閑話 - ウチの潜入作戦 そのに
煙突を抜けて、屋根裏のようなスペースに設けられた秘密の通路っぽいのを、ときに忍び足、ときには這って進む。
通路は入り組んでて、今どこを進んでるのかよくわからへんくなる。ちょっと休憩。
ウチの体は這って進むのにあんまり適してない。煙突もわりと苦しかったし、たぶん煤で真っ黒になってる。
でもまあ、這って進むのには不便やけど、おっぱいのおっきさだけはシャロちゃんに勝ってるので、カーくんがそういうの好きやったらええなとも思ったりする。
――いやいやいや。今はそんな場合やなかった。
あまりに指が痛いからって、ちょっと意識が逸れすぎな気ぃする。もっとしっかりせーへんと。
秘密の通路っぽいのは、屋根からいろんな部屋の中が覗ける、ちっさい隠し扉みたいなのがそれぞれついとるみたい。
そのはしっこから漏れてくる光だけでも、ウチの目には十分な灯りになる。
猫人族の面目……えっと、うーん? 猫人族のすげーってなるとこやね。
薄明かりに照らされて、さっき壁を登るときに剥がれた爪のあたりから血が垂れてるのに気づいた。
目にしてしまうと、ずっとじくじくと感じてた痛みがさらにぶり返すみたいにわーって来る。
『大丈夫か、アーニャ』
答えても聞こえんはずやのに、カーくんはこっちのことを心配してくる。
ただの声やのに、なんとなく元気が出て来るから不思議やなーって思う。
指も後で治してもらえるといいな。もうちょっと、がんばる。
『そのあたりから左に曲がったら、僕らが今いる部屋の上に着くと思う。
暗殺者っぽいのが2人いるみたいだから、気づかれないように気をつけて』
左っていうと、ナイフを持つ方の手じゃない側のはずやから、こっち。
言われた通りに、狭い通路をちょっと進んでいくと。
ふんふん、なるほど。
たしかに、暗い通路の中で、ふよふよ光ってる黄色い光が2つある。
敵と遭ったときの取り決めの通り、ウチは胸の間に仕舞っておいた板を取り出すと、敵のいる方に向かってポイっと投げた。
板は、ちっさい音を立てながら、敵の足元あたりに落ちる。ウチわりとすごない?
敵は、物音の原因を探ろうと、きょろきょろしてるみたい。
でもそのすぐあとに、板が一瞬紫色っぽく光ったかなー、と思ったら敵はふたりともその場にどさどさっと倒れた。
『無力化完了。例のものをそのへんに隠しておいて。
あとは板を拾って、ちょっと引き返したところで左に行ってみてほしい。
その下の部屋に獣人の反応がひとつある。
もう一人はどうも地下が怪しい、そっちにはなんとかしてシャロンを向かわせる』
わかった。
聞こえるはずも、こっちが見えるはずもないカーくんに頷きを返すと、ウチはさっき投げた板をもっかい胸の間に挟み込んだ。
かわりに、あらかじめカーくんに渡されてた似たような板を、見つかりにくいように柱の陰のらへんに置いておく。
隠し小窓からは、でっぷりとした男に対して、すごい態度でっかく椅子に腰掛けるカーくんと、そのそばで澄まし顏のシャロちゃんが見えた。
ふたりとも、一瞬だけこっちをちらっと見て、にっこり笑ってくれた。ような気がした。
ウチはいま、前と同じで一人っきりやけど。
なんか、ぜんぜん違う。めちゃくちゃ心強い。
だから。ウチはまだ、頑張れる。
カーくんから指示された部屋の上までごそごそと這っていくと、そこでは今まさにアブナイ状況にある弟が目に入った。
なにかふりふりのついた服を押し付けられ、今にも泣きそうになってる。
弟は10歳になったばかりで、ウチとはあまり似てないふわっふわの白っぽい髪をしていて、痩せてるけど愛嬌のある可愛い弟やった。
女の子っぽく見えるかもしれへんけど、やんちゃざかりの男の子。
そんなラッくんが、女物っぽいふりふりした服を、半裸の男によって着せられそうになってるっていうよくわからん状況やった。
意味はわからんけど、弟が危ないのは確かやった。
ウチは、その部屋の小窓から、もっかい取り出した板を男に向かって放り投げる。
板は、確かに紫色に光った。けど、男はその場から一気に飛び退くと、天井の小窓――こっちを睨みつけてきよった!
