僕と黒幕 そのいち
リーズナル男爵の屋敷よりなお大きい敷地に、豪華絢爛な門構え。
その内側には同じく広大な庭が広がっていることだろう。しかし、固く閉ざされた門からその内側を窺い知ることはできない。
その門には門番が二人おり、僕らの姿を認めると、明らかにその顔を顰めた。
「止まれ。何用だ」
短く用件を問う門番に、僕は符牒を返す。
「良い肉が入ったので、是非とも男爵様にと」
それに対する門番の反応は、主に困惑だ。
僕の後ろに控えるシャロンが本当に鳥を抱いているためだ。
僕には彼らの困惑が、文字通りに視てとるように理解る。
「いくらだ?」
一応、符牒を返してくれたようなので、その続きも"全知"で読み取って、続ける。
「金貨で3枚ほど」
「それは高い」
まったくだ。しかし正しく符牒を続けてくれているようなので、気にしない。
「それではせめて、料理長にお目通りを」
「取り計らおう」
これで符牒は終了らしい。
なんとも面倒、かつ"全知"を前にしては意味のない認証方法だ。
もっとも、"全知"に対抗する術どころか、その存在すら僕とシャロンとフリージアくらいしかおそらく知り得ないことなので、対策の取りようもないこととは思う。
「入るのはお前ら二人か?」
「あとは、僕のペットだ。
急な用件で、仕方なく、な」
答えつつ、僕はシャロンの腕に抱かれている鳥を顎でしゃくる。ラピッドクルスという種類のこの鳥は、シャロンの腕の中で完全に寛いで、寝ていた。
仕方なくペットを連れてくるやつがあるか、とは思わないではないが、門番にそれを判断する権限はないのだろう。うちひとりが「確認する」と邸内に消え、もうひとりはじろじろと不躾な視線をシャロンに浴びせ続けている。
ほどなくして、入って良しと連絡があったので、戻ってきた門番に連れられて屋敷にまで通されることとなった。
門内の庭園は、そりゃもうお金が掛かっているなぁという趣のもので、冬も目前だというのに、ちらほらと咲いている花もあった。
しかし、リーズナル邸の庭園に比べると、それはただ配置されただけというか、どこかチグハグな印象を受けるのだった。
「ん? 貴様、ペットとやらをどこへやった?」
「お庭の方へ走っていってしまいました」
「おいおい……庭に悪さをしたら、どうなっても私は知らんぞ」
門番が一瞬目を離した隙に、シャロンの腕の中から鳥の姿は消えていた。
門番は狼狽するが、本当のところは"倉庫"に仕舞われただけだ。まわりに変なものがいろいろ転がしてあるが、ラピッドクルスにとっては次に出してもらえるまでそんなに時間が経過するわけでもないし、許してもらおう。寝てたし。
胸元に抱えていた鳥がいなくなったため、しずしずと後ろを歩くシャロンの肩口から胸元までが大胆に開いた服から、その白い肌が惜しげもなく晒されている。門番はその様子に存分に不躾な視線を浴びせて鼻の下を伸ばしていた。
僕もこの隙に合図を飛ばしておくことを忘れない。まあ僕に限っていえば、隙なんてなくたって無詠唱でことは為せるのだけれど。
なにはともあれ、ロンデウッド邸潜入作戦が、開始されたのだった。
――
僕らが来客スペースと思しき場所に通されると、さっそく厳つい格好をした男たち4人に取り囲まれた。
彼らも見目麗しいシャロンに釘付けとなっているようで、実にチョロいことこの上ない。魔力探知の魔道具があればきっと、僕の方を警戒するだろう。
ということは、ここには魔力探知の仕組みは無い、もしくは速効性がないとみていいか。
4人組に囲まれるのは、この邸内を訪れたもの、ないしは符牒を使った者に須く適用される対応なのかもしれない。
男たちは一言も喋らなかったが、程なくしてさらに追加の男が2人、部屋の中に入ってきた。
ひとりは顎髭は整えられ、引き締まった身体を豪華な衣装に包んでいる。歳の頃は《42歳》、口元にはにこやかな笑みを浮かべている。
もうひとりはその従者といった出で立ちで、黒を基調とした落ち着いた服装、所作で佇んでいる。
「やぁ、はじめましてかな。
私はハーディール = オード = ロンデウッド。男爵位を賜っているよ」
豪華な服の方の男が、にこやかに名乗りを上げる。しかし、その目の奥は笑っていない。
こちらを品定めするかのように油断なく動き、僕とシャロンを同等に観察しているようだ――あ、いやちょっとシャロンの方を見る頻度が高い気もする。
「はじめまして。あんたをロンデウッド男爵として接すれば良いのかな?
