僕らの艦隊戦 そのに
戦いというのは基本的に、いかに多数で少数を相手取るか、いかに多数に囲まれないよう立ち回るかで決まる。
剣や弓による攻撃にしても、盾を使って防御するにしても、敵に何かしらの対応をするためには手が塞がる。その瞬間に側面とか背後から攻撃されればひとたまりもない。正面の攻撃を防いでいる瞬間に、背中がガラ空きになるのはどうしょうもない。
連携の取れた攻撃というのは、それだけ厄介だ。仮に兵の練度が同じだとするなら、敵よりも大人数を用意できた段階でほぼ勝ったようなものだ。
僕の今の剣の師でもあるリジットが言うには、練度に大きな差がある――たとえば武を極めた達人でさえ、全くの同時に襲い来る人間に対処するのは3人までが限度なんだとか。
むしろ、そういった達人ともなると、立ち位置の調整や足運びなどで襲撃タイミングを巧妙にずらし、全くの同時に相手をしないよう立ち回るらしい。3対1ではなく、1対1を3回こなすことで敵を撃破してのけるんだってさ。
逆に言えば、そうやって対処しなければ、その道を極めた達人であろうと覆せないほどの戦力差が生まれるもの。それが数の利というものだ。
そういった意味では、老朽化したエルフィンド号一隻に対し、最新鋭の船舶を中核とする十五隻からなる艦隊では、最初から勝負にすらならない。
それがわかっているから敵の側に緊張感などまるでない。
いたぶるように包囲を狭め、獲物を前に舌舐めずりをする。
奴らにとっては勝って当たり前で、いかに自分たちの取り分を多くするかに興味が移っているらしい。
火矢は構えるものの射って来る様子はなく、取り囲んだ船舶による衝角突撃のそぶりも見られない。この船を沈めるのは簡単だが、沈めてしまえば戦利品が減るとでも考えてるんだろうな。
言うまでもないことだけど、僕らは戦利品になぞなってやる気はさらさら無い。
エルフィンド号の周囲を取り囲む船から続々と鉤爪が投げ込まれる。
結わえてあるロープは縄梯子になっているようで、それを伝って荒事に慣れてそうなならず者どもが続々とこちらに乗り込もうとする。
……そろそろいいだろう。
「さすがにこの状況から『仲良くお茶しましょ、のつもりでした』は通らんだろ」
「ええ。大義名分は十分ですわ」
「合意と見てよろしいですね? それでは、えい、えいえいっ、えいっと」
レピスが頷くや否や、気の抜ける掛け声とともに霞む速度でシャロンが両手を振る。
「ぎゃっ!?」
「うぶっ」
「ぐあ、なんだ――うぎゃっ!?」
「うがぁああああッ! 目、俺の目がァアッ!?」
「はァ!? おい馬鹿何やってやがんだ、どこに自分の船燃やす馬鹿がぶげぇっ」
効果は抜群だ!
縄梯子からエルフィンド号へと乗り移ろうとしていた男たちの野太い悲鳴が上がり、そのすぐ後には彼らが海に転落したことを示す大きな水音が連続する。
敵の攻撃意図の言い逃れが効かなくなったなら、あとは根こそぎ潰すだけである。
初撃はおなじみ、シャロンの小石投擲による牽制だ。いや、牽制、だよな?
なんか敵の船の一隻、すでに燃え上がってんだけど……? なして……?
「可燃物のそばで火矢を構えた方がいましたので、有効活用してみました」
シャロンはこともなげに言うけど、お互いに揺れる船の上である。
敵の番えた火矢を狙い、その可燃物とやらに引火させるなんて芸当は神業以外のなにものでもなく、しかもそれを片手間にこなしているのだ。
シャロンが投げた他の小石も、おそらく全弾命中している。
拷問できるように、わざと甲板に辿り着いてから両足を撃ち抜かれ、現在進行系でウチの船乗りたちに袋叩きにされてる一名を除くと、その他の敵は全てエルフィンド号に辿り着く前に水面へと叩き落とされている。
シャロンの居る位置からだと、僕やレピスが邪魔になって狙えないはずの位置関係にいた敵も、きっちり目を撃ち抜いて落としていた。
なにせほとんど一瞬の出来事だったので僕の目では全てを追い切ることはかなわなかったけど、たぶん帆の柱やら船の縁やらに跳弾させて狙い撃ったのだと思われる。
無駄に洗練された無駄のない無駄な神業。
「ひと思いに〝蒼月の翼〟撃ち込んだほうが楽じゃない?」
「はい。でも石は拾えば無料です。家計をやりくりするのも良妻のつとめですから」
超絶技巧の神業は、節約の産物だということが発覚した。
〝蒼月の翼〟の破壊力を担保しているのはヒュエル鉱石から抽出・精製した高純度ヒュエル粉だ。
この加工にはそこそこ手間が掛かっているので、温存してくれるのは助かるっちゃ助かる。
あんまり市場にも出回らないんだよね、ヒュエル鉱石。危ないし売れないし町への持ち込み制限掛かってるし。
