僕らの艦隊戦 そのいち
翌日。
朝の習慣と化しつつあるレントたちとの戯れを済ませ、連れて行けと無表情で訴えるリリィを宥め、僕らは大改造中のササザキ島を出発した。
漕ぎ手いらずのエルフィンド号は、大海原を切り裂いてぐんぐん進む。
島影はすでに見えなくなり、ほんとうに真っ直ぐ進めているのか不安になるところだが、船の動力のゴーレムはすべてシャロンの制御下にある。迷う心配は無用だ。
シャロンの各種計器類ならばたとえ嵐に遭おうとも方向を見失うことはないだろうし、そもそも嵐の発生予兆すら読み取って事前に回避する。船乗りたちにとってはまさに女神以外の何者でもないだろう。
その女神様たっての願いで、船の舳先で謎のポーズを一緒にやらされたけども、そのくらいで満足してくれるなら可愛いものだ。
大昔の、なんかの肉(?)のポーズだそうだが、シャロンが楽しそうだから文句なんてあろうはずもない。
エルフィンド号には数日分の飲み水、保存食が積み込まれているが、なにごともなければ今日も日帰りのつもりだ。
ちなみに保存食は全部バミ肉の燻製だ。ササザキ島に暮らす者はすでにみんな食べ飽きているそれを、つまみ食いしようという気にもならない。
乗組員は女体化した僕と、シャロン、レピス、レピスの侍女と護衛の騎士くん。志願してきた船乗りたちが数名に、今日はゾエ白爵とその護衛の兵も若干名。
回転推進石兵によって航行するエルフィンド号は管理に人数が要らない。なんだったら僕とシャロンだけでも動かせるくらいだ。
「あとどれくらい耐えればいいのかね……」
「もう半刻ほどで遭遇します」
「そうか……できれば帰りはもう少しゆっくりにしてもらえないものかね……」
風避けの内側から聞こえた、今にも掻き消されそうなか細い声はゾエ白爵だ。シャロンが応えると深い溜め息が返ってくる。
出航からこっち、白爵と護衛兵や一部の船乗りの顔面は血の気を失って青白い。おそらく、来たる艦隊戦からくる緊張だ。
エタリウムは四方を海に囲まれた海洋国家だ。海と船上こそ彼らの領域。ちょっとばかり速く進む船に怯えて縮こまってる、などという見方は海の民たる彼らへの侮辱であろう。
勧告に応じて相手方が素直に引き下がればそれでよし。
ただ、引けと言われて「はいそうですか」とはいかないだろうからなぁ……。それで引き下がるようなら、最初から艦隊を差し向けてきたりはしない。船を動かすのもタダではないのだ。荒事は避けられないものとして心構えをしておいたほうがいい。
それでもすでに『帰り』のことを冗談めかして言えるだけ、白爵は肝が座っている。
大きめの波とぶつかったエルフィンド号がちょっとばかりギシギシ軋むたび、盛大に肩を跳ねさせているのも、部下の緊張をほぐそうという気遣いに違いない。なかなかどうして侮れない爺さんだ。
それからきっかり半刻後。シャロンの宣言した通り、遠く、霞む水平線の向こうに船の帆が見えた。エルフィンド号の甲板に緊張が走る。
「ほんとに居やがったぞ!」
「何隻だ?」
「十、十一、十二……嘘だろ、全部で十五隻も……」
戦慄する船乗りたちの声を聞きながら、進行方向を眺める。ははぁ、いるわいるわ。こりゃまた結構な大所帯だ。
ほとんどがエルフィンド号と同じくらいの大きさだが、あちらはほぼ新造艦で揃えてあるのだろう。船体に傷のようなものはほとんど見当たらない。
船の先端には各々立派な衝角を備えており、あれをモロに横腹にもらおうもんなら、ボロいエルフィンド号などひとたまりもなさそうだ。
ひときわ目を引く大型の帆船を守護するように、それらの船がずらりと並んでいるさまは、シャロンから相手の戦力をあらかじめ聞き及んでいてさえ、それなりに圧迫感がある。前情報のない船乗りや護衛たちが竦み上がるのも無理はない。
「一隻だけ背鰭が違うのがいますわね。ほら、あちらですわ」
レピスは艦隊の中ではやや浮いた一隻を示す。指差すのではなく、手のひら全体で柔らかく視線を促す仕草だ。
このタイミングではどうでもいいことかもしれないけど、こういう何気ない所作を見るたびに再確認するんだよな。なんというか、レピスの育ちの良さみたいなものを。セルシラーナと同じく自称お姫様だけど、なんとなく本物っぽいというか。
このところあれこれと理由をつけてベッドに潜り込もうとしてくるのも、僕が知らないだけで、もしかしたら由緒正しい王族しぐさなのかもしれん。ただでさえ、国が違ったら常識となる知識も違ったりするのだし。
今の『背鰭が違う』という言い回しにしたってそうだ。
相手は船なので、もちろん背鰭なんてついていないが、これは『別のものが紛れ込んでいる』ようなものを意味する表現だという。背鰭で魚の種類を選り分けたりするんだろう。なんとも海の民のエタリウムらしい言葉だ。
同じ言葉を喋っているようでいて、育ってきた文化や風土が違えば、思わぬところで話が通じないなんてこともありそうだ。
「どれどれ……。あー、言われてみれば。一隻だけ小さいか?」
「意匠も違いますわよ。わかりやすいところだと、ほら、櫂の向きなんかも」
