僕と襲撃者
僕らがササザキ島に到着して、そろそろ二十日ほどになる。
島喰みの解体と保存食への加工は一段落し、加工が間に合わずに腐り始めてしまった部分の切り出しも少しずつ進んでいる。
燻製や塩漬けに加工された肉は、新しい食べ方が島民たちの手によって日々模索されている。
自分たちで食べるためでもあるけど、観光向けの商品開発を意識しているのだ。
骨を見に来るやつなんてそんなにいるのか? と僕としては疑問だけど、シャロンはいると断言していたし、骨を見に来るような物好きなら肉にも興味があるんじゃなかろうか。
そんな考えから始まった、バミ肉を少しでも美味しく食べるための研究だ。
新しく考案された食べ方のうち、僕が気に入ったのは今のところふたつある。
ひとつは、燻製肉を薄く切って炙り、山羊のチーズに巻いて食べるやつ。
燻製の風味とチーズの臭みがいい具合に混ざり合い、大酒飲みの船乗り連中からの評判もいい。串に刺して売ることで食べ歩きやすいような工夫もできる。
もうひとつはモロコの粉で作られた、もちもちとした食感の生地に、ハミ瓜を細く切って干したものと甘辛い味をつけた燻製肉を刻んで包んで蒸し焼きにしたやつだ。
干したハミ瓜はこのあたりの冬場の貴重な食糧なのだとか。噛むと独特な歯触りがして、噛み続けるとほのかな甘味が出てくる。
燻製肉が多いとクドくなり、ハミ瓜が主張しすぎると物足りない印象になるところ、度重なる試作と試食の果てに、調和する割合や具材の大きさなんかの知見が確立しつつある。名前はバミマンだとかなんとか。
どちらの料理も面白い仕上がりではあるんだけど、チーズも甘辛タレの材料となる蜂蜜も高価で、この島で作っているものでもないため商人の仕入れ次第になってしまうという難点がある。
しかしここにきて朗報もある。蜂蜜の代用になりそうな、手頃なものが見つかったのだ。
「よっ。今日も来たぞ」
「…………」
その鍵を握るのが、この辺りの島に広く分布している木の魔物。レントだ。
登山道から逸れ、岩場をしばらく下った先に、レントが群生して林になっている場所がある。
島に来た当初、バキバキに折り採った枝はすでに生え揃い、生い茂った青葉は瑞々しい生命力を感じさせる。
僕がレント林を視界に納めたあたりで枝葉が一斉にヘナヘナと萎れたようにも感じられるんだけど、これがあいつらなりの挨拶なのだと思う。
2、3回目くらいまではどのレントも枝を振り乱して大いにじゃれついて来たものだが、逢瀬を重ねて5回を超えれば、もはや慣れたものだ。
ここ数回は熱烈歓迎されることもなく、こうして落ち着いた挨拶に終始している。どうやらエムハオみたいに、触れ合っているうちにけっこう簡単にヒトに懐く魔物だったみたいだ。
「…………」
僕が十分に近付く前に、レントは風切り音が鳴るほどに鋭く枝を払い、自らの枝葉を切り落とす。
切断面は鋼の斧で断ち切ってもなかなかこうはならないというくらい、ためらいのないスッパリとした滑らかな切り口だ。
そして幹に絡みついた蔦を蛇のようにくねらせて、落ちた枝葉をさっと拾い集めると、ひとまとめにして僕のほう目掛けてどさりと落として寄越す。
群生しているレントが全て同じように枝を落として拾い集めるさまは、見ているだけでもちょっと楽しい。
これも最近レントが覚えた芸だ。僕がここに来るたびに枝を折って持っていくのを学んだのだろう。
林からなるべく遠く離れた位置に放り投げてくるのも、一見僕に近づいてほしくないがための行動にも見えるけど、実際はなるべく持って帰るときに重くないようにという配慮だと思われる。実によくできた魔物だ。
「かわいいやつめ」
「……」
なんの返事も返っては来ないが、それはレントが発声器官を持たないためだ。
さわさわ、ざわざわと小刻みに震えるように新緑がざわめき、枝葉が落ちて風通しのよくなった木々の隙間から朝の木漏れ日が揺らめく。
僕は、このレントたちにけっこうな愛着が湧いている。僕が近付いても逃げないし、こういった奥ゆかしい振る舞いも新鮮だ。
なんというか、こう、僕のまわりはシャロンを筆頭に押しが強いのが多いんだよな……。
この島に来てからというもの、リリィまで寝床に忍び込んでくるようになったし。しかも半分くらいの確率で全裸だ。寝床への侵入はもう諦めるので、せめて服は着ていてほしい。