〝蒼月の翼〟は『女神の威光』を演出するには便利だけど、今回の場合は当たって倒せりゃなんでもいいしな。
むふー、とドヤ顔で胸を張るシャロンの頭を撫でる。
僕が撫でる気配を見せると、すかさず少し屈んで撫でやすい姿勢をとるのだからよくわかっている。
今の僕は少女の姿なので、身長はアーシャと同程度だ。シャロンが立ったままだと撫でにくい。頭ひとつ分くらい見上げる形になるからな。
いやまぁ、少女に見えているだけで実際の身長差には変化がないから、屈んでもらわなくても届くっちゃ届くんだけど、動きに違和感が出ないように"幻惑"系術式を組み合わせて触った感覚まで再現している関係上、認識と齟齬が発生して気持ち悪い感覚を味わう羽目になるのだ。シャロンいわく『SAN値チェック案件』とのことだ。
日の光を束ねたようなシャロンの金の髪は、潮風に晒されてもサラッサラのままで、指の間をするりと流れていく。
「あのぉ、そこの魔女様に女神様? 節約もイチャつくのも大いに結構ですけれども、というかイチャつくのは是非わたくしも混ぜてほしいですけれども、まだ戦いの真っ最中なことをお忘れではございませんかしら?」
幸せそうなとろけ顔のシャロンとは対照的に、レピスは眉を寄せてあちこちにせわしなく目を配り、どうにも落ち着かない様子だ。
「え? ………………あっ。いや、忘れてないぞ」
「なんなのですか、その『間』は! もぉ! 集中! 集中してくださいまし!」
レピスはぷぅと頬を膨らせて、僕の肩のあたりをぽこぽこ叩いてくる。かと思えば、叩かれた拍子にたゆんと揺れたアーニャサイズの僕の胸に目を釘付けにして、そっと触れてきたりもする。
……なんだかんだ言いながらレピスもけっこう余裕あるな?
侍女長からは『高貴な御身は常に落ち着きをもって優雅な振る舞いをなさいませ』と散々言われて育ったそうなので、そういった教育の賜物なのかもしれんね。
ひとの胸を揉むのが優雅な振る舞いかどうかは、ただの村人な僕には判断しかねる。
「大丈夫です、レピスラシアさん。私たちの戦いはまだ始まったばかりです!」
「なぜかしら、シャロン姉義妻様の仰りようですと、不思議とそのまま終わりそうな気がしますわ……」
「おっ、鋭いな」
シャロンの言うように戦いは始まったばかりだけど、レピスの指摘通りもう終わる。
敵から攻撃を仕掛けてきた事実があって、捕虜もとった。
あとはもう、片っ端から手当たり次第に船底を"剥離"がすだけの簡単なお仕事だ。
戦いは始まったときには終わっている、ってやつだな。……ちょっと違うか?
その後。あっけないほど簡単に、戦いは戦いのていを成さなくなった。
ことによると最初から成してなかったかもしれないけど。
奴らにしてみれば、何をされたかもわからないまま味方が海へ落ちたり船ごと炎上して、その混乱から立ち直る間もなく自分たちの船が沈みはじめた、ってとこか。
「なんか知らんがとにかくヤバい! 逃げろ、退避だ退避!」
「馬鹿、逃げろったってどこに!? どうやって!?」
「駄目だ! この船も沈む! どうにもならん、無事な船まで泳げ!」
「どれが無事な船だよ!?」
「いやだぁあああ! 死にたくねぇ! こんなところで俺は死にたくねぇ!」
「助けて、助けてくれ! 金ならいくらでもやるからぁあああ!」
「あはははは、はははははは夢だこれは夢だ夢夢夢覚めろ夢起きろ起きろ起きろこれは夢夢夢悪い夢、ははは、ひひひ、ひひひはは」
混乱が混乱を呼び、恐慌からの同士討ちやら錯乱やら。まさに阿鼻叫喚。
こうなってしまえば、なんとも哀れなものだ。
助けるつもりはさらさらないけどな。海賊死すべし、慈悲はない。
数の利? そりゃまあ人間対人間なら多い方が有利だろうけど、角兎対狂爆熊なら、いくらエムハオが群れても餌にしかならないからなぁ。
敵の包囲網はとっくに機能しておらず、連携攻撃どころか矢の一本だって飛んでこない。飛んできてもシャロンが撃ち落とすだろうけどさ。節約しながら。
沈みゆく船をなんとか保たせようと、躍起になって水を掻き出そうとする者。
自分だけは助かろうと味方を海に突き落とす者。
ほぼ沈みかけの船から、まだ沈み始めたくらいの船へと乗り移るべく必死に漕ぐ者。寄られてはかなわんと逃げる船――あ、敵の船同士でぶつかってやんの。
「いやー、これはひどいな!」
「まるっきり他人事ですわね……」
緊張感が薄れてきたらしいレピスが、呆れたように嘆息したあたりで、浸水が進んで船尾が傾き始めた大型帆船から、偉そうな声が降ってきた。
「こちらはヤツ家の旗艦サーペントスである! 停戦してやる! エルフィンド号、ただちに攻撃をやめよ!」