悪意は牙を研ぐ
「あああああああ、なんだっていうのよ! まったくもって忌々しい、腹立たしい、憎らしい!」
金切り声をあげて唾を飛ばし、真っ赤な顔で女が騒ぐ。
「あ、ああ。まったく度し難い。いったい誰が邪魔をしたっていうんだろうな」
女の狂乱具合に若干引いた様子の男も、同調するように苦々しげに毒づいた。
ゾエ白爵家の嫡男、マキ = ゾエとその妻、ワリィ = ゾエ。仕立ての良い衣に袖を通していても、醜悪に歪んだ顔はそこいらのチンピラと遜色ない。
彼らはゾエ白爵領最大の島であるササザキ島からも、代官として派遣されているはずのシュク島からも遠く離れた、エタリウム諸島連合王国の首都島に構えた屋敷でぐだぐだとクダを巻いている。
彼らの屋敷は、良く言えば大きくて派手である。言葉を選ばずに表現するなら、無駄に金をかけてゴテゴテしている。口さがない者ならば、より端的に悪趣味と評するかもしれない佇まいで、周囲の景観からはやや浮いている。
内装も屋敷の外観と似たり寄ったりだ。
真っ赤な敷物とレント材の一枚板で拵えられた重厚な机。周囲には美術品や骨董品の類、硝子細工なんかが雑然と配置され、華美というよりもむしろ節操がない印象のほうが強い。
それらの調度品に埋もれるように、目立たないようにひっそりと佇む男がひとり。彼らが騒ぐ原因となった報告を持参した男だ。
彼は雇い主に命じられたとおりに報告をあげたにすぎないが、下手に目に留まろうものなら八つ当たりを受けることを知っている。たとえ自身が命じたことであっても、そのような道理が通じる雇い主でないことを知っている。なにせ、彼らの理不尽な怒りに触れてしまった前任者を"処理"したのは他ならぬ自分なのだから。
(そろそろ潮時だな)
この愚かな雇い主は、おだててさえいれば金払いは良い。
ゆえにこそ、これまで付き従ってきた男が、その財力をなすカラクリに陰りが見え始めた今、見限ることになんの躊躇いもない。むしろ、さっさとトンズラしなかったらツケを自分の命で支払う羽目になる。
配下が密かに離反を考えていることなど露とも知らず、女はきいきいと喚き続ける。
「全滅!? 全滅ってなによ、まったく使えない奴らだこと! ありえないでしょ、どれだけ金をかけたと思ってんのよ。まさか逃げたんじゃあないでしょうね!?」
「しょせんは海賊。クズどもだ。これまでの恩を忘れて逃げてもおかしくはないな」
海賊は、島主にとって頭の痛い存在だ。
神出鬼没に現れては島を襲い、富を奪い、民を攫っていく。
捕まえればもちろん縛り首だが、海賊を殺したところで奪われた人品が戻ることは稀だ。海賊狩りはマイナスをゼロにする事業であって、プラスになることはない。国からの懸賞金は大した額でもないくせに確認だなんだと出し渋るので、そんなものをアテにする島主はほとんどいないし、いたとしたらかなり追い詰められている証左でもある。
海賊に対処するには、迎撃のために人員を配置して装備を整えるだけでは駄目で、練度を保つために訓練が欠かせない。しかし常備軍は金を食うばかりで新たに生み出すことをしない。
彼らを食わせていくためには、漁民などの他の民が、軍の分の食い扶持まで稼ぐ必要がある。弱い領地にそんな余裕など、あるはずがない。
そんななかで白爵の息子夫婦がとった手段は、海賊と手を組むというものだった。
もともとワリィの生家は海賊との付き合いがあった。海賊を見逃し、寄港を許すなどの便宜をはかる代わり、領地に手を出させないという秘密裏な約束だ。他の領主からすればひどい裏切り行為だが、バレなければ問題にならない。島にいくつかある港のうち、使い勝手が悪く他家には使わせない港を宛てているため、露見するリスクは低い。
その約束を、ワリィらはさらに強固に結びつけたのだ。
彼らは海賊の本拠地用に島をひとつ提供した。ササザキ島から北上した位置にある、現在では無人ということになっているヘムベ島だ。
ヘムベ島には、もともと十数人からの島民がいたが海賊がまとめて攫い、ばらばらに売り飛ばした。売り飛ばす販路を提供したのもワリィの生家、ヤツ家である。当然、中間手数料もがっぽりもらってウハウハだ。
白爵家と比べれば木端貴族である赤爵家の中でも、海賊との密約もあってヤツ家は頭ひとつ抜けた力を有していた。財政の傾いたゾエ白爵家を支えることと引き換えに、白爵家の嫡男と婚姻関係を結ばせるくらいには。
ワリィらの暗躍はそれだけにとどまらない。海賊相手に船までも販売した。
ふつう、海賊は船を自分たちで補修せねばならない。彼らはお尋ね者であり、捕まれば縛り首が約束されている。
当然のことながら、国や島主の管理する正規の工廠で船の生産・補修が受けられるわけがないのだから、壊れたら自分たちで直すしかないのだ。
そのため多くの海賊船は古く、継ぎ接ぎだらけなものだ。襲った商船を鹵獲して改造したものなど、戦闘向きでない船も多い。
よっぽど数に差がない限りは最新鋭艦が海賊に負けるなどあり得ず、負けないのだから鹵獲されることもない。だから、防衛戦力さえ充実していれば海賊を追い返すこと自体は難しくないというのが通説だ。その『防衛戦力の充実』が難題なことに目をつぶればの話だが。
海賊に船を売るという行為は、その均衡を崩す。