押しが強いのもそれはそれでかわいいものだけれど、このレントみたいな癒やしタイプがいてもいいと僕は思う。アーシャも癒やしは癒やしなんだけど、あれでけっこう押しが強いからなぁ。ただのんびりしたい場合、ガムレルでは基本的にラシュをモフるしかないんだよ。
「お前ら、連れて帰れないかな。こう、土ごとゴソッとひっこ抜いてさ」
レントには発声器官もなければ、音を聞き取る聴覚器も備わっていない。
だからこれは僕のひとりごとだったのだけれど、レントたちの反応は劇的だった。
見る間に茂っていた葉が白くなって、はらはらと舞い落ち、蔦もだらんと力なくぶら下がってしまい、幹も水気を喪ったように乾いてしまった。
さすがにひっこ抜かれるのは嫌なのか、はたまた故郷としてこの島に愛着があるのか。それとも僕がどこか遠くに行ってしまうというのを察してだろうか。もしそうなら随分懐いたものだ。なんだか帰ってしまうのが申し訳ない気持ちになってくる。
とにかく、レントの林はすっかり萎れてしまった。放っておいたらこのまま枯れてしまいそうなくらい、力なくしなびるさまは哀愁を誘う。
「いつものやるから元気出せ、ほら」
声をかけながら、持参した特製肥料を撒いていく。
この肥料は、海水から塩を取り出したあとに残る白い粉状のものに、草を焼いた灰、腐りはじめた島喰みの肉を混ぜ、そこに分解スライムをぶち込んで強烈に醗酵を促した特別製だ。
これを撒いておけば、枝がなくなるまで伐採しても、レントの林は丸々2日もあれば元の活力を取り戻す。
さすがに実がなるほどにまで力を蓄えられるわけではないみたいだけど、枝葉や樹液を手に入れるには十分だ。
そう。特産品の鍵となるのはレントの樹液だ。
最初にこのレント林を刈り採ったあと、2日後くらいにここを訪れたとき、レントたちの表面が濡れていた。
当初は朝露かなとも思ったものだけれど、樹液だった。どうも、鳥や虫なんかを樹液で呼び寄せて絡め取り、生気――つまりは魔力を収集して、回復に充ててたみたいなんだよな。完全再生には程遠かったけど、その段階でも多少は新芽が生えてきていた。
生えたばかりの枝を横凪ぎにしてはしゃぐレントたちから枝をもぎ取りつつ樹液も採取して帰り、シャロンとリリィに見せてみたところ、樹液に毒性はなく、煮詰めれば上質の甘味材として使えそうだという。
ちょうど腐りはじめたバミ肉の処理に困っていたところだったので、これ幸いと高濃度魔力の特性肥料に加工してレントに与えてみれば、枝も樹液も採れ、おまけに肉の処理もできるという嬉しい結果になった。
レントの側には石兵を待機させてある。ムー爺の超硬岩石兵と同じ程度の大きさだが動き回る必要はないので足はない。
このゴーレムはレントが樹液を貯めた頃合いを見計らい、ぶすぅっと鋼の管を突き刺して樹液を貯蔵するだけの単純な指令を与えてある。
重くて堅いのでレントの枝やツタ程度の力でどうこうすることはできないが、泥や葉っぱまみれになっているところを見るに、遊び道具かなにかだと認識されているのかもしれない。どうにか排除しようとあの手この手を試してみたような跡にも見えるけど、たぶん楽しく遊んでいるんだろう。僕が見ている前だとおとなしいし。案外照れ屋なのだろう。
一日おきくらいの頻度でこの場所を訪れ、ゴーレムが貯蔵した樹液を回収。
肥料を撒き、レントの枝葉を土産に岩場を登るというのが、このところの僕の早朝の過ごし方だ。
朝食のあとは、島同士を繋ぐ壁を作っていくのが日課――だったのは昨日までの話だ。
途中、海賊のアジトを殲滅するなどの作業を交えつつ、ササザキ島、シュク島、ヘムベ島の3島を結ぶ壁の建造は昨日の昼過ぎには全て終わっている。今日からはいよいよ水抜きの作業に取り掛かれる、はずだったんだが。
「その艦隊とやらが、この島を目指してるのは変わらずか?」
「はい。途中で遭遇した商船を襲ったようで一時的な停滞がありましたが、以降も変わらずこの島を目指す航路を進んでいます」
ゾエ白爵の息子夫婦が元締めをやっていた海賊連中をリリィが叩きのめし、ついでにアジトも僕とシャロンで水没させたので、どうやら仕返しでも目論んでいるらしい。
「また、商船を装った船団も別の航路から接近中です。暗殺者と推定します。タイミングから見て、レピスラシア殿下ではなく白爵を狙ったものでしょう」
「うへぇ。よくやるよ、まったく」
もちろん来るなら潰すまでだけど。嫌になるよね、息子夫婦に殺されそうになるとか、兄弟から暗殺を仕掛けられるとか、そういうのはさ。