わりと関係者以外に聞かせるのは憚られる内容なんだけど」
「貴様ッ――!!」
一気に気色ばむ男たちを軽く手で諌めながら、ロンデウッドと名乗った男はその表情から笑いを消す。
「それは、どういった意味かな?」
「いや、そのまんまの意味だけど。
なに、ホンモノのロンデウッド男爵はいま忙しい?」
僕の返答に、周りを囲む男たちはその動作でもって答えた。
ひときわ大柄な男が、僕に掴みかかろうとし――間に素早く割り込んだシャロンによって、別の男に対して投げ飛ばされた。
ロンデウッドと名乗った男の眉が、ぴくりと動かされる。
「やめろ、お前たち。
どうして私がロンデウッド男爵ではない、と思うのかな?」
「どうしても何も、あんたダビッド = ローヴィスって名前だろ?」
ロンデウッドと名乗った男は、今度こそその身をビクリと硬直させた。
僕としては、名乗られた名前と"全知"で視えている名前が違うから別人だと最初からわかっていたというだけなのだけれど。
「そういえば名乗っていなかったね、僕はヨハン。偽名だけど、そう呼んでくれたらいいよ。
魔術師をやっていてね。名前当てなんかは一種の手品とでも思ってもらえればいいよ」
「なるほど。よろしく、ヨハンくん。
それで、結構なご挨拶だけれど、ロンデウッドに何用かな」
あくまで用件は自分が聞く、という意思表示なのだろう。
まあいい。どうにかしてロンデウッド男爵本人に情報が伝わるのであれば、その経路を追跡すればいいだけなのだから。
「周りに人がいるけど、いいんだな。
用件は、紅き鉄の団壊滅の報告と、獣人の件だよ」
まわりの男たちが騒ぎだすが、先ほどシャロンに軽く投げ飛ばされた衝撃が後を引いているのだろう、特に行動を起こすものは居なかった。
「なるほど、なるほど」
偽ロンデウッド、ダビッドは目頭を軽く押さえる仕草をすると、踵を返して部屋を後にした。
本物のロンデウッド男爵に注進するのだろう。
どこへ向かうのかは"追跡"をかけているので、しっかりと場所の把握はできる。
ふむふむ、なるほど。地下、か。
ある程度まで"追跡"して追えなくなったため、魔力を遮断する結界なり魔道具なりの働きがあるのかもしれない。
しばらく待つと、どすどすという重い足音を立てながらイラつきを隠そうともせずにでっぷりとした男が現れた。
側にはダビッドを従えている。
間違いない、こいつが本物のハーディール = オード = ロンデウッド男爵本人だ。
「貴様か。くだんの魔術師というのは」
高慢な、不遜な、といった態度を絵に描いたかのようなその人物は、僕を一瞥したあと、側に控えるシャロンを見てだらしなく顔を緩めた。
貴族であるはずだが、その品のない視線はある意味すごい。その視線にシャロンを晒していることが、たまらなく嫌悪感を与えてくれる。
「ヨハン様の従者、シャーロットでございます」
シャロンは、ワンピースの裾を摘んで恭しく一礼をする。
部屋に入って初めて言葉を発したので、その可憐な声は見た目の美貌と合わさって、先ほど投げ飛ばされた男でさえも魅了する。
「んっほぅー。シャーロットたん。貴様は犯罪奴隷として売りさばこうかと思っておったが、構わん。赦してやろう。
従者を我輩に売るがいい。ほれ、金貨で3枚くれてやる」
何かすごい気持ちの悪い鳴き声を出す男爵である。
シャロンの表情は僕からは見えないが、普段であればすごく嫌な顔をしているところである。
「随分安いな。ロンデウッド男爵は財政難なのか、それともあんたんとこではそれくらいが奴隷の相場なのか?」
金貨を安いと言い放つ時点で、そこいらの村落の者ではないのだけれど、従者を連れている段階でそこらの村落の者だとは思われているまい。
そこらへんの設定はとくに考えないで来たので、べつにどうでもいいのだけれど。
「後者に決まっておるわ、この阿呆の無礼者めが。
即座に叩き切ってやりたいところではあるが……。報告内容如何では、犯罪奴隷送りで赦してやらんこともない。
さっさと座れ、我輩を見下ろすつもりか」
溢れ出る小物臭を隠そうともせず、ロンデウッド男爵はそのでっぷりとした身体をソファに傾ける。
豪華で頑丈そうな作りのソファがギシリと軋んだ。
僕はその対面に腰掛けると、シャロンがそのすぐ横に控える。
それを取り囲むように、男たちが僕らを取り囲んで威圧してくる。
