僕と夜会話 そのに
「あら。こんなところで奇遇ですわね、旦那様」
「こんなとこで奇遇もなにも、シャロンに聞いて来たんだろうに」
寝静まった漁村を見下ろす高台に、たまたまやってくる用事もないだろう。
岩に腰掛けていた僕の近くまでやってきたレピスは、腰に手を当て、ぷぅと頬を膨らせてみせる。
「そういうのは、気付いても言わないのが紳士的ですわよ?」
「へいへい。僕は紳士にはほど遠いよ、どうせ」
いろいろあった結果今でこそ町で暮らしてるけど、こちとら生まれも育ちも寒村だぞ。
村で求められるのは単純な労働力だ。畑を耕したり、害獣を追い払ったり、雑草を抜いたり水を運んだりといったようなやつ。
紳士力 (というものがあるのかどうかすらわからん)で畑は耕せないだろう。たぶん。
僕が唇を尖らせる横で、レピスはくすくすと笑う。
その笑い方ひとつとっても、手を口もとに添えた品のある笑い方っていうかね。所作のそこかしこに育ちの良さがにじみ出ているというか。これが紳士力の差ってわけか……。
「旦那様が紳士的であろうとなかろうと、わたくしはお慕い申し上げておりますし、全身全霊をもって尽くして参りますのでご心配には及びませんわ」
「へいへいそりゃどーも」
「もうっ。わたくしは本気ですのに」
夜のしじまに笑い声が転がった。
ひとしきり、じゃれ合いのような会話が終わると、あたりはふたたび沈黙に包まれる。間が持たないとか、居づらい空気だとかの嫌な沈黙じゃなく、穏やかで気楽な空気だ。
レピスは僕の隣にひとり分くらいの間をあけて、夜空を見上げて佇んでいる。
わざわざ僕を探しに屋敷から出てきたのだから、なにか話があるのかと思ったんだけど、べつにそういうわけでもないのか?
相変わらず虫の声ひとつ聞こえやしないけど、潮騒の切れ間に隣人の微かな息づかいが感じられる。ただそれだけで、不思議と郷愁が和らぐ気がした。
どのくらいの間そうしていただろう。
夜の風が低木の葉をざわめかせた。
ひくちっ。と小さなくしゃみが控えめに沈黙を破壊して、月明かりに照らされたレピスが、しまった、という顔をする。考え事の邪魔をしてしまったとでも思ってるのかもしれないけど、ぼへーっとしてただけだから要らん心配だ。
「えっと、その。あ、そうですわ、ご存知ですかしら? くしゃみをする直前には大きく息を吸い込みがちですけれど、逆にできるだけ息を吐いておくのが可愛いくくしゃみをする秘訣ですわよ」
「僕がその秘訣を使う日は来ないと思うな。たぶん……」
今になってようやく気付くのもたいがい遅いとは思うんだけど、レピスはお屋敷の中で普段着ているようなドレス姿だった。フリルやレースが上品にあしらわれているし、手触りの良さそうな布を使っていて高価そうではあるものの、どちらかといえば質素なものだ。
ただの庶民な僕としては、ドレスといえばお城で舞踏会みたいなイメージがあるけど、そういうのはレピスが今着ているような普段着のドレスとは全然違うんだってさ。コルセットがどうとか装飾に宝石が付いているとかどうとか。そういうのは一着で金貨が何十枚も吹っ飛ぶそうだ。
しかも大金積んで仕立てたドレスを、そう何度も着るものではないというのだから驚きだ。力のある貴族や王族なんかは大きな催しごとに新調するんだってさ。
僕の庶民的な感覚だと無駄遣いでしかないんだけど、なんでも財力を示して威厳を見せるためだとか、相手を軽んじていないことの意思表示だとか、それが貴族としての礼節だとか云々でいろいろ大変らしい。
もちろん、そうやって貴族が延々とドレスを仕立て続けるから暮らしていける人たちもいるんだろうさ。仕立て屋とかお針子とか。でもそんな何度も着ない服を仕立てる金を捻出するために、重い税を掛けられる側にとっては釈然としないものがある。
……いかん、庶民の僻みが出た。紳士力が足りてない。
レピスの着ているドレスはそういう舞踏会仕様とは違い、背中の部分が大きく開いていたりしない大人しい意匠だけど、それでも冬の迫る夜の海辺にふらっと出てくるには薄着すぎる。そりゃあ、くしゃみくらい出るだろう。
「ちょっと待ってな。眩しいから気をつけろ」
倉庫改から取り出した松明は”発火”の使い捨て呪文紙付き。術式を励起させるだけですぐに使えて便利だ。どうだ、あかるくなつた……うぉっ、まぶしっ!?