「遠く離れた船の動向をまるで見ているかのように掴めるのに関しては、もう、そういうものだと思いますわ。シャロン義姉妻様ですもの」
「はい。良妻ですからね」
「良妻になるまでの壁が高すぎますわ……。それはいいですわ、いえ、わたくしが良妻を目指す上では全然良くないですけれど、一旦置いておきますわね。どうして船団を商船ではなく暗殺者だと推定できますの?」
「理由はいくつかあげられますが、理解しやすいのは航行速度です」
「速度? 船の、ですの?」
「はい。積荷が多いと船舶の速度が落ちます。船団は一番足の遅い船に合わせた速度にならざるを得ませんが、くだんの船団は荷物を積み込んだ船舶とは思えない速度で航行しています」
「たまたま空荷だとかはあり得ませんの? ほら、前に寄った島で積荷が全部売れたとか」
「その場合は、そこで新しい商材を買い込むでしょう。船を動かすのは人手がいります。空荷での移動は商人にとって損失でしかありません。随伴船がいるならなおさらです。お金の勘定を誤る商人は船団を組めません」
船を動かすのは風と、船漕ぎたちの力だ。
風は気紛れだし、船漕ぎたちには給金も掛かるし飲食費だって必要だ。犯罪奴隷や獣人奴隷を使って給金を支払わない場合であろうと、食事や飲み水がないと死んでしまうのは同じことだ。
「それはたしかに……。でもそれだと、この島についたところで売るものがなければ、商船に偽装した意味がないのではなくて?」
「おそらくは近場の島で商品を買い込んで来るのでしょう。この島でさえ怪しまれなければ目的は達せますから。先に島へ到着しておき、艦隊到達の混乱に乗じて暗殺する手筈になっているのではないでしょうか」
「なるほどぉ〜……とはいえ、この状況でほんとに来ますかしら」
「来ないでしょうね。賭けてもいいですが」
「では賭けは不成立ですわね」
まあ、うん。僕も来ないと思う。
いや、近くまでは来るだろうけど、奴らが思い描いている島の姿と、今の島の姿は大いに異なる。なんたって、島同士が真っ白い壁で繋がっている上、壁の中の様子は外から全くわからないのだ。シャロンのいう艦隊の航路だって、途中でこの壁とぶつかることになる。
よっぽどの愚か者でもない限り、この光景を目にしたら即座に作戦を練り直すだろう。
「だからまあ、放っておいても荒事になる公算は高くない」
「でも、そうなると海賊貴族は野放しのまま、ですわね」
海賊と懇意にしている貴族がいるらしいという噂は以前からあった、とはレピスの筆頭侍女ミーシャの談だ。賄賂やら利益供与やら脅しやらで国の中枢付近にも根腐れが進んでおり、このことで随分頭を痛めてきたらしい。
白爵位につく者の係累がその首謀者であるらしいとわかってから、ミーシャはゾエ白爵を激詰めしていた。
僕の作った寄生虫を殺す薬とミーシャのお説教で、ここ数日の白爵はかなりやつれている。ミーシャに言わせれば、息子夫婦の手綱を握れていなかったご自身が悪いのです、とのことだったが。
「レピスはどうしたい?」
「やっつけたい――そう言ったら、力を貸してくださいますか?」
「当たり前だろ」
即答すると、レピスは何度か目をしばたかせたあと、嬉しそうにはにゃりと微笑んだ。どうやら意外だったらしい。
「素材が取れるわけでもないですから、スカーレットさんが乗り気な理由がわからないのでしょう」
「僕ってそういう印象なの?」
海賊って海の蛮族みたいなものだろ? 見つけ次第殲滅することに、なんの躊躇いもないぞ、僕は。それが貴族の後ろ盾があってのことならなおさらだ。
あ、でもレピスは『赤き鉄の団』とその背後にいたロンデウッド男爵によって僕の村が焼かれたこととか、両親が命を落としたこととかを知らないのか。それならしょうがないか。……いや、ほんとにしょうがないか? 素材収集にしか興味がないと思われてるのとはなんか別問題じゃないか?
構え構えと引っ付いてくるレピスを、島喰みの素材加工が終わってからなと遠ざけたせいか?
それともレントの樹液採取ゴーレムの改良で2日徹夜した件か?
あんまりレピスがごねるので、それならばと特性肥料作りに巻き込んだのを根に持っているのだろうか。なんか嘆いてたしな。髪に臭いが滲みついた気がしますわ、とかなんとか……。
「あ、わかりましたわ。新しい魔道具の試し撃ちですのね!」
……レピスからどういう印象を持たれているのかについて、ちょっとゆっくり話し合う必要があるな? うん、怒んないから正直に言ってみ?