気付かれた! しかも、無力化できてへん!
「〜……」
何を言ってるのかは聞き取れへん。
でも、あれが何かは知ってる。
魔術師の、詠唱。
ウチらの、獣人の、天敵。
ばばばっと左右を見渡してみても、狭い通路が続いて、逃げ隠れできそうな場所なんてない。
カーくんみたいに、居場所を見つける魔術ができる相手やったら、確実に見つかる。
そうでなくたって、この狭い場所で爆発でもされたら、ウチには避けようがあらへん。
逃げることは、できる。
弟を見捨て。
妹を見捨て。
ウチらのために戦ってくれてる人たちを見捨てて。
自分だけ逃げ去ることは、できる。
この細くて狭い通路の一番奥に、たぶん明かりとり用っぽい、おっきめの窓があるのが見える。
あそこから飛び降りれば、きっとそのまま逃げられる。
いまは2階のさらに屋根裏みたいなところに潜んでるんやけど、その程度の高さから飛び降りるのくらい、猫人族のオトナであるウチにとってはワケないことやった。
ウチは、駆け出す。
窓に向かって一直線に。
後ろで、轟ッという音と、ちりちりと尻尾を焦がす火みたいな熱を感じる。
駆けて、這って、また駆けて。
その硝子の嵌った窓を蹴破って。
ウチは、お屋敷の外に、逃げ延びる。
飛び出してすぐ、ウチのすぐあとに迫っていた熱気が窓から吹き出したのを、尻尾の先で感じる。めっちゃ怖い。
そして。
「おねーちゃんを、ナメんなぁぁああああああ――!!!」
飛び出した窓枠を、痛む手で掴んで。
ぐるんと体を一回転。
飛び出た勢いを殺すことなく、2階の窓に、全身で突っ込む。
バッキャァアアアアーン
窓が、窓枠ごとバッキバキんなって飛び散る凄い音がした。
硝子が、窓枠が、身体に。自慢の毛並みの尻尾に。いくつも、いくつも傷を刻んでいく。
目の上も切れたみたいで、たらーっと流れてきた血が目に入ってすっごいうざい。
「ねー、ちゃん……?」
ウチの登場にビックリしてるラシュ。みるみる、その双眸に涙が溜まっていく。
ふふーん、おねーちゃんだぞ。
怖い思いさせたな、ごめんな。
「ねーちゃんが、助けに来たで!」
全身ぼろぼろで、蜘蛛の巣や煤でどろどろのぼろぼろで。
それでも、ウチは見栄を切る。おねーちゃんやから。
ウチの闖入にビックリしとったのは、半裸の男魔術師も同じみたいやった。
いまのうちに、ノシてしまえば、なんとかなる。
カーくんに作ってもらった、棒みたいな形をした投げナイフには、今は麻痺毒が塗ってある。
これを当てられたら、毒が効くまでちょっと逃げとけばウチの勝ちや。
その、はずやった。
ナイフを引き抜こうとした腕は、だらんとぶら下がったまま、全然、まったく動かへんかった。
サーっと背中が冷たくなる。
全身の毛が逆立っとる。耳や尻尾まで。
まさか、もう何か魔術を食らったんか?
恐る恐る、動かへん腕の方を見てみると、なんのことはあらへん。
爪が剥がれてすごい見た目になってる手だけやなくて、腕のほうにも深々と硝子が突き刺さってた。
魔術を食らったんやない。
大丈夫。まだ、戦える。
「お、女がなんの用だよ! 用はねぇ! 俺のお楽しみを邪魔すんじゃねぇ! 来んじゃねぇ!
"火種集いて群となり 我が同胞の守りと――"」
魔術師の詠唱が、始まる。
遅い。
カーくんの容赦なさに比べて、あくびが出るほどに遅い。
でも。
ウチのほうが、今はそれよりもっと遅かった。
走り出そうとした足は、もつれて転んだ。
「あ……れ?」
足には、木で出来たゴーカな窓枠が刺さってた。
邪魔だったので、ぶしっと抜いておく。
「あッ――ぐぅっ!!」
痛い!
痛い、痛い。めっちゃ痛い!!
