僕と命の奪い合い
「船って一枚の木の板でできてるわけじゃないからね。繋ぎ目を剥がすだけで案外簡単に沈むよ」
どうやって船を沈めているのか、と聞かれたから正直に手口を答えたら『は? なに言ってんだ?』みたいな顔をされてつらい。
便利なのにな、"剥離"魔術。地味だけどさ。
船で無理やり働かされていたっぽい船漕ぎや、荒くれどもの性欲の捌け口として使われていたであろう娘たちは助け出しつつ、暗殺者たちの部隊が乗った船は3隻とも沈めた。再利用のことなど考えずに適当に船底を"剥がし"たので、そりゃもういい沈みっぷりだったな。
暗殺者どもは船と一緒に沈んだか、しばらく浮いてても結局沈むだろう。あのあたりには島はないし、近くを通る船もいないというシャロンのお墨付きもある。
助け出した中に紛れていた暗殺者の一味は、立場が一転した船漕ぎたちに押さえつけられて、僕らの前に転がされる。
「な、なんでもする! 知ってることは洗いざらい話すし、あんたらの犬になってもいい! 命だけは助けてくれ、お願いだ!」
こんな犬要らないぞ、僕は。
このテの人間は、平気で人を害するくせに、自分が殺されそうになると命乞いをするのはどういう理屈なんだろうね。
「べつにほしい情報もないんだよな。こいつらの雇い主にも見当はついてるわけだし」
「もしかしたら懸賞金がかけられているかもしれませんわね。その場合も首だけで良いのでしたっけ」
「くれるものはもらうけど、そのために足止めされるほどお金に困ってるわけでもないしな」
「ではやっぱり要りませんわね」
「だよなー。捨てといてくれる?」
その後も暗殺者は盛大に命乞いをしていたが、誰に聞き入れられることもなく、そのままぽいと船外に放り捨てられた。怨嗟の声は大きな水音ですぐに上書きされる。
「他に潜んでいる者はいないようです」
「シャロン義姉妻様がそうおっしゃるのでしたら、そうなのでしょうね」
レピスは遠い目をして水平線を眺めている。シャロンの能力について深く考えることをやめたらしい。わかるぞ、その気持ち。呼吸の乱れとか脈拍、目の動きなんかで判断してるらしいんだけど、そういう部分はどう考えても人間離れしている。え? 僕は違うよ。どこにでもいるただの魔術師だよ。
今の奴にしても、船と一緒に沈めたやつらにしても、生き残って後々の障害になる可能性を考えるなら、本来ならちゃんとトドメを刺すほうがいいんだろう。
それでも、相手が悪人とはいえ直接殺すことに慣れるのは、あんまりよくない気がしている。船を沈めてる時点で直接殺したようなものなのはそりゃそうだし、べつに悪人に慈悲をかけるつもりも、その義理もない。
ただ――僕が『殺し』に慣れると、『殺す』ために悪人を探すようになる。そんな気がするのだ。
シャロンやリリィたちに手伝わせれば、殺す相手を探すのなんて簡単だ。それこそ人間離れした精度で、いくらでも裁かれるべき相手を見つけ出してくれるだろう。
悪人を消して世の中を良くする、なんてもっともらしい理由をつけて、殺して、殺して、殺して――血を洗い流すために新たな血を流させる。そういう苛烈な素養とでもいうべきものが僕にはあるのだと思う。それを為すだけの力も。
たぶん、それがなんとなくでもわかっていたから。蛮族のアジトを埋めたあのとき、カイマンは僕の前に立ちはだかったのだろう。僕のことを友と呼んで憚らないあいつは、身をもって僕がそうなるのを止めたのだ。
だからまあ、その、なんていうかな。やってることは結果的に同じであろうと、直接の人殺しをなるべく避けるのは友人への義理っていうかなんていうか。いや、べ、べつにあいつのためなんかじゃないけどさ。
「スカーレット様がなんとも言えない顔をされておりますわね」
「あれは男のことを考えている表情です」
「ああ、カイマン様の……」
「誤解を招く言い方しないでくれる!?」
シャロンが僕の思考を読んでくるのはいいとして(よくはないが)、レピスが言い当てた根拠はなんだ?
べつに僕はあいつのことなんてなんとも思ってないんだからな。勘違いしないでよね!
