僕らの艦隊戦 そのさん
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
「馬鹿な……こんな馬鹿なことがあるかよ」
ヤツ家艦隊旗艦、サーペントスの甲板で艦隊の指揮を執るヤナー = ヤツは唇を戦慄かせる。
ヤナーの手には直剣が抜き身で握られている。煌びやかな剣身は斬り殺した部下の血に塗れていた。
ゾエ家のボロ船に襲い掛かるや否やヤツ家の船団が相次いで沈み始めたのだが、ヤナーはその原因を内通者による破壊工作と即座に断定。それ以外に、十五隻から成る船団が一斉に沈む説明がつかなかった。そのため、少しでも怪しいと感じた者を片っ端から切り伏せた。
苛烈にして果断なヤナーの勘気に触れぬよう、処断を免れた乗組員たちは、浸水して傾きはじめたサーペントスの端に集まり小さくなっている。
ちなみに、実際の沈没原因はゾエ家のボロ船に乗り合わせた『原初の魔女』を騙るどこぞの魔術師が、船底を適当に引っ剥がしまくったからである。裏切り者の嫌疑をかけられたサーペントスの乗組員は完全にとばっちりだった。
「……被害は」
「あの、その……」
「さっさと報告しろッ!」
言い淀む部下に、目を血走らせて苛立たしげにヤナーが凄む。
「修復は、その、なんと言いますか、難しいというか……」
「あァ!? おまえ、この状況がわかってねぇのかカスが!! できるのか、できないのかはっきりしろ!!」
「む、無理です……! サーペントスは修復不能、沈みますッ!」
言うが早いか、被害状況を報告した部下は、天敵に出会ったエムハオのごとく他の船員たちのもとへ逃げ出した。彼とて、いまだ鞘に仕舞われないヤナーの剣の切れ味を味わいたくないのだ。
また、逃げ込まれる船員たちはとばっちりを避けるために逃げ込んできた船員を押し戻そうとし、すぐに殴り合いの乱闘へと発展する。
そんな部下たちの混迷が、さらにヤナーを苛立たせる。
「チッ……クソカスどもが」
ありえない。あってはならない。こんなことは。
見ている間にも、飢えた海蛇の口腔を思わせる波間に溶けるように、次々と味方の船が飲み込まれていく。
この国でも他に類を見ないほど精強な新鋭艦隊――正面からぶつかれば、王家にさえ勝る自信さえあったそれが、水面に浮かべた木の葉を思わせる呆気なさで。
配下の者たちの悲鳴、怒号、命乞いの声が幾重にもかさなる悪夢のような光景。
他よりも大型であるために、サーペントスはまだ浮かんでいる。
しかし島影は遠く水平線の際に見え隠れするだけで、修復も不可能となれば、この浸水具合ではとても辿り着けるものではなかった。
サーペントスには、港の整備されていない島への上陸用に短艇が積み込まれている。大型船で浅瀬に近付くと座礁してしまうため、沖で錨をおろして停泊し、短艇を出して上陸するのだ。
ご丁寧なことにというべきか、抜かりがないというべきか。この短艇も破壊されており、気付いた時にはどこにも逃げ場がない状況に追い込まれていた。
「くそがッ!」
気の立ったブォムのように顔面を赤く染めあげ、ヤナーは悪態をつく。
鹵獲船一隻を除いたとて、大型帆船含む十四隻もの新鋭船の喪失。並の家であれば、そのまま滅亡しかねないほどの損失だ。
海賊稼業と神の血鉱山で荒稼ぎしているヤツ家といえども、けして安いものではない。
ヤナーを次期当主の座から引きずり落とすため、弟たちは嘲り、執拗に責め立ててくるだろう。耐え難い屈辱だ。ヤナーは眉間に深く皺を刻んだ。