血が、だくだくと流れてく。
血と一緒に、いける! っていう気合いとか、なんとかせーへんと、がんばらんと! みたいなやる気みたいなのが、だくだくと零れ落ちてく。
そんで、そのかわりにひたひた、ひたひたとウチを満たしていくのは、絶望と、諦め。
高価そうな絨毯が、ウチの血で赤黒く染まってく。
「ねーちゃん、ねーちゃん……!」
心配せんでええ。
カッコよく登場したのに、コケててかっこつかへんわ。
軽口を叩きたいのに、歯を食いしばってないと悲鳴とか嗚咽とかが漏れでてきそう。
魔術師は詠唱を続けてる。
こわい、怖い、怖い……!
さっきの火っぽい魔術が来たら、きっと。
ウチは生きたまま、燃やされることになる。
痛いんやろな。
くるしいんやろな。
はやく死にたくなるくらいの、そんな辛さなんやろな。
ひたひた、ひたひた。
絶望が、喉元までせり上がってくる。
やっぱり、土台無理な話やったんかもしれへん。
獣人が、人間に、それも魔術師に挑もうなんてのは。
ウチは、その恐ろしさを、目の前で見たはずやった。
山のてっぺんが、崩れて無くなる様を。
ウチらをまとめて、見ず知らずの場所に飛ばす様を。
捕まった獣人が、嵌められた首輪で殺される様を。
人間の。魔術師の。
怖さを、ウチはよく知っとるはずやった。
ガクガクと、震える足にはなかなか力が入らへん。
血を流しすぎたんかもわからん。
ウチは精一杯、がんばった。
里で、一人、一人と仲間が去っていって、最後に一人残されたときも、諦めへんかった。
路地裏で囲まれたときも、希望を捨てんかった。
逃げたいときだって、がんばったんよ。
「"塵と消えよ 其は罪を赦さぬ者なり――"」
魔術師の、その手の中に、ぎゅるぎゅると炎が渦巻いている。
ぎゅるぎゅると渦を巻く炎は、バチバチって音を立てて。
その熱気は、まだ立ち上がれへんウチにも嫌というほど、感じられる。
こわい、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い――!!!
炎がこわい。
生きたまま焼かれるのが怖い。
魔術師が怖い。
人間が怖い。
怖い。
「ねーちゃん、がんばって!!」
でも。
弟が、見てるんよ。
おねーちゃん、もっと頑張らないと。
頑張ったんやけど、ごめんね。なんて、言いたくないんやから。
そんな惨めな思い。
生きたまんま焼かれんのと同じくらい、嫌やった。
「んに"ぁゃあああああああああ――!!」
もう、とっくに感覚なんて無うなった足で、ウチは再び、立ち上がる。
ふとももから流れ出る血は、できるだけ尻尾で抑えて溢れへんようにしておく。いまさらやけどな。
ナイフを投げるんじゃない方の、動く腕で。
ふとももに付けてたナイフを引き抜いて、投げる。
それは狙いも曖昧で。速さだってない、へろへろな動きやった。利き腕ちゃうからそりゃそうかもしれん。
半裸の魔術師相手にも、そんなん簡単に避けられてしまった。
でも、そのナイフを避けるために少し動いて、ほんのちょっとだけバランスを崩した魔術師の足に、ラシュが全身で縋り付く。
「あぁ"ぁ"ん!? 獣風情が、甘い顔をすれば調子に乗って。乗っちゃって!
旦那様の仰る通り、素直に殺しておけばよかった。よかったなぁ!!」
火の玉を持つ手が、ラシュに押し付けられようと迫る。
でも、ラシュはその男の足を離さない。
「ねーちゃん、」
ウチへの信頼が、その目からは感じられる。
助けに来てくれたからもう十分、とかそういうんやない。
こんな状況からも、なんとかできるって。ねーちゃんならなんとかしてくれるって。
そう無邪気に信じてるのが、その目からは伝わってくる。
おねーちゃんやからな、わかるんよ、そんくらい。
だから、ウチはそれに応える。
一瞬、一瞬ごとが。
変に長く感じられた。
どくん どくん
足の傷を抑える尻尾から、血の流れが伝わってくる。
倒れこむように走り出すのと同時に、最後の一本のナイフを取り出し、投げる。
今度は、ラシュへと迫っていた火の玉を持つ腕にかすって、そのまま飛んでった。
「クソがっ、まだ邪魔を。邪魔をしてくれちゃって――。
ッチ、これは。これはこれは。麻痺毒? 獣如きがこの、クソがクソがクソがクソがクソが!!