身構えていたにもかかわらず、暗さに慣れた目が突然の光に驚き、思わず目を細めてしまう。薄目でちらりと隣人を窺えば、レピスも目を細めて眉間に皺が寄っている。お姫様がしていい顔じゃないな、あれ。ちょっとおもろい。たぶん僕も同じような顔をしていたんだろう、ちらりと目があったレピスが吹き出した。
松明が闇夜を切り裂き、星空が遠ざかる。
パチパチと火の粉の爆ぜる音とともに、暖かさがじんわりと染み渡ってくる。
ついでに、ほんの少しだけ右眼に溶け合った”全知”の力を呼び覚まし、僕らの周囲を”結界”で囲う。風を遮断するだけで寒さは随分ましになる。夜風に当たりに外に出てきて風を遮断するのもなんか変な感じだけど、気にしたら負けだ。
火を扱っている場所を完全に閉じてしまうのは危険だ、と以前シャロンに教わったので、囲うのは横だけにして、上と下は開けておこう。
”結界”を張った途端、レピスの肩がびくんと跳ねた。さすがにこの距離だと、魔術の素養がないレピスでも感じ取れるようだ。
寒さをしのげればいい、と善意のつもりで魔術を使ったけど、化け物じみた魔力も考えものだな……。と思っていると。
「めっ! ですわよ」
「んむっ!?」
レピスの細い指が、なんの前触れもなく、なぜか僕の口をむにぃと押し込んできた。
え、なんか怒ってる?
突然怒られる意味がわからず、視線を彷徨わせているとレピスが呆れたように口を開く。
「なんのことかわからないって顔をしてらっしゃいますわね、旦那様。いま、ご自分のことを化け物とか思ったでしょう」
「え?」
それがどうかしたのだろうか、という僕の思いを見透かしたように追撃が飛んでくる。
「どうしたもこうしたもないですわよ! わたくしの旦那様を悪し様に言うなど、それがたとえ旦那様自身でも怒りますわ」
「口に出した覚えはないんだけど……」
「それだけしょぼくれた顔をなさるなら言ってるのと大して変わりませんわ!」
そんなに情けない顔をしていたのだろうか、僕は。
「昼間、海賊をやっつけた時と同じ表情をなさっているんですもの。わかりますわよ」
昼間に浴びせられた怨嗟の声は、その言葉を発した者たちが海に沈んだ今も、僕の脳裏に浮かんでくる。
『人殺しの化け物』『弱い者いじめは楽しいかい?』と。
「よく見てるな……」
「いまごろ気づきましたの? わたくしの伴侶になる愛する旦那様を見ないほうがおかしいでしょう?」
「へいへいそりゃどーも」
「流そうとしないでくださいまし! わたくし、本気ですわよ!」
つめたく冷えたレピスの手が、がしっと僕の頬を挟み込む。逃してくれる気はなさそうだ。顔が近い。ちょっと気まずくなって、右下のほうに視線を泳がせる。とくに何があるわけでもないが。
「急に魔術を使ったから、驚かせちゃって悪いなと思っただけだよ」
「見くびらないでほしいものですわね。たしかに旦那様が力を使われるときの感覚は強い衝撃がありますわよ。少しでも動いたら底の見えない穴に真っ逆さまに落ちそうな感覚とでも言いましょうか……。ですがそれも、最近気持ちよくなってきましたわ!」
「ええ……」
「擁護したのに引かれましたわ!?」
冗談で場を和まそうとしてくれる努力は買うけど、さすがに引くだろ、それは。冗談……だよな?