「こちらはヤツ家の旗艦サーペントスである! 停戦してやる! ただちに攻撃をやめよ!」
暗い未来の予想から生じた目眩を振り払うべく、ヤナーはゾエ家のボロ船へ向けて怒声を張り上げる。
「こちらには交渉の用意がある! 即座に敵対行動をやめ、迎えを寄越せ!」
貴族はナメられたら終わりだ。
軽々に下手に出るわけにはいかないが、船が沈んだ後では交渉もなにもあったものではない。
サーペントスには秘密兵器が積んである。これを切り札に、まだ沈んでいない今であれば多少は有利な停戦交渉を引き出せるかもしれない。交渉の場で奇襲ができそうなら、それでも良い。
ヤナーにとっては苦渋の決断だったが、これに文句をつける者がいた。
「キィィイイイイイ! 交渉だって!? ふッざけんじゃないよ!」
乱杭歯の隙間から金切り声を上げ、ドスドスと甲板を踏みならす女の名はワリィ = ゾエである。
ワリィはヤナーの実の妹であり、ゾエ家に嫁いだ身でありながら今回のゾエ白爵襲撃を企てた張本人でもある。
ゾエ白爵が亡き者となれば、ワリィの夫であるマキ = ゾエに家督が転がり込んでくる。マキはワリィの言いなりなので、ヤツ家のさらなる躍進は約束されたようなものだ。
そこでワリィは、新しい玩具を手にした子供がそうであるように、新造艦船の力を試したくてたまらなかったヤナーに襲撃計画を持ちかけた。
つまり、この大失態はワリィの口車に乗った挙げ句の惨事である。己の責任なぞ完全に棚上げして、ヤナーは心底忌々しそうに舌打ちをする。
「もたもたせずさっさとアレを使っちまえばいいんだよ! あの老いぼれをぶっ殺しちまえばいいじゃねーかッ!!」
「馬鹿が! あの船まで沈んだら俺たち全員まとめて魚の餌だぞ!?」
ワリィの言うアレとは、サーペントスに積まれた秘密兵器に他ならない。
従来、船舶同士の戦いでは火矢によって舵や漕ぎ手を燃やすなどして足を奪い、じわじわとなぶるか、船先端の衝角突撃によって横腹に穴をあけ轟沈させる、もしくは横付けした船から縄梯子などで敵船舶に乗り込み、白兵戦で制圧するといった戦法が主流だ。
サーペントスの秘密兵器――投火機は、火矢による攻撃の発展型と呼べるものだ。原理としては攻城兵器である投石機に近い。
投火機は石の代わりに、油を染み込ませた布を巻いた壺を投射する。壺の中にも燃えやすい藁とたっぷりの油が入っており、投射の直前に外側の布へ火を放つ。燃え盛る壺は敵船に到達した衝撃で割れて中身をぶち撒け、一気に火の海になるって寸法だ。
その投火機が2門、サーペントスには備え付けられている。新造大型船だからこそ積み込める秘密兵器だった。
もちろん、投射物を石に変えれば従来の投石機として活用もできる。
どれだけ精強な艦船を揃えようとも、城攻めには適さない。そんな、これまでの通説を覆し得る兵器。
これを揃えた暁には王家を弑逆し、ヤツ家の天下が――ヤツ王朝さえ夢ではない。
(否。だからこそ、内通者を使い潰してでもサーペントスを沈めにかかってきたのか。認めねばなるまい。どうやら王家にも鼻が利く者がいるらしいな)
ヤナーは居もしない王家の切れ者の策謀を想い、獰猛に牙を剥く。
今にして考えてみれば、降伏勧告とやらを告げてきた若い女の声も王家の名を名乗っていた。
あの声に触発され、また甲板の女どもを目にした者たちにとって、遠距離から投火機で船を沈めてしまうなどという勿体ないことができるはずもない。
幾日にも及ぶ航海で男たちの獣性は溜まりに溜まっていた。よもや、そこまで考えてあの女は降伏勧告を……?