僕としては、ホンモノの威圧というものを放てる相手が横にいるため、まるでそよ風のような生易しさを感じている。もっとも、そよ風というにはいささかムサ苦しいものだったが。
ロンデウッド男爵のほうには、ダビッドと、それに付いてきた従者風の男が左右に控える。
準備は整ったようなので、僕はおもむろに切り出した。
「まず用件一点目だ。"紅き鉄の団"は壊滅したぞ」
「フン――何を言い出すかと思えば。その、なんとかの団というのは何なのだ? 聞いたこともないな」
その報告を受けて急ぎこの場に現れたというのに、それは無理があるだろう。
白々しい態度すらできないとは、なんとも場慣れしていなさが伺える。
公務や表に出ての会食など、貴族同士の顔合わせの際には、最初僕らに相対したようにダビッドが影武者として行なっているのかもしれない。
その出自は知らないが、やつはなかなか食えない態度で堂々とした立ち居振る舞いをしていた。
"全知"がなければ、渡り合うのは難しいくらいかもしれない。
「まあそう言わずにこれを見てみな」
僕は、鞄の中から包みを複数取り出した。
合計すると、明らかに鞄のサイズよりも大きい布袋を、ダビッド以外の人間は食い入るように見つめている。
ロンデウッド男爵に至っては、鞄と包みを交互に何度も見返しており、その興味のほどが伺える。
社交界での腹の探り合いが主な仕事であろう貴族において、あれではだめなんじゃなかろうか。
布袋の包みからは冷気が染み出してきており、空気を伝ってひんやりとした感覚を各々に運んできていた。
男爵が顎でその包みを指し示すと、執事風の男が包みを解きにかかる。
そうして、その場に陳列されたのは、氷漬けにされた、人の首だ。
「ひ、ひぃぃぇえええぁぁあ!!?」
ひとつめが開封された段階で、その包みに大きく身を乗り出していた男爵はバランスを崩し、ソファーごとそのでっぷりとした巨体を後ろ倒しにする。
まわりの男たちからは口々に怒号が飛んでくるが、シャロンが威圧を放っているためか、それとも主人が後ろ倒しになっており指示がないためか、即座に何か行動を起こしてくることはなかった。
なので、残るふたつの包みも、僕が"念動"で解いておく。残るふたつも、もちろん同じく氷漬けにされた首である。
それぞれ、頭領、頭領の息子、僕の因縁の相手であったザガールというリーダー格の蛮族、である。
たぶん、どれかは見知った顔があるだろう。
「そ、そんな……ボス」
周りを囲んでいる男のうちの一人が呆然と呟いたことにより、その首が誰のものかは彼らの全員が知るところとなった。
さては"紅き鉄の団"だなオメー。
ダビッド、および執事風の男が男爵をソファごとなんとか助け起こすと、男爵は顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。
彼が震えるたびに、腹肉がぷるんぷるんと小刻みに揺れるため、威厳とか尊厳とか威圧感とか、そういったものは皆無だったが。
「こやつは我らが臣民を殺した大罪人である、構わん。この場で殺せ! 女は生かして捕えよ」
随分と短絡的だ。
普段はそれでなんとでもなっていたのかもしれないけれど、こと今回に限って言えば、相手が悪い。
「お前たち、何をしておる。早くこの男を――」
再度、男爵が喚く。
しかし、それに応えたのはドサドサッという、僕らを囲んでいた男たちが崩れ落ちる音だった。
男爵は口をパクパクとさせ、事態が飲み込めていないようだ。
男たちが崩れ落ちるまで、シャロンも僕も一歩も動いてはいない。
ただ、ちょっと"抽出"と"結界"を駆使して、男たちの吸う空気に細工を施しただけである。
シャロンが言うには、一言に空気といっても、その内訳は様々な成分から成っているらしい。
ヒトの身体が欲する要素は、そのなかで酸素と呼ばれているもので、呼吸でこれを取り込むことにより生命の維持を行なっているとのことだ。
この酸素の濃度を減らし、二酸化炭素という別の要素と入れ替えておくだけで、ヒトは簡単に昏倒する。
音も匂いも、痛みすらなく、調達も容易。物理的な干渉を阻害する結界ではなく、細工した空気をその場に留めておければ良いので、透明なまま維持することも可能。なんとも物騒なモノだった。
衛兵を呼びに走ろうとしたのか、駆け出した執事風の男も同様に昏倒させる。
室内には、僕らの他には、さすがに動揺しているダビッドと、あわあわと取り乱している男爵だけが意識あるものとして取り残される。
「な、なにを。なにをしておる!