「こほん。わたくしが言うまでもないことだとは思いますけれど、あのような者たちの物言いをまともに聞くものではありませんわよ?」
「それはわかってる。……けど、とっさに言い返せなかったんだよな。僕はあいつらと同じなんじゃないか。弱い者をいたぶって楽しんでるんじゃないかって」
それは、手にした強大な力を使いたくてたまらない、化け物の性質だ。
その加虐性を、悪人をいたぶることでごまかしているだけじゃないのか。
違う、と。咄嗟に言い返せるだけの根拠は僕の中になかったし、それは今も無いままだ。
外道を潰すことに後悔があるわけじゃない。
あいつらは不幸を振りまく。ああいう奴らの勝手に巻き込まれて生活が脅かされるのは、より力のない人たちだ。そういうのは我慢ならない。
ただ、人から奪ったり殺したりするくせに、あいつら自身が殺される覚悟なんて微塵も持っていなかったのと同様。やつらを処断した僕の方にも、殺される覚悟なんて持って挑んではいなかった。
もし死ぬかもしれないような戦いだったらなるべく避けていただろうし、避けられない戦いなら僕ひとりで――はシャロンが許さないだろうから、シャロンとふたりで出向いてただろう。
つまり、問題なく対処できると判断したから殲滅に動いただけで、あちらとやってることは大きく変わらないのだ。あちらはただ、敵の戦力を見誤っただけで。
それに――。
「たとえ悪人であっても、人の親を理不尽に奪うのは気が咎めましたか」
「……ほんと、よく見てんね」
「そりゃもちろん見てますわよ。……と言いたいところですが、旦那様がわかりやすいだけですわね」
奴らを見逃せば、それこそ罪のない親子の生活がこれから先もずっと脅かされることになっただろう。だから、最初から見逃すつもりなんてなかったよ。たとえ残された子から恨まれることになったとしても。
それでもやっぱり、見逃すべきじゃない悪人であっても、人の子であり、人の親だった。だから、ああする他ないとわかっていたはずのゾエ白爵も消沈してしまっているのだろう。
「……もしも、あの場で彼らを沈めず、法の裁きを受けさせたといたしましょうか。その場合、2つの可能性がありますわ」
「まんまと逃げるか、処刑されるかの2つか?」
「ええ。もっとも、資金源も締め上げて悪事の証拠もたっぷりあって、おまけにこちらの口封じもできないとあっては、いくら判事を抱き込んでもどうしようもない……というか繋がりを露見させたくない判事側から切り捨てられる公算が高いですわ」
「甘い汁を吸うだけ吸ってポイ、か」
「そういうことですわね。そしてその場合、命じられるのは連座による処刑ですわ。罪の重さを加味してもう二度とこのようなことを起こさせないように見せしめにするという建前のもと、家臣や子供まで関係者を皆殺しにしての口封じですわね」
あの場で船団もろとも沈んだのは公に罪を裁かれてのものではなく、不幸な事故扱いになる。
わざわざ事を蒸し返したがる関係者はいないだろうから、子供にまで累が及ぶことにはならないだろう――ある意味では子供を助けたようなものだから、と慰められているのだろうな、これは。
「それに! 旦那様は弱っちいのですから、そういう罪悪感を抱えるのは間違っていますわ!」
「弱っちい? 僕が?」
思わずそのまま問い返してしまった。
だって、化け物と言われたことは数あれど、弱っちいなどと言われたのは初めてのことじゃなかろうか。
レピスは僕の頬をむにむにつまみながら、言う。
「旦那様が強いのは知っておりますわ。それと同じくらい、優しくてお人好しで、素直で悩みがちな弱っちい心を持っていらっしゃるのもよーく知っておりますの」
「……よく見てんな、ほんとに……」
「よく見るまでもなく、すぐに気づきましたわよ? 旦那様は真摯でしたから。わたくしがあの日、毒であのまま命を落としていたとしても、あなたにはなんの責もないというのに」
「……いや、でもガムレルまで来なかったら、毒なんて盛られることもなかっただろ?」
「それは原因と責任をごちゃ混ぜにしておられますわね。責められるべきは暗殺騒ぎをしでかしたお馬鹿たちですわ。わたくしがあの地を訪れた原因があなたにあったとしても、あなたに責任はありませんの。それなのに、見返りも求めず命を救ってくださったばかりか、周囲を信じられなくなって何も食べられなくなったわたくしのために故郷の食材まで用意してくださって……そのときに確信しましたの。この方はしっかり側で支えてあげないとだめだ、と」
ぐっ、と拳をにぎって力説してるとこ悪いけど、故郷の食材がどうとかの部分は完全にレピスの勘違いだ。あれは僕が無理やり食べさせられそうになっていたタコを、食べたそうにしてたから、これ幸いと横流ししただけだから。
「剣が人を斬ったからと罰せられますかしら? 責められるべきは剣を振るった人物ではなくて?」
「そりゃそうだろ。剣は勝手に動かない」
「ええ。剣がどのように使われるかは使い手の判断によりますものね。そして、旦那様は剣ですわ。とびっきり切れ味の良い、この世にふたつとない素晴らしい剣。そして、今回悪人をとっちめてほしいと願ったのはわたくしです。剣が勝手に暴れ回ったわけではありませんわ」
レピスはそう言って、いつの間にか暖かくなっていた指先を僕の頬に添わせるようにした。少しばかりこそばゆい。
「だから、わたくしの素敵な旦那様を、間違っても化け物だなんて言わないでくださいませ」
「……わかった、気を付ける」
「よろしいですわ」
ほにゃっと笑ったレピスを真正面から見返すのがなんだか気恥ずかしくて、僕はまた右下あたりに視線を彷徨わせた。そこにはやっぱり何もなかったが。
「この人、支えないとだめだ」と早々に気づいたのが、レピスがシャロンに受け入れられた重要なポイントだったりします。
力やお金目当てで寄ってくる子には良妻ブロックが働いているので。