ヤナーの深読みは留まるところを知らない。
自らの誇る艦隊を壊滅させた相手なのだから、すべて深い策謀を巡らせた上での戦略なのだと思い込みたいのかもしれない。
まさか、正面から雑ぅに行って適当に流れで殲滅し、そのまま日帰りしようなどと思われていたと知ったら、激昂を通り越して、感情が無になってしまうのではなかろうか。
「ともかく、アレを使えばあのボロ船なぞ跡形も残るまいよ。それともお前はあの老いぼれ白爵と心中したいのか?」
「馬鹿なこと言ってんじゃあないよッ! ああクソ、腹立たしい……仕方ないね、じゃあ交渉には手練れを連れてってそのまま制圧しちまえばいい」
「無論、そのつもりだ」
気勢を取り戻したワリィがニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、相変わらず品がない笑い方だなと顔を顰めながらも、ヤナーはそれに首肯する。
剣やナイフなどはもちろんあのボロ船に乗り込む前に小舟で没収されるだろうが、こちらは暗器使いも雇い入れている。髪や服、口の中など、ありとあらゆるところから致死の毒針を取り出せる手練れである。
交渉に乗じて白爵には死んでもらう。新鋭艦隊を喪失した失態には満たなくとも、ゾエ白爵の首を落とせばある程度の面目も立つ。
男の船員も不要だ。持ち替えれば奴隷として労働力になるだろうが、あのボロ船に無事な部下と共に全員を積み込むほどの余裕はあるまい。
女どもには――自分達の受けた少なくない損害の埋め合わせを、心ゆくまでさせてやる。王家の女を組み敷くのは、きっとたまらなく気分が良いに違いない。
ヤナーは血塗れの剣を持ったまま、顔中に下卑た笑みを貼り付ける。その笑い方は妹のワリィとそっくりだ。
「……な、なぁ。ヤナーさん」
「あァ!?」
高貴な血筋の令嬢を蹂躙する妄想から現実に引き戻され、ヤナーは不機嫌に声の主を睨む。
ヤナーに怒鳴られて青褪めた表情をより一層深めたのは、ワリィの夫であるマキだった。
現当主のゾエ白爵が死ねば次代のゾエ白爵となる男だが、主体性がなくビビりで、そのくせ弱者には尊大な態度をとる典型的な小者である。
「いまさら怖気付いたとか言わないよな!?」
「あ……いやそういうつもりじゃ」
ヤナーが凄めば、マキはびくびくオドオドと視線をあちこちに彷徨わせ、声も尻すぼみになっていく。その態度が余計にヤナーを苛立たせる。
そのままマキは口をつぐみ、ヤナーが舌打ちをするのがいつもの流れだが、このときばかりはそうではなかった。
「お、親父は俺たちのこと、み、見捨てるつもりじゃないかな……」
「あァ!? ンなことあるわけないだろ、こちとらヤツ家の次期当主とてめぇの息子夫婦だぞ!?」
「あ……待ってくれ。違う、でも……迎えの船、出す様子……ないし、ヤナーさんの声が、あっちに聞こえてなかったのかも……」
「じゃあ、あんたが言えよ!」
ヤナーはマキを怒鳴りつけるも、過ぎった嫌な予感が振り払えなかった。
サーペントスの傾きはひどくなり、見れば水面も随分近づいている。
貴族同士のやり取りはナメられたら終わりだが、メンツもまた重要だ。
相手のメンツが立たないほどにまで追い詰めすぎると、家同士の全面抗争となり、どちらにとっても不利益と悲劇を振りまくばかりだ。
そのため、ある程度の落とし所――利益を確保しつつ、相手にもある程度の言い訳が立つ程度の譲歩をする。
表面上は「そっちも悪かったが、こっちにも落ち度はあったから痛み分けにしよう」と妥協点を見極めて手打ちにするのだ。
その采配ができずして、貴族社会で生き残ることなどできない。
全面抗争となれば疲弊は避けられず、弱みを見せれば大義名分をいかようにも作って他家にしゃぶり尽くされる。ここ近年のゾエ家がそうであったように。
なればこそ、ありえないはずなのだ。ゾエ家が交渉に応じないなどということは。
しかし、マキの言うようにゾエ家のボロ船は全く動く素振りを見せなかった。
その間にもサーペントスの甲板はどんどん水面に近づいて、ついには波の飛沫が甲板を濡らす。
ヤナーは慌てた。
「ふ、ふざけるなよッ!? こちらはヤツ家旗艦サーペントス! ヤナー = ヤツだ! さっさと迎えの船を寄越せッ!」
悲鳴にも似た怒鳴り声に、返ってきたのは溜息にも似た呆れた様子の女の声。
『海賊風情が、映えあるヤツ家の名を騙るなんておこがましいですわね』