"火種集いて癒しとなり 我が不浄を払う光となれ――"」
まだ、終わりやない。
相手は魔術師。解毒の手段があるんやったら、まだ、終わらへん。
蹴飛ばされ、弾き飛ばされたラシュを目で追うが、幸い火の魔術はラシュを焼くことはなかったようやった。ほんまにぎりぎりやったけど。
半裸の魔術師男に向かってそのまま、ウチは、走る。
もう感覚のない足で、走る。
そいつはぎらぎらと血走った目で、ウチの様子を追っていた。
まだ片腕に残ってる、火の魔術が、ウチを燃やすべく構えられる。
そいつとぶつかる、その寸前。
『"剥離"』
すぐ側に落ちてた板から、頼もしい声が、聞こえたよーな。
それは、ウチが聞きたかったから、聞こえた気がしただけやったのかもしれへんけど。
でもウチには、あんまり余裕がなかったから。
うめき声をあげて片膝をついた半裸の魔術師の片腕を、大きく上体を逸らすことで掻い潜る。
チリっという音を立てて、猫耳を炎がかすめていった。ぶすぶす、ちりちりと焦げた匂い。
そして、その男の無防備な股間を、仰向けに倒れこむ勢いに任せて蹴り上げることで、精一杯やった。
そのあと、そんなに時間を置かずに。
ウチのそばで泣きじゃくるラシュと、芋虫みたいな動きで声にならへん悲鳴を上げる半裸魔術師と。
そのほど近くで倒れ込んで、辛うじて意識のあるウチのもとに。
カーくんがやって来た。
カーくんのまわりには、騒ぎを聞きつけたんか、衛兵っぽい格好の人とか、偉い人っぽいのも居る。
「やっほ、カーくん。
ウチ、勝ったで」
なんか頭がぼーっとしてて、すっごい眠いけど、勝ったんは報告しとく。
ウチ、魔術師に勝ったんよ。
これは、断じて引き分けやない。どっちかというとこのウチと引き分けたんは、この部屋の窓やと思う。なかなかやりおるわ、あの窓。
カーくんは、新たな人物の出現に対してウチの前で必死に通せんぼをするラシュの頭に、ポンと手を乗せた。
屈んで、ラシュと目線を合わせる。
「お前も、よく頑張ったな」
ラシュは、倒れてるウチからはどんな顔してるんかわからへんけど、立ちはだかる腕はぷるっぷるしている。今のいままで泣きじゃくってたんやから、しゃーないと思う。
「その人は敵やないよ。ウチの飼い主様や」
ウチの言葉に、戸惑った感じのラシュと、顔を手で覆って『なるほど、やられたー』みたいな雰囲気を出してる、カーくんの後ろにいる偉いっぽい人間。
大丈夫なん? そいつは敵じゃないん?
カーくんはそのまま早足でこっちに歩いてくると、倒れてたウチを抱きあげた。
ウチは血とか煤とかでぐっちゃぐちゃなのに、とくに躊躇ったそぶりも見せへんで。
踏みしめられた血溜まりがぐちゃっという音を立ててる。うわー、めっちゃ血ぃ出たなぁ。
「アーニャも。すごく、がんばったな」
ウチの頭に優しく置かれたカーくんの手から、あったかいかんじが伝わってくる。
感覚がなくなってたはずの足が、めっちゃくっちゃ痛いねんけど! って文句を言い出して、いまさらになってがくがくと震え出した。
「うん。ウチ、すごい頑張ってん。おねーちゃんやからな」
やったったぞー、っていう感じと、怖かったーという実感と。
なんやかんやがごっちゃごちゃに混ぜこぜになって。
今やったらすごい気持ちよく寝られそう。
なんか、すっごいあったかくて、なんとなく安心できる匂いがして。
「もう、頑張らなくても大丈夫だ。ゆっくり休みな」
目ぇ開けてんのもつらくなってきたから、そうさせてもらうわ、ってこたえて――ちゃんと言えたかな。声出てへんかった気もするな。
シャロちゃんが見たら怒るかもしれへんけど。
カーくんの腕の中やったら安心して寝こけられるわ。
あったかさと、じんわりした身体中の痛みを感じながら、ウチはゆっくり目を閉じた。
vs黒幕 アーニャ編終了です。
大丈夫です、生きてます。
血を流しすぎというのもありますが、獣人はほんとーに魔力が少ないので、"治癒"をするとすぐ魔力使い果たして寝ます。