貴様ァ、我輩が誰だか心得ておらんのか!
ハーディール = オード = ロンデウッド男爵なるぞ! それを、それを……!!」
「手を出してきたのはあんたらの方だし、僕らは何にも動いちゃいないよ。
たまたま皆眠かったんじゃないの?」
シラを切る僕。
そんな僕の様子に焦った男爵は、天井の方にチラチラと視線をやっているが、そちらに何かあるのが丸わかりである。
「ああ、天井に潜んでた曲者なら、僕のペットが無力化してくれてると思うよ。
感謝して欲しいものだね。男爵邸の屋根裏に潜む曲者をやっつけてあげたんだから」
「さすが、ご主人様はお優しいです」
うんうんと頷くシャロンと、不遜な態度で足を組む僕。
そんな僕らの様子に、部屋からの脱走をはかろうというのか男爵はソファに手をつき立ち上がろうとする。
自分の従者がどうなったのか、ちゃんと認識できていないのだろうか。
僕が目を細めると、ダビッドが男爵を押しとどめた。
「ええい、何をして――」
「ロンデウッド男爵。あまり動かれるのは得策ではなさそうです。
あの坊主、そうなれば即座にやる気のようですので」
その臣下の言葉に再度ビクリと震えた男爵は、こわごわとソファにその身を再び沈めた。
机の上の首たちと目が合ったようで、「ひい」っと情けない声をあげることも忘れない。小物の鑑のような人物だ。
「話を進めていいか?」
僕が方向性を戻そうとすると、なおも男爵としてはコケにされたお礼がしたくてたまらなかったようで、続けようとした僕の話に割り込んで来た。
「貴様、この我輩に楯突いたこと、後悔することになるぞ……!!」
精一杯低い声を出し、脅しをかけてくる男爵。しかし、その目は泳いでおり、身体も小刻みに震えている。
「じゃ、交渉は、なしにしよう」
僕が席を立とうとすると、男爵は何を言われたかわからないというようにポカンとした顔を晒す。
それとは対象的に、後ろに控えていたダビッドは顔を手で覆い、あちゃー、といった仕草をする。ほんと、こいつのほうが男爵でいいんじゃないのか。
「ヨハンどの、どうか、どうか思いとどまられよ。
あなた方のお力をもってすれば、たしかにこの場で私どもを亡き者にし、館を出るのも困難なことではありますまい。
しかし、あなた方の来訪は記録されておりますし、そ、それにもうひとつの用件を伺っておりません。
それからでも遅くはないのではあるまいか」
ダビッド、必死の弁舌である。
また、このやりとりにおいて、愚鈍な主君にも僕らが『もうこいつら消しちゃえばいっか!』と思っているということをそれとなく――実際はかなり直接的だったが、きっとそうしないと伝わらないのだろう――伝えるというファインプレーを見せてくれており、男爵も喚くのをやめた。
――と思ったら、まだ甘かったらしい。
「それに、我輩にもしものことがあれば、貴様も終わりよ。方々に掛け合って――」
はぁ。ここまで愚鈍であるとは思わなかった。
僕は嘆息し、ソファから腰を浮かせたまま、冷ややかな目で男爵を見つめる。
「死人がどうやって方々に掛け合うのか、教えてもらえるか?」
こうなると、焦るのはダビッドである。
どうもダビッドは忠臣というわけではないようで、自身の身の安全のためにも必死で僕らを押しとどめようとした。
ここで男爵が害された場合、自らの生存も絶望的である旨をよくわかっているらしい。
そりゃまあね、男爵を殺した場合、生かしておく意味って全くないよね。
「ヨハンどの、お、落ち着かれよ。
そうだ、落ち着くためにも茶でも淹れさせましょう。
いや、ちょうど良い茶葉が入りましてな――」
さすがにかなり無理のある話題転換で、流れで部屋を出て行こうとするダビッドに、僕は声を掛ける。
「ダビッド。わかるよな?」
生きていたければ、じっとしていろという意を存分に含ませ、彼を見据えると、すごすごと元の位置に戻ってきた。
それなりに頭が使えるやつの相手は、話が早くて助かる。
未だに、餌を待つ魚のごとく口をぱくぱくとさせている男爵に向き直る僕。
ダビッドは現実逃避のためか、はたまた目の保養のためか、シャロンを見つめ続けることにしたらしい。
彼が今日生きていられるかどうかは、自らの愚鈍な主に掛かっている。
「さあ、楽しい交渉の続きをしようか」
今度は、僕の言葉に異をとなえるものは、誰一人として居なかった。