「よく見てんね」
細かいことを言えばふたつとして同じ船なんてないのだから、それぞれ違いはあるのだろうけれど、大きさや形が明らかに違うのでもない限り僕にとっては同じような船だ。あんまり船自体には興味ないしな。
七色に光ってるとかなら違いがわかりやすいけど、残念なことにそういう船はない。いっそエルフィンド号を光らせてみるか? 光につられて島喰みあたりが寄ってきたら素材がおかわりできて嬉しい。肉はもうしばらく要らんが……。
いかん。思考が逸れた。
相手方の艦隊の中の大型帆船を除くと、レピスのいう一隻だけは僕でも見分けがつく程度には趣きが違うように感じられる。
あと、少々傷んでいるような気もする。まあ他と比べればという話であって、僕らが乗ってるエルフィンド号よりはよっぽど小綺麗だけど。
なんでそんなのが混じってるんだ? と首を捻っていると、その答えはシャロンから齎された。
「あれは鹵獲された商船です。襲った船を沈めずに拿捕したものですね」
「……元々の乗組員はどうなったんだ?」
「不明です。目標船団内で強制労働させられていると思しき対象は検知できませんでした。すでに生きていないと推察します」
「……そっか。遠慮なく全部沈めていいってことだな」
「その……、投降を呼びかけるのはやめにして、先制攻撃をなさいますかしら……?」
少女のすがたに見せかけている時の僕の声は、リジットの声を魔術的に再現したものだ。
その声があまりに冷え切った、血に飢えた騎士だったせいだろう。怯えるようにびくんと肩を跳ねさせたレピスがおずおずと提案してくる。
「いや。相手がクソ野郎だとしても、こっちまでその流儀に合わせてやる必要はないさ」
「わかりましたわ。あちらも気付いたようですし、始めますわね。ゾエ白爵、ご準備はよろしくて?」
白爵は一連の海賊騒動に落とし前をつけるため、こうしてわざわざ出張ってきたのだ。
自分の息子夫婦が黒幕に名指しされ、心中穏やかではないだろうが……。
シャロンの読み通りなら、暗殺者の船団や、この艦隊を差し向けてきた狙いは白爵の首をとるためだ。
『お聞きなさい。こちらはゾエ家旗艦エルフィンド号。わたくしはレピスラシア = エクシト・ナセ・マリス = コルムラード。この国の正当なる王家に連なる者として命じます。即刻停船し、投降なさい。繰り返します、即刻停船し、投降なさい』
一隻しかないから旗艦もなにもあったもんじゃないとは思うけど、海での流儀はそういうもんらしい。
いや、ゾエ白爵は二隻ほど随伴をつけたかったみたいなんだけど、 回転推進石兵やら魔道具による推進力がついてない船に合わせて動くとか時間が掛かって仕方ないし、かといって随伴船の分まで増産する利点もないしで、こうしてエルフィンド号一隻のみで出向いてるわけだが。
魔道具で響かせたレピスの声は、遅滞なくあちらに届いたのをシャロンが傍受しているが、停船する様子は見られない。むしろ速度を上げてきた。
続くゾエ白爵の命令でも止まる様子はない。予想通りといえばそれまでだが、あちらの甲板では『殺せ』だの『沈めろ』だのの大合唱だそうだ。
ちなみに向こうの甲板の様子はシャロン渾身のモノマネでお届けされており、聞くに堪えない罵詈雑言なんかは謎のピーという音で伏せられている。どっから出してるんだ、その音。
「首謀者のワリィ = ゾエ、並びにマキ = ゾエの両名も乗り合わせています」
「そう、ですか……」
息子夫婦の悪行が確定し、ゾエ白爵は項垂れる。
その間に、距離を詰めてきた艦隊はエルフィンド号の正面に四隻、左右に三隻ずつ展開。残りは大回りして後ろを取るつもりみたいだな。
ここまで近づけば、相手が――いや、もうこうなっては敵だな。敵が構える火矢も見える。
こちらの乗組員も矢を番えはじめるが、動きは遅い。圧倒的な兵力差に、すでに戦意が折れてしまっているのだろう。ゾエ白爵も諦観とともに自嘲気味に口の端を折り曲げている。
その中でシャロンが平然としているのは当然として、レピスも全く動じた様子がないのは少しばかり意外だ。
僕とシャロンがいれば、負けることなんてまずありえない。たとえ敵に魔導機兵がいたとしてもだ。シャロンが特になにも言ってこないってことは居ないっぽいけど。
ただ、勝てるとわかっていたとしても、これだけ敵に囲まれていたら怖くなっても不思議じゃないと思う。
なのにレピスは怖がるどころか、僕のほうへ首をこてんと傾けて微笑んでみせた。
「だって、あなたがいますもの。蹴散らしてくださるのでしょう?」
「もちろん」
向けられる信頼が少しばかりむず痒くて、僕はレピスから視線を逸らす。
見据えた先には、エルフィンド号を取り囲む敵のニヤけ顔。
これから始まるのは戦いではなく一方的な狩り。そう思ってるんだろう、お前らは。
包囲が完成して、逃げ場がなくなったところで一斉に掛かってくるつもりなのだろうが、その瞬間がお前らの最期だ。
蹂躙されるのがどちら側か、そうなってから気付いてももう遅い。
レピス「こんなのより〝島喰み〟のほうがよっぽど怖かったですわよ」
それはそう。