助け出した者たちには、回復薬茶や食事――諸事情によりほとんどが燻製肉――、風避けを与えた。
風避けは、肉を削いだ後の島喰みの皮、いわゆるバミ皮だ。若干生臭いけど分厚くしなやかで、風や水飛沫をまるで通さない。
船の上、というか海の上は風を遮るものがないのでかなり寒い。風避けがあるのとないのとでは体感温度が随分違う。
目が抉られていたりだとか、傷の度合いが深かったり、正気が怪しかったりする者は『安眠薬』で眠ってもらった。
『安眠薬』は昏蝶の鱗粉と夜鈴草の花弁を煎じたもので、もともとは渋みとエグみが後を引く味だったのだけれど、煮詰めたレントの樹液で溶き、リュペの実の皮を混ぜて固めることで、甘い飴のように食べやすくすることに成功した。
昏蝶は幸せな光景を幻視させることで人を森の奥深くに引き込み、遭難して死んだ亡骸の腸に卵を産み付ける厄介な虫だ。その性質上、この鱗粉から作った薬はそうでない眠り薬と違い、悪夢を一切見ない。欠点は寝過ごしやすくなることだろう。
体の傷は眠っている間に"治癒"魔術を施し、目覚めてからは回復薬茶と食事で基礎体力を回復させていくとして、精神の方の傷は、暗示で辛い記憶を思い出しにくくするくらいしか対処の方法がない。
魔導機兵が生み出された頃の文明水準だと、年に一度の健康診断で精神複製を取るように義務付けられていて、精神が損傷したときは健全な頃の複製を元に修復したり、修復困難な場合は複製から丸ごと置き換えてしまうそうだ。うーん、技術の差がありすぎて参考にならん。
せめて夢の中での安寧を保証するくらいが、今の僕にできる限界だ。
傷病者を満載したまま次の戦いへ赴くこともできないので、一旦ササザキ島へと取って返す。
僕らに貸し出された船はゾエ白爵の保有していたもので、名をエルフィンド号という。白爵のお爺さんの代の老朽艦なのだとか。なんでも、その頃は金まわり良かったそうだ。
ある程度見栄えのする船は白爵領にはこれしかないとのことだけど、いかんせん古い。そのままだと船脚も遅かったので、喫水線の上には"重量軽減"を刻んだ魔石を取り付け、"風迅"を仕込んだ送風機を帆に、"回転"術式を刻んだ鉄の羽を船尾に配置。加えて僕の"念動"で、海の上を飛ぶように速く走り回れるようになった。だからこそ風避けが必須なんだけどな! 風が当たると寒いというより痛いし。
あまりの速度に恐れ慄き、騒いだり海神様に祈ったり泣き喚いたりする者たちと、行きにも同じ速さ――ことによると、重量の関係でもっと速かった――を体感し、共感者が増えたことにどこか嬉しそうですらあるレピスを乗せて、エルフィンド号は本来3日掛かる旅程を半日も掛からずに走破した。
朝に出発したエルフィンド号が夕暮れ時に帰ってきたので、ササザキ島の島民たちにはどこか近場をぐるっと回ってきたとでも思われていそうだ。まあ、日帰りで領外まで出て暗殺者の船団をボコってきたと正確に察知できるのは魔導機兵くらいのものだろうけどさ。
島と島とをつなぐ聳え立つ白壁に驚き、あんぐりと口を開けて絶句する船漕ぎたちを、島民たちは暖かく迎え入れる。
もともとは余所者を受け入れる風土も、またその余裕も島にはなかったのだけれど、シャロンが立案してレピスによって説明された観光業、ならびに食糧問題の解決、そして一年間の税の免除によって島民たちの生活には大幅な余裕が生まれた。
島民からすると、移住希望者は後からやってきて甘い汁を吸おうとする者に見えるようで、そのあたりのいざこざをどう解消していくかが今後の課題となりそうなのだけれど、海賊に捕まって酷い目に遭っていた者たちくらいなら快く迎え入れるだけの余力はあるみたいだ。まあ、原初の魔女や救済の姫君、黄金の女神が連れてきた者を拒みはするまいが。
「おかえりなさい、あるじ。明日こそは私を連れていくべきと進言します」
出迎えたリリィがぐいと僕の手を引き、
「おはようからおやすみまで良妻は共にあるものです。私にはオスカニウムの補給も必要ですし」
ずい、とシャロンが割り込む。
「明日も留守を任せるというのであれば、今晩ベッドで可愛がってくださるのでも可とします」
負けじとリリィが食い下がり、
「ずるいですわ。ずるいですわー! スカーレット様はわたくしの護衛です。なればこそ、わたくしと同じベッドで眠るのが相応しいのではなくて?」
なんか知らんがレピスまで参戦して張り合い出す。
いや、護衛ってそういうものではなくないか?
明日は一連の海賊騒動の親玉艦隊との争いになるだろうに、緊張感の欠片もないな。
半分くらいは現実逃避のために、僕は夕飯に思いを馳せる。たぶん、今日もバミ肉だが。