが」
「どこをどう見て取ったらそうなるんやろ」
あら。少し願望を盛り過ぎました。
「オスカーさんは、私のマスターです。
首輪などで隷属しているわけではないですが」
「ますたーってのは何なん。
どうしたらそのますたーになるん?」
どうしたら?
どうして、オスカーさんが私のマスターなのか。
「私を起動してくださったから、でしょうか」
「あにゃー! またよーわからんこと言う!
じゃあ、たとえばそのキドーを、あの、カイ……カマロン……? なんとかいう、ご飯を奢ってくれたにーちゃんが、今度会ったときにしたらシャロちゃんのますたーはご飯のにーちゃんになるんか?」
誰のことを言っているのでしょう。いえ、だいたいわかるのですけれど。
カマロン。私が製造されるより遥か昔にあったという、お菓子の名前に似ています。
それに、あの方が私のマスターに、ですか。
どんな方であれ、オスカーさん以外が私のマスターになる、というのはなんだか凄く嫌です。
「そんな露骨に嫌な顔したりなや」
「いいえ。次に私が長い眠りに就く事があったとしても。
誰に起動されたとしても、オスカーさんが私のマスターです」
きっと。おそらく。
そうであって、ほしいです。
そのはずだ、と思います。
しかし。
もし、これが私の初起動ではなく。
以前の起動時の記憶を、すべて忘却しているのだとしたら。そのときに、別の私の意識が、別の方をマスターとして慕っていたのだとしたら。
私は。私が。
この私としての思いが、次の長い眠りのときには消え去ってしまうのだとしたら。
このとき、私は確かな恐怖を感じたのです。
私が恐怖を感じるのは、2度目のことです。
1度目は、研究所の地下でオスカーさんが結界に囚われたとき。
そして、今回が2度目。私が、私であり続けられるかどうかが、わからない。
『僕のせいだ……ごめん、シャロン。ごめん……』
数時間前。オスカーさんは、そう言って、とても悲しそうに私に詫びました。
そのお顔は今もメモリに焼き付いて離れません。
もとより、私はオスカーさんの一挙手一投足は全て記憶しています。ですが、その中でも鮮明に、克明に思い起こされるのです。そのたび、私のコアブロックは悲しくて軋みをあげるような錯覚を覚えます。
宝玉の魔力を使い切ったとき。
再び、私は長い眠りにつくこととなりましょう。
そして200年は保つと思われた魔力の貯蔵は、わずか10日で半分を下回りました。
それは、決して『調整したから大丈夫』というものではないかもしれないのです。
『僕は、シャロンだから一緒にいたいと思ってるんだ』
私が私だから、オスカーさんは一緒にいたいと言ってくださいました。
「あ……」
「ん。どしたんシャロちゃん」
それは。きっと、この意識を喪って、身体だけが私モノが側にいるというのは。
オスカーさんが望まれるところでは、ないのでしょう。
その場合であっても、オスカーさんが一体の魔導機兵を従えているという事実は今と変わりません。ですが、それは私の身体であっても、この私ではないかもしれない。
この私の身体で。オスカーさんが可愛いと言ってくださった私の顔で。オスカーさんが奇麗だと言ってくださった私の瞳で。私じゃないモノが、オスカーさんに愛されるなど。
考えるだけで、恐ろしいことでした。
「ぅ……あ、――あぁあぁあ!!」
「え、シャロちゃん!? シャロちゃんてば!
どしたん、どっか痛いん!? しんどい!? おねーちゃんのおっぱい揉む!?
シャロちゃん、シャロちゃん!」
「あぁぁああ――!!」
声が、漏れます。
怖い。怖いです。
私が、私でなくなるのが、怖いです。
「カーくん、シャロちゃんの様子がへん!