「なん……だとッ!?」
『ご存じないかもしれませんけれど、かの家は何度海賊嫌疑を掛けられようとも蹴散らして、裁判で潔白を勝ち取ってきた由緒正しい家柄でしてよ』
「そ――れはッ!」
魔道具で拡声された女の声は、極めて冷淡だった。
咄嗟に反駁できず、ヤナーは口をぱくぱくとさせる。
ヤツ家は実際に海賊と手を組み荒稼ぎをしてきた。それを面白く思わない者も、もちろん存在する。
女の言うように何度も告発を受けた。そして、そのたびに判事に金を握らせ、女を当てがい、弱みを握り――ヤツ家は潔白を勝ち取ってきたのだ。
だから明確な海賊行為を働いたお前らはヤツ家にあらず、と。あの女はそう宣った。
ヤツ家を讃えているようでいて、実際は裏から手を回して海賊疑惑を払拭してきたことを当て擦ってきているわけで、相手はヤナーたちの素性をわかった上ですっとぼけているのだ。
「ざッッッけんじゃないわよぉおおおおお!? おいこらくそ爺、このあたくしの顔が誰かわかんないはずないでしょうがッ!?」
憤怒のあまり顔中を真っ赤に染めて、眉を痙攣させたワリィが叫ぶ。
『はて。息子夫婦と、ヤツ家嫡男のヤナー殿によく似た偽物じゃなぁ』
『近頃の海賊は手の込んだことをしますわね』
『息子や娘を装うのは、高齢者を狙った詐欺のよくある手口です。オレオレ詐欺といいます』
『こわいのぉ……』
飄々としたゾエ白爵の言動に「本物に決まってんでしょうがァアアあああ!!」とキレたワリィが暴れ出す。
ドスドスと甲板を踏み鳴らすたびにサーペントスの傾きが酷くなっている気がして、ヤナーの背に冷たいものが流れる。
「馬鹿な……そんな、そんなことが許されるのか?」
『誰が許さないって?』
到底、あちらの船に聞こえないはずのヤナーの震える呟きに、また別の女の声が応えた。
ヤナーは遅まきながら気付く。全て、聞かれていたのだと。交渉にかこつけて暗殺者を差し向けるつもりだったことも。全てを。
ヤナーの靴が海水に浸かり、ちゃぷ、ちゃぷと小さな声をあげる。まるで、海の底へ手招きするように。
「……し、死にたく、ない。頼む、助けてくれ。金ならあるぞ」
掠れ声が零れ落ちる。
『あんたらは、そうやって命乞いをされたことがないのか?』
あるに決まっている。助けてやったことだって、ある。死ぬより酷い目に遭わせ、殺してほしいと懇願するようになったところで息絶えるまで放置するのをカウントするならば、だが。
「そ、そんなもん知るかよ! 食い物にされる奴らが弱いのが悪い。そうだろ!?」
『じゃあ、今度はお前らが食われる番が来ただけだ。そうだろ?』
ヤナーの言い分を模して、冷淡な女の――女の声を模した化け物の囀りが響く。
「どうして!? あたくしたちは騙されただけ、そうだわ、あたくしは悪くないの! 貧しい暮らしから抜け出すために必死に戦ってきただけのにぃ!?」
『弱い者を踏みつけにして奪うのは、戦いとは言わない。単なる弱い者いじめだ』
「そんなの誰だってやってることじゃない! どうしてあたくしが殺されなくちゃいけないの!? そ、そうだわ、あたくしには子供がいるの、子供から親を奪うつもり!? 人殺し! この、人殺しの化けも――あがッ!? おぼぼぼぼぼ……」
『……』
膝まで沈み、なおも口汚く罵るワリィの足を、どこからか飛んできた小石か何かが強烈に打ち据える。
空気を求め、ワリィがばしゃばしゃと水を叩く音がいやに大きく響く。
「あ……あんたと、同じってわけだ。弱い者いじめは……楽しいかい?」
『…………』
マキの皮肉にも、響く声はもう何も応えない。
こうしてはいられない。溺れて掴みかかってくるワリィを躱し、ヤナーは甲板をざぶざぶと進んだ。途中、ぶつかってきた部下を押し退け、なおも進む。
穴が空いているとはいえ、短艇にしがみついていれば、どこかの島に流れつけるかもしれないと考えたのだ。が、やけに足が重い。それに、腹が燃えるように熱く、それでいて氷のように冷たく――。
「あ……?」
ヤナーが視線を下ろすと、そこには自らの剣が深々と突き刺さっていた。
「お前らの、せいでッ! うぁあ、うぁあああああ!!」
錯乱した部下に剣を奪われ、刺されたのだと、ようやくヤナーは思い至った。
冷たく手招きする水面に、そのままどうと倒れ込む。
滲む視界の先では、同じく短艇に取りつこうとしていたマキが斬り捨てられるところだった。