海賊は強い船で周辺を荒らしまわり、得た富や攫った人足を売りさばき、配下を増やしてまた船を買う。
白爵の息子夫婦は海賊に便宜をはかる見返りにみかじめ料を得、首都島で遊んで暮らす。シュク島の家令と乳母に放り投げてきた息子など1年以上会っておらず、存在を思い出すことすらしない。もともと、跡取りをと口煩いゾエ白爵を黙らせるために作ったのだ。情など欠片も抱いていない。
海賊に流す船をつくる造船工廠とも、もちろんズブズブの関係だ。
彼らは作った船が海賊に使われるなど知らない。少なくとも、知らないことになっている。
得意先の貴族家がなぜか割増で、なぜか定期的に船を買ってくれる。大きな儲けには口止め料としての意味が含まれている。
作った船がどうなったかなど誰も気に留めない。より正確に表現すれば、そういった些事を気にする者は長生きできない。
海賊が攫ってきた人足の一部はワリィの生家、ヤツ家の保有する神の血の鉱山で従事させる。
神の血は死病に侵された人間からも痛みを取り除く万能の霊薬になるほか、鉛白とともにおしろいに混ぜると、雪をも越える神秘的な白を実現する。白い肌に憧れる女はいくらでもいる。死を恐れる年寄りから若い女まで誰もが欲しがる、まさに奇跡の商品だ。
奇跡の代償とでもいうべきか、鉱山で働く人足は遠からず腑を病んで苦しみぬいて死ぬが、足りなくなれば海賊に取ってこさせればいい。彼らは本気でそう考えていた。
政府で怪しい動き――討伐隊の編成であるとか、奴隷売買の精査であるとか――があっても、稼ぎの一部を還元している役人が事前に口を滑らせてくれる。彼らの事業は順風満帆であった。そのはずなのに。
「ざっけんじゃないわよ、恩知らずどもが! 見つけたら生きたまま沈めてやるわ、絶対に! 絶対によ!」
海賊どもをクズだと口汚く罵る彼らも、紛うことなきクズであるが、当人たちに罪悪感などまるでない。
「全滅ったって、なぁ? 伯爵家にそんな備えなんて、あるはずないしな」
「わかってんのよ、そんなことは! ああ忌々しい、腹立たしい!」
近頃は、海賊たちにはゾエ家の領地であるササザキ島を襲わせていた。
海賊との結びつきを怪しむ声がある、というお役人からの耳打ちをうけての目眩しの意味と、いつまでも当主の座から退かないゾエ白爵を追い落とす意味を持つ、一挙両得の良策であったはずのそれ。ケチがつくなど予想だにしなかったのだ。
「俺にさっさと家督を譲るか、いっそくたばるかしてくれりゃあな。どうせ短い老い先だってのに」
「そうね……そうよ、それだわ!」
唐突にワリィがハッと気付いたように叫び、報告を持ってきた男――気付かれないよう、そろりそろりと後退をはじめていた――はびくりと肩を竦めた。
「いままでのやり方はヌルかったわ。このさい、くたばってもらいましょ。そしたらあんたが白爵家当主様よ」
妻の喜色にマキもわずかに表情を緩める。
「そりゃいい。けど、どう『くたばって』もらう?」
「馬鹿ね、そんなの海賊と手を組んだ疑いとかでいいじゃない。ついでに逃げた海賊がいたら見せしめにできるし。ほら、ちょうどうちの兄が新しい艦隊を試したいって言ってたから、実戦の機会をあげたら喜ぶわ!」
自らの名案にワリィは満面の笑みを浮かべている。
「海賊がいた証拠なら後からいくらでも用意できるもんな。いいな、それでいこう」
マキは、自身の父を陥れる作戦を練りながら暗い笑みを浮かべる。思い描くのは白爵家の当主となった輝ける自分の姿だ。
「逃げられたら面倒だわ。腕利きの暗殺者も用意しようかしら。神の血があるから金には困らないもの、たくさん雇いましょ」
ついでに好みの若い男が島にいればコレクションに加えよう。ちょうど、このあいだお気に入りが壊れてしまったことだし。
目に欲望を滾らせながらぐふふと笑うワリィたちがあまりにも自信満々なので、トンズラしようとしていた報告者の心にも迷いが生じる。
まだ十分に甘い汁が吸えるのではないか? むしろ、自分が逃げたあともこの雇い主たちが健在なら、採算を度外視して自分を消しに来るのではないか? と。
見栄張りな雇い主たちが逃亡を許さないのは、従えていた海賊たちへの罵りからも明らかだが、それだけが理由ではない。
雇い主たちが屋敷で怠惰と享楽に耽っている間、連絡員として方々へと顔を出している男は、表沙汰になるとまずい関係や情報を多く握っている。口を封じるには、命を奪うのが一番早くて確実だ。
男にも多少腕に覚えはある。が、話に出ていたような腕利きの暗殺者を数人でも送り込まれれば、数日後には魚の餌になっているだろう。
(どうにも嫌な予感は拭えないが、このまま逃げてもドン詰まる、か。もうちょっと付き合うとするかねェ)
ヘムベ島の海賊全滅の報を受けて激昂していたワリィは、新たな襲撃計画にご執心のため、しばらくは機嫌がよかろう。
男は嫌な予感に蓋をして、決断を先送りすることに決めた。
もしもこの時直感に従い即座に逃げていたならば、男の命運は変わったかもしれない。
しかし、この襲撃計画の失敗を予見しろというのも酷な話だ。なにせ、その計画はついひと月でも前に実行していれば、ほぼ確実に成功したであろうから。
見るべきところのない寂れた島が、姫と女神と魔女の跋扈する島に変わり果てているなどと正確に予測ができるような奴がもしいたとしても、怪しげな薬の使用を疑われるに違いない。