どうしよう、ウチが何か言ったからかもしれん、カーくん!」
「ピェッ、ピェェー」
私は魔導機兵だから。
その設計思想は、完璧な兵士。
食糧を必要としない。睡眠を必要としない。高度な演算能力を有する。友軍との無線通信が可能。自立移動が可能。電子工作が可能。疲労を感じない。ストレスを感じない。戦場にあっても、男女問わず主人に抱かれることが可能。性病に罹るリスクがない。人権リスクが生じない。
私はマスターに必要とされたかったのです。
それは、魔導機兵として作られたモノとしての性のようなものでありましょう。
しかし、それは同時にマスターが満足すればそれで良いはずでした。私ではない私でも、目的は達せるはずのものです。
でも、私は。
この私でない私が、オスカーさんの隣に伴に在るというのは、嫌でした。
きっと、オスカーさんの仰っていたのは、そういうことなのでしょう。
私は、マスターの魔導機兵としてではなく、シャロンとして愛されたい。
同様に、オスカーさんは。マスターだからとか、マスターとして慕われたいのではない、のですね。
「シャロン!」
大好きな声。
私を呼ぶ声。私に名前をくれた方の、私のマスターの。ううん、オスカーさんの、声。
アーニャさんに呼ばれて、慌ててやってきたのでしょう。
あちらこちらに、薪がばらばらと散らばってしまっています。
「どうした、大丈夫か?」
そのお力を使えば、きっと私の身体機能に問題がないことは、すぐに理解るはずです。
でも、オスカーさんは私に問いかけます。
前から少しばかり疑問でした。でも、いまはなんとなくわかります。
機能としてではなく、私という個の意見や、思いを。聞きたいがため、なのでしょう。
わからないことが、少し。少しだけ。わかるように、なりました。
駆け寄っていらっしゃったオスカーさんの腕の中に、ぽすっと身を預けます。
「オスカーさん」
「うん」
「この戦いが終わったら、結婚しましょう」
オスカーさんが身じろぎ、動揺が伝わって来ます。
「えっと。そういう話はもっと落ち着いてからにしない?
なんていうか、すごく死にそうな言い回しで不安なんだけど」
どくん どくん
オスカーさんの、心音を感じます。
いつもより少し速いその脈拍に、愛しさがこみ上げてきます。
「私は」
何を伝えようとしているか、自分でもよくわからなくって。一度言葉を切ります。
「私は、オスカーさんが好きです。大好きです」
「――うん。ありがとう」
「今、この場でおっぱじめても良いくらい大好きです」
「ウチ、さすがにそれは勘弁してほしいにゃあ……」
「ピ」
アーニャさんは、再び居辛そうに鳥をつついています。
鳥もウザそうにはしていますが、されるがままになっているようです。
でも今は。オスカーさんだけを感じていたいです。
「オスカーさんが私のマスターだから、というのもあるのかもしれません。
でも、私はオスカーさんが好きなんです。他の人が私のマスターになるとか、嫌なんです」
自分でも何が言いたいのか、ちょっとよくわかんない感じになってしまいました。
でも、その私の葛藤まじりのとりとめのない言葉を、オスカーさんはじっと聞いていてくださいます。
どくん どくん どくん
――ああ。
オスカーさんの心音は、とても安心できます。
「私が、私だから一緒にいたいと言ってくださったこと。とっても、とっても嬉しいです。
先ほどは、その違いがよくわからなかったのですが、今は。うまくは言えないですが、なんとなく、わかる気がします」
「そっか。――うん。そうか」
ふわり。
優しく髪を梳いてくださる指の感触に、頬が緩みます。
なんとなく、でしかないのですけれど。
こうやって、一歩ずつでも。お互いのことを知っていきたい、そう思います。
結局のところ。
この日の夜は、川の字というにはいささか密着し過ぎな状態で、3人で寝ました。
オスカーさんは『狭いな』とぼやかれましたが、私がしっかり抱きついても、いつものように逃げ出したりはしませんでした。
一歩ずつ、一歩ずつ。私たちは進むのです。
次回から、ようやく本編に戻